私の光るゆびわ
「ねえ、ママ! 今日、神社でお祭りがあるんだって!」
家のリビング。ランドセルを背負ったまま「ただいま」よりも先にそう言って娘が私に突撃してきた。
外の暑さのせいなのか、走って来たからなのか。黄色い帽子の下は汗だくで、朝は綺麗に結えられていた三つ編みが少し乱れていた。
私は帽子を外すと苦笑する。
「こら、凛花。帰って来たら手洗いうがいでしょ」
「今からするもん。それよりお祭り!」
「お祭りって誰から聞いたの?」
「お友だちのゆなちゃんが言ってたよ。今日、パパとママと行くんだって。私も行きたい」
「お祭りねえ……」
私は考える。
近所の神社で毎年行われる夏祭りはもちろん知っていた。
私が子どもの頃からしているものだ。
ちらりと机の上の携帯電話を見る。
少し前に夫から飲み会で遅くなると連絡が来ていた。
今日は出前で適当にすますかなんて思っていたんだけど──
「お祭りで晩ごはんもいいか……」
ポツリと呟くと凛花の目がキラキラと輝く。
「ただし、楽しいことはきちんとやることをすませてからね。まずは?」
「手洗いうがい!」
「そして、水分補給! 冷蔵庫に麦茶冷えてるから飲みなさい」
「は〜い!」
元気に返事をして凛花は洗面所へと駆けて行った。
私はその後ろ姿を見ながら微笑む。
久しぶりの夏祭り。
少しだけ私の心もワクワクしていた。
夜。
まだ少し生ぬるい空気の中、神社に向かって歩いていく。
凛花は朝顔柄の浴衣に巾着を持って私の右隣を歩く。
去年の夏の終わりかけ、安くなっていたものをねだられて買ったものだ。
今日、着ることになるとは思っていなかったな。
乱れていた三つ編みをほどいてアップにした髪。ニコニコ笑いながら巾着を振る姿は我が娘ながらとても可愛らしくて思わず頬がゆるむ。
「ねえ、ママはゆかた着ないの?」
不思議そうに凛花がこちらを見上げる。
当たり前のようにTシャツにGパンと夏祭り感0の私は笑う。
「ママはいいのよ」
「えー、なんで、きっとかわいいのに」
不満そうに唇を尖らせる。
「ありがとう」
その言葉だけで十分だった。
最後に浴衣を着たのはいつだっただろうか。
高校生の時、夫とのデートの時だったかな?
いつの間にか浴衣が遠いものになってしまった。
子どもの頃は当たり前のように着てたんだけどなあ。
ぼんやりとそんなことを思っていると祭りの空気が濃くなってきた。
にぎやかな話し声と笑い声。
帰る人、向かう人、その顔はどれもが幸せに満ちていた。
「凛花、人が増えて来たから手をつなごうね」
「は〜い」
素直に凛花の小さな左手が私の右手を握る。
私はそっとその手を包みこむ。
神社の長い石段が見えてきた。
近所の学校では部活のトレーニングにも使われている階段だ。
下駄を履いた凛花にあわせてゆっくりとのぼっていく。
ゆっくりとゆっくりと。
そして、
「わあ……」
最後の一段を上ると凛花の喜びに満ちた声がする。
目の前に広がるたくさんの屋台。
たこ焼き、わたあめ、りんご飴。ヨーヨー釣りに金魚すくい。
石畳をはさんで両脇にずらりと並んでいる。
それは「楽しい」のかたまりだった。
「ねえ、ママ、どこから行く? ねえ、どこから行く?」
握ったままの手をグイグイと引く凛花。
私は微笑む。
「そうだなあ、まずは何か食べようか。凛花、何食べたい?」
「えっとね、焼きそばとたこ焼きとりんごあめとわたあめとチョコバナナ!」
「え〜、そんなに食べられる?」
「ママとはんぶんこするから大丈夫!」
「え〜」
困った声を出しながらも笑顔はあふれる。
よし、がんばれ、私の胃袋。
気合いを入れるようにポンとお腹をたたいた。
はあ、頑張った、私の胃袋。
労わるようにお腹をさする。
結局、ほぼ私が食べた。
今の凛花は遊びモードになって、どれが楽しそうか見て回っている。
「ママ、あれしたい!」
そう言って、凛花が指差したのはくじ引き屋さんだった。
景品は可愛らしいキャラクターのぬいぐるみやカードゲーム。人気のゲーム機とゲームソフトが1等として掲げられている。
1等って当たっている人、見たことないんだよなあ。
そんな意地悪なことを思いながら聞く。
「何か欲しいものがあるの?」
「あれ!」
元気に指差した先には色鮮やかに輝くゆびわがあった。
赤青緑。ダイヤモンドの形をしたゆびわがキラキラとカラフルに光っている。
懐かしい。
そんな感情が自然と浮かんだ。
同時に頭の中に幼い声がした。
『だって、ずっと光ると思ったんだもん!』
幼い女の子の声。
凛花の声? いや、違う、これは……。
「キラキラ〜」
思い出したところでハッとする。
かがみ込み、凛花がうっとりとした目でゆびわを見つめていた。
6等。他の景品より低い位置にそれは置かれていた。
屋台のおじさんがニコニコ笑って話しかける。
「お嬢ちゃん、うちのは「はずれくじなし」だから当たるかもよ」
「ママ、当たるって」
「うん、そうだね。1回やってみようか」
そう言っておじさんに300円を渡す。
凛花は差し出された箱の中に手を入れる。
むずかしい顔をしながらよ〜く選ぶ。そして、
「これ!」
元気よく1枚をひく。
おじさんに渡すと三角くじが開かれる。
それから、笑顔でこちらに見せた。
6等。
「大当たり〜」
おじさんは特別に大きく鐘を鳴らしてくれた。
「ふんふんふ〜ん♪」
帰り道。
鼻歌を歌いながら凛花はゆびわを光らせる。
右手の人差し指、中指、薬指といろんな指にゆびわをはめ替えて遊んでいる。
「よかったね、凛花」
「うん、明日、パパにも見せる」
「明日、明日かあ。それまで光ってたらいいなあ……」
ポツリとこぼれた言葉。
凛花は不思議そうにこちらを見上げる。
「明日は光らなくなるの?」
私は苦く笑う。
「ごめんね、ママ、意地悪だね」
凛花はふるふると横に首を振る。まっすぐな瞳で私を見つめる。
「どうして光らなくなるの?」
私は少し躊躇した後、話し始める。
「あのね、ママも昔、そのゆびわ持ってたの。凛花と同じようにお祭りのくじ引きで当ててね。ママはそれがとてもとても好きだった」
『だって、ずっと光ると思ったんだもん!』
幼い女の子の声。あれは私の声だ。
なんて事のない出来事だ。
子どもの頃、凛花と同じように浴衣を着て、両親と一緒にあの神社の夏祭りに行った。
長い石段をゆっくりと上って、屋台に目を輝かせて。
その中でくじ引きのキラキラと光るゆびわに惹かれた。
宝石のようだと思った。
ここに宝石があると思った。
くじ引きをひいて、当たって、はしゃぎながら帰った。
そして、キラキラといっしょに眠りについて──目覚めるとゆびわは光らなくなっていた。
『ママ、パパ、キラキラなくなっちゃった!』
お布団から出て、慌てて両親に見せに行った。
ねえ、もう一度光らせて?
ねだる私に両親は困った顔をしていた。
それは電池交換が出来ないものだった。
ずっと大切にされるものではなく、たった一夜、たった一夜だけ輝くものだった。
宝石は簡単になくなってしまった。
泣く私に両親は言った。
仕方ないじゃない。それはそう言うものなのよ。
私は言った。
『だって、ずっと光ると思ったんだもん!』
大切にしようと思ったのに。それは簡単に過去形の好きなものになってしまった。
こんなこと凛花に言っても仕方がないのに、どうして思い出してしまったんだろう。
「光らなくなるのかあ……」
凛花はじっとゆびわを見つめた。
「あ、でも、まだ光るから、ね」
せっかく楽しかったのに、悲しませてしまった。私は何をやっているんだろう。後悔していると凛花はポツリと言った。
「でも、なくならないよね」
「え?」
聞き返す私に凛花はニコッと笑って、こちらを見上げる。
「キラキラしてたのはなくならないでしょ。私、この子がきれいだったこと、ちゃんとおぼえてるよ」
「凛花……」
「ママ、左手かして?」
「左手?」
立ち止まり、左手を差し出す。
凛花はゆびわを自分の左手薬指にはめた。
私の手と合わせる。
私の銀の結婚指輪を凛花のゆびわが照らす。
キラキラキラキラと。
「ママのゆびわにもキラキラわけてあげる。だから、ママもおぼえておいてね?」
コトンと首を傾げながら凛花はそう言った。
私はなんだか泣きそうになりながら返した。
「うん、ありがとう……」
凛花は嬉しそうに笑った。
次の日、光るゆびわはやっぱり光らなくなってしまった。
凛花は少しさびしそうだったけれど、それを捨てずに大切に自分の宝箱にしまった。
もうなくしてしまった好きだった私の光るゆびわ。
それもいっしょにしまってもらったような気がして嬉しかった。
私は左手薬指の結婚指輪を見ながら分けてもらったキラキラを思い出す。
大丈夫。あなたが綺麗だったこと、私もちゃんと覚えているよ。