40 夏よ、逃げろ
何処に、行けばいい。
何処に、逃げればいい。
いつまで逃げればいい?
あとどれ位逃げたら、いい?
うみの頭の中で、ただそんな思考だけが反復していた。
色んな、色んな恐怖が混ざり合う。
走って、走って、海沿いを走り続ける。
生温い雨が、どれだけ振り注ごうと。
走って、逃げることしか、出来なかった。
うみは、はるの顔を、見られなかった。
✱ ✱ ✱
辿り着いたのは、街の最果て。
一体ぼくらは、何駅分を走ったのだろう。
息なんてとっくに切れていて、雨も上がっていた。
この先は道路が無く、立ち入り禁止の看板の書かれた柵を見つける。
逃げ場を探すように、ぼくらはその柵をのぼって入った。
危険区域とされている、防波堤らしかった。
波が高く、最先端までは行けなかった。
「───ここならきっと、誰も、こない…よね」
柵を越えた、古びたダンボールが置かれた傍で、ぼくらは腰を下ろす。
恐く、ずっと昔にホームレスが住んでいたような、跡があった。
濡れた髪から、水滴が落ちる。
はるは、酷く震えていた。
「はる、だい…じょ」
「っ………」
大丈夫、なんて聞いていいはずが無い。
ぼくは俯いて、何も言えなくなった。
前と後ろに抱えて走ったリュックは、中身までびしょ濡れだった。
ぼくははるのリュックから、コンビニで買ったタオルを取り出し、柵に掛けて干した。
戻ると、はるがビニール袋から包丁を取り出そうとしていた。
ぼくは、血の気が引いて思わず、
「駄目…っ!!!!」
袋ごと、はるから取り上げた。
「なん、で、かえして…っ!」
はるは、大粒の涙を零しながら叫ぶ。
また、光の無い瞳をして。
濡れたビニール袋から、赤い水滴が落ちる。
「きえ、ちゃうから…母、さんが…!」
分かっている。
どれだけ矛盾した想いでも、どれだけ歪んだ愛情でも。
はるはこの包丁を『お母さんの形見』にしておきたいんだ。
たとえ、誰かの命を奪ったあとの、それでも。
「は、る…」
ぼくも、つられて涙をこぼす。
呼んでも、はるが見ているのは、今、ぼくじゃない。
過去の思い出に縋って、幻に縋って。
どれだけ酷いことをされた母親でも。
どれだけ他人が憎んだって、母親は母親なんだ。
それでも。
"ぼくをみてよ"
ああ、胸の中が、酷く冷たい。
冷酷なぼくが、包丁を、後ろへ放り投げる。
それを見て、はるが奪い取ろうと、飛び込んでくる。
瞬間、ぼくははるを、つかまえた。
「…!!」
湿ったセーラー服とセーラー服が、互いの温度をじんわりと伝える。
体温で、心音で、少しずつお互い、乱れた息を整えていく。
数秒、数分、過ぎていって。
「………………はる」
長い沈黙の後、ぼくは口を開く。
「…う…み?」
はるの目に、光が戻っていく。
目が合って、ぼくは微笑む。
「大丈夫だよ、はる」
君が大丈夫かどうかなんて、聞くのをやめた。
「ぼくがいる、ずっとはるのそばに居る」
「この世界の全部が敵になっても、間違っても、」
「ぼくだけは、はるの味方だよ」
君にとって、"ぼくがいるから大丈夫"になりたいんだ。
「……うん」
身体をゆっくりと離して、はるを見る。
泣き腫らした赤い目の奥に、確かに、夜の海のような。
朧げに宿るその光に、ぼくもまた、縋る。
「…うみ……ごめん…ね…」
はるはそう言ってから段々と目を閉じて、そのまま眠りについた。
起こさないようにゆっくりと、はるの身体を柱に寄りかからせる。
はるの肩とぼくの肩が触れて、目を閉じる。
潮風が、セーラー服と、リュックと、ぼくらを乾かして。
✱ ✱ ✱
─────ぼんやり、ゆっくりと夜が明けていく。
海から、あつい熱の塊が昇る。
小脇に咲く雑草の、朝露が光り出す。
二人の体は、すっかり乾いていた。
「…!」
─────どれくらい、寝ていたんだろう。
「…うみ……」
肩に触れる感覚に振り向いて、隣で眠る君を見る。
ここに向かうまでの、列車の中。
あの時見た君よりも、随分とやつれて、ぼろぼろで。
"全て、自分のせいだ"
うみを起こさないよう、そっと立ち上がる。
自分から隠すように置かれた、ビニール袋の口を開ける。
ああ、自分がまた、殺したらしい。
正直あまり、覚えていない。
うみが汚されそうになって、自分が突き飛ばされて。
その後の記憶は、おぼろげだ。
赤いナイフから、記憶を無理やり呼び起こすみたいな、鼻にこびりつく生臭い匂い。
「うみには……背負わせたく、ない」
呟きながら、柵に掛けられたタオルを手に取る。
ナイフを握り、強い力で拭き取る。
もし自分が罪に問われても、うみだけは、守りたい。
自分が脅してやらせたという事にして、うみだけは。
ナイフの全部を拭いたあと、最後に、柄の部分をしっかりと握る。
自分だけの指紋も、しっかりと付けるように。
今話も読んで頂き有難うございます。
大きな罪を背負って、逃げ出した二人。
あとどれ位、二人のときは許されるでしょうか。
次話も宜しくお願いいたします。




