46 激動の終夏
波止場から少し離れたところで、老人の警官は自転車を停めた。
何か事情があるのだろうと、何となく察していた。
本気でもう一人の、彼女を殺すつもりなどないのだと、分かっていた。
「…すまないね」
それでも警察官としての義務だと、やむを得ず署へ事件の概要を伝えた。
一応、二人には殺人の疑いもあった。
その為事態は思っていたよりも大事になり、波止場での『人質立てこもり事件』として、対策チームが動くことになった。
「無事に二人共、家に帰れるだろうか…」
老いぼれの過ぎた願いだと、警官は小さく呟いた。
✱ ✱ ✱
───────うるさい。
ぼくの中で、勝手に刻まれていく時計の音。
さらさら、残酷に流れる砂時計の音が。
本当は分かってた。
今までずっと。
この波の傍での、全部。
引き伸ばしただけの時間で、とっくに終わりに近付いてたこと。
「……楽しかったな」
波止場の先端に着いてふと、はるが呟く。
ぼくから包丁を離し、その場に座る。
「この人生のなかで、一番幸せな時間だった」
はるは、遠くの海を見つめながら微笑んだ。
先程まで警官に包丁を向けていた人間とは思えないほど、穏やかに。
ぼくは、なにも言わずにきみの隣に座る。
いつになく、きみが儚く見えたから。
✱ ✱ ✱
地元の警察官からの通報で、愛媛県警に連絡が入った。
犯人と人質と思われる女子高校生二人の概要が、行方不明として警察データベースに共有されていたものと酷似しているということで、急遽埼玉県警にも連絡がされた。
故意か偶然か、周辺へ捜査に来ていた担当警官二人が、急遽現場に向かうこととなった。
✱ ✱ ✱
夏の太陽がジリジリと照り付ける。
車のドアを開けると、生温い潮風が吹き抜けた。
街の最果てにある波止場の前に到着した警官二人は、通報を入れたと思われる地元の警官に事情を聞く。
外見の特徴から二人の少女のうち一名は、仲村 武仁の依頼により捜索を行っていた仲村 波琉。
もう一名は、同時期から無断欠席をしており、帰宅していないと学校から行方不明届けが出されている、夏木 海心であると推定された。
一方、独自に波琉を探していた武仁は、警官の一人を有り金で雇い、既にその情報を手に入れていた。
✱ ✱ ✱
波の音が、心臓を急かす。
波止場の先端で座ってから暫くして、うみは、はるの方を見る。
「なんで、こんな事したの…?」
はるは、遠く、遠くを見ていた。
いつかの、飛び込もうとした屋上の時のように。
その時よりも、ずっと澄んだ顔をして。
「うみのおかげで、ここまで来れた」
「こんなに遠くまで来て、うみと二人で……夏を過ごせた」
「どこにも行けない不自由だった自分を、うみは、自由にしてくれた」
うみにはそれが、酷く恐ろしく思えて。
「だから、もういいよ」
「もう、十分貰いすぎてしまったから」
言って、包丁を地面に置いたまま、はるは立ち上がる。
「はる……?」
不安で、苦しくて、地面に着いたうみの手が、腕が、震え出す。
「うみ、本当にありがとう」
はるは涙目で、不器用に、やさしく、微笑む。
うみは、混乱しながら、涙が勝手に零れだす。
「まっ、てよ、はる…?」
「まだ、まだまだだよ、ぼくらの夏はまだ、これから、でしょ…?」
うみは、現実を受け入れたくなくて、俯いて、震えて。
「まだはるとやりたい事が…ううん、そんなの無くたっていい。はると、ただもっと一緒に、ねえ、」
「ねえはる、もっと、一緒にいよう…!!」
立ち上がり、はるの片腕を縋るように掴んで、うみは懇願する。
けれどはるはまた、微笑むばかりで。
「もう十分」
そして、大きく息を吸って、
「ずっとずっと、間違ってきた」
「自分の人生は……ずっと前に壊れてた」
「うみだけが、たった一つの光で」
「うみだけは、何も間違ってなくて、」
胸に手を当てて、強く、強く願うように。
「だからうみは………生きて」
うみの思考は麻痺して、それは身体中に悪寒のように巡る。
こんな、嫌な感覚、しらない。
知りたくない、感じたくない。
そう叫ぶように、脚に力が入らなくなる。
うみは言葉も、声も出ないまま、はるは、ただ淡々と語っていた。
「うみは、間違ってないから。間違ってるのは…そう、この…せかい…」
次第に怒りが込上げるように、はるは身を震わす。
下を向いて、黒く濁った感情の、涙が地面にぽつり、滲む。
「まち…がってる…」
思い切り、涙を振り飛ばすくらい、世界に向かって、
「────こんな世界、間違ってる!!!!」
悲しみの檻に囚われていくように、悲痛なはるの叫びが空に響く。
今後一生離れないような、その嘆きが。
✱ ✱ ✱
叫び声が、空へ、海へ、消えてゆく。
息を切らしたはるが、うみを強く抱きしめる。
「は、…」
名前を呼ぶ声を遮り、はるは哀愁纏う瞳を優しく、細めて、
「うみ、生きてね」
淡々と告げると、うみを後方へ思い切り突き飛ばす。
その瞬間、『突入!!』という大きな声がした。
はるが素早く振り向くと、フェンスを超えてきたSAT部隊数名が、向かって来る。
うみは尻もちをつき、混乱したまま、はるを見る。
その少し奥に、鬼の形相で走ってくる、武仁の姿が、はるには見えた。
タイムリミットか──────うみには、はるが微かにそう呟くのが聞こえた気がした。
次の瞬間、はるは海の方に身体を向けて、力強く地面を蹴って、空高く羽ばたくように、跳んで、
「はる…っ!!!!!!!」
うみが立ち上がる間もないまま、手を伸ばして、必死にはるを繋ぎ止めようとして、
─────大きく、高い波がうみの視界を埋めた。
パリン。
──────────何かが、割れる音がした。
今話も読んで頂き有難うございます。
クライマックス、とでも言うのでしょうか。
次話も続きます。
宜しくお願い致します。
…次話も宜しくお願いいたします。




