ショートショート集
『麒麒麒麟』
明の永楽帝は王朝の繁栄の永遠なることを願い、如何にすべきか儒学者に問うた。
ある儒学者が瑞獣である麒麟を捕らえて繁殖させ続ければ良いとの意見を出し、名案であると採用された。
世界各地に大船団が派遣され、調査団はついにアフリカにおいて麒麟を発見した。
しかし、船団を率いていた鄭和が宦官であったため生物の雌雄の見分け方を知らず、明へ持ち帰った麒麟は、雄が3匹に雌が1匹とバランスが悪かった。
遺伝子プールの小ささという致命的な弱点を抱えつつも、麒麟繁殖プロジェクトは莫大な予算が注がれ、なんとか世代を重ね続けた。
しかし度重なる近親交配の結果、生まれてくる個体は次第に弱勢となり、それに伴い王朝も傾いていった。
生殖能力を失った最後の世代が全滅するに至って明は滅亡した。
最後の麒麟は下顎が異常に突出した奇形であり、あたかも明の太祖、洪武帝朱元璋のようであったという。
『日本のインテリジェンス』
「ジャッカルの日」では、主人公が発展場を利用して警察の捜査網をくぐり抜けるシーンがあるが、この映画を鑑賞した時の首相、中曽根康弘は実際にこのような事態が発生することを恐れ、対男性同性愛者社会専門の諜報部隊を設立した。
彼らは「内閣特別情報調査室第三課」の秘匿名称で呼ばれた。
しかし、野党にこの組織の存在が知られるに至って、国会で「公務員が国民の税金を使ってホモセックスにふけっている」と追求を受け、存在を暴露された部隊は解散を強いられた。
この時の野党の言い分は必ずしも正しくなく、彼らは発展場に入り浸りはしたものの、実際に行為を行うことはなかった。
現在でも男性同性愛者が行為の意思を確かめる際に「とくさんか?」と問いかけることがあるのはこの名残である。
『腐刑』
宮刑のことを別名腐刑ともいう。男性器を結紮して壊死させる去勢法から来た呼び方というが、これに関して次のようなエピソードが伝えられている。
殷の紂王の後宮には多くの宮女がいたが、無論王一人で相手にできる人数ではなく、多くは暇を持て余していた。
そのため後宮内では半ば公然に同性愛が行われていたが、コミュ障の宮女や、とうが立った宮女は相手を得ることができずに困っていた。
彼女らはグループを作り、後宮に出仕する女官から大臣や貴族の言行を聞いて妄想を膨らませ、男色をテーマにした文学や絵画を制作した。
ある時某大臣の話を聞いた宮女の一人が、その内容が自分が持っていたイメージから乖離していることに酷く立腹し、王に讒言した。
王は大臣を宮刑に処し、後宮での雑用に使役した。これが宦官の始まりだという。
しかしこの話はあくまで後世の創作であると考えられ、殷代の甲骨文研究の結果はこの説を否定している。
『ほらふき男爵従軍記』
これは「ほらふき男爵」ことミュンヒハウゼン男爵がウクライナに義勇兵として参加したときのお話。
ある日男爵が塹壕で見張りをしておりますと、たくさんのT-72が攻めてくるのが見えました。
持っている対戦車ミサイルの数よりも多いので、戦ってもとても勝てそうにはありません。
そこで男爵が頭を捻っていると、良い考えが思い浮かびました。
男爵はロシアの国旗を持ち、親露派住民になりすましますと、戦車隊の前に出ていって、こう言いました。
「解放軍の皆さんようこそ! どうかこの砲弾を使って、ナチスをやっつけてください」
男爵の差し出した砲弾の薬莢には細い糸が結び付けられていました。
ロシアの戦車兵は「これはどうもありがとう」と砲弾を装填して、ウクライナ軍の塹壕をドンと撃ちました。
男爵が砲弾の信管を抜いていたものですから、塹壕の兵隊たちはみんな無事でした。
T-72の砲塔からシュポンと撃ちがら薬莢が出てくると、男爵は薬莢をリロードして、次の戦車に同じように渡しました。
やがて戦車が全部糸でつながると、男爵は糸を手繰り寄せました。糸の端にワイヤーがつなげてあったので、戦車はみんなワイヤーで数珠つなぎになって、身動きが取れなくなってしましました。
男爵はワイヤーの端をトラクターに結びつけて、戦車を味方の塹壕まで持っていきました。
それからというもの、男爵は『戦車取りの名人』と呼ばれるようになったということです。
これは男爵が自分で言ったお話なので、本当かどうかはわかりません。
おしまい。