第一話「取り戻した温度」
故郷を焼かれ、家族を失い、いつの間にか独り身となってしまった僕――氏家雫月は、見知らぬお姉さん……氏家佐奈さんに命を救われ、今ではたった一人の家族として共に暮らしている。
しかし、この程度で僕のクレーターのように大きな心の穴は埋まらない。いや、もう一生埋まることは無いんだと思う。この虚無感とずっと生きていかなければならないんだ。
でも、今の僕には佐奈さんがいる。少なからず味方がいる。だからどんなに辛い思いをしても前に進もうって思えるんだ。
「ねぇ、雫月君……」
「……何ですか? 佐奈さん」
ふと佐奈さんが僕を呼んだので声をかけてみる。すると佐奈さんは僕の右腕を優しく触れた。次に僕の左手を。続いて右足、左足、両頬を優しく触ってきた。
「……うん、やっぱり冷たいね、右の方」
「……そうですよね」
何故なら僕は生まれつき右半身が衰弱している。更にあまりにも酷いのか、生まれた時から右半身から温度も痛みもものに触れてるという事自体感じられなかった。まるで自分の身体では無いかのように。
「これじゃあここでは生きていけないよ。折角の大事な家族がこのまま死ぬのは嫌だな。だから、お願いがあるの」
「……?」
佐奈さんの瞳から若干一粒の雫が頬に伝っているのが見えた。そんな佐奈さんを見てると、佐奈さんは棚から小皿を取り出し、右手の爪で左腕を少し切った。そこから真紅の血が白い小皿を赤く染めた。
「……これを飲んでほしいの。飲んだらきっとその冷たい右半身も治るはずだよ。大丈夫、私はO型だから。さぁ、飲んで……?」
「え…………」
僕は絶句した。いくら幼い僕だとしても、人の血を飲もうだなんて怖くて出来ない。佐奈さんの言っていることもあまり信用していいのかどうかも分からない。
……でも、僕はこれからこの厄災だらけの世界で生きていかないといけない。半身が使えない状態でとても生き残れるとは思えない。なら、迷わず飲むんだ。少なくとも人参よりは美味しいと思うはず……!
『好き嫌いは良くない』……母さんの教えを人の血で思い出すとは。
「うっ……い、いただき……ます…………」
「うん、召し上がれ♪」
こんな時に笑顔な佐奈さんに少し恐怖心を覚えながら僕は小皿に乗った血を一気に飲む。嫌いなものは少しずつ食べたら嫌いな味が長く続く。だから一気に食べる。
「がっ……うぷっ……」
苦い。いや、何だこれは。まるで鉄を口の中で飴のように舐め回しているような味がする。
……飲むんだ。いつまでも口の中に入れてると吐くぞ……!
「ぐっ……」
ゴクリ……と口の中の血を飲み込んだ。何か嫌な気分になった。救われてから初めての食事が人の血なのだから。
「うん! よく飲めたね〜、偉い偉い!!」
佐奈さんはニコニコと笑いながら僕の頭を優しく撫でた。その時だった。急に視界が霞んだ気がした。
「え……ちょ、雫月君!?」
背中から倒れる。佐奈さんの顔も次第に見えなくなる。意識が暗転する。
「――はっ」
目を覚ました。何故か視界が広くなった気がした。いや、『気がした』では無く、そうなった。あれほど衰弱していた右半身に布団の暖かさと羽毛のように軽い触感が伝わる。
「右手……治ってる……!」
今まで一度も自分の意志で動かした事が無い右手を動かす。少し違和感を覚えるも、これが本来の僕なんだと思わせられる。きっとあの血を飲んだおかげだ。佐奈さんに感謝しないとって……
「佐奈さん……?」
さっきまで僕の頭を撫でていた佐奈さんを目で探していると、ドアの方から鍵をかける音が聞こえた。
「ごめんね〜、これで少しは落ち着けるよ……って、雫月君!?」
僕の顔を見た途端、両手のレジ袋をどさっと落とし、僕の方へ走ってきた。
「良かった……ほんとに良かった……!!」
「えっと……いきなり何ですか……?」
佐奈さんはいきなり泣きながら僕に抱きついてきたのでどういう状況か分からなかった。
「ううん、何でもないの。でもいきなり倒れたから死んじゃったかもって……!」
「……大丈夫ですよ。むしろありがとうございます。右半身、戻りましたから」
「え……!!??」
佐奈さんは再び驚いた後、嬉しそうに笑いながら泣き崩れた。まるで全てから解き放たれたかのように大声で泣いていた。そんな佐奈さんの頭を取り戻した右手で優しく撫でる。
「これで……少しは僕もここで生きられますよね? 父さんや母さんの分までちゃんと生きられますよね?」
「うん……ぐすっ、雫月君の家族の分まで生きられるし、私が生かせるよ。絶対に君は死なせないよ……!」
こうして互いに抱き合った。かなり歳は離れてるが、これが家族愛なんだなと改めて思わせられる。
今日の夜は佐奈さんと抱き合って眠りについた。今まで冷たかった僕の右半身がとても暖かった。