28 夏の、幸せが過ぎて
夢を、見ていた。
目を覚ますと、目の前は学校のプールだった。
真っ白な入道雲が、大きく沸き立つ。
光を反射した水が、きらきらと揺らめく。
「うみ、おはよう」
そして隣には、優しく目を細める大切な人。
「おはよ。ふあ〜…寝ちゃってた」
顎が痛いほど大きなあくびで、涙が出た。
はるは、ぼくのしずくを細い指でそっと拭って、
「もう昼休み終わっちゃうね」
と寂しそうに笑った。
ぼくはその表情にぎゅっと胸が痛くなって、思わず立ち上がった。
はるも一緒に立って、ぼくの手を掴んだ。
「…ねえ、いっそこのまま二人で、水になろうか」
「え?」
はるはぼくを掴んだまま日陰から飛び出した。
「ちょ、まっ」
待ってという間もなく、そのまま。
✱ ✱ ✱
───大きな音ともに、大きな水しぶきがあがった。
しゅわしゅわと炭酸のように弾ける泡が、水中で溶けていく。
凄く冷たくて、でも心は温かくて。
「ぷはっ」
息をするのを忘れていたぼくは、苦しくなって水面から顔を出す。
はるも、ぼくに続くように顔を出した。
お互いにびしょ濡れで、それ以上に幸せで。
ぼくもはるも、何かに耐えきれなくなって笑い出した。
笑って、笑って、涙が出るほど笑い合って。
いつも無表情なはるが、こんなにも、笑っている。
笑いが収まって直ぐに、チャイムが鳴った。
ぼくらは顔を見合わせて、言葉なんて要らなかった。
"そんな音、ぼくらの世界には聞こえないよ"って。
そう言うみたいに、ただ水の上で二人、仰向けに浮かんだ。
しばらく、いつものように会話のない時間が過ぎた。
セミが忙しなく、騒がしく、…必死に鳴いていた。
✱ ✱ ✱
「そろそろ上がろうか」
ぼくはその提案にうなずいて、プールから上がる。
濡れたセーラー服をフェンスに掛ける。
リュックからタオルを取り出し身体を拭いて、後は自然に乾くのを待つしか無かった。
服を掛けた所から少しだけ離れたフェンスに寄りかかって、二人で座った。
濡れた身体を、照りつける日差しが暖め乾かす。
いつもの屋上じゃないけど、いつもと変わらない愛おしい時間。
それを身に染みて感じて、思う。
今までのは全部悪い夢で、この愛おしい日常は、ひとつも終わってなんかいなかったんじゃないかって。
はるは変わらなくて、変わらず綺麗で、ぼくと居てくれて、ぼくと、あんなに、笑って、くれて……
その不自然さに気付かないふりをして、首を振る。
きっとあれは全部、全部全部。
「ねぇ聞いてよはる!さっき変な夢を見てねっ」
────振り向いて、固まった。
はるは服を着ていて、髪一本濡れていない。
それどころか、さっき目覚めた時と何も変わらなくて。
「変な、夢?」
さっきと、何も変わらないはるが、さっきと何も変わらない、優しい表情で。
「う、ううん……!内容、忘れちゃった」
誤魔化して視線を落とすと、ぞっとした。
ぼくも、全く濡れていなかった。
乾かしたはずの服は、何も無かったように着ていた。
「や……やだ」
手が、震えた。
目の前が、ぐらぐら揺れた。
「やだ、やだ、やだやだやだ……」
覚めないで、夢。
ううん、これは夢じゃない。
これが現実、ねえ、そうだよね?
「……うみ」
ふと、手を握られる感覚がした。
その手は、とてもとても、冷たくて。
「ふっ……う……やだ……やだよ……」
握られた手に、ぽたぽたと、零れた。
ずっとずっと、おわらないで欲しくて。
ずっとずっと、続いて欲しくて。
瞬間、セミや、飛行機や、電車の、全ての音が、世界から消えて。
「夢じゃなくて、ごめんね」
───────眩しさで、目を覚ました。
今話も読んで頂き有難うございます。
この話は正直、自分でも何度読んでも苦しくて、涙が出ます。
幸せで、愛おしくて、永遠に覚めたくない夢。
でも、夢はいつか覚めます。
幸せも、永遠には続かない。
……と、僕はそう思っています。
それでも尚、幸せを求めるのだから、人間とはあまりに切なくて、そして美しい生き物だと。
はるとうみの逃走はまだ続きます。
僕自身も胸を痛めながらですが、どうか温かく見守って頂けたら嬉しいです。
次話もよろしくお願い致します。




