3 きみがくれた夏
しぬのかと問われて、言葉に詰まった。
しんでしまえば、きっと楽になれる。
でもどうしてだろう。
“目が、そらせない”
瞬間、彼女はそれなりに高さのある塔屋から軽々と跳んで、着地した。
そしてぼくの方へ真っ直ぐと、歩いて来た。
その姿が美しくて、不思議で、目が離せなかった。
なぜだかぼくは、彼女は風のようだと思った。
「しなない、の?」
彼女はぼくから目をそらすことなく、問いかけた。
「し、しなないと……早く楽にっ」
ぼくは、あまりにも吸い込まれそうな瞳に見つめられ、戸惑ってしまった。
と、強い風が吹いた。
「わっ」
ぼくは体勢を崩し、落ちそうになった。
そうだ、しぬんだ。
しんで、楽になるんだ。
早くさよなら、しなきゃ、なのに。
咄嗟に、この手を伸ばしてしまった。
「たす、け」
声にならない声で、ぼくは、叫んでいた。
瞬間とほぼ同時に、彼女が、ぼくの手を掴まえた。
掴んだその手は、とても力強くて。
「───────生きたい?」
彼女はそう、はっきりとした声で聞いた。
うまく息が、出来なかった。
心臓の音が、煩かった。
「生きたい」
ぼくは掠れた酷い声で、けれど強く答えた。
彼女の目を、しっかり捉えて。
その言葉を受け止めるように、彼女は力強く頷いた。
折れそうなほど華奢な彼女が、ぼくを精一杯引き上げる。
お互い、学年も名前も知らないのに。
彼女はただ、ぼくを助けてくれた。
✱ ✱ ✱
なだれるように、二人で地面にへたり込む。
助かって、しまった。
しんでしまえば、きっと楽になれたのに。
彼女のせいで───────
───隣の、息を切らした彼女を見て、そんな思考は丸めて捨てた。
けれど、しにたかったぼくは、素直に『助けてくれてありがとう』とは言えなかった。
息を整えるため、しばらくの沈黙が続く。
ただ小さく、一匹の蝉の声だけが響いていた。
蝉の音を遮るように、ぼくは口を開いて、
「……きみは誰?」
✱ ✱ ✱
ぼくは、彼女を知らなかった。
元より、学校に居場所など無かったため、周りをよく観察するようにしていた。
極力、誰かの怒りに触れぬように。
相手のことを把握しているように。
でも、彼女を見た事は一度もなかった。
彼女が何も答えないので、ぼくは思ったことを立て続けに、質問攻めをした。
「同級生?同じクラスですか?」
「でも、見た事ないし…」
「いつも屋上に居るんですか?」
「鍵は閉まってる…はずなのに…」
「もしかして…きみはもう死んでるとか!?」
ぼくが次第に敬語も忘れてしまうほど、怯えた様子を見て、彼女は小さく笑った。
「生きてるよ。さっき、自分に触れたでしょ」
「もう一度、触ってみる?」
そう言うと彼女は、ぼくの手を掴んで、丁寧に両手で握った。
「…生きてる」
その手は、とても暖かかった。
と、彼女はさらりと手を離して立ち上がった。
そしてまた真っ直ぐな目でぼくを見て、
「ねえ、」
「きみは生きたいって、言ったよね」
「…はい」
「じゃあ、約束して欲しいことがある」
彼女はそう言って、前に歩き出す。
止まってから、風と共に振り向いて、
「自分が助けた命、誰かの為に使うまで、絶対に死なないこと」
そう、柔らかく微笑んだ。
そうしてぼくは、彼女の約束によって、もう少しだけ生きることになった。