命の蝋燭1
なぜか胸騒ぎがして、寝台から起き上がった。
『起きたか、ヴィオレッタ』
天蓋付きの寝台の脇に、死神がいた。死神の手が伸びて、彼女の手を取る。
いつにもまして、陰鬱な顔をしていた。
『……こちらに来なさい』
「どうしたの? 何かあったの?」
死神が彼女の背にガウンを着せかけるが、事情は口にしなかった。
仕方なく、死神の後を追う。
死神の歩みはなかなか止まらない。宮殿の中から、外へ。庭園を横切り、なぜか礼拝堂へ辿り着く。
「どうしてここに? 夜だからだれもいないでしょう……?」
なんだか不気味さを感じていた彼女だが、入り口前で錠が壊されているのを発見すると、口元を引き締めた。
「ねえ、死神。中に入ればいいのね……?」
『ああ。……気を、強く持つように』
死神の手が鉄の扉を押し開く。扉は重苦しい音を立てて少しずつ、開いていく。
夜の礼拝堂は神秘的なのだろうと思っていた。あそこのステンドグラスはとてもきれいだから。
はたして、その予想は当たっていて。彼女はすぐに正面にあるバラ窓から月光が差し込んでいることに気付く。次に、光が照らされた先を見る。
「あ……」
真っ白なはずの石床に、どす黒いものが広がっていた。その中心には、二人の塊が。
何かを言おうとした自分の声が遠くに聞こえた。
嘘だ。そんなはずがない! あの塊の片方が、血に染まった金色の髪をしているだなんて!
「カ、カルロッタ……?」
ヴィオレッタはそろそろと近づいていく。よく見ようと膝を床につけたら、そのまま立ち上がれなくなった。
ぼろきれのようになってしまった異母妹の身体を起こす。
――ああ、これではとても助からない。
どこか冷静だった頭がそう分析する。
頭も腕も胸も背中も足も。どこもかしこも大きな傷を負っている。血を流しすぎている。
カルロッタの額はぱっくりと二つに割れていた。……しかし、身体はまだ温かい。
「ああ。おねえさま……」
ぽっかりと澱んだ青色が見えた。カルロッタには、まだ意識があったのだ。
傍らで斧を握りこんでいる、もうひとつの塊――ヨハンは、柱に背を傾けて、喉から血を流している。こちらも血まみれだが、おそらくカルロッタの血なのだろう。
純真なヨハンはカルロッタの本性を知り、激情に駆られて凶行に及んだのだ。……彼がそこまで追い詰められていたとは、ヴィオレッタも知らなかったのだ。
「めがみえないのおねえさまくらいのくらいわおねえさま……」
呻くカルロッタの目は焦点が合っていなかった。
「おねえさま、そこにいらっしゃる……?」
もう何を言えばよいのか、ヴィオレッタにはわからなかった。
憎い相手だった。彼女のすべてを奪ってきた女だった。同じ血を分けた、唯一の姉妹でもあった。
今は絶好の復讐の機会だ。死神もそう思って、ヴィオレッタを連れてきたというのに。
「自業自得だわ。あれだけ人の心を弄んだんだもの、いつかこうなることだってわかっていたはずでしょうに」
自分の声が震えるのをヴィオレッタは感じた。彼女は真実、この異母妹を憐れんだ。「こういうふうにしか生きられなかった」のだから。
ヴィオレッタの言葉は異母妹に届いたのか、届かなかったのか。彼女にはわからなかった。
「ああ、失敗しちゃったわね……おねえ、さ……」
そう言って、カルロッタの命の灯火は掻き消えた。
同時に、ヴィオレッタの身体にも変化が現われた。胸に強い痛みを覚えて、仰向けに倒れ込む。
――ああ、そうか。カルロッタが死んだのならば……私の復讐も終わる。契約どおり、魂を取りにきたのね、死神。
ヴィオレッタの死神が、ぼんやりとした視界に映る。
自分に近づいてくる愛しい足音。黒衣を着た、懐かしい骸骨姿で彼女に手を伸ばす。
――いいわ。約束したもの。あなたに命をとられるのなら、本望よ。
ヴィオレッタは精一杯の微笑みを浮かべた。大事な人に最期に見せるのは、笑顔であってほしかった。
復讐という意味では、最期までカルロッタにはしてやられたけれど。結果にはおおむね満足していた。復讐しようとしなければ、見られなかった景色と真実を知ることができたから。
「あ、り、がとう」
死神にそれだけを伝えて、ヴィオレッタは目を閉じたのだった。
――暗い洞窟に、無数の蝋燭が並んでいる。大きな蝋燭、小さな蝋燭。短い蝋燭に太い蝋燭。蝋燭にはそれぞれ紙が結わえ付けられていて、だれの蝋燭なのかわかるようになっていた。
――これは「命」の蝋燭だ。火が消えたら、持ち主は死ぬ。
たくさんの蝋燭を眺めていたが、そのうち、ひとつの蝋燭に目が吸い寄せられる。
――『ヴィオレッタ・アマレーロ・ラヴァン』。私の名だ。
自分の蝋燭は、元の形がわからないほどに崩れていて、いまにも燃え尽きようとしていた。か弱い火が、ふっと消えて……。
しかし、その蝋燭の火は掻き消えることはなかった。どこからか伸びて来た青白い手が、消えそうになった蝋燭の火を、別の蝋燭に移したから。長細く、まだまだ長く燃えそうな蝋燭へ。蝋燭についていた紙もそちらへ結びなおされる。火が消えた小さな蝋燭に、かけられた札には、『カルロッタ』と書いてあった。
『死神?』
もしやと思って名前を呼べば、知った気配が、ふわりと『ヴィオレッタ』を包み込む。これほど慈愛のある抱擁を受けたのははじめてだった。ヴィオレッタを抱きしめた死神は万感の思いで『さらばだ……』と大事な人へ別れを告げ、身体を離した。
どうしてか、白い鳩が二人の間を横切った。たくさんの白い羽毛を散らせながら。ああ、視界を埋め尽くしていく……。
どうして、と叫ぶより前に、ヴィオレッタの意識はふたたび遠のいたのだった。




