22 厭悪に歪む夏
母方の祖母の家は、車で3時間ほどかかった。
途中でパーキングエリアに止まったが、到着まで父とも兄とも会話は無かった。
そうして祖母の家に着いたのは、夕方だった。
荷物を置いてからすぐ裏の葬儀場まで、父と兄と祖母と、歩いて向かった。
『故 仲村 綾波 葬儀式場』
看板の文字を見て、胸がぐっと締め付けられた。
覚悟を、しなくちゃいけない。
父が代表で名前を書き、中に入った。
一番前まで歩いていくと、見覚えのある写真が飾ってあった。
変わらぬ笑顔で微笑む、母の。
「…っ」
涙がこぼれそうになったがぐっと堪えた。
父に、親戚の人たちに、弱さを見せたくなくて。
兄も下を向き、悔しそうに唇を噛んでいた。
写真の下の、棺の中を見る勇気はなかった。
✱ ✱ ✱
葬式が始まり、自分たちは最前席に座った。
小さな葬儀場だったが、数十人ほど来ていた。
「この度は、大変お悔やみ申し上げます」
そう言って線香をあげ、帰ってゆく。
父と兄と自分以外、皆涙を流していた。
母は天真爛漫な性格で、地元では皆に愛される存在だったらしい。
学生時代の友人や、母を小さい頃から知る近所の人など。
優しく明るかった母の記憶は、もう殆ど忘れかけていた。
突然ヒステリックを起こし、幾度となく死のうとする母ばかりが、鮮明に頭を過る。
自分達は数時間、来てくれた一人一人に頭を下げ続けた。
「わざわざ御足労いただき、本当に有難うございます」
「〜さんのような御友人に恵まれて、綾波も幸せだったと思います」
父は、"良い夫"を完璧に演じていた。
誰よりも深く、長く、来てくれた人全員に頭を下げた。
誰も、こんな"完璧な夫"を疑わない。
誰も、父が兄を殴ったことを知らない。
誰も、父が自分を殴ったとは思わない。
悔しくて、憎らしい。
"お前が、死ねばよかったのに"
"なんで、お前じゃない"
"なんで、母さんが───"
✱ ✱ ✱
全員が帰った頃、辺りはすっかり真っ暗だった。
「二人とも、長い時間お疲れ様」
祖母は、自分と兄に優しく微笑んだ。
「武仁さんも、丁寧に有難うね」
「綾波も、色々あったけれど……」
「結果的に、武仁さんみたいな素敵な方に巡り会えて…きっと幸せだったと思うわ」
祖母は少し、涙ぐんでいた。
自分と、兄以外、誰も知らない。
この男の、本当の姿を。
人生で二度目の葬式は、悔しくて悔しくて、前よりもずっと、苦しかった。
✱ ✱ ✱
葬儀を終え、祖母の家に上がると夕食が用意されていた。
「お腹空いたでしょう。遠慮せず食べてちょうだいね」
テーブルが埋まるほど沢山並べられた料理に、涙が出そうになった。
小さい頃の、母が作る夕飯のようで。
「わざわざすみません…!」
父がそう言うと、祖母は少し寂しそうに笑った。
「夫が亡くなってからは、作っても食べてくれる人がいなかったから…誰かが食べてくれると嬉しいのよ」
それを聞いて、父は微笑んだ。
「…では、御言葉に甘えて、頂きますね」
父が箸を取ったのを見て、自分と兄も箸を握った。
「いただきます…」
自分は小さくそう言って、祖母の料理を口にした。
「おい…しい…」
思わず一滴、涙が零れてしまった。
一日中ずっと、我慢していたのに。
慌てて手で涙を拭うと、祖母もつられて涙を零した。
「そう、そう。良かったわ、波琉ちゃんにそう言って貰えて。本当に良かったわ、有難う」
祖母はとても嬉しそうだった。
兄も泣きそうな顔で食べていた。
「凄く…美味しいです」
兄の言葉にも、祖母はうんうん、と嬉しそうに頷いていた。
祖母の手料理は、とても温かくて、懐かしい味がした。
「ご馳走様でした」
父が箸を置き、手を合わせたのを見て、自分と兄も同じように声を揃えて言った。
「本当に美味しかったです。綾波の手料理と同じ味で……つい僕も涙ぐんでしまって」
父は小さく微笑みながらそう言った。
瞳にうっすらと浮かんだその涙は、演技なのだろうか。
「それは良かったわ」
祖母が食器を運ぶのを見て、父は立ち上がった。
「あ、いいですよお義母さん。後片付けは僕がやりますから」
「お義母さんは、どうぞお風呂にでも。ごゆっくりされてください」
家事の手伝いもする父が提案すると、祖母は笑った。
「あら、それは助かるわ。本当、素敵な旦那さんねぇ」
「そんな事ないですよ。うちでは当たり前の事ですから」
嘘だ。
父が家事をした事なんて、一度もない。
平然と嘘をつき、とことん"素敵な旦那"を演じる。
そんな真っ黒な父の演技を、純粋な善意だと信じる祖母を見て、悔しかった。
祖母が風呂に入ると、父は運ぼうとした皿を雑に置いた。
明らかに、雰囲気が変わっていた。
「これ、お義母さんが来るまでに全部洗って仕舞っとけ」
自分と兄に向かってそう言うと、カバンの中から煙草を取り出し、庭に出て行った。
自分は言われた通り、キッチンに食器を運んだ。
兄は悔しそうに庭の方を睨んでいた。
自分が運んだ皿を洗い始めると、兄が来た。
「俺が皿洗うよ。波琉は拭いて棚に仕舞ってくれる?」
「分かった」
二人で協力し、何とか祖母が出てくるまでに終わらせた。
終わってから暫く兄と椅子に座っていると、父が庭から戻ってきた。
煙草の臭いを誤魔化す為の、香水の強い匂いに、鼻の奥がツンとした。
祖母が風呂から上がると、すっかり綺麗になったテーブルと仕舞われた食器を見て喜んだ。
「有難うね、武仁さん」
自分と兄が、やった事なのに。
「いえそんな、これくらい当然ですよ」
父は微笑みながら謙遜した。
まるで自分が全て一人でやったように。
"偽善者"
そう、心の中で"そいつ"を睨んだ。
今話も読んでいただきありがとうございます。
身内の葬儀というリアルなシーン、書いていて波琉や波人と同じ気持ちになり、つい涙が出そうになりました。
少し辛いシーンが続くかと思いますが、忘れてはならないのがうみの存在。
はるが学校を休んだこの数日間、うみにとって唯一の救いであるはるとの昼休みが無い。
同時にはるにとってもうみという存在が無い分、兄である波人に縋っています。
この数日の間に生まれる小さな歪み(ひずみ)を、頭の片隅に置いておいで下されば幸いです。
次話もよろしくお願い致します。




