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波、晴るる。  作者: 潮留 凪
30/48

30 再会と再愛の夏 -はる


────目が覚めた。

 

ふと、そんな感覚があった。

長い間、深海に沈んでいたような。

 

知らない景色が、淡々と窓の外を流れる。

どうやら自分は、電車に乗っているようだった。

 

周りの席には誰も居らず、隣ですやすやと眠るきみだけだった。

 

いつ乗ったのかも、何故乗ったのかも分からなかった。

ただ電子板に表示される停車駅の一覧に、知っている駅名を見つけ、状況を把握した。

 

うみは、約束したあの場所へ向かっている。

 

恐らく降りるであろう駅までは、残り一時間ほどあったので、少し歩くことにした。

 

揺れる列車を乗り継いで、先頭車両へ辿り着く。

車内は、不気味なほどに人が少なかった。


 

 ✱ ✱ ✱


 

 「 ─────波琉 」


 

先頭車両の窓際で景色を眺めていると、誰かに声を掛けられた。

はるは人の居ない車両で声を掛かられた事に驚き、恐る恐る振り向いた。

 

 「お…母…さん……?」

 

その姿は紛れもなく、死んだはずの母だった。

 

 『波琉。元気にしてた?』

 

その表情は、柔らかい口調は、最も幸せな記憶の─────消えかけた思い出の中の、優しい母で。

 

 「おかぁ……さん……!」

 

はるは幼い子供に戻ったように、愛おしい母の姿に縋る。

 

しかしその身はすり抜けて、触れることが出来なかった。

 

 「え……」

 

触れ合えぬ我が子を前に、母は寂しそうに笑って、

 

 『もう……死んじゃってるんだよ、波琉』

 

瞳に涙を潤ませながら、はるは透けた母を見る。


 「や…だよ、あんなに急に…居なくなるなんて」

 「全部…ぜんぶ、壊れちゃったんだよ……」

 

ぼろぼろと、溢れ落ちる涙。

 


母も、父も、死んでしまった。

父と呼ばされた男すら死なせてしまった。

深い深い後悔と、息苦しい孤独の渦に飲み込まれる。

 

 「私も、そっちに……逝きたい」

 

おもむろに、はるは自らの首を絞める。

 

 「いっても、いい…?」

 

苦しそうに、ただただ苦しそうに笑う。

こんな世界で生きていたって、"私"は────


 

 『───────駄目。』


 

芯のある声が、はるの耳にはっきりと届いた。

 

 『まだこっちに来ることは、許しません』

 

紛れもない母親の、優しく厳しい叱咤の言葉。

 

 「……なん、で」

 

予想外の母の言葉に、絞めた腕の力を緩ませる。

 

 『生きなさい。はる』

 『生きて償いなさい、犯した罪を。生きて報いなさい、あなたに向けられる愛に』

 

 「罪と……愛……?」

 

『はるにはまだ、生きる意味があるんじゃないの?』


 

言われて、ハッとした。

全てを失ったような気がしていた。

たったひとり、世界に取り残されたような気がしていた。


 

 「意味……なのかな」

 「こんな私が意味にしてもいいのか、わかんないよ」

 

生きる意味。

生きていてもいい理由。

愛おしく思う、"きみ"のこと。

 

 『はるが決めな』

 

記憶なのか、幻なのか、幽霊なのか。

そんなあやふやな存在の母からの言葉は、とても不確かで、けど強く真っ直ぐで。

 

 「……うん!」

 

はるは、涙目で、しっかり微笑んだ。

それを見て優しげに微笑むと、母の姿はますます透けていった。


 『…そろそろいかなきゃ』

 『これで、ほんとにお別れだ』

 

そう言うと母は、触れられないその身体ではるをそっと抱きしめた。

 

『母親らしいことなんて、全然してやれなかった』

『死んでから謝っても、後悔しても、駄目だけど』


『…死んだ身でこんな事言うのも、ずるいけど』

 

優しき母の声は、はるの耳元で溶けてゆく。

 


『父さんと、母さんの分まで、』


『もう少し生きて、波琉』

 


そう囁いて、温もりは消えた。

遠くで、扉の開く音が聞こえた気がした。

 


 ✱ ✱ ✱


 


────唐突に、押し寄せた。


悲しみと、苦しみと、喪失感と、後悔と、罪悪感と、愛惜のすべて。

苦しくて、ただ息が詰まるばかりで、苦しかった。

とめどない涙は、行き場のない感情は、執拗(しつよう)に付きまとう。

 

はるはそれらの感情を、たった一つの結論へ纏めた。

 

 


"すべて終わったら、海にでも沈んでしまおう"

 

 


 ✱ ✱ ✱


 

 「はる!探したよ」

 

ふいに声を掛けられ、ほんの一瞬だけ期待し顔を上げてしまった。

母が、帰ってきてくれたのかと。

 

かすんだ視界の向こうにいたのは、うみだった。

 

うみは驚き、リュック放り投げ、駆けて来た。

 

 「どうしたの!?」

 

酷い顔を、見せてしまった。

うみにまた、心配をかけてしまう。


 「何かあったの!?」

 

うみは必死になって、はるの肩を揺らした。

 

 「……何でもない」

 

はるは素早く涙を拭いて、微笑んで見せた。

 

うみはきっと、責任を感じてしまうから。

泣いていたことに、罪悪感を感じてしまうから。

寝ていたことを、目を離したことを。

己を酷く、責めるだろうから。

 

 "何でもないふりをしなければ"

 

うみが放り投げたリュックを拾って、はい、と渡した。

 

 「……ありがとう」

 

うみは何か言いたげに、けれど言葉を上手く選べないようで、ただリュックを受け取った。


瞬間、トンネルに入り、景色が暗くなった。






はるは心に悲しみを隠したまま、約束の海へと辿り着いた。


今話も、読んで頂き有難うございます。


約束の海へと向かう途中の、電車内。

疲れ果てたうみが、眠っていた間のお話です。


心に悲しみを隠したまま、はるとうみのささやかな幸せは続きます。

そんな二人を、温かく見守っていただけたなら。



次話もよろしくお願い致します。

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