32 夏はもうすぐ -はる
海に沈んでいく夕日を、二人でただ眺めていた。
まるでいつもの屋上みたいに、特に会話も無く時が過ぎていく。
自分が奪ってしまったその時間を、埋め合わせるようだった。
燃えるような夕焼けの空と、茜に染まる海の煌めきと。
いつまでも、このままで。
そんなことを願うほどに、ただただ幸せな時を過ごした。
✱ ✱ ✱
「お腹すいたなぁ」
お腹を抑えながら、うみが呟いた。
すっかり日も沈み、ぼんやり明かりが灯る道を歩く。
うみを隣に、海を背に。
住宅街を抜け、二人は長い石の階段を登っていた。
「飴ならあるよ、要る?」
自分が差し出した蜂蜜味の飴に、うみは目を輝かせる。
「要る!ありがとう!」
無邪気で、可愛くて、やっぱり愛おしい。
嬉しそうに飴を頬張るうみに、自分の表情も心も、優しく緩む。
✱ ✱ ✱
長い長い階段を登りきって、ようやく神社に辿り着いた。
「到……着……!」
うみはすっかり疲れ果てて、鳥居の傍でしゃがみ込んだ。
「お疲れうみ」
自分は水の入ったペットボトルをうみに差し出す。
「お疲れぇぇぇ……って、はるは飲まないの?」
「うん、そんなに疲れてないから大丈夫」
「ええ!?はる体力やば…あ、ありがとう!」
うみは驚きつつもペットボトルを受け取り、勢いよく水を飲んだ。
「体力は、ある方……なのかな」
今まで気にしたことも無かったので、うみに言われて驚いた。
零れるギリギリまで足してあった水を半分以上飲んだうみが、勢いよくペットボトルを口から離して、
「凄いある方だよ!!こんな長い階段登っても疲れてないなんて」
「スポーツ選手みたいだよ!もはや!!」
力強くそう言ううみが可愛くて、思わず、ふふっと笑ってしまった。
「疲れてないわけではない、けどね」
「けどそっか、今まで考えたことも無かったな」
スポーツ、なんてやっている余裕も無かった。
なるべく家から離れた高校を目指す為に、勉強ばかりしていたせいで。
「はるは陸上の選手とか、絶対似合うよね」
うみは楽しそうに、走るはるを思い浮かべた。
「陸上、か」
夢を抱いたことなんて無かったけれど。
うみが言うなら少し、目指してみたいと思った。
思いかけて、未来を生きることが怖くなった。
その恐怖を誤魔化すように、コンビニの袋を漁って、
「うみ、花火、早くやろ」
そう言って、下手くそに笑うことしか出来なかった。
✱ ✱ ✱
二人以外、誰も居ない。
この世界に、誰も居ない。
ただ遠くに、波の音が響くだけ。
二人だけの世界に、小さな花の火が灯る。
小さいけれど、とても眩しい。
その光の花は、強く美しく咲き誇る。
「見て見てはる!ハート!!」
手持ち花火を手にうみは、空中へハートを描く。
「すごい……!」
生まれて初めて見る光のハートを、ただ美しいと思った。
きっと紛れも無い、うみが描くハートだから。
自分も真似をして、ハートを描いてみる。
けれど、うみのように綺麗に描けなかった。
「はる!もっと素早く!シュシュシュって!」
小さい子のようにはしゃぎながら、うみはやって見せてくる。
素早く火花を散らしながら、今度は星を描いた。
「うみ、すごい」
楽しそうなうみを見ているだけで、ただ幸せだった。
眩いその光が見せる、幻かと思うほどに。
「───あれ、もう全部無くなっちゃった」
楽しい時間はあっという間と言うけれど、本当に一瞬に感じられた。
自分が花火セットの袋にゴミをまとめようとすると、外側に付属した透明の袋を見つけた。
「うみ、これ…」
そっとうみにそれを見せると、うみは今日一番の笑顔で、
「線香花火!!!」
と無邪気に喜んだ。
✱ ✱ ✱
二人だけの広い世界のなか、肩が触れるほど身を寄せ合い、しゃがむ。
オイルライターを灯し、そっと線香花火に近付けた。
「は、はる!早く早く!対決しよ!!」
うみはそう言って急いで、自分の線香花火にも火を付けてくれた。
「揺らしたりすると落ちちゃうからね!」
何故か小声でそう言ううみの瞳は、線香花火に釘付けだった。
はるもうみにつられるように、線香花火をじっと見つめた。
パチ、パチパチ。
小さな朱色の玉から、先程よりもずっとずっと小さな花が咲いた。
「綺麗……」
現れては瞬時に消える、小さな光の花々。
はるもうみも、思わず見とれてしまっていた。
「こんなに……きれいだったっけ……」
線香花火の音に掻き消されそうなほど、小さくうみが呟いた。
本当に、本当に綺麗で。
小さな小さな花の火は、二人のささやかな幸せの時を映すようで、何故か胸が締め付けられた。
"あとどれくらい、この幸せは続くだろう"
そんなことを思った瞬間に、
「あっ」
ポトリ、と小さな火の玉が落ちた。
「うみの勝ち」
そう言って、うみに笑いかけて見せる。
立ち上がり、残った部分をゴミ袋に入れた。
「ぼくの方が早く付けたのに、はる、下手だなぁ」
そう言ううみも、どこか無理やり笑っているように見えた。
うみの線香花火は、弱々しく最後の花弁を散らしていた。
今話も読んで頂き有難うございます。
このお話は、この作品を始めた頃からずっとずっと書きたい思っていた、花火のワンシーンです。
二人だけの世界で、二人だけのささやかな花火を。
是非好きな音楽などを耳に入れつつ、暖かく見守っていただけたなら幸いです。
近頃は、こんな幸せがあとどれ程続くのだろうと、書きながら少し、寂しく思ったりします。
二人だけの、限られた時間をこれからも描いていけたらと思います。
次からは初の父親・仲村武仁編になります。
暴力と暴言ではるを支配しようとしたその男の、心の内と葛藤を少しでも感じて頂けるように。
はるの母・綾波との出会いを。
よろしくお願い致します。




