ハットオル家の一大事3
アルは神妙な顔で話しはじめた。
「ナットを責めるつもりはまったくないけれどね……ジーク様がああも意地を張っているのは、ここに来た頃のナットの様子を忘れられないからだと思うよ」
「俺? ここに来たのは、七年前くらいだっけ。正直、そんなに覚えてないけど」
「ナットは9歳だったかな。お母さん、お母さんって泣き続けて、食べないし寝ないし、冗談じゃなく衰弱死してしまいそうだったんだよ」
「へ〜! ナットにもかわいい一面があったのね。マザコ……」
「うるさい!」
顔を真っ赤にして怒るナットに、リーズはくすりと笑みを返した。
「うそ、うそ。冗談よ。私だって、そうだったもん。パパとママが急にいなくなって、超怖い顔のお兄さんといきなり暮らせって言われてもねー」
「怖い顔のお兄さんって……」
エイミが聞くと、リーズはからからと笑った。
「もちろんジーク様よ! 昔は今よりずっと無愛想でさ、地獄の門番みたいだったんだから」
リーズは地獄の門番とやらの顔真似をしてみせる。困ったことに、結構ジークに似ている。エイミは笑いをこらえるのに苦労した。
「ジーク様はいつも言ってた。衣食住は満足させられても、家族の代わりにはなってやれないって。君達の家族がいつか迎えにきてくれるなら、それが一番だって。もちろん……難しいのはわかっているんだろうけど」
子供達は飢饉や震災、様々な事情で家族と離ればなれになった。もし生きていたとしても、再会できる可能性は低いだろう。
そう考えると、ナットとお祖父さんの再会は奇跡的だ。なにより、お祖父さんはナットを探し続けてくれていたのだ。
「それと、もうひとつ。ジーク様自身もね、両親と悲しい別れを経験してる」
「そうなんですか?」
エイミはジークの両親のことをあまり知らない。ふたりとも亡くなっいると聞いただけだ。
「ジーク様の両親はとても優しい、ジーク様にそっくりの人柄でね、仲のいい家族だったんだ」
アルがこの城に来たときには、まだジークの両親は健在だったそうだ。
「ご両親は病気かなにかで?」
「うん、7年前。ナットが来る少し前のことだよ。国中に流行した伝染病でね。ジーク様はそのとき戦場にいて、知らせを受けてもすぐには戻れなかったんだ。どうせ負け戦なんだから、ほっといて帰ってこいって僕は言ったんだけどね」
思い出してしまったのだろうか。アルの顔が苦しそうに歪んだ。
負け戦ならなおのこと、ジークは帰れなかっただろう。その状況で仲間を置いて行くなんて、絶対にできない人だ。
「で、結局間に合わなかった。戻ってきたときには、ふたりとも冷たくなってたよ。……ジーク様は自分が死ぬ覚悟はできていたんだ。戦場に行くんだからね。けど、大切な両親を失う覚悟はできてなかった」
「……初めて聞いた、そんな話」
ナットがぽつりとつぶやいた。
「まぁ、楽しい話じゃないしね。ジーク様が積極的に孤児の救済をはじめたのも、それからだった。だからさ、ナット。ジーク様の気持ちとしては」
「待ってくれ、アル」
その声に、みなが振り返った。
扉の前にジークが立っている。
「続きは、自分で言わせてくれ」
アルは頷いた。
「いいタイミングで帰宅されましたね」
「いや、実は少し前からいたんだが、出ていくタイミングがつかめなくてだな」
「そういうのは黙っとけばいいんです」
「そ、そうだな」
ジークは意を決したように、ナットに向き直った。
「ナット。俺はな、ナットのことが、その、えっと……」
ジークは頭をかいたり、視線をそらしたりして、なかなか本題に入ろうとしない。
「ジーク様、頑張って!」
エイミは思わず声をあげた。
「初めての告白みたいね?」
「烏ちゃんへのプロポーズより緊張してるんじゃないか?」
リーズとアルは完全に楽しんでいる様子だった。
「だー! なんだよ、はっきり言ってくれよ。出てけってんなら、出てくよ」
とうとうナットがきれた。
「違う! 出ていって欲しいなんて思ってない。俺はナットを……実の息子みたいなものだと思ってる」
「……そんな照れるほどの内容かしら?」
「ジーク様にとってはそうなんだろ」
「もうっ。すっごく大切な場面なんですから、ふたりは黙っててください」
こそこそと話している三人にナットの視線は冷たい。
「お前ら、三人とも黙っとけよ」
「「「はぁい」」」
「お前がこの城で一人前になって、巣立っていって、いつか奥さんと子供を連れて遊びにきてくれることを想像してた。俺が死ぬときには、ナットやリーズの子供達にも囲まれてって……そうなったら、どんなに幸せかと夢見てた」
ジークは懸命にナットに語りかける。
「……案外ベタな夢を見てたんだな」
「ちょっと重いわ。私、子供産むなんて決めてないし」
「は? 僕は子供は最低でも三人は欲し……」
「はい。ふたりともシーですよ」
エイミは両手でアルの口を塞ぐ。
ナットはもうこちらのことは無視することに決めたらしい。
「だったら、なんでっ」
泣き出しそうな顔でナットはジーク見た。ジークはとびきり優しい笑みで、それを受け止めた。
「たった今ティーザー伯爵に会ってきた。ナットに会えるまではって、ここから一番近い街に宿を取っているそうだ。アルの言う通り、ナットによく似た……優しい、素晴らしい人物だった。跡取り欲しさに急に言い出したわけじゃない。本当にずっとナットに会いたくて、探し続けてたんだ。娘さんの駆け落ちに反対したことをずっと悔やんでいたそうだ」
「そんなこと、急に言われたってさ……」
「ナットも、この城のみんなも、俺の大事な家族だ。誰ひとり欠けて欲しくなんてない。二度と会えないなんて考えたくもない。だからこそ、ティーザー伯爵の気持ちがわかる。彼がどれだけナットに会いたがっているか。会ってやってくれ、ナット。頼む」
ジークはナットの手を握り、頭を下げた。
「わ、わかったよ。会うよ」
「本当か?」
ジークの顔がぱっと輝いた。
「けど、どうするかは俺に決めさせてくれ。祖父さんに会って、自分で決めるから」
「あぁ、わかった」
その夜。寝室に入ってきたジークは無言のまま、エイミの横に座った。
エイミはくるりと向きを変えて、ジークを正面から見つめた。
彼の頭にそっと手を伸ばし、優しく撫でた。
「よく頑張りましたね、ジーク様」
「うむ」
ジークはそのまま、ぽすりとエイミに体重を預けた。エイミは彼の背中に手を回してぎゅっと抱きしめた。
「でも、ナットがお祖父さんにほだされてあちらで暮らすと言ったらどうします? 遠いんですよね」
スンナ地方はここからだと王都を挟んで、ちょうど真逆。かなりの距離があるとアルから聞いていた。
「……毎週一度は会いに行ったら、ダメだろうか?」
「うーん。ちょっと鬱陶しがられるかもしれないですけど……お供しますね!」
「エイミ。傷つけるようなことを言って済まなかったな」
「いいんです。かたーい絆ができるまで、頑張りますから! ジーク様が手放せないってなるまで、諦めません」
自分でも驚くほどに、たくましくなった。ジークの側にいるためなら、なんだってできるような気がするのだ。そんなエイミに、ジークはふっと微笑んだ。
「もうとっくに、手放せなくなってる」
翌日。ナットはひとりでお祖父さんに会いに行った。
「おかえり、ナット」
帰宅したナットを全員で出迎える。トマス爺のこしらえたご馳走を食べながら、ナットの出した結論を聞くことにした。
「まず……」
沈黙をやぶって、ナットが話し出した。
「祖父さんと俺、全然似てないじゃないか! 俺はあんなにしわくちゃじゃないぞ」
「歳が違うから、それは当たり前じゃあ」
エイミが言うが、ナットは首を振った。
「いや、俺のほうが断然整った顔をしてる。けどさ……俺を見たときの祖父さんの泣き笑いみたいな顔が、びっくりするほど母さんに似てた」
ナットの目にうっすらと涙が滲んだ。それを拭いながらナットは立ち上がると、ジークのほうに身体を向けた。ぴんと姿勢を正したナットは、驚くほど大人びて見えた。
「ジーク様。俺、継ぐことにしたよ、なんとか伯爵家」
「……そうか。しっかりな」
ジークの目からも涙が溢れた。ジークだけではない、エイミもアルも、みんなも同じだ。ナットとの別れを覚悟したからだ。
「あ。けどさ、俺、貴族のしきたり? とかなんも知らねぇし、今のままじゃ継がせらんないって言われちゃった」
「へ?」
「だからさ、ジーク様に教育してもらってこいって。なんとか伯爵家には、一人前になってから来いってさ。だから、まだしばらくは……世話になっていいかな?」
「……いいに決まってるじゃないか」
涙をこらえるのを諦めたジークの顔は、ぐしゃぐしゃだった。ぐしゃぐしゃの顔でジークが嬉しそうに笑う。
(うん。やっぱり、私の一番の幸せはジーク様の笑顔を見ることだわ)




