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波、晴るる。  作者: 潮留 凪
16/48

16 夏にそっと手を掴む



屋上の扉を開けると、心地よい風が涙を乾かす。


泣き疲れたせいなのか、何となくというか。

自分は上には登らずに扉の前で壁にもたれて座った。


 

───チャイムが鳴った。


四時間目が終わり、昼休みになった。

すぐにうみが来るだろう、と立ち上がった。

すると珍しく、階段の下から聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「聞いてよりの!」

「アタシ見ちゃったんだけどさ!」

 

 

声がでかいのは、クラスメイトの桂木ゆら。

自分のクラスに限らず学校全体の情報通にしていじめっ子。

 

 「まじィ?あいつほんとキモイわ〜」

 

噂を悪口に言い替えているのは、同じくクラスメイトの花山りの。

口にするのは人を蔑むような言葉ばかりで、いじめの主犯。

 

何となく、彼女たちの会話を聞いていた。

クラスの誰がウザイとか、教師の悪口とか。

くだらない話ばかり。

 

このまま聞いていても需要は無いな、と扉を離れようとした。

が、思わず足が止まった。

 

 「そう言えばこの前、見ちゃったんだけどさァ」

 「なになに?」

 「仲村はる、あいつの腕にさ」

 

自分の話だった。

何故か、体が震えていた。

 

 「傷あと、あったんだよね」

 「えぇマジそれ、もしかしてリストカット?」

 

傷跡、そう聞いて身の毛がよだった。

この手首の傷跡は、他でもなくあの父のせいだ。




────先週あたり、父が泥酔していた時に鉢合わせてしまった。

特に酷い酔い方をしていて、その日は何故か瓶のビールだった。

瓶を倒した先に自分が居たの見て、酔った勢いで殴りかかってきた。

その時身を守ろうとして、瓶のとがった先で手首に傷が付いた。

 


何もかも、'あの父'のせいなのに。

 

 

自分は何も言い返せない事に腹が立った。

それ以上、二人の話を聞くのはやめようと梯子を登った。

 

 

 "早く、うみに会いたい"

 


心の中でそう思いながら、優しい風が吹く中で目を瞑った。


 ✱ ✱ ✱


─────キッと勢いよく扉の開く音がした。


少ししてからトントン、とゆっくり梯子を登る音がする。 

 

 「はる」

 

涙の跡を隠すように外を向いて寝転んでいると、後ろであの綺麗な声がした。

自分はそれが嬉しくて、けれどその気持ちを出さないように、ゆっくりと起き上がった。

 

 「うみ」

 

目が合うと、涼しく気持ちのいい風が二人の間を通った。

 

 「─────いただきます」

 

二人でそう言って、黙々と昼食を消費する。

いつものように、自分の方が先に食べ終わった。

うみは口をもぐもぐと動かしながらもどこか上の空だった。

 

その理由はだいたい、分かっている。

 

どう切り出したらいいのだろう。

それとも、切り出すべきではないのか。

 

どちらにしても、うみがモヤモヤしたままなのは嫌だ。

そう思って、ぼんやりしているうみに聞こうと決めた。

 

 「ねえ、うみ」

 

呼んでから、ほんの少しだけ。

聞こうと思ったことを後悔した。


うみがどう思うのか、不安になったから。

 

 「今日、いつもより少し遅かったよね」

 「もしかして、階段の下に居た人達の話、何か聞いた?」

 

うみは急な質問にえっ?と驚いた。

やはり聞くべきではなかったのかもしれない。

 


うみからの返事は、少し間が空いた。

 

 「……聞いた」

 「ねえ、はる」

 

先程まで驚いていた瞳は、もういつも真っ直ぐさだった。

その真っ直ぐさに答えるように、自分もうみの目を真っ直ぐに見た。

 


 「はるはリスカ、してるの?」

 


瞬間、強い風が吹いた。

同時に君の、ショートカットの黒髪が、強く揺れる。

 


 「……してないよ」

 


自分は風が弱まってから、うみの目を見たまま答えた。

うみに嘘はつきたくないが、これ以上は言えない。

言えば、うみも自分のような目にあうかもしれない。

 

 「……そっか」

 「そう、だよね」

 

うみは小さくため息をついた。

きっと、無意識に。

 


 「してた方が良かった?」

 

 「……なんで」

 

うみは、ほんの少し苛立っているように見えた。

それはうみにとって触れられたくないことだったのか。

それとも、自分の発言に何か不注意があったのか。

 

少し迷いながらも、思ったことをそのまま言った。

 

 「なんか、がっかりしてるように見えたから」

 「リスカ、してた方が良かった?」

 

そう聞いた瞬間、うみは拳を強く握った。

悔しい、とは違う何か。

心の中で、必死に葛藤しているように思えた。

 

 「してない方が!いい」

 「してない方が…いいん…だよね」

 

分かりきっている。

そんな意味が込められているような気がした。

 

うみの考えていることなんて、自分には分からない。

分からないけれど、うみが凄く、苦しそうなことは分かった。

 

 「うみ?」

 

苦しむうみに、ただ名を呼んだ。

自分に出来るのはきっと、名を呼び、うみを想うことくらいだろう。

 

しばらく、うみは俯いたままだった。

二人で地面に座りながら、初夏の風だけが通り過ぎる。


 

 「──────ねえ、はる」


 

ようやく、うみは顔を上げた。

まるで、大事なものを取られた子供のような顔で。


うみが何かを打ち明けようとしているのを感じた。


「はるは、もし私が、」


「……ううん、もし、ぼくが」

「リストカット、してたら嫌いになる?」


うみは、そっと左腕の袖をまくった。

無数に付けられたリストカットの傷跡。

 

痛々しいその赤さに、胸がぎゅっと苦しくなった。

 


 「ごめんね、はる」


その言葉を聞いた瞬間、分かった。

どうしてそんな顔をしていたのか。

 


うみは、自分に嫌われると思っている。

 


骨張ったその腕に付けられた無数の傷跡。

それらはきっと、誰かに拒絶される度に。

 

自分はうみの腕を見つめながら、思った。

 


 ”なんて、馬鹿なんだ“

 


そして、うみの腕を掴んだ。

 

ちゃんと、伝えなければ。

不器用な自分からの、精一杯の気持ちを、言葉で。

 

 「ねぇうみ」

 「これは、うみの腕だよね?」

 

予想外の事を聞かれた、と顔に書いてあった。

うみは動揺しながらも、首を縦に振った。

 

 「じゃあ、ならない」

 

自分は、うみの両手を力強く握った。



 「うみだから、嫌いにならないよ」

 「死ぬまで……たとえ死んでも、絶対に」


 

うみは、息を飲んだ。


まるで全身を覆う重い鎖が、音を立てて崩れたような。

ふっと、握ったうみの手の力が抜けた。

 

瞬間にうみの瞳から、絵に描いたような大粒の涙が零れた。

 

 「ふっ、う、はるっ…はるっ…!」

 「はるっ…はるっ」

 

うみはその後も泣きながら、何度も自分の名前を呼んだ。

 


何度も、何度も、何度も。

涙と声が、枯れるまで。

 


こんなにも沢山、誰かに名を呼ばれたのは初めてだった。

 

自分の居場所はここにある。

その時確かに、そう感じた。

 

ただ、うみのそばに居たいとだけ思った。

 

 

 







 

この気持ちを、なんと呼ぶのだろう。

自分にはまだ、分からなかった。


今話も読んで頂きありがとうございます。


今回は記憶に新しいうみの告白の、はる視点でした。

特に大きな事件のようなものはないのですが、一見変わらぬようで徐々に生まれていく二人の好意の間の"ズレ"に注目して頂けると幸いです。


大人になれば簡単に気づけるようなことも、彼女たちにとっては未知との遭遇。

そんな15歳の少女二人の、不器用で、淡い距離感に触れるような。

そんな作品になるように、僕なりに繊細な物語を紡いでいくので、これからも楽しんで頂けたらと思います。


次話もよろしくお願い致します。

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