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『ゆきは館』は営業中


 朝日がゆきは館の玄関を眩しく照らしている。掛けられた暖簾のれんをくぐると少し広い土間があり、正面に通路が続いていた。土間の両側にも暖簾が掛けられていて、右側の暖簾には『さき と つばきの お昼ごはん』と書かれ『準備中』の札が下がっていて、左側には『めぐめぐ』と書かれていた。


 土間では微かにお茶の香りが漂う。めぐめぐと書かれた暖簾の前では更にお茶が芳ばしく香り、ガラガラと音の鳴る古びた引き戸を開け、暖簾をくぐると、立ち止まり深呼吸をしたくなるほどの香りが広がっていた。

 中は美しい木目の腰板で囲まれ、腰板の上は鶯色うぐいすいろの土壁が格天井ごうてんじょうまで伸びている。その天井からほのかに赤みを帯びた光が、窓の少ない空間を暖かく照らしていた。部屋の隅のカウンターで仕切られた中には炭火が起こされた七輪の上に、黒光りした鉄瓶が置かれ、その口から湯気が上がっている。


 引き戸の音に書き物をしていた恵がふと顔を上げると、頭上に上げられた髪からのおくれ毛が揺れ、薄紫の生地に扇子の絵があしらわれた着物姿は妖艶ようえんさを更に引き立てていた。


「あら、幸葉じいちゃんいらっしゃい」

「この時間は大抵誰もおらんから、美女とお茶を独り占めできる」

「あらあら、誰かさんと同じような言い回し」

「ん? 秋人くんかな?? あれは本当に果報者かほうものだのう。美女に囲まれて」


暖簾をくぐって入ってきたのは町外れに住む幸葉の祖父、西大路にしおおじ源九郎げんくろうであった。源九郎は恵を気に入り、『めぐめぐ』の設計から関り、調度品や食器類まで高価な骨董品を揃える。


「今日は何のお茶にする?」

「そうだのう……茎茶くきちゃでも貰おうかの」

「ちょうど、いい茶葉が入ったの」


そう言いながらお茶を準備し出した。


「季節の移ろいは早いの。年を取ると余計早くなる」

「何言ってるのおじいちゃん。青春はこれからよ」

「そうだの。昔、幸葉が狼に襲われたときワシと代わっておったら。と、今更のように思うわい」

「幸葉さんを想う気持ちはわかるけど、おじいちゃんも大切よ」


源九郎はニコリと笑う。


「そうじゃないよ恵ちゃん。幸葉と代わっておれば、半獣じゃがもっと元気にここに来れたじゃろうからの」

「まぁ……」


話している間にお茶を入れ、盆に茶碗と、大福が二個置かれた小さな皿を置くと静々歩きながら源九郎のテーブルに運んだ。


「良い色じゃな」

「今日のお菓子は福々亭の大福よ」

「あのお多福が作った大福か。福が多そうじゃの」

「あ、福々の女将さんに言いつけよ!」

「そ、それだけは勘弁だ。あの女は小学校以来ずっと天敵じゃからな」


そう言うと源九郎は茶をすする。


「美味しい?」

「旨くない訳がなかろ。お前さんの入れた茶を飲むと寿命が延びる」

「それなら毎日来てね。そうすればずっと生きられるから」


源九郎はうなずきながら、幸せそうに茶をすすった。


「ところで今日、秋人くんは居るのかい?」

「出仕事に行ったわよ」

「そうかい。じゃ恵ちゃんから伝えてもらおうかの」

「私でいいの? 幸葉さんなら奥に居るわ」

「いいんじゃ。幸葉の前では大人しくせにゃならん。あれの前では戯言ざれごとも言えんからの」

「あら、幸葉さんの前では好々こうこうやぶるのね」

「まぁワシの泣き所じゃ……秋人くんに例のピカピカ光るのを飾ってくれと伝えてほしいのじゃ」

「恒例のイルミネーションね。伝えておくわ」


◇◇◇◇


「おお! ごっついの来たかえ。こちらにくるがよい。おぬしは体が大きいゆえ特別席だぞ。椿、定食一丁だ」


 昼食屋の店内は四人掛けの木目が美しいテーブルが四つと、六畳ほどの座敷に四人掛けの座卓が二つ置かれていた。昼のここは満席の賑わいを見せていて『さき と つばき のお昼ごはん』は午前11時から食材が無くなるまで日替わり定食を一種類出している。

 

 厨房に一番近いテーブルは厨房側に椅子が一脚だけ置かれていて、そこに大柄の男を案内した。他のテーブルから「彩希ちゃーん」と呼ぶ声がして振り向く。


「彩希ちゃんご馳走様、お勘定ここ置くよ」

「また来るのだぞ」

「明日、俺休みだから明後日あさってね」

「そうかえ、ゆっくり休め」

「椿ちゃーん、また来るね」


その声に椿が厨房から笑顔を向けた。


 街道に面した大きな木製の引き違い窓には細かな格子がはめられていて店内は『めぐめぐ』同様に腰板が美しく、壁は彩希の好きな薄い桜色をしていた。そして客席からよく見える壁に『ごはんのおかわりは、遠慮なく彩希にゆうのだぞ』『席は譲り合って座っておくれ』と達筆な毛筆で貼り出されている。


 彩希が体の大きな男に定食を運んできた。盆の上には彩られた料理と白飯が盛られた大きな飯碗が乗っている。


「ほれ、そなたには大盛りの大盛りぞ」

「ありがとう。彩希ちゃん」

「慌てて食うな。おぬしは早飯食いゆえ、ゆっくりと椿の料理を味わえ」

「うん。椿ちゃんの料理は美味しいから慌てて食べると勿体ないと最近気づいた」


 何人かが食事を終え、彩希と椿に手を振りながら笑顔で店を後にすると、入れ替わるように背広姿の二人が入ってきた。


「彩希ちゃん久しぶり、椿ちゃんも元気?」

「おお、久しいの……うん? 連れは見かけぬ顔だの」

「最近入った後輩なんだ」

「そうかえ。ほれ、そこが空いておる。座るがよい」


二人は椅子に腰かけると挨拶をした男が自慢げに話し出す。


「ほら、あの達筆な文字は小さい方の彩希ちゃんが書いたんだぜ。大きい方の椿ちゃんは厨房から滅多に出てこないけど。小さい方の彩希ちゃんに負けず劣らずの可愛い子だぜ」


そこに彩希がお茶を運んできた。


「誰が小さい方かの。私と椿とどちらが可愛いかゆうてみよ!」

「え!……」


厨房から椿がこちらを凝視している。男は立ち上がり直立不動に硬直した。


「そ、それは……ど、どちらも、可愛いですっ!」

「ふふふ、もうよい。そなたはいやつよの」


冷や汗をかく男に、居合わせた客から笑い声が漏れていた。

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