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命の蝋燭2

 横から、御目覚めですか、と声をかけられて、ヴィオレッタは覚醒した。声をかけてのぞきこんできたのは、見知らぬ男だ。

 「お目覚めですか」と問いかけてきた口調は、心配しているというよりも皮肉げな響きを持っていた。

 ヴィオレッタが起き上がると、そこは彼女の寝室で、傍らには看護婦とおぼしき女性がすやすやと眠っている。

 

「あなたは……?」

『おや、見知らぬと? 一度お目にかかっていますよ、お嬢さん』


 そう言われて、思い出す。ロレンツォと話した時、傍らにいた青年だ。死神アンクーと似た雰囲気を持っていたから印象に残っていたのだ。


「ロレンツォ様のところにいた……?」

『ええ。ロレンツォ様がご主人様でね。あんたは、どうしてここに俺がいるんだ、とおっしゃりたいでしょう? これには深いわけがあるんですよ。……いや、たいしたことでもないんですがね? なんて言おうかな。――俺も死神アンクーなものでね。ちょいと気になったから様子を見に来たわけ』

「そう……」


 ヴィオレッタの眼はきょろきょろと動く。彼女のよく知る死神アンクーを求めて。


『なあ、ヴィオレッタは知っているかい?』


 ふいに、ヴィオレッタの知らない死神アンクーが告げた。


『愛を知った死神アンクーがどうなるかって話。俺もどうなるかってのは、よく知らなかったんだが、身を滅ぼすのはたしかってことさ。――あんたの死神アンクーは、禁忌を犯したのさ。兄弟は、『命の蝋燭』を取り換えたのさ。契約が遂行されたために奪われるはずだったあんたの命を繋げるために、どさくさに紛れて、あんたと、あんたの死んだ妹の蝋燭を入れ替えた。ひとりの死人と、ひとりの生者。立場をぐるっと入れ替えたのさ』

「……何を、言っているの……。よくわからない……」

『混乱するのは無理ないね』


 青年は軽薄に肩をすくめた。


『わかることはひとつさ。――兄弟はもう戻ってこない。探したって無駄さ』

「いない……? 死神アンクーが、いない……?」


 そんなわけ、と言いかけて、ヴィオレッタに不安が押し寄せてくる。

 あの夢。洞窟に蝋燭がたくさんあって、二つの蝋燭を取り換える手と、死神アンクーの抱擁、別れの言葉……。腑に落ちてしまうことが多々あった。


「そんな。私は契約に納得していたのに。どうして。なぜそんなことを」

『それが愛ってやつさ』


 目の前の青年が歌うように言う。馬鹿にしているみたいで気に障った。


『俺からしたら、澄ましていた兄弟が、まさか禁忌を犯すとは意外すぎたぜ。長く生きてみるもんだぜ。いやあ、すばらしいっ!』

「お願い、黙って」


 たまらずヴィオレッタはそう言っていた。


死神アンクーを馬鹿にするのは許さないわ」

『おお、なんだい。こわいこわい。心配してきてやったっていうのにさ。……まあ、それだけでもないけど』


 彼は息をつく。


『言っただろ。俺のご主人様は、ロレンツォ様だったんでね。契約していた、と言えばわかりやすいか?』

「契約? ロレンツォ様が? 『だった』ってどういうこと?」

『残念ながら、これ以上は機密事項でね。だが俺はあんたの味方だぜ? あくまで契約内での話だが』


 彼はおどけた仕草で、寝台の傍らで寝ていた看護婦を起こす。しばらく眠気眼をこすっていた彼女だが、自分を起こした相手を見るや、顔色をさっと悪くして、『死神伯爵……!』と唸った。彼女はすぐに自分の失言に驚いたのか、ぱっと口元を押さえると、ヴィオレッタの方をちらっと見て、「失礼いたしますっ!」と部屋から逃げていった。

 『死神伯爵』? その呼び方は、ヴィオレッタの夫としても振る舞っていた時の死神アンクーの仇名だったのに。


『あんたの夫。この世界でもたしかにあった席だ。だれかが埋めなくてはいけない。この世界の均衡を保つためにね。『死神伯爵』にも代役が必要だ。突然、消えてしまっては説明するのも面倒だろう? 俺様がその穴を埋めてやろうってわけさ』


 瞬きをする間に貴族の服装に着替えてみせた青年は、襟をさっと正すと、起立した。


『さて。看護婦からの知らせを受けた大公がそろそろ血相変えてやってくるころだ。気が気でないのだろうなあ。どんな顔をしてくるか、見てやろう』


 彼はうきうきるんるん、と形容したくなるような足取りで部屋を我が物顔で歩き回る。

 ヴィオレッタといえば、どこかぼうっとする頭で、「死神アンクー」と呼んでいた。だって、呼べば、いつでもすぐに応えてくれたから。


死神アンクー……?」


しかし、今は応える声はなかった。




 しばらくして、ハインリヒが見舞いに来た。少し取り乱している様子だったが、起き上がっているヴィオレッタを見るや、ああ、とため息交じりに頬を緩めてベッドの傍らで膝をつく。


「……よかった。身体は大丈夫か、ヴィオレッタ」

「はい。あの……」


 間近で大公を見た彼女は戸惑った。大公ハインリヒが泣きそうなまでに顔を歪めているのを初めて見たからだ。


「もう、あなたが目覚めないかもしれないと思った。とても怖かったんだよ」

「……申し訳ありません、陛下」


 なんとなく、大公の顔をこれ以上見られなかった。


――この人は、唯一の息子を失ったのだ。


 自らの後継者ヨハンを失った。彼を狂わせたのは、ヴィオレッタの異母妹だ。魔性の美で惑わした、カルロッタ……。

 ヴィオレッタは彼女と敵対していたが、周囲からしたら関係ないだろう。同じ血を引くヴィオレッタ自身もまた「悪」だと思われる。

 それに彼女自身にも罪悪感があった。もっと、ヨハンやカルロッタを止められたのではないかという、罪悪感。


「あなたが謝ることなど、何もない。――ヴィオレッタ。どうか、あなたの目で見たものを教えてくれないだろうか?」


 身体が辛いようならばあとでも構わないが、と付け足されたが、ヴィオレッタは首を振り、自分が見たままの出来事を話した。さすがに、死神アンクーが案内したから、とは説明できないので、誤魔化しながらの説明になってしまったが。

 大公は彼女の話を静かに聞いていた。話し終えると、こう告げた。


「おおむね、予想していた通りだ。ヨハンが追い詰められて、あなたの異母妹を殺し、自らも命を絶った。――あなたが志したのとは、違う形ではあるが、あなたの復讐は成った」

「あ……」


 何かを言おうと思った。胸の奥にすくう黒い違和感を口にしたかった。しかし、形を捕らえる前に、するすると最奥の暗がりに戻ってしまった。


「復讐を終えてもなお、何かがくすぶっているのではないかね」


 大公ハインリヒはふと言った。


「私も昔に、この手で母を引きずり下ろし、父を殺した罪を贖わせた。しかしそれで、晴れ晴れとした気分にはならなかった。やるべきことをしたとは思うがね。むしろ、復讐を成功させてしまったことで、自ら深い暗闇に入りこんでしまったと思ったものだ。――ああ、今こそ、あなたは私と同じ気持ちを抱いているのだね」


 感慨深げに大公はヴィオレッタの頬に手を伸ばす。まるで恋人に対するかのようにその声は甘く。


「陛下。――ヨハン様のことは、本当に残念です」

「そうだね」


 大公はどこか上の空だった。もしかしたら、この人にとってヨハンという存在は息子ではなかったのかもしれない、と思った。

 若くしてした政略結婚。相手とは不仲で、政敵だった母親の息がかかっていた。その相手に義務的に産ませた子どもがヨハン。大公にとってヨハンは息子というより、自らを追い落とす好敵手だったのだろうか。大公の敵対勢力にとって、そこまで優秀でないヨハンはちょうどよい傀儡になっただろう。

 しかし、父親に愛されなかったヨハンはどうだ。偉大な父を尊敬しながらも目を向けてもらえず、劣等感が増すばかり。そこに甘い言葉をかけてくれる恋人カルロッタが現われたら――空っぽの心を埋めるように、縋りつきたくなるのではないだろうか。

 彼はまだ少年だった。大公となる未来だってあったはずだ。その運命を捻じ曲げたのがカルロッタとしたら、種を撒いたのは目の前にいる大公かもしれなかった。しかし、ヨハンの死にはきっとヴィオレッタ自身も荷担している。ヴィオレッタの存在もまた、彼を追い詰めた要因のひとつだろうから。


「だが私はようやく肩の荷が下りた。ヨハンの父にはなってやれなかったからね。どう努力しても、愛してやることができなかった。そういう薄情な人間なのだよ、私は」

「それは……」

「おそらくヨハンは私の子ではなかった」

「え……」


 大公は淡々と続けた。


「最初の結婚の時、妃となった女はひそかに愛人も連れてきていてね。私との床入りの時期と、ヨハンを身籠った時期とが、どうしても一致しないのだ」

「そうだったのですか……」


 ヨハンを大公の子としたのは、大公の母親が圧力を加えたかららしい。政略結婚させたのも彼女の意向があってのことだ。「大公妃」という自分の手駒が減るのを恐れたのだろう。

 大公が人間不信に陥る気持ちも、父親に愛されたかっただろうヨハンの気持ちもヴィオレッタにはわかって辛くなった。

 ヨハンは死んでしまったが、大公ハインリヒにはまだこの先がある。

 後継者がいなくなった大公家は、一刻も早く新たなお世継ぎを求めるだろう。そのためには次の大公妃が必要だし、もしかしたらそのためにもう動いているかもしれない。

 彼女は、自分の引き際を悟った。カルロッタへの復讐を終えた今がちょうどよい。彼女は自身の席を明け渡す時が来たのだと。新しい大公妃は、ヴィオレッタの存在を嫌がるだろうから。


「陛下……」

「なんだね?」


 心配そうに身を乗り出してくる大公に後ろめたさを感じながら、ヴィオレッタは切り出した。


「少し、疲れてしまいました。できましたら宮殿を離れて、静かに暮らせたらと思うのです。どうかお許しください……」


 ――もう、本当に、疲れてしまった。


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