30 再会と再愛の夏 -はる
────目が覚めた。
ふと、そんな感覚があった。
長い間、深海に沈んでいたような。
知らない景色が、淡々と窓の外を流れる。
どうやら自分は、電車に乗っているようだった。
周りの席には誰も居らず、隣ですやすやと眠るきみだけだった。
いつ乗ったのかも、何故乗ったのかも分からなかった。
ただ電子板に表示される停車駅の一覧に、知っている駅名を見つけ、状況を把握した。
うみは、約束したあの場所へ向かっている。
恐らく降りるであろう駅までは、残り一時間ほどあったので、少し歩くことにした。
揺れる列車を乗り継いで、先頭車両へ辿り着く。
車内は、不気味なほどに人が少なかった。
✱ ✱ ✱
「 ─────波琉 」
先頭車両の窓際で景色を眺めていると、誰かに声を掛けられた。
はるは人の居ない車両で声を掛かられた事に驚き、恐る恐る振り向いた。
「お…母…さん……?」
その姿は紛れもなく、死んだはずの母だった。
『波琉。元気にしてた?』
その表情は、柔らかい口調は、最も幸せな記憶の─────消えかけた思い出の中の、優しい母で。
「おかぁ……さん……!」
はるは幼い子供に戻ったように、愛おしい母の姿に縋る。
しかしその身はすり抜けて、触れることが出来なかった。
「え……」
触れ合えぬ我が子を前に、母は寂しそうに笑って、
『もう……死んじゃってるんだよ、波琉』
瞳に涙を潤ませながら、はるは透けた母を見る。
「や…だよ、あんなに急に…居なくなるなんて」
「全部…ぜんぶ、壊れちゃったんだよ……」
ぼろぼろと、溢れ落ちる涙。
母も、父も、死んでしまった。
父と呼ばされた男すら死なせてしまった。
深い深い後悔と、息苦しい孤独の渦に飲み込まれる。
「私も、そっちに……逝きたい」
おもむろに、はるは自らの首を絞める。
「いっても、いい…?」
苦しそうに、ただただ苦しそうに笑う。
こんな世界で生きていたって、"私"は────
『───────駄目。』
芯のある声が、はるの耳にはっきりと届いた。
『まだこっちに来ることは、許しません』
紛れもない母親の、優しく厳しい叱咤の言葉。
「……なん、で」
予想外の母の言葉に、絞めた腕の力を緩ませる。
『生きなさい。はる』
『生きて償いなさい、犯した罪を。生きて報いなさい、あなたに向けられる愛に』
「罪と……愛……?」
『はるにはまだ、生きる意味があるんじゃないの?』
言われて、ハッとした。
全てを失ったような気がしていた。
たったひとり、世界に取り残されたような気がしていた。
「意味……なのかな」
「こんな私が意味にしてもいいのか、わかんないよ」
生きる意味。
生きていてもいい理由。
愛おしく思う、"きみ"のこと。
『はるが決めな』
記憶なのか、幻なのか、幽霊なのか。
そんなあやふやな存在の母からの言葉は、とても不確かで、けど強く真っ直ぐで。
「……うん!」
はるは、涙目で、しっかり微笑んだ。
それを見て優しげに微笑むと、母の姿はますます透けていった。
『…そろそろいかなきゃ』
『これで、ほんとにお別れだ』
そう言うと母は、触れられないその身体ではるをそっと抱きしめた。
『母親らしいことなんて、全然してやれなかった』
『死んでから謝っても、後悔しても、駄目だけど』
『…死んだ身でこんな事言うのも、ずるいけど』
優しき母の声は、はるの耳元で溶けてゆく。
『父さんと、母さんの分まで、』
『もう少し生きて、波琉』
そう囁いて、温もりは消えた。
遠くで、扉の開く音が聞こえた気がした。
✱ ✱ ✱
────唐突に、押し寄せた。
悲しみと、苦しみと、喪失感と、後悔と、罪悪感と、愛惜のすべて。
苦しくて、ただ息が詰まるばかりで、苦しかった。
とめどない涙は、行き場のない感情は、執拗に付きまとう。
はるはそれらの感情を、たった一つの結論へ纏めた。
"すべて終わったら、海にでも沈んでしまおう"
✱ ✱ ✱
「はる!探したよ」
ふいに声を掛けられ、ほんの一瞬だけ期待し顔を上げてしまった。
母が、帰ってきてくれたのかと。
かすんだ視界の向こうにいたのは、うみだった。
うみは驚き、リュック放り投げ、駆けて来た。
「どうしたの!?」
酷い顔を、見せてしまった。
うみにまた、心配をかけてしまう。
「何かあったの!?」
うみは必死になって、はるの肩を揺らした。
「……何でもない」
はるは素早く涙を拭いて、微笑んで見せた。
うみはきっと、責任を感じてしまうから。
泣いていたことに、罪悪感を感じてしまうから。
寝ていたことを、目を離したことを。
己を酷く、責めるだろうから。
"何でもないふりをしなければ"
うみが放り投げたリュックを拾って、はい、と渡した。
「……ありがとう」
うみは何か言いたげに、けれど言葉を上手く選べないようで、ただリュックを受け取った。
瞬間、トンネルに入り、景色が暗くなった。
はるは心に悲しみを隠したまま、約束の海へと辿り着いた。
今話も、読んで頂き有難うございます。
約束の海へと向かう途中の、電車内。
疲れ果てたうみが、眠っていた間のお話です。
心に悲しみを隠したまま、はるとうみのささやかな幸せは続きます。
そんな二人を、温かく見守っていただけたなら。
次話もよろしくお願い致します。




