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波、晴るる。  作者: 潮留 凪
10/48

10 憤怒と強欲の、夏



「はるって、呼んで」



 

「………はる」

 

ぼくは彼女を見つめたまま、思わずその名を口に出していた。

 

「ん?」

 

彼女は首を傾げ、ぼくをまっすぐに見た。

瞬間、見とれていた自分に恥ずかしくなり、慌てた。

 

「えっ、いやっその、呼んでみただけっていうか…!」

 

「ふふ」

 

そんなぼくを見て微笑むと、彼女は何も言わないまま給水塔の上に登った。

変な奴だと思われたんじゃないか、と怯え俯いていると、上から声がした。

 

「何してるの。隣、おいでよ」


恐る恐る顔を上げると給水塔の上で座り、陽の光に照らされた彼女が、優しく微笑んでいた。

揺れるポニーテールが、春風と共にゆるやかに穏やかに、時を刻んで。

 

「うん!」

 

ぼくは嬉しくなり、勢いよく梯子を登った。

 

その後、特に彼女と会話することは無く、ただ優しい陽だまりのなか、二人包まれた。


✱ ✱ ✱


 

それからのぼくは、昼休みになると毎日屋上へ通うようになった。

ぼくへのいじめは相変わらずだったけど、あの日を境に週に数回、彼女を授業中の教室で見かけるようになった。


彼女の中で、何かの区切りでも付いたのだろうか。

 

✱ ✱ ✱



一週間ほど、そんな日々が続いた。

 

ある雨の日の三時間目、たまたま授業中にトイレに行ったぼくは、目撃してしまった。

数学教師の仲村が、彼女の腕を強引に掴みながら体育館に入るところを。

 

"まさか"

 

三週間前のあの出来事が脳裏を過り、気づけばぼくは体育館裏に走っていた。

音を立てないようにそっと、少しだけ扉を開けて中の様子を覗いた。

 

そこではまたしても、彼女が殴られていた。


 

 "ぼくは、臆病者だ"


 

彼女が殴られているのを、ただ見ていることしか出来なかった。

そんな彼女を見ているのが辛くて、涙がこぼれそうになった。

けど、どれだけ暴言を吐かれても、彼女は一言も喋らなかった。

 

 "ぼくに何か、出来ることは"

 

耐え続ける彼女に、ぼくが泣いている場合じゃないと思った。

彼女の為に、何か。

なんでもいい、なにか出来ないか。

 

動揺する頭で、ぼくは必死に考えた。

ふと、制服のポケットに固いものを感じた。

 

 「これだ…」

 

小さくそう言うとぼくは、彼女の為に"それ"を行った。

 


✱ ✱ ✱


 

数分後、授業が終わる五分前になると、仲村は腕の時計を見ながら舌打ちをした。

 

 「次はねえぞクソガキ」

 

そう、捨て台詞を吐いて体育館を後にした。

残された彼女は、ポケットからハンカチを取りだし、鼻血を拭いていた。

 

ぼくは、彼女の為に今できる精一杯を尽くし、駆け寄りたい気持ちをぐっと抑え、音を立てないよう教室に戻った。

 

教室に戻ると、トイレと言ってサボったのか、と担任にこっぴどく叱られた。

いじめの主犯達にもその事を笑われたが、ぼくはただ彼女のことばかりを考えていた。



ぼくにできるたったひとつの"それ"を、強く握りしめた。

いつか彼女を救うのだと、その日密かに心に誓った。

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