7 無力さと夏
入学早々担任になったのは、あの男だった。
終わった、と心底絶望した。
あの男から離れたくて選んだ、遠い高校。
偏差値は少し高くて、必死に勉強した。
努力が、一瞬で、ボロボロに壊された気分だった。
"父"として一緒に暮らし始めてから、もうすぐ四年になる。
この男の見せる大抵の顔は知っていた。
母と居る時の、甘えた顔。
母が居ない時の、イラついた顔。
そして最悪なのが、泥酔状態の時の、暴力的な恐ろしい顔。
幻覚や幻聴に憤怒し、なりふり構わず周りの物を壊す。
そうだ、この人は自分の周りのものを全て壊していく。
そういう人だった。
そんな家での姿しか知らなかったから。
教師としての父の顔は、完璧だった。
クラスの女子からすれば、"イケメン"という部類に入るらしい。
ものごとを教えるのが上手く、生徒を育む教育の姿勢。
まさに、教師の鏡だった。
憎たらしいほどに、完璧な教師像。
あの男の、本当の姿を誰も知らない。
きっと、言っても信じないだろう。
✱ ✱ ✱
父が家に来たばかりの頃。
自分は男を"仲村さん"と呼んでいた。
最初は男も、
「まだ慣れていないからな」
「でもいつか父さんって呼んでくれたら、嬉しいな」
そう、胡散臭い笑顔で言った。
もちろん自分からこの男を父と認識することなど一生ない、と思っていた。
でも一年経ったある日、男は怒鳴りながら言った。
「お前さァ、いつになったら俺を父さんって呼ぶんだよ」
「もう一年も一緒に暮らしてやってんだろ」
「それともあれか?まだ死んだ父親のこと忘れらんねえのか?」
男は、酷く酔っていた。
威圧的に怒鳴り、責め立て、嘲笑した。
自分は為す術もなく、ただひたすらに耐え続けた。
「黙ってねぇで何とか言えよ!」
その態度すら気に入らなかったのか、男は酒の缶を自分に向かって投げた。
「お前がいつまでも俺を認めねえからよ」
「綾波が不安になって、また夜中にヒステリック起こすんだよ」
威圧的な口調のまま、さらに圧をかけるように椅子を蹴った。
「さっさと諦めろ、死んだ父親のことなんか」
息ができないほど、悔しかった。
悔しくて、唇を、血が出るほどに噛み締めた。
そして自分は諦めざるを得ない状況の中で頷き、その男を父と呼んだ。
母になるべく負担をかけないように。
父の機嫌を損ねないように。
ただ周りの様子を伺うだけの生活。
ビクビク怯えながら、それを顔に出さないように。
無駄なことを、声に出さないように。
そんなふうに生きてきた自分を、高校で変えられると信じて頑張ってきた。
父と離れられればそれだけで良いと思っていた、のに。
いつだって、運命は最悪で、残酷で。
こんな世界おかしい。
でも死ぬことも変えることも出来ない。
こんな世界でなにか、生きる意味はあるんだろうか。
せめてまともな、学校生活が欲しかった。
自分の為に、誰かの為に、意味のある日々を。
そのためなら死んでもいいと思える何か。
いつかの"何か"だけを信じて、自分はこの世界で生きた。