38 夏とぼくときみと -はる,うみ
自分は、勝手に話したくせに、うみに意地悪したくなって。
「そう言えば、ずっと気になってた」
「うみは、どうして『ぼく』って言うの」
「えっ!...と」
突然の質問に当然うみは驚いて、指を弄り始める。
「言いたくなかったら無理に言わなくていい」
「自分もさっき、昔の話をしたから」
「うみがそう言うようになった、昔の話…聞きたいなって」
自分でも、ずるい言い方だって分かってる。
それでもうみは真っ直ぐで、律儀だから、きっと。
「そ、そんな大した意味はないよ」
「…ぼくは、小さい頃から"ぼく"だった」
「理由は特になくて、単純に響きが好きだった」
うみは、照れくさそうに笑って。
「…それだけ。」
そう言ううみが、どうしてか"きれい"で。
ぎゅっと、胸を締め付けられるような感覚がした。
うみは、昔からうみなんだ。
何も変わらず、ただ真っ直ぐなんだ。
その眼差しと同じように、貫くものがある。
"ああ、やっぱり君は、素敵だ"
口から溢れ出そうな、その言葉を飲み込んだ。
「色んな大人に怒られて、治せって言われて、ころしかけてた」
「でも、ぼくはぼく。」
「はるが、それを思い出させてくれたんだよ」
「…自分は、何もしてないよ」
君への想いが溢れないように、再び冷静を装った。
✱ ✱ ✱
「そういえば、ぼくもずっと気になってたの」
「はるはどうして、自分のことを"自分"って言うの?」
「…大したことない理由だよ」
聞かれて、咄嗟に少し俯いてそう言う。
「それでも、知りたい」
左に振り向くと、うみは真っ直ぐな眼差しではるを見ていた。
その真っ直ぐな瞳は、決して断らせてはくれない。
はるは前を向いて、遠くを見る。
今まで誰にも、話したことは無かった。
誰にも、気にされたことは無かったから。
君になら、話せるんだ。
「…………中学に入るまでは"私"だった」
「あの男が来て、少し…母を恨んだ」
「母も"私"と言っていたから」
「まるで自分が、母の物みたいで」
「それに、抵抗したかった」
はるは、柔いブラウンのポニーテールのを揺らしてうみを見た。
「それだけ。」
うみは、何も言えなかった。
何を言っても、違ってしまうような気がして。
「…ごめん」
しばらくして口から出たのは、それだけだった。
そんなうみを察したのか、はるは目を細めた。
「何も悪いことしてない。謝らなくていい」
少し涼しくなってきた潮風が、二人の間を抜ける。
重ねて置かれた空の弁当が、地面で少し揺れて。
その後少しだけ雑談をして、ベンチで一夜を明かした。
✱ ✱ ✱
肌寒い海風に深夜、目を覚ました。
隣のベンチで寝ているうみを起こさないよう、そっと起き上がる。
自分が掛けていたカーディガンをうみにかけて、荷物は置いたまま公園から出た。
少し歩くと、薄暗い海が広がる。
靴を脱ぎ、砂浜を一人で歩いて、海の方へ。
どんどん、どんどん、海の方へ。
波が、寄せては返す、その先へ。
─────スカートの裾が少し濡れた所で、ハッとして引き返した。
まだ、うみが、この世界に君がいるから。
そう言い聞かせて、裸足のまま靴を持って道路に上がる。
あとどれくらい、時間が許すだろう。
あとどれくらい、世界が許すだろう。
うみにいつ、告げることになるだろう。
たった五文字の、君への言葉を。
✱ ✱ ✱
日が昇り始め、うみが目を覚ました。
はるは、あれから寝付くことが出来なかった。
けれど、うみを心配させまいと、今起きたようなフリをして、
「おはよう、うみ」
そう、目を細めて見せる。
先程まで眠そうだったうみの目が一気にぱちっと開かれて、満面の笑みを浮べる。
「おはよう!はる!」
蛇口の水で口をゆすぎ、顔を洗う。
途中、ランニングをする女性が公園の前を通り、思わず二人でベンチの後ろに隠れた。
着替えを持ってくれば良かったなんて後悔しながら、朝食を済ます。
うみが、また海に行きたい!と目を輝かせて言うので、はるは再びさりげなく手を繋いで海へ向かった。
✱ ✱ ✱ ✱
二人、裸足で浜辺を歩きながら、朝焼けの空を見る。
ぼくは、今日もまた暑くなりそうだな、なんてぼんやり思っていた。
すると突然、はるが突拍子もないことを言う。
「うみはさ、将来きっと、凄いことを成し遂げると思うよ。」
「え、そう、かな?」
はるは何故か、揺るがないというふうに。
「うん。きっと」
「うみはもっと、自信を持っていい。うみは自分が思ってるより、ずっと……綺麗だから」
「そんなこと……!」
そんなこと、無い。
はるのほうが、ずっとずっと綺麗だよって。
そう言いかけて、言えなかった。
はるが優しい瞳で、あまりにも寂しそうに…微笑んでいたから。
「……ありがとう」
"幸せに、なってね"
はるの瞳が、そう言っているような気がした。
ぼくは伝えたい言葉を胸の奥まで飲み込んで、そっと波の音にゆだねた。
大切な思いを、濁して。
この時ちゃんと、言えばよかったんだ。
はるも、幸せになってねって。
また今度、なんて、思わずに。
今話も読んで頂き有難うございます。
そろそろ、終わりときが近づいて参りました。
次話も宜しくお願いいたします。




