夜の礼拝堂3
「ヨハン様? どうかされました? どうしてここに?」
夜のこと。宮殿内にある礼拝堂前に、ヨハンとカルロッタの姿があった。いつものようにヨハンの部屋で過ごしていた彼女だが、年下の恋人が深夜になって突然、散歩に行こうと言い出したのだ。供も連れず、ふたりきりで。しかし、普段からいつもふたりきりで行動していたものだから、カルロッタは気にもとめていなかった。
礼拝堂には案の定、鍵がかかっている。ヨハンは頑丈な錠前を見下ろしている。
「ヨハン様。さすがにこの時間ですし、入れませんわ。やめましょう?」
「ううん。やらなければならないことがある。ちょっと待ってて」
ヨハンは近くの繁みから、斧を持ち出してきた。一心不乱に斧を振り下ろし、錠前を壊そうとする。
ガシャン! ガシャン! と斧と鎖がぶつかり合う音が聞こえ、やがて錠が壊れた。
「まあ、乱暴ですわ」
カルロッタは無邪気に笑う。
「夜の礼拝堂に入って何をしましょう? 神様の前でも愛し合うの?」
「ううん」
ヨハンは片手に斧、もう片方にカルロッタの手を握り、やや性急な足取りで正面祭壇の前に来た。礼拝堂の中は、四方にステンドグラスがある。
明るい夜だったから、わずかな光が差し込んでいた。正面では、大きなバラ窓があり、荘厳な雰囲気を醸し出している。
――まるで神様がこちらを見ているみたい。
「カルロッタ。話をしたい」
ヨハンと祭壇前で向かい合う。年下の恋人は真剣な眼差しをしていた……と思った。なにせ、薄暗かったから。
「神の前ならば、あなたは嘘をつけまいと思って」
「嘘? ええ、そうね? 昔、おねえさまが言っていたことがあるの。『神様の前では嘘はだめ。真実を話しなさい』って」
カルロッタは姉の言葉は一言一句覚えている。姉がどこにいて、どんな顔をして、どんな服装で、どんなことをしながら、だれに言ったのか、どれもこれも思い出せる。
――あれは、おねえさまが面倒を見ていた子に言っていたことだわ。
兄弟姉妹に接するように、優しく接してやっていた。それが気に入らなくて、カルロッタはその子を殺してしまったけれど。
――おねえさまは、カルロッタのことだけ見ていればいいの。
離れていたって、カルロッタが姉の一番であれば「耐えられた」。我慢してやった。
「おねえさまが言っていたから、カルロッタも守っているの。だから礼拝堂は嫌いだわ」
「カルロッタ。僕は君を愛している」
唐突に言われて、きょとんとする。
「そうね。ヨハン様。ヨハン様はわたくしを愛しているのね。わたくしもヨハン様を愛しているわ」
「……それって、あなたの夫よりも?」
「ええ」
「お父上やお母上よりも?」
「ええ」
「では……あの女……ヴィオレッタよりも?」
ヨハンは泣きながら訊ねてきた。なぜ泣いているのか、カルロッタにはますますわからなかった。
「いいえ?」
「……え」
彼の表情は暗い中でもころころ変わった。きっと、ヨハンを一番愛していると言われたかったのだろう。
――だって、神様に嘘をついてはいけないのよ?
「じゃ、じゃあ。どうして僕と結婚するなんて口にしたんだ……!」
両肩を強く掴まれる。激しく揺さぶられている。この男は怒っているのだ。しかし、そのことはカルロッタに何の感慨も抱かせなかった。
「結婚したいのは本当ですもの」
「なんだって!」
「ヨハン様と結婚したら、この国に留まれます。ロレンツォも大公も、死神伯爵もいなくなれば、おねえさまはわたくしの元に戻ってきます。とても良い考えでしょう?」
ヨハンは歯をがちがちと鳴らしながら全身で震えていた。どうしてそこまで動揺するのかわからなかった。カルロッタはごく当たり前のことを口にしただけなのに。
ヨハンが何も言わなくなったものだから、カルロッタは彼の相手をするのに飽きて来た。自分の肩を掴む邪魔な両手をひとつひとつ外し、滅多に入れない宮殿の礼拝堂を見学することにした。
「うぅっ、うぅっ……」
床に崩れ落ちたヨハンがさめざめと泣いている中、コツコツ、とカルロッタは礼拝堂の中を歩く。
ヨハンが立てる泣き声とカルロッタの足音が響き渡る。
ゆっくりと礼拝堂を一周した後、そこにいたはずのヨハンがいなくなっていたことに気付く。
「ヨハン様? もう戻りましょう? ――ヨハン様。どこです?」
ヨハンへ呼びかけていたら、ああ、と思い出した。
「そうでした、ヨハン様。この間の『お願い』は……ロレンツォと大公を殺してくれるという約束は……」
――カルロッタの背後に、斧をふりかぶったヨハンが迫っていた。
彼女は、最期まで気づかなかった。




