ハットオル家の一大事2
重苦しく、気づまりな時間が続いた。いつもの楽しいディナーとは大違いだ。
エイミは隣のジークをちらりと見た。怖い顔で、もくもくとフォークを口に運び続けている。
(言い方……言い方の問題だと思うのよね。ジーク様もナットも、言葉が少し足りないのよ)
エイミは珍しく自分がちょっと怒っていることに気がついた。だって、ナットがジークを大好きなのもジークがナットを大切にしているのも、傍から見れば丸わかりなのだ。それなのに、なぜそれを素直に伝えないのだろう。エイミには理解不能だ。
三つ子達の世話を終えて、エイミは夫婦の寝室へとつながる扉を開けた。家の中の微妙な空気を感じ取ったのか、今夜の三つ子達はなかなか寝つかなかった。そのせいで、いつもより一時間は遅い時刻だ。
(ジーク様、寝ちゃったかしら?)
ジークは起きていた。ベッドに腰掛けている後ろ姿が見える。その背中は、なんだかいつもよりずっと小さく、頼りなさげだ。
「……ジーク様?」
エイミが呼ぶと、ジークは振り返り微笑を浮かべた。
「三つ子は眠ったか? なんだか機嫌が悪そうだったな。手伝えなくて、すまない」
「いえ。それは全然構わないですが」
元々、子守りをするためにここに来たのだ。泣く赤子のひとりやふたりや三人、エイミにはなんてことはない。ただ、三つ子が泣いているのにジークが様子を見にこなかったことなんておそらく初めてで、それは気にかかった。
エイミは小さく息をはくと、ジークの隣に腰をおろす。
「ジーク様」
「うん?」
「私、ちょっと怒ってます」
上目遣いに彼を見やった。ジークは気まずそうに視線を外す。
「そうか。エイミもナットの味方……か」
「いいえ。私いつだってジーク様の味方ですよ。妻ですから」
エイミがきっぱりと言い切ると、ジークは少し驚いたようにこちらを見返す。エイミは続けた。
「なんで、ジーク様自身が望んでもいないことをナットに言っちゃうんですか? ナットがいなくなったら、一番寂しいのはジーク様のくせに」
「うっ」
エイミの言葉にジークはがくりと肩を落とした。いつもは頼りがいのある背中がどんどん小さくなっていく。
「だって、せっかく血の繋がった親族が見つかったんだ。家族は一緒にいるべきだと……俺は思う」
「ナットにとってはジーク様だって大切な家族ですよ!」
「俺より実の祖父のほうが大切だ」
「それはナットが決めることじゃないんですか?」
エイミとジークは睨みあった。しびれを切らしたのはエイミの方だ。
「ジーク様の頑固者! 血が繋がってないとダメなら……家族じゃないって言うなら、私もジーク様の家族にはなれないんですねっ」
エイミはジークに怒りをぶつけると、そのまま部屋を出て行った。
隣室では、暖かそうな羽布団にくるまった三つ子が仲良くすやすやと眠っている。エイミはそのベッドに寄りかかるように座った。
「いいですよ~。今日は三つ子達とここで寝ますから。……ちょっと寒いけど」
ひやりとした空気がエイミの肌をさす。エイミは寒さを少しでもやわらげようと、ぎゅっと身体を丸めた。三つ子の布団を奪うわけにはいかないし、いまさらジークのいる寝室に戻って毛布を取ってくるのもしゃくだった。
「平気、平気。貧乏育ちの本領発揮よ」
やはり貧乏育ちは強い。寒さもなんのそので、エイミはいつの間にか眠りについていた。
夢のなかは、ふわふわと暖かく、とても快適だった。
「キャッ、キャッ、キャー」
笑っているのはシェリンだろうか。マクシム?
(あぁ、違うな。三人とも起きてるみたい)
三つ子の楽しそうな笑い声で、エイミは目を覚ました。窓からは柔らかな朝の日が差し込んでいる。
「あら、あらら?」
冷たい床の上に座っていたはずなのに、エイミの身体の下にはふかふかの布団がしかれ、上には暖かな毛布がかけられていた。
エイミが眠った後で、ジークがわざわざ運んできてくれたのだろう。
エイミ自身を寝室に運ばなかったのは、出て行ったエイミの意思を尊重したのだろうか。
しばしの間、エイミは毛布に顔をうずめて、ジークのことを思った。
(ジーク様にも子供達にも、いつも笑っていて欲しい。願いはそれだけなのに……)
エイミは起き上がると、三つ子達におはようを言った。三つ子達の無垢な瞳がエイミをじっと見つめている。
「……あなた達のお父さんは優しすぎるんですね、きっと」
朝食のためにダイニングに行くと、アルがひとりで優雅にお茶を飲んでいた。
「おはようございます。あの……ジーク様は?」
「おはよ、烏ちゃん。ジーク様はさっき出かけて行ったよ」
「そうですか……」
「喧嘩したんだろ?」
ため息まじりにアルが言う。
「ジーク様がそう言ったのですか?」
あれは喧嘩というのだろうか。エイミが一方的に怒っただけのように思うが。
「えらく落ち込んでたから。ジーク様のご機嫌は烏ちゃん次第だから。我が主が、こんなにも女に振り回されるタイプだったとはね」
アルは呆れた顔で、肩をすくめた。
そういうアルだって、充分リーズに振り回されているのでは? とエイミは思ったが、口にはしなかった。
アルとまで喧嘩する元気はない。
「お茶、飲む?」
それはアルも同じだったようだ。珍しいことに、エイミにまでお茶をすすめてくれる。
エイミとアルは向かい合って、お茶をすすった。とっても珍しい光景だ。
「アル、聞いてもいいですか?」
「なにを?」
「ジーク様はなぜ、あんなに意固地になってるのでしょうか?」
「僕が答えを知ってると思う?」
アルは意地悪だ。エイミは唇を噛んだ。
「少なくとも……私よりはジーク様のことをわかっているかと」
「そりゃ、そうだ。なりゆきで妻になった君と、長い付き合いの僕を一緒にしないでくれ」
いつものアルの嫌味だったが、いまのエイミには結構こたえる。
そう、妻とはいっても所詮エイミは、ジークとは短い付き合いなのだ。血のつながりもないし、胸をはって家族だと言えるほどの絆はまだ築けていないかもしれない。
エイミはジークに恋をしているし、彼からの愛情も充分すぎるほどに受け取っている。
でも、血のつながりはそれよりずっと重いものだ。少なくとも、ジークにとっては。
ナットの気持ちがわかる。そう思っていたけれど、本当は少し違う。ただナットと自分を重ねてしまっているだけだ。
いつか自分も「帰っていいよ」そう言われてしまうのではないかと、不安になったのだ。
「お母さんとしてナットを守ってあげなきゃいけないのに……情けない」
思わずアルにこぼすと、彼に鼻で笑われた。
「ナットは烏ちゃんにお母さんになって欲しいとは思ってないだろうよ。ナットやリーズはそんなに子供
じゃない」
「でも……」
「お姉さん。そのくらいのポジションで見守ってやればいいんじゃないか。できもしない仕事を引き受けるのは、かえって迷惑だよ」
アルはいちいち辛口だが、言っていることは正しい。お母さんになろうとは、たしかにおこがましいのかも知れない。
「いや。姉ちゃんとも思ってねーけど」
「うん、私も。なんならエイミは妹分って感じだけど。ねぇ、アンジェラ?」
「私にとってはライバルだから。永遠に」
背中ごしに声が届いた。驚いて振り返ると、そこにはナットとリーズとアンジェラが立っていた。
「あはは。烏ちゃん、残念。姉としても力不足だってさ」
「そ、そんなぁ」
「ちょうどよかった。ナットと話をしたいと思ってたんだ。おいで」
アルはナットを呼び寄せたが、当然のようにリーズとアンジェラもついてきた。それならばと、エイミは三つ子達も連れてくることにした。




