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波、晴るる。  作者: 潮留 凪
36/48

36 夏と、辻褄


そこからは波琉、お前の知ってる通りだ。

お前が学校に行ってる間に家を売り払い、お前がいない間に少しずつ荷物を阿澄家に移動した。

全ての荷物を引越し終えた日に、波琉に会うと決めていた。

 

波人には事前に俺が越してくることを伝えたが、部屋に鍵をかけたままだった。

 

 ✱ ✱ ✱

 

 

 「おかえり〜!」

 

直前まであんなに不安がっていたのに、まるで別人のように綾波は上機嫌だった。

震えもすっかり治まり、波琉を抱きしめていた。

俺はリビングからちらりとそれを覗いて、微笑ましく思った。

綾波がちゃんと、母親の姿に見えて、少し寂しくも思った。

 

波琉は一度部屋に戻り、部屋着に着替えてリビングに入ってきた。

扉を開けてすぐ、ソファに座っている俺を見て、波琉は困惑していた。

 

 「おかえり、波琉ちゃん」

 

優しく笑ってそう声をかけたが、固まっていた。

何と続けたらいいか分からなくて、まず挨拶からしようとすると、綾波が楽しげに近づいてきた。

 

 「仲村武仁さん、今日からハルのお父さんになる人」

 

 

そう紹介した瞬間、波琉は怪訝そうな表情で、

 

 「...は?」

 

と思わずこぼした。

その時の波琉の顔は、今でも覚えている。

 

 

 ✱ ✱ ✱

 

阿澄家で暮らすようになった頃、俺には収入がほとんど無かった。

二人の、婚約式を行う余裕もない程に。

 

不安定な綾波と暮らすようになって、毎日のストレスが教師の仕事へ支障をきたした。

高校で教鞭を執っていたが、ある時同僚の一人に手を上げてしまった。

ある女子生徒を、綾波と重ねてしまったが為に。

幸いと言うべきなのか、その学校は隠蔽が得意だった。

 

俺がしたこと自体なかった事のようにされ、とある事件があった、という噂だけが囁かに流れた。

そして妻の出産と育児という名目で、謹慎を受けた。

結婚はしていなかったが、綾波に貰った指輪を外すと綾波が不安がるので、学校でも時々外すのを忘れていた。

それを生徒は見逃さなかったようで、誰かがほかの教師に既婚者だと密告していたらしい。

まるで綾波を出しに使ったようで、心苦しかった。

 

それからは幾つか色んなバイトをしていたが、子供相手と違い、人間関係がどこも続かなかった。

そうやって転々と、地に足がついてない状態だった。

 

初めは、綾波の子供達にも気を配っていた。

バイトの帰りにはお土産を買い、値引きのシールを剥がしてから家に入る。

けれど、二人とも小さい子供では無いので、喜んではしゃぐようなことは無かった。

むしろ、常に警戒されているようだった。

 

 ✱ ✱ ✱

 

 「クビ、ですか?」

 

ある日突然に、それは告げられる。

 

 「君既婚者なんだってね。指輪がロッカーから見つかったよ」

 

コンビニやスーパー等の仕事は尽く合わず、夜の仕事をしていた頃。

教師の時の反省を生かし、指輪は毎回ロッカーに仕舞うようにしていた。

鍵を盗み、わざわざ開けなければ見つからないというのに。

誰かが密告しなければ見つかるはずもない物。

 

この類の仕事にプライバシーというものは無いのか。

 

最初こそプライバシーの心外だと反論したが、5回目ともなると諦めが上をいった。

 

 「...短い間ですが、お世話になりました」

 

肯定も否定もせず、それだけ言って荷物を片付ける。

この仕事で結婚はご法度。

している奴はちょくちょく居るが、周りがリークしない限りはバレてクビになることは無い。

 

───俺のように。

 

 

この時の俺は、自分ばかりが不幸な気がしていた。

だから綾波以外、誰のことも気遣う余裕なんて無かった。

 

逆に綾波は自分に合う薬を見つけたと、精神は前より随分安定していた。

少しずつ、仕事も始めた。

綾波は美人だから、直ぐにナンバーワンになった。

俺と同じような仕事は、して欲しくなかったが。

 

家族四人を養うには、何も言えなかった。

 

 ✱ ✱ ✱

 

 「ただいま...」

 「...!!」

 

恐る恐る帰宅してきた波琉は、武仁を見て怯えた。

 

 「...あァ?.....なんだ波琉か、おかえり」

 

ソファで寝転がる武仁は、少し酔っていた。

床には酒の缶が2本、転がっていた。

 

 「んなに怯えんなよ」

 

家に来た頃とは見違えるように、鋭い目をして。

波琉は毎日その目に、いつ手を出されるのかと怯えていた。

 

 「その目...気に入らねえんだよ」

 「あん時のあいつみてえで.........」

 

武仁はボソボソとそう言ってから、缶ビールを一つ手に取る。

その隙に、波琉は素早く二階に上がり、その後は自室から出てこない。

 

 「綾波......」

 

呟きながら、残りの酒を一気に飲み干す。

酔いが回り、高校時代の綾波の写真を抱きしめながら、ソファに倒れる。


彼女に見せる笑顔さえ、偽物になりかけていた。

 

 

 ✱ ✱ ✱

 

武仁は、日に日に荒れていった。

それを綾波も何となく察していたが、全て自分のせいだ、と思い何も言わなかった。

 

波人は夜中に出掛けることが多くなり、波琉は遅くまで帰って来なくなった。

 

そんな生活が数年、続いた。

ある日の事だった。

 

 「──────ということで、再び我が校で宜しくお願いしますね」

 

武仁の耳には、電話の主がそう言った事だけ聞こえた。

 

 「宜しく御願い致します」

 

義務的にそう返したが、頭は追いついていない。

 

 「...学校?」

 

しばらくして我に返り、内容を思い出す。

『再び我が校で』と確かに言っていた。

 

 「今更子供の前で'センセー'しろってのかよ...」

 「.........やったぞ、綾波」

 

教師に戻れば、再び安定した収入が得られる。

今度こそ何も問題は起こす訳にはいかない。

完璧に、誰よりも教師という仕事を完璧にこなさなくては。

 

 

決まった高校は、家から少し遠かった。

元々は女子校だったこともあり、今も比率は女子の方が多い学校らしい。

いきなり担任をすることになり、担当は1年A組。

早速生徒のリストを確認すると、一番最後に見つけたその名前に、思わず固まった。

 

 

 「──────仲村...波琉...?」

 

酷く嫌われ、避けられ続けている戸籍上の娘。

まさか、こんな形で教師を再開するとは。

 

入学式のその日まで、結局波琉に言えないまま。

 

 

 ✱ ✱ ✱

 

深呼吸をしてから、教室の前の扉を開ける。

黒板の前に立つ新しい担任に、皆こちらを注目した。

 

窓側の一番後ろの席、外を眺める波琉の姿を確認した。

  

 「初めまして皆さん」

 「今日から皆さんの担任になる───」

 

 

一呼吸、置いてから、

 

  

 「仲村武仁です」

 

 

波琉の表情はまるで、絶望だった。

 

 

 

 

 

今話も読んで頂き有難うございます。

次話もよろしくお願い致します。

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