26 夏を力強く引き寄せて
"寂しくても、いいや"
火曜の昼休み、ぼくはそう思って屋上へ向かった。
───はるが学校を休んでから、休日を跨いで四日が過ぎていた。
その間に、噂はどんどん広まっていた。
はるがあの男を誘惑した、だとか。
子供を中絶した、だとか。
皆、真実なんてどうでもいいようだった。
ただヒソヒソと、貶せる対象が欲しいだけ。
はるが休んでいる間、はるの居ない屋上が寂しくて、それよりマシと思ってトイレで昼食を食べていた。
けど、今日は何となく屋上に行きたかった。
というより、今日は会える気がしたんだ。
ぼくの、たった一つの光に。
小さく深呼吸をしてから、ぼくは屋上の扉を開けた。
期待と、不安を胸に、梯子を上って。
「………はる」
初めて一緒に過ごした昼みたいに、はるは同じ場所で横になっていた。
はるは、ぼくの声に変わらぬ表情で振り向く。
「うみ」
変わらない、はるの声。
ああ、はるだ。
幻でも、夢でもない。
「はる!」
ぼくは急いで梯子を上りきって、はるの元へ駆け寄った。
ゆっくりと身を起こすはるを、構わず抱きしめた。
「会いたかった、無事で、ほんとに良かった!」
ぼくはただ、全身ではるを感じた。
ぼくの希望、ぼくの生きる意味。
はるは、しばらく何も言わずに抱きしめられていた。
ぼくはただほっとして、嬉しかった。
少しして、はるはぼくの肩をそっと離した。
「……うみ、昼、食べよう?」
優しく微笑むはるに、ぼくは慌てて謝った。
「あ、ごめん!抱きしめすぎたよね、食べよっか!」
そう言って互いにコンビニの袋をガサガサとあさる。
この日は、二人ともサンドイッチだった。
大きな積乱雲を背に、ぼくらは昼食を食べる。
ぼくははるに会えたことが嬉しくて、はしゃいでしまって、ただ喋り続けた。
「はるが居ない間、超寂しかったんだよ!」
「クラスでも相変わらずだし、水かけられたりして、全く飽きないよねあの人たちはさ」
そしてつい勢いで、聞いてしまった。
「ねえはる、なんで学校休んでたの?」
あのくだらない噂を信じてなんかいない。
信じてはない、けど、一応確かめたかった。
瞬間、はるの動きがピタリと止まった。
そして、ガタガタと震え始めた。
「は、はる…?」
見たことないくらい怯えるはるに、ぼくは動揺した。
「な、なんでも、ない…よ」
明らかに何かを恐がっているはるに、ぼくも何かが恐くなった。
ぼくは、何も言えなかった。
少しして、震えも治まった頃、先に食べ終わったはるは立ち上がって遠くを指さした。
「少し早い夏休み、でさ」
「あの向こうの海を見に行かない?」
はるは笑って振り返る。
ぼくは、ちがうと思った。
これは、本当のはるじゃない。
「はる、話して欲しい」
ぼくは食べかけのサンドイッチを袋の上に置いて、立ち上がった。
「はるが、こわいこと全部」
「ぼくにも、背負わせてよ」
目を少し見開いて驚くはるの、手を掴む。
「お願い」
ぼくが、君の全部を飲み干すから。
「か」
はるは、また震えだして。
「母さんが、死んで」
ぼくは、それだけでも胸が痛かった。
けど、ぼくが守らなくちゃ。
そう思って、より強く包むようにはるの手を握る。
「うん」
「お兄ちゃんが、出ていって」
「うん」
はる、よく頑張ったねって。
そう、慰めるつもりだった。
「突き落として、しまった」
「……え?」
ぼくの、握る手の力が少し抜けた。
それに気づいたからなのか、はるはぼくの手を振りほどいた。
そしてぼくから少し離れて。
「父を、あの男を、思い切り……全部を込めて……!!」
「……!」
「そして、動かなく……なった」
ぼくは、怖かった。
はるが人を殺したことがじゃない。
「そう、もう、生きていては……」
はるを、失うことだけが、怖かった。
地面のギリギリの端までつま先を出して、はるはまさに、飛び降りようとしていた。
あの時の、ぼくみたいに。
その身を向こう側に倒しかけた瞬間に、
「許さないっ!!」
ぼくは走って、両手で掴んだ。
ただ強く、想いを込めて、しっかりと。
はるは下を向いたまま、抵抗もせず外側に身を委ねていた。
「……うみ、もう、いい」
はるは、ただそう呟いた。
まるで、全てに諦めたみたいに。
"絶対に、嫌だ"
「許さないから!!ぼくをこれ以上ひとりにしないでよ!はるは何も悪くない!死んで当然の人間を殺しただけだよ、はるは悪くない!!」
ぼくは、はるに生きて欲しかった。
ぼくは懇親の力で、思い切りはるを引き寄せながら、
「生きてよ!!!」
怒るみたいにそう叫んで、はるをしっかり受け止めた。
あの時のはるみたいに、息を切らして。
はるは、地面に力無く崩れながら、静かに涙を流して放心していた。
そんなはるに、ぼくはただ、夏休みの提案みたいに、両手を握って。
「──────ねえ、逃げよう?」
それは、この夏の全てから逃亡するための合図だった。
今話も読んで頂き有難うございます。
いよいよ、この物語のテーマである"逃走"への合図を、うみが口にしました。
ただこの先は、二人の世界を、全てから逃げることを選んだ二人の人生を、運命を、見守っていただけたなら。
これにて第1章・閉幕。
次話より、第2章となります。
今後も宜しくお願い致します。




