29 それは夏の宝石のような
寝ぼけ眼のまま、ぼくらは始発電車に乗った。
早朝、ラッシュ前に着いたのは大きな都心の駅。
改札の脇に置かれたATMで、ぼくは今までのバイト代を全額、引き出した。
夜行バスの乗車券を二人分購入しながら、初めて来る都会がはるとであることを嬉しく思った。
広い駅で迷わないように、予め調べておいた道のスクリーンショットを確かめる。
本当は、夏休みに二人で来るつもりだった。
"こんな形じゃなくて、"
思いかけて、すぐに仕舞った。
どんな事情かなんてぼくらには、ぼくには関係のないことだから。
これはただの、少し早い夏休み。
そう、きみが言ったように。
動き出した都会の波と共に、バスが発車した。
数時間後、サービスエリアに停車した。
目的地に着くまではなるべくお金は節約しようと決めて、昼飯はおにぎりを一人一つ。
「今日は全部はじめてで、楽しいな」
自販機で購入したオレンジジュースをフタを締めながら、はるに笑いかける。
はるは、窓の外を眺めるばかりだった。
✱ ✱ ✱
────昇りはじめた光の眩しさで目を覚ました。
濡れた頬を雑にぬぐって、身体を起こす。
『 夢じゃなくて、ごめんね 』
頭に響くその声が、言葉が、ぼくを現実に引き戻した。
これは、夢じゃない。
けどいいんだ、ぼくは、はるさえいれば……。
思って、ハッとした。
いつの間にか、リュックを枕にして寝ていたらしい。
ぼくは慌てて立ち上がり、辺りを見渡した。
はるは、背中合わせの反対側の椅子に座っていた。
いつ移動したのだろう、全く気づかなかった。
「はる、おはよう」
声を掛けても、はるは無反応だった。
聞こえてないのかと思い、はるの目の前に立った。
はるは、目を開けたまま、どこかを見ていた。
あぁ、そっか。
その交わらない瞳を見れば、すぐにわかってしまった。
"はるは今、ここには居ないんだね"
ぼくはただ目を閉じて、深呼吸をした。
うん、大丈夫。
今はただの機械人形、それだけ。
水をくれたはるも、膝枕をしてくれたはるも、おやすみをくれたはるも。
全部幻だったのか、夢だったのか。
どのはるが本当で、今、どれが現実なのか。
わからない。
わからないから、もうわからなくていい。
ぼくの中で、何かのスイッチが切り替わる音がした。
ただ、行こう。
はると約束したあの海へ。
頭上の掲示板が付いて、アナウンスが鳴る。
ピ!という改札の音がして、サラリーマンが一人階段を降りてきた。
欠伸をしながら、スマホを見ている。
ぼくは素早くリュックを背負い、はるの前に立って、
「行こう、はる」
と手を伸ばした。
はるは何も言わずにリュックを背負い、ぼくの手を掴んだ。
✱ ✱ ✱
──────バスは、ひたすらに走り続けた。
数時間おきにサービスエリアに停車し、後はただ目的地へと向かうだけだった。
一番安いバスだからなのか満席で、座席を倒すことも出来ず、ただ窮屈な時間が過ぎていった。
そして、数十時間かけてようやく海へと続く県に到着した。
辺りはすっかり暗く、真夜中だった。
バスから降り、ぼくがぐんと伸びをしていると、はるは無言で腰をトントンと叩いていた。
「疲れたぁ。腰痛いね」
ぼくはバスに乗っている間も、こんな風にただいつものように話しかけていた。
例え返事が無くても、はるにはきっと、ぼくの声が届いてる。
そう信じて、心に言い聞かせて。
「うみは大丈夫?」
唐突に呼ばれた名前に、一瞬固まってしまった。
腰を抑えながら、少し困ったような顔で微笑む。
"ああやっと、はるに会えた"
その声を聞くのは、その美しい瞳を見るのは、すごくすごく、久しぶりな気がして。
ぼくは泣きそうな気持ちをぐっと堪えて、
「大丈夫、カチコチだけど」
と笑って見せた。
✱ ✱ ✱
降りた場所から少し歩いて、適当に開いている飲食店に入った。
はるとこんな風に外食をするのは初めてで、なんだか照れくさかった。
食べているはるを見つめながら、その味を噛み締めるようにゆっくりと味わった。
その店で一時間くらい休憩した後、のんびり歩いて駅に向かった。
夜明けと、始発。
ぼくらは、再び電車に揺られた。
はるは、あの海に近づくにつれて、いつものはるになっていった。
いつも当たり前のように見ていたはるの目が生きていることが、今は何よりも嬉しくて。
だけど、そんなはるを見ている自分が、少しだけこわかった。
いくつも乗り継いで、目的の海に辿り着くための最後の電車に乗った。
ぼくは安心したのか、ウトウトしてしまった。
✱ ✱ ✱
─────一時間ほど寝ていたらしい。
目的地までは、もう残り二駅だった。
隣に座っていたはずのはるは、また居なくなっていた。
リュックが頭上に置いたままだったので、降りてはいないと思い、とりあえず車内を探した。
二人分のリュックを抱えて車両を移動して行くと、先頭車両に立つはるを見つけた。
「はる!探したよ」
声をかけると、振り向いたはるは泣いていた。
とても寂しそうに、表情いっぱいに悲しみを浮かべて。
ぼくは驚き、リュックなんか放り投げてはるに駆け寄った。
「どうしたの!?」
はるはただ、下を向いて首を振るばかり。
「何かあったの!?」
心配と驚きで、ぼくは必死になってはるの肩を揺らして聞いた。
「……何でもない」
はるは腕で素早く涙を拭いて、微笑んだ。
ぼくが寝ている間に、絶対何かあったんだ。
ぼくがうっかり寝たりなんかしなければ、はるに、あんな顔。
誰よりもぼくが、ちゃんと見ていなくちゃいけないのに。
はるはぼくが放り投げたリュックを拾って、はい、と渡した。
「……ありがとう」
なにを言えばいいのか分からなくて、ただリュックを受け取った。
瞬間、トンネルに入り、景色が暗くなった。
「座ろうか」
はるに言われるまま、リュックを前に抱えて二人で席に座った。
隣にいるのにとても、はるを遠く感じた。
それが不安で、怖くて、どうしても聞きたかった。
「……ねえ、やっぱり─────」
『次は』
アナウンスの声とともに、トンネルを抜けた。
突然の光はあまりにも眩しくて、目がくらんでいると、はるが勢いよく立ち上がった。
「きた!」
いつになくテンションの高いその声に、ぼくはゆっくりと目を開けた。
───────それは、青く、ただ青く。
朝日に煌めく宝石のような海が、ぼくらの目に飛び込んできた。
今話も読んでいただき有難うございます。
ついに、この物語も終盤に差し掛かろうとしています。
テーマであり、象徴である、海。
モデルとなっているのは、海の見える駅としてはかなり有名な、愛媛県の下灘駅です。
この先はぜひ、頭に思い浮かべながら読んでいただけたら嬉しいです。
次話も、どうかよろしくお願い致します。




