24 夏と、さいしょ
ほとんど眠れなかったはるは、いつもより一時間ほど早く学校へ行くことにした。
この時間なら、父は寝ているだろうと。
リュックを背負って階段を降りると、リビングの扉が開いていた。
父は、帰宅してからずっと、オールで酒を飲んでいたらしい。
気づかれないよう素早く通り過ぎたが、見つかってしまった。
「おいどこ行くんだよテメェ!!」
今まで聞いたことの無いような本気の怒声に、はるは危機感を感じた。
今の父に関われば殺される、と。
靴を履き、急いで逃げようとドアに手を伸ばしたが、後ろの手を掴まれてしまった。
「どこ行くんだって聞いてんだよ!」
「俺を無視してんじゃねえよクソガキ!!」
言いながら、掴んだ手を引っ張り、階段の方に突き飛ばした。
そして何度も何度も、はるの体を蹴った。
今までで一番強く、本気で、痛みで気絶しそうな程に。
あと少しで、逃げられたのに。
兄のように、逃げればよかった。
「綾波はなぁ、お前のせいで死んだんだよ!」
わからない。わからない。
どうして、自分がこんな。
ずっと、ずっと、耐えてきた。
お母さんの為に、耐えてきた。
お兄ちゃんが居るから、耐えてきた。
でももう、二人とも居ない。
"自分にはもう、何も無いじゃないか"
✱ ✱ ✱
はるは訳も分からず必死に逃げた。
家中を追いかけ回されて、捕まる度に殴られて。
焦りと、恐怖で、震えが止まらなかった。
逃げ道を塞がれ、はるは二階に逃げた。
自分の部屋に、鍵を掛けてしまおうと。
当然、父も追って階段を上ってきた。
その時、ふと思ってしまった。
最低で、最悪な考えが。
上から見下すこの感覚が、焦燥が、はるを狂わせた。
"きっと、楽になれる"
✱ ✱ ✱
──────初めてだった。
こんなにも強い力で、何かを押したのは。
きっと、今まで受けてきた全ての痛みや、苦しみや、憎しみを込めたんだと。
長い長いマラソンを走った後みたいに、息が苦しかった。
はるは混乱しながら、階段を下りた。
足元には、頭から血を流した男が横たわっていた。
「死ん……だ?」
はるは、もうピクリとも動かない父に向かってそう聞いた。
もちろん、返事はなかった。
──瞬間、どこかに飛ばされたような感覚になった。
『波琉、行ってらっしゃい!』
お母さんの、声がした。
もうずっとずっと昔の、優しい声。
『おっと、俺もそろそろ行かなきゃな』
お父さんの、声がした。
ずっとずっと記憶の奥に眠る、愛おしい声。
はるにはもう、倒れている男の姿は見えなかった。
泣きそうになりながら、学校に行かなくちゃ、と。
ただそう思って家を出た。
「 行ってきます 」
愛おしかった全てに、そう告げて。
今話も読んでいただき有難うございます。
このお話は、初めから決まっていた三つのうちの一つでした。
それくらい、ぼくにとっては凄く思い入れのあるというか。
"その瞬間"は余計な言葉を一切入れず、ただ映像だけが流れていくような、そんな、焦燥から逃避への移行を感じていただけるようにあえて修正は入れませんでした。
その時感じた、はるの気持ちや、必死さ、愛おしさ、全部にそのままの、等身大の想いを込めました。
これが"夏"の初めの引き金です。
次話もよろしくお願い致します。




