13 もうひとつ、の夏 -はる
「ピピピ、ピピピ」
スマホのタイマーが耳の奥に響く。
時刻は、朝の5時30分。
自分の朝は早い。
足音を立てぬように階段を降り、顔を洗い、髪を素早く一つに結う。
コップ一杯の水を飲み、洗濯したワイシャツを持って部屋に戻る。
机に置かれた鏡を伏せてから、制服に着替える。
前日に用意した、480円が入った小さい封筒。
ノート、筆記用具、水筒、ポーチ、スマホ。
それらを赤いチェック柄のリュックに詰め、最後にハンカチを、スカートのポケットに入れる。
そうしていつも、大体6時頃には支度が終わる。
そっと扉を開け、鍵をかけて家を出る。
担任であり父である、あの男が起きる前に。
✱ ✱ ✱
坂の上のバス停で、1時間に1本のバスに乗る。
通勤ラッシュ前、人の少ない電車に揺られ、学校の最寄り駅に着く。
7時、駅前にあるコンビニで朝兼昼飯を買う。
普段はサンドイッチを買うが、この日は何となく目に付いて、鮭おにぎりを買った。
その後学校に着いても、まだ校門は開いていない。
周囲を確認してから、柵を登って中に入る。
体育館裏へ回り、鍵の壊れた扉から、校舎に入る。
事務員が朝の見回りを終え、トイレへ立った隙に、職員室へ忍び込む。
そして担任の机を開け、出席簿に丸をする。
後は、ひとりでずっと、屋上にいる。
✱ ✱ ✱
『自分が助けた命、誰かの為に使うまで、絶対に死なないこと』
そう、うみと約束してから二週間が過ぎた。
あの日からまだ、一度もうみとは会っていない。
───────夏木 うみ。
5月の終わりごろ、自分のクラスに来た転入生。
うみが来てから自分へのいじめは無くなった。
代わりに、うみは毎日いじめられている。
今日もうみは耐え続ける。
自分が、逃げてしまったから。
そのせいで、自殺寸前まで追い詰めてしまった。
けれど、死なないと約束してくれた。
その意味をきっと、うみは分かっていないだろう。
いつか、その"意味"に気づいてくれる日まで。
✱ ✱ ✱
─────チャイムが鳴った。
ようやく昼休みになったのか。
自分はリュックから、今朝買った鮭おにぎりを取りだした。
「いただきます」
小さくそう言って、黙々と完食する。
ふと、涼しくて優しい風が吹いた。
腹が満たされ眠くなった自分は、そのまま地面で横になり、目を瞑った。
教室から最も離れた屋上の給水塔。
ガヤガヤとした騒音は遠く、ただ電車の音だけがゆるやかに響いていた。
心地よい晴れ空の下で、自分はウトウトとしていた。
微かに、下でドアが開くような音がした。
上までは誰も来ないだろうと、そのまま寝ていた。
「──────うわっ……と!」
音がしてからしばらく、近くで人の声がした。
自分は咄嗟に、体を起こした。
「誰?」
梯子の方に目をやると、うみが居た。
ああ、やっと会いに来てくれた。
うみが、自分に会いに来てくれたんだ。
内心とても嬉しかったが、はしゃがず表情には出さないようにした。
不自然に間が空いてしまったかと思ったが、うみは呆然と自分を見つめていた。
「…君か。やっと会いに来てくれたんだ」
あくまで初めは、クールにいこう。
自分はうみに、ふっと微笑んだ。
「ごっ、ごめんなさい」
うみはハッとし、少し顔を赤らめて下を向いた。
自分を見つめていたことに気づき、恥ずかしくなったようだった。
そんなうみが可愛くて、思わず笑ってしまった。
「ふふ」
「謝らなくていい、夏木うみ…さん」
あくまで最初は友達から。
そう思って、さん付けで呼んだ。
普段そんな風に名前を呼ばれないからか、うみはバッと顔を上げた。
「なんでぼ、私の名前…!」
そもそも、名前を知っていることに驚いたらしい。
可愛い。純粋に驚くうみの顔は、眩しい。
名前を知っていることに驚いたなら、もしかして。
「だって自分、同じクラスだよ」
先程よりも驚いた顔をしていた。
自分は教室にほとんど居ないのだから、当然か。
「斜め後ろの席」
「って言ったら、分かるかな」
うみが転入してきてからずっと空席の奴のことなんて、覚えていないだろうな。
うみは、きょとんとした顔をするだろうか。
「仲村……さん?」
自信無さげに、小さく名を呼ばれた。
教室で一度も会ったことのないクラスメイトの名前を、うみは覚えていた。
こんな、こんな自分のことを。
”だから君は、こんなにも眩しくて“
そんな気持ちが切なくて、なんとなく微笑んだ。
そして立ち上がり、海の方を見る。
いま、心は決まった。
「仲村、はる」
言って、うみの方へ向く。
その眩しい心に、瞳に、誓うように、
「はるって、呼んで」
かけがえのないこの夏を、ここから始めよう。
はる編始まりました。
誰の前でも常に表情を変えないはるが、うみへの想いによって時々笑ったり。
決して口には出さない、はるの心の内を書くのが、結構好きだったりします。
感情を表に出さないはるだからこそ、うみの視点では見られない心の葛藤や隠し続ける気持ちを、拙いながらも丁寧に綴っていけたらと思います。
どうか、はるの想いを、優しく見守ってくだされば。
次話もよろしくお願い致します。




