0.王女と護衛騎士
「―――エマリスさま!こちらへ!」
切羽詰まった声に導かれ、エマリスは懸命に走る。
動き辛いドレスの裾に嫌気がさし、役立つかもと拾っていたガラス片で切り裂けば、鋭い声が飛んだ。
「エマリスさま!おてんば王女が何やってるんですか!」
「……おてんば王女、は余計よね?」
「余計じゃ……ああもう、手を切っているじゃないですか!」
力を込めたときに、手のひらをガラスで切ったようだ。エマリスは心配性な護衛騎士を見て笑みを零す。
「こんなときでも、小さなケガを心配してくれるのね、レオ」
「当たり前でしょう!」
レオは声を荒げたあと、ハッとしたように周囲に視線を巡らせた。
「……追っ手か…。緊急事態ですエマリスさま、失礼します」
「えっ?」
エマリスの視界がぐるりと反転する。
気付けばレオの肩に担ぎ上げられおり、再び「えっ!?」と声を上げた。
「ちょっとレオ!どうして肩に担ぐのよ!?ここは優しくお姫さま抱っこでしょう!」
「そんなこと言ってる場合ですか!これなら剣を振るえるんです!我慢してください!」
エマリスを担ぎながら、レオが素早く地面を蹴る。ぐんと遠ざかって流れていく景色を、エマリスは複雑な想いで眺めていた。
第三王女であるエマリスが、生まれ育った城。
家族との良い思い出はまるで無い。あるとすれば、常に味方でいてくれた護衛騎士レオとの思い出だ。
「……いたぞ!あそこだ!」
「ちっ」
背後から兵士が叫び、レオが舌打ちをする。続々と兵士が集まり、エマリスとレオを追い掛けて来た。
兵士だけではなく、武器を持った一般の国民の姿も見える。
「………ねぇ、レオ」
「今度は何です!?」
「……私がしてきたことは、結局何の意味もなかったのね…」
エマリスがポツリと呟けば、腰に回るレオの腕に力がこもった。
「意味なら、ありますよ。……俺は、他の誰でもないあなたに救われました」
「………ふふ、そうなの?」
エマリスは口元に笑みを浮かべながら、レオの髪を撫でる。
黒混じりの灰色の髪が指の隙間からサラリと落ち、レオがなんとも言えない声を漏らした。
「……エマリスさま…」
「どうしたの?」
「いえ……。ところで、まだ追い掛けてきていますよね?」
「そうね。数が増えているわね」
「どうしてそんなに冷静なんですか…」
呆れたようにそう言われ、エマリスはくすりと笑う。
「―――それはね、レオがいてくれるからよ」
エマリスの中で、大事に大事に育てていた気持ち。
伝えるなら今なのかもしれないと、そう思ったときだった。
「……消えろ!この国の汚点め!!」
「エマリスさま!!」
死角から突然現れた兵士の剣が貫いたのは、エマリスの最愛の護衛騎士の体だった。
レオと共に床に倒れ込んだエマリスは、すぐに起き上がってレオの体を揺する。
「レオ……?レオ!いやぁ……!!」
涙がレオの体に零れ落ちた瞬間、エマリスの体は背後から無情にも斬り伏せられた。
「レ…オ……」
もう動かないレオの手を握りながら、エマリスは折り重なるようにゆっくりと倒れていく。
王女エマリスの人生は、呆気なく終わりを迎えた。
―――大好きな人に、想いを伝えられないまま。