10.王都へ
エマが王都へ行くと決めたあと。
ウェラー家では緊急の会議が行われていた。
「エマ、大変よ。どこかしらほつれた服しかないわ」
「大丈夫よミリア。私が王都で働いていたときの服を少し貸すから」
「っていうか、お前王女だったんだろ?うちの状況に不満はなかったわけ?……って今更か」
「本当に、いい子に育ってくれたよなぁ……娘をお嫁に出す父親って、こんな気持ちなのかなぁ……」
ずずっと鼻を啜りだす父親のマークに、テキパキと荷物を纏め始める母親のリディ。
兄のセインはそれをムスッとした顔で頬杖をついて眺めており、姉のミリアは大きな独り言を言いながら慌てている。
そんな自分の家族を見て、エマは笑みが零れた。
「みんな、私は大丈夫だから。ほら、アンリさまも言ってくれてたでしょ?王都での必要最低限の生活は保障してくれるって」
側近のアンリは、あのあとレオナールと一緒に王都の城へと戻って行った。
そのときに手短に話してくれたことがある。
・五日後に迎えを用意してくれる。
・王都での必要最低限の生活は保障してくれる。
・王都へ来たら、レオナールとの接触はしばらく出来ないと思うこと。
王都で、エマは新しい生活の基盤を早く作らなくてはならない。
そしてレオナールのそばに立つことができる道を見つけ、ひたすらに突き進むのだ。
アンリに引っ張られるようにして帰る際に、レオナールは「出来るだけすぐ会いに行く」と言ってくれた。
その言葉だけで、エマは王都でも頑張ろうと思えた。
「でもやっぱり……私は心配。なんとか髪の色を誤魔化したりできない?」
ミリアがそう言って、誰か良い案はないかとみんなの顔を見渡している。
セインは肩を竦めた。
「それが出来るなら、髪色の暗いやつはみーんなしてるだろ。自分は不利だって分かった上で、お前は王都に行くことを選んだんだろ?エマ」
「……うん。大丈夫、私は自分の髪色が嫌いじゃないし、そんな理不尽な差別には負けるつもりないから」
笑ってそう答えたエマに、セインは少し安心したように表情を和らげた。
家族みんなが心配してくれていると分かって、エマはなんだかとてもむず痒い気持ちになる。
リディが突然フフッと笑った。
「それに、エマのことはレオナール殿下が護ってくれるんでしょう?なら心配いらないわよ」
「う……うん」
「あらエマ、照れてるの?すごかったわよ、昨夜の殿下の演説は」
レオナールの、演説。
それは、昨夜エマが自分の部屋に逃げ出したあと、あの狭い部屋で唐突に始まったらしい。
なんでも、エマが前世でいかに素晴らしい王女だったかをレオナールは延々と語っていたらしい。聞いている方がなんだか恥ずかしかった、とミリアにそう言われてしまった。
護衛騎士レオのエマリス贔屓は、前世ですごかったのだ。
「レオナール殿下は……私のこと、買い被ってるから」
「ふふ、それでも私は、エマが前世でも変わらないってことが知れて嬉しかったわよ?」
リディが本当に嬉しそうに目を細め、エマは照れ隠しで荷物をゴソゴソと纏めるフリをする。
エマが王都に出ることにみんなが反対しないのは、レオナールのおかげだということが分かった。
レオナールがそこまで言うならエマを任せられると、そう思ってくれたのだ。
「エマ……もしも王都で頑張れないと思ったら、いつでも村に戻ってきなさい。父さんたちは、エマの味方だから」
涙目のマークが、そう言ってエマの頭をポンと優しく叩く。
本当に今世では家族に恵まれたなと、エマは嬉しくなった。
「……ありがと、父さん。みんなも……あと五日、よろしくお願いします」
感謝の気持ちを胸に、エマは笑顔で頭を下げた。
それからの五日は、あっという間に過ぎた。
持って行く荷物の準備は初日に終え、あとは気楽に過ごそうとエマは思っていたのだが、この村ではうまくいくはずもなく。
毎日のように村人からレオナールとの関係を聞かれたり、王都に行ったらお土産を送ってほしいと頼まれたり、とにかくずっと誰かに話し掛けられていた。
村長は「エマはこの村の英雄だ!」と声高に言い、村に銅像を建てると言い出した。エマはさすがに全力で止めた。
この村でエマは、ラッカム伯爵という威張り散らした貴族に刺されたレオナールを救い、さらにその伯爵を捕らえることに協力した英雄―――という扱いになっていたのだ。
そして、レオナールから感謝の証として、王都で働けるよう手配してもらえたから村を出る、ということにもなっている。
「あーあ、もうすぐエマはいなくなっちゃうのね……」
王都からの迎えを待つ間、ミリアがポツリとそう呟いた。
「王都に行けるなんてすごいことだけど……やっぱり寂しい。エマ、私たちのこと忘れないでね?」
「忘れるわけないでしょ。大切な家族なんだから」
「エマ〜……」
ミリアがエマに抱きつき、鼻を啜り始める。
しんみりとした別れにしたくなかったのだが、エマもつられて涙が滲む。すると、セインがエマの頭をがしがしと撫でた。
「ミリアもエマも、今生の別れじゃないんだから泣くなよ。ほらみろ、父さんが貰い泣きしてんだろ」
そう言われて見てみれば、マークがしくしくと涙を流し、リディがその涙をハンカチで拭ってあげている。
普通逆じゃないの?と思いながら、エマは自然と笑っていた。
―――コン、コン。
扉を叩く音が響き、みんなが顔を見合わせた。泣いているマークの代わりに、セインが玄関の扉を開ける。
「……エマ・ウェラー。王都より迎えに来た」
低い声でそう言ったのは、レオナールの側近の一人、ルーベンだ。
茶色の短髪に、髪と同じ色の鋭い瞳。鍛えられているのが分かる、がっちりとした大きな体。
エマはその姿を見た瞬間、よりによってこの人か、と思ってしまった。
ルーベンはあの夜、エマに対して敵意を剥き出しにしていた。とても人選ミスな気がしてしまう。
「……荷物は、それだけか?」
じろりと睨むように見られてしまったが、エマは怯まずにその視線を受け止めて頷く。
高圧的な態度の人間には、前世で嫌と言うほど会っていた。
「これだけです。わざわざ王都から足を運んでいただき、ありがとうございます」
「……いや、レオナール殿下の指示で動いているだけだ。礼は必要ない」
遠回しに、レオナールの指示でなければ誰がお前なんか迎えに来るものか、と言ってるのだろうか。
さすがに考えすぎか、とエマは頭を振る。
「例え殿下の指示だとしても、王都からここまでの道のりは決して短いものではありません。あなたさまの時間も、お城の経費も私のために割いていただけたことは、素直にありがたく思います」
「……そうか」
それだけ言うと、ルーベンはエマの鞄を持ってスタスタと歩き出す。なんとも気難しそうな人だ。
エマが振り返ると、家族みんなが心配そうな視線を向けてくれていた。
いろいろと伝えたいことはたくさんある。けれど、今のエマが言えることはまだこれだけだ。
「みんな、ありがとう―――行ってきます!」
大きく手を振って笑えば、みんなはすぐに笑顔を返してくれた。
今世の、エマにとって大好きで大切な家族。
エマができる恩返しは、王都でレオナールの側にいられる地位を獲得して、それを報告すること。それから、貰える給料を仕送りすることだ。
足の速いルーベンのあとを追いかけ、村の出入り口へ辿り着く。そこへ辿り着くまでの間、村人たちがエマに絶えず声援を送ってくれていた。
エマは笑顔で別れを告げ、村にあるには恐ろしく不釣り合いな豪華な馬車に乗り込んだ。
貴賓用の馬車であると、中に入っただけですぐに分かる。ただの村娘にこんなに豪華な馬車を用意してくれたのは、きっとレオナールだろう。
レオナールの顔を思い出し、思わずくすりと笑ってしまったエマに、すかさずルーベンの鋭い視線が飛んできた。
「……何が可笑しい。この馬車では身の丈に合わないとでも言うのか?」
「身の丈?……そうですね、私のような村娘のために、こんなに豪華な馬車を用意してくださった殿下には……感謝しかございません」
ありがとうございます、と頭を下げれば、何も言葉は返って来ない。だいぶ嫌われているようだ。
エマが恐る恐る顔を上げると、なんとも形容しがたい表情のルーベンが目に映る。
「……あの……?」
「……いや………なんでもない。俺は馬で警護をしながらついていく。何かあれば呼んでくれ」
なんでもない間ではない気がしたが、エマは「分かりました」とだけ返事をした。
馬車の扉が閉められ、やがてゆっくりと動き出す。エマは静かに息を吐き出した。
「……さて、頑張らないと」
ポツリと呟いてから、窓の外へ視線を向ける。
見慣れた景色が流れていく様子を、エマはしっかりと目に焼き付けていた。




