39 夏は赤く、
〖第4章〗
その日はあいにくの雨で。
きっと、あの時、あの瞬間さえなければ、ぼくらの時間はもっと、続いていたはずなんだ。
君に刻まれた傷が、雨に濡れることも。
✱ ✱ ✱
「え、はる…それどうしたの?」
公園で寝泊まりするようになって3日目の夜。
はるがペットボトルを出す瞬間、リュックの中にちらりと見えたものに、うみは思わず聞く。
「……形見、かな」
半透明のカバーが付けられたそれは、包丁だった。
「形見…?包丁が……?」
はるは包丁の柄の部分を撫でる。
「変、だよね」
「あの男が、母さんの私物全部、どこかへ隠したから」
「他に母の思い出があるもの、無くて」
はるはペットボトルの水を飲んでから、リュックにしまい、閉じる。
うみは、困惑していた。
ついこの前、はるは母に抵抗したくて"自分"という一人称になったと聞いたばかりなのに。
その矛盾した想いに、違和感をおぼえた。
「そ、っか…」
何だかはるを否定するのが怖くて、うみは何も言わずに話を流した。
✱ ✱ ✱
「わ、降ってきた!」
日の沈んだ頃、公園で夕食を取っていた二人は、突然の雨に降られた。
「はる、早く!」
荷物を抱えて、二人は小さめの東屋に避難した。
数秒と持たずに雨は本降りになり、ザーザーという雨音が屋根に響く。
「ひゃ〜、間一髪だ!!」
「危なかったね」
木のベンチに座り、食べかけのサンドイッチを取り出す。
再びいただきますと声を揃えて、夕飯再開。
空が、赤いような、紫のような、奇怪な色をしていた。
「うわ、空気持ち悪いね〜」
濡れないように首を長く伸ばして、うみが空を見る。
はるも同じように、首を傾けて見上げる。
「そうかな。自分は、割と好き」
空を見上げながら少し微笑むはるに、うみは、ほんの少し怖くなった。
同じ空を見ているようで、違う気がして。
「ええ!はる、面白いなぁ」
その気持ちを振り払うように、笑い飛ばす。
慌てて、最後のサンドイッチを頬張った。
✱ ✱ ✱
「お、雨やんでるよ!はる!」
そう言うと、うみは水溜まりを元気よく飛び越えて、嬉しそうに伸びをする。
「空気、生ぬるい…」
ぼそっと愚痴を零しつつ、はるも続けて伸びをした。
「はるー、今何時?」
くるりと振り向いて、うみが聞く。
はるは自分のリュックに付いた時計を見て、
「ちょうど、0時」
と、うみの方を見て短く答えた。
「え、もうそんな時間!シンデレラの魔法とけちゃうな〜」
うみは、後ろで手を組んで無邪気に笑う。
その笑顔を見て、はるは目を細める。
「大丈夫。うみの魔法はとけないよ」
うみに合わせて、そう言う。
「じゃあはるもだね!ぼくらの魔法は二人で一つだから」
楽しげにそう言ううみに、はるは少し驚いてから、不器用に笑う。
遠くで、セミが一匹だけ、鳴いていた。
✱ ✱ ✱
「あ、水もうない〜」
夜更け、虫の声が響く公園の東屋の中。
首をぐいっと真上に曲げて、うみは最後の一滴を飲み干す。
二人はペットボトルが空になる度、公園の入口にある蛇口から水を足していた。
うみは空のペットボトルを抱えて立ち上がり、
「はる、ちょっと水入れてくるね!」
「行ってらっしゃい」
駆け足で水飲み場の方に向かううみの背中を、はるは愛おしそうに見つめていた。
「…よしっ」
溢れるギリギリまで水を入れ、蓋を閉めようとした時、
「君たち、こんな時間に何してるの?」
後ろから、白いTシャツを着たガタイの大きい、中年の男が話しかけてきた。
「!!」
うみは驚いて、蓋を閉めずに被せたまま、慌てて立ち上がる。
すると、男がうみの左手を掴んだ。
「は、離してくださっ…」
「この時間にこんな場所で…そういう事でしょ?」
男は食い気味に、威圧的にそう言った。
地面に勢いよく、ペットボトルが落ちる。
うみは恐怖で動けず、パーカーを脱がされた。
「や、だ…!」
「──────何してんだお前!!!」
うみの声を聞き付けて、はるが走ってきた。
男の肩を掴んで、必死にうみと男を引き剥がそうとする。
しかし体格の差が大きく、はるは強く突き飛ばされて、
「君はちょっとまっててよ」
少し苛立ち呆れたように、男はそう言い捨てた。
「っ…!」
はるは地面に叩き付けられ、痛みで起き上がれなかった。
「はるっ!!」
うみは男から離れようと必死に抵抗したが、両手を強く押さえつけられた。
「君たち、ここ数日ずっと居たでしょ」
「目ェ付けてたんだよね、どっちも美人でさ」
言いながら、うみのセーラー服のリボンが解かれる。
地面に転がったペットボトルの水が、どんどん、どんどん、零れ落ちて。
「家出?かなんか知らねえけどさ」
「男、待ってたんでしょ?」
醜い笑みを浮かべ、男はリボンを投げ捨てる。
ファスナーを降ろし、うみの肌が、露出していく。
男が、うみの下着に手を掛けた瞬間、
「っ…がぁァッ!」
✱ ✱ ✱
──────男の首に、包丁が刺さっていた。
怒るでも無く真顔で、ただ瞳孔を大きく開き、殺人鬼のように。
その手に包丁握る、君が居た。
いつの間に取ってきたのか、何を思って刺したのか。
そんな事を、考える余地も与えられず。
男はよろけてうみから手を離し、うつ伏せに倒れた。
その一撃だけでは飽き足らず、はるは、更に男の背中にその刃を突き刺す。
「…あ゛ッ…ゔぁッ!がッ…!」
嗚咽のように響く男の声が、酷く不気味で。
その不気味な声も、次第に小さくなっていく。
はるは、男を刺して、刺して、刺して、刺して。
刺して、刺して、刺して、刺して、刺して。
「…は……」
ぼくはその場から一歩も動けず、膝から崩れ落ちた。
「…は………はる…」
小さく、小さく呟いて、けれどその声は届かない。
男は、すぐに動かなくなった。
─────ポツン。
ポツ、ポツ、ポツリ。
乾きはじめていた地面を、雨が濡らす。
次第に、二人を濡らす。
赤い水溜まりが、はるの周りに出来ていく。
はるの表情は、一つも変わらないまま。
刺して、刺して、濡れて、濡れて。
雨音すら、彼女の耳には届かず。
時間の感覚が、世界が、分からなくなるほどに。
ぼくにとってこの時間が、無常にも永遠に思えた。
「……は、」
ぼくは、震える足で、立ち上がる。
「…る…っもう…!」
声も、震えて、上手く喉から出てくれなくて。
それでもただ、その手を、これ以上汚して欲しくなくて。
お願い、帰ってきて。
お願い、だから。
✱ ✱ ✱
「─────はるっ!!!!!!」
「…!」
はるがうみの声に、振り上げた手を止める。
「もう…もう死んだから……もう、いいよ…!」
うみは、酷く震えながら泣いていた。
はるはその涙を見て、包丁を地面に落とした。
雨音が強く、ノイズのように、頭に響く。
小さなその両手は、鮮明な赤色に染まっている。
「……間違ってる…」
はるも、うみも、涙が止まらなくて。
「こんなの…」
震えが、止まらなくて。
「こんな………せかい…」
もうとっくに、逃げてきた、はずなのに。
ただ、ここから逃げ出したい。
「こんな、世界、間違ってる…!!!」
上手く言葉が出てこなくて。
ただ、この世界を、呪ってやりたい。
✱ ✱ ✱
「にげ、よう……はる…」
「にげ、なきゃ…!!」
震えながら呆然と立ち尽くすはるに、うみはそう言う。
ガクガクの足で走って、二人のリュックを取り抱えて、はるの元へ戻る。
コンビニの袋に、赤く染った包丁を雑に放り込む。
うみはそれらを全て持ち、ただはるの手を握った。
赤く汚れてしまったまま、その小さな手を。
"きみの赤も、全部ぼくが背負うから"
心の中でそう誓って、公園を後にする。
状況が飲み込めていないまま、ただ何処か、何かから逃げたくて。
雨の中、ふたりで一心不乱に走り続けた。
今話も読んで頂き有難うございます。
はるとうみにとっては、二人目の。
少しづつ、終わりと破滅に近づいていきますね。
二人の選択、そして結末。
是非今後を、見届けていただけたら幸いです。
次話も宜しくお願い致します。




