風呂上りと華の過去
華の歓迎会の片付けも終わり、幸葉たちは館内で風呂に入っている。さやか館には旅館の頃の大きな浴場が今も残っていた。かってはヒノキの浴槽が二ヶ所にあったが、今は一ヶ所だけを使用している。
「あーいい湯だった。秋人さんお先だよ」
幸葉がパステルピンクのパジャマを着、赤いはんてんを着込んで戻ってくる。
「幸葉はいつも一番先に上がるね」
「みんなみたいにお湯に浸かってるとすぐのぼせちゃうんだ」
「そう言えば昔、のぼせた幸葉を風呂場から救出したことがあったっけ。ボクはまだ傷が治ってなかったから幸葉を引きずって座敷まで連れてきたよね」
「そ、そう……忘れちゃった」
手で火照った顔を扇いだ。秋人が冷蔵庫から乳飲料の入った小瓶を持ってきて幸葉に手渡す。
「ありがと」
「今月は経費何とかなりそうかい?」
「うん、ここ三ヶ月くらいは自力でいけてるよ」
ゆきは館の元である旅館は取り壊しが決まっていたが、幸葉が祖父にねだって買い取ってもらったのだった。幸葉の祖父はこの辺りでも有名な資産家で、町外れの大きな屋敷で暮らしている。また、維持費や修繕費は幸葉の父に依存していた。
「自立しないとお爺さんやお父さんに悪いからね」
「ううん、心配しないで、じいじやお父さんは孫離れ子離れしてないんだ。だから援助断ったら落ち込んじゃうから」
「申し訳なくってさ」
「秋人さんは私の命の恩人だから気にしなくていいんだよ」
幸葉は立ったまま乳飲料の小瓶をグビっと飲み干し「うめー」と口をぬぐう。
「そうそう秋人さん、叔父さんが新しい魍魎用ドリンクの試供品持ってくるって」
幸葉の父と叔父は共同でバイオ関連の研究所『オトギバイオテック社』を経営していた。小さな研究所をこの町に開設して十数年が過ぎ、今は巨大な研究施設を郊外の山麓に持っている。父たちはバイオ研究のかたわら、魍魎達に効く成分も研究していて、朱雀登尾花との関りも深かった。
「この前の栄養ドリンク効きすぎて眠れなかったけどな」
「秋人さんは人間の部分が多いから魍魎用は効きすぎるんだって」
幸葉は秋人の隣に横座りし、体にすり寄る。
「眠れないときはいつでも言ってね……うふ」
「え……」
すり寄られた体を片腕で支え逃げるように斜めになると、更に幸葉が覆いかぶさるようにすり寄ってきた。
「なんで逃げるの――」
「何をイチャイチャしておる」
彩希が開いた襖から、幸葉とお揃いの赤いはんてん姿で顔を覗かせる。
「ん、もう出て来ちゃったの」
「私に構わずイチャイチャを続けてくれてよいのだが、華が廊下で立ち往生しておるぞ」
恵や伽理奈、椿が赤いはんてん姿で次々顔を出した。
「いつから見てたのよ」
秋人はサッと立ち上がると台所から乳飲料の小瓶を両手に五本持ってくる。戸惑いながら入ってきた華、そして彩希たちにも小瓶を渡した。
「華さん、赤いはんてんが似合っているよ」
「あ、ありがとうございます吉田さん」
「華よ、そんなに堅苦しくならんでもよいぞ。それに吉田さんは止めておけ。『おい』でも『おっさん』でもよいから呼び方を考えよ」
「その内慣れるさ。ね、華さん」
「おぬしもだ! 他の者のように名だけを呼べばよかろう」
「そうか? なんか照れ臭いよね」
「恥ずかしいです……」
照れて目を伏せた華は、ふと彩希の小瓶だけ真っ赤な液体が入っているのに目を止めた。
「ん? これかえ。これはな、この男のしぼりたての血だぞ」
「え……!」
「私はこれが無いとダメなのでな」
彩希が不気味な笑みを浮かべながらキャップを開けると華は眉間にシワを寄せその小瓶を凝視している。
「ボク手作りのトマトジュースだ。トマトを煮込んで作るんだよ。彩希は乳飲料が苦手だから、それに赤い飲み物が飲みたいっていうからこれしか思い浮かばなかったんだ」
彩希が意地悪そうに華を見つめ笑い、華は秋人を上目遣いに見ている。
「吉田さ……秋人さんは彩希ちゃんに優しいのですね」
「そりゃお腹を痛めた子だからね」
「またそれをゆう」
そう言い横目で秋人を見るとトマトジュースを一口飲んだ。華が乳飲料を飲み干し背の低い水屋箪笥の上に飾られた写真を見つけ近寄ると、そこには中年の男女の前に桜の花弁模様の振袖を着た少女が写っている。
「幸葉さん、これは彩希ちゃんですよね? 凄く可愛い」
「そうだよ、私の叔父さん夫婦との記念写真だよ」
「わ、私は気が進まなんだのだが、あやつらがどうしても撮りたいとゆうから…………」
赤面し、トマトジュースを飲み干した。叔父夫婦には子どもはなく、そのせいか彩希を非常に可愛がっている。彩希は迷惑そうなそぶりを見せているが、内心嬉しいようでこの写真も彩希自身がここに飾っていた。
「なあなあ、華ちゃん。なんで秋人さんの向こうずね蹴飛ばしたんや?」
「この男がアホだからだがの」
「え……そ、それは」
ーーーーー
華は妖狐と人間の間に生まれたため成長の仕方が人とは違い、八才を過ぎると成長が一旦止まる。そしてある事がきっかけで一気に成長をした。秋人が華と初めて出会ったのは村が魍魎狩りに会う前の事である。
◇◇◇◇
抜けるような夏の青空の下、秋人は小川に掛かった橋の上で立ち止まった。そこからは瓦屋根が数件見え、舗装されていない道が集落に曲がりながら伸びている。村の入り口まで来たとき、麦わら帽子にランニングシャツと半ズボン姿で虫取り網とカゴを持った子どもが走ってきた。
「坊や村長さんの家を教えてくれるかい?」
「坊やじゃない」
「はは、じゃぁボクかな? 村長さんの家はどこだい?」
「むっ」
その子どもは秋人に走り寄ると向こうずねを力いっぱい蹴り上げる。
「いてー! なにすんだよこの坊主は」
「坊やでもなければボクでも坊主でもないや!」
秋人の前でくるりと後ろを向くと半ズボンを下ろす。
「え?」
「ほら、女の子だぞ! とうちゃんが買ってくれた『ピンクのくまさんぱんつ』だ」
秋人が両手で顔を覆い指の間から覗きながら
「ご、ごめんなさい……お願いだからズボン上げて」
半ズボンをごそごそと上げると腕を組む。
「見かけない顔だな」
「はい、吉田秋人と申します」
「覚えといてやるよ。私は華だ! お前もよく覚えとけ」
「はい」
◇◇◇◇
魍魎狩りの後に華は可憐な姿に成長し、村の巫女となる。その妖狐の成長のきっかけは『恋心』であった。
ーーーーー
華は赤面して下を向く。
『……こんな話……できない』
「何で華ちゃん顔赤いんや??」