異世界から帰還した元勇者の俺。クリア特典なんて不要なので、バッキバキに割れていた俺の腹筋を返してくれ
俺の名は、田中レイジ。
十五歳で異世界に勇者として召喚された。
十年間必死に頑張って魔王を倒した。
そしてたった今、現代日本の自分の部屋に帰ってきた。
何もかも懐かしい。
十年前の記憶とまったく同一の室内である。
鏡を見ると、華奢で大人しそうな印象の十年前の俺の顔があった。
おや、若返っている?
学習机の上に置いてあった、スマートフォンを手に取った。
表示された日付は、異世界に召喚されたその日その時刻だった。
「……ステータスオープン」
目の前に半透明のステータスウィンドウが表示された。
表示された数値は、十年前に異世界召喚された直後の貧弱なステータス。
シャツをめくると薄く脂肪が乗っただけの情けない腹部。
「マジか……」
不器用な俺は、異世界で筋力を鍛えて物理で殴る系勇者をやっていた。
異世界は、現代日本に比べて不便で辛い事しか無かったが、あえて良かった点をあげるとしたら鍛えれば鍛えるだけレベルが上がるステータスシステムがあったことだ。
そして、生き残るために必死にレベルを上げていたら、いつの間にか腹筋がバッキバキに割れていた。
貧弱な身体がコンプレックスだった俺が、いつの間にかキレッキレの細マッチョになっていたので、それだけはめちゃくちゃ嬉しかった。
ついでに、鏡の前でポーズをとっていたところを『あの子』に見られて気まずくなった事を思い出してちょっとだけ死にたくなった。
あれ?誰だっけあの子?
そう言えば、俺は何のために異世界で身体を鍛えまくっていたのだろうか?
思い返すと異世界では、鍛えてレベルが上がった分だけ強い魔物と戦うハメになった。
鍛えても鍛えても戦闘が全然楽にはならなかった印象がある。
やはり、異世界はゲームバランス最悪のクソゲー世界だった。
クリア特典は無いし。
ステータスは初期状態だし。
鍛えた腹筋は元に戻ったし。
強いて言えば、若返ったおかげで夢にまで見た高校生活を継続できることが、クリア特典に相当するかもしれない。
だが、クリア特典が『普通の日常』って、それでいいのか?
「ん?そもそも異世界召喚されてなければ、普通に学校生活を続けることができたハズなんだよな。クリア特典でもなんでもなかったぜ……」
せめてバッキバキに割れていた俺の腹筋を返してくれ。
翌日。
『普通の日常』ってやつを満喫するため、十年ぶりに学校に登校した。
時間が巻き戻っているので,タイムロスは無いはずなのだが俺のなかではすでに十年経過している。
異世界で夢にまで見た、平和で普通な高校生生活の再開である。
クラスの女子との甘い恋愛イベントなんて事も期待できそうだ。
「みんなおはよう!」
一年B組の扉を開けて教室に入ると周囲がざわついた。
誰かの、――あれ、誰?という声が聞こえた。
おい、ひきこもりだった田中が登校してきたぞ。
鬼頭君にいじめられていた田中だ。
彼、何日ぶりの登校かしら?――という声が聞こえた。
そう言えば今朝、自宅で発生した出来事を思い出した。
学校に行く。と言ったら家族全員が涙を流して喜んでいた。
若干不審に思っていたのだが、そういえば俺はひきこもりだった。
あの頃、クラスメイトとトラブルになって以降、しばらく学校に行っていなかった。
なにしろ、俺にとっては十年前の出来事だしな。
異世界から帰還した喜びですっかり忘れてしまっていた。
「よう、久しぶりじゃないか田中。また俺らと遊んでほしいのか?」
いきなり大柄な生徒を先頭に、複数のガラの悪い男子に囲まれた。
大柄な男子生徒の、耳や鼻に付いた複数の趣味の悪いピアスを見て思い出した。
コイツ異世界に行く前に俺をいじめていたやつだ。
なんだか懐かしいな。
「あっ、鬼頭くん久しぶり」
「あぁっ、なんだその態度は?」
いきなり凄んできたが、まったく怖くはなかった。
異世界で、オークやらアンデットやらを毎日のようにぶん殴ってきた俺から見ると十年前の俺が何を恐れていたのか不思議なくらいだった。
「あっ、すみません。間違えました」
悪目立ちしたくない。
とりあえず、穏便に済まそう。
それに、俺のステータスは初期状態だ。
「そうだよな。お前は俺たちの弁当係だもんな」
「そ、そう言えばそうでしたね」
本当は忘れていたが、そういう設定だったような気がする。
「今日は久しぶりだから牛カツ屋の特製サンドで許してやんよ」
そう言って、筋肉質な腕を見せつけるように俺の肩に回してきた。
俺は、鬼頭の上腕二頭筋を見てちょっとだけイラっとしてしまった。
くっそ、昨日までの俺はキレッキレの細マッチョだったのに。
それだけが俺の誇りだったのに。
俺は、鬼頭の腕を払いのけた。
「なんだ?反抗すんのか?」
俺よりも頭一つ大きい鬼頭が、上から見下ろすように睨みつけてくる。
だが、まったく恐怖など覚えない。
俺は、なんでこんな小僧にへこへこしているんだ?
俺は、異世界で魔王を倒した男だぞ。
誰かの、『勇者さま。あなたは私の誇りです』という声が聞こえた。
俺は、負けない。鍛えて鍛えて、あの子との約束を守るんだ。
あれ?誰だっけあの子?
そう言えば、俺は何のために異世界で身体を鍛えまくっていたのだろうか?
「おい、びびってんのか?何か言えよ。この『貧弱』チキン野郎が!」
貧弱だ……と?
ぶちっと俺のなかで何かが千切れるような音がした。
「鬼頭くん……前から気になっていたのだけど、その鼻ピアス全然似合ってないよ?」
鬼頭の顔色が変わった。
誰かが、あいつ死んだぞ。と言った声が聞こえた。
「ぶっころ――」
俺に殴りかかろうとしていた鬼頭の大柄な身体が一回転した。
アイツが手を動かしたので、つい反射的に反撃してしまった。
「あっ、しまった。穏便に済ますつもりだったのに」
鬼頭は、潰れたカエルのような姿勢で無様に白目をむいて失神している。
俺は、小声で唱えた。
「……ステータスオープン」
目の前に半透明のステータスウィンドウが表示された。
表示された数値は、異世界召喚された当時の貧弱なステータス。
異世界では、なぜか物理攻撃スキルが何も習得できなかった。
俺だけハードモードのクソゲー世界だったと確信している。
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名 前:田中レイジ
職 業:勇者
スキル:なし、(隠し:魔法使いの適正)
称 号:なし、(隠し:聖女の祝福・クリア特典)
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誰かの、あいつ拳法の達人らしいぞ。と言う声が聞こえた。
誰かの、ひこもりではなく山ごもりをしたのね。と言う声も聞こえた。
誰かの、『さすが、私の勇者さまです』という得意げな声が聞こえた。
いや、拳法も山ごもりも何もやってねーよ。
でも、異世界で十年過ごしたら自然とこうなったんだよ。
鬼頭の取り巻き達が青い顔をして震えている。
クラスの女子がどん引きしているのが見えた。
これは、悪い意味で目立ってしまった。
俺は、平穏無事な高校生活を送ることを楽しみにしていたんだ。
これでは、クラスの女子との甘い恋愛イベントなんて事は期待できそうにない。
異世界で十年間過ごした俺に今さら『普通の日常』なんて難しい。
クリア特典なんて不要なので、バッキバキに割れていた俺の腹筋を返してくれ。
その後。俺は徐々に普通の日常ってやつを取り戻していった。
でも、何か大事な物を異世界に忘れて来たような気がするんだよなぁ。
異世界で頑張った勇者さまが幸せになりますように。