困った訪問者4
「ふぎゃ……ふぎゃ……」
盛大に泣きわめいていたシェリンの声が段々と小さくなってきた。ここまでくれば、後は穏やかな寝息に変わるまで見守るだけだ。エイミはふぅと小さく息を吐いた。
(ジーク様、なんだか様子がおかしかったけど、どうしたのかな)
仕事上のトラブルでも発生したのだろうか。それとも、ゾーイがなにか失礼なことを? だが、年下の若者になにか言われたくらいでジークが機嫌を損ねるとも思えなかった。
自分がなにか怒らせるような言動をしてしまっただろうか。
あれこれ考えてみても、これと思い当たるものはなかった。
(明日の午後には出発だから、今夜は一緒にいたかったのになぁ)
堤防工事の期間中、ジークは城には戻ってこれない。今夜を逃せば、しばらくは二人でゆっくり過ごすこともできない。
三つ子の眠る部屋と夫婦の寝室は続き部屋になっている。エイミは三人がよく眠っているのを確認してから、奥の夫婦の寝室へ下がった。
少しだけ待ってみようか。
そう思い、エイミは眠らずにジークが戻るのを待っていた。だが、壁掛け時計の鐘が12時を告げても、彼は現れない。
ふわぁと、三回目の欠伸を噛み殺したところで、エイミは諦めてベッドに入り、目を閉じた。
(やっぱりお仕事でなにかあったのかな)
ジークのことを案じてはいたが、エイミも今日は早起きで働きずめだった。身体はすっかり疲れ切っていて、すぐに深い眠りが訪れた。
ガチャガチャという物音で、エイミははっと目を覚ました。一瞬、もう朝なのかと思ったけれど、すぐにそうではないと気がつく。バルコニーに面したガラス扉の向こうは、まだ夜の闇に包まれていた。
(変な音を聞いたような気がしたけれど、夢かしらね)
エイミは完全に目が覚めてしまう前に、もう一度眠りにつこうとした。が、淡い月明りに照らされたバルコニーで人影のようなものが動いたのを見つけてしまった。
エイミはベッドから抜け出し、おそるおそるバルコニーに近づいていく。
「……ジーク様?」
そんなわけないと思いつつも、愛する夫の名を呼んでみる。
(もしかして泥棒とか? だとしたら、私ひとりで近づいたら危ないんじゃ……)
すっかり目が覚めたエイミの思考回路が正常に戻ったところで、バルコニーの人影が大きく揺れた。
「ひいっ……」
悲鳴をあげそうになったが、
寸前でそれを飲み込んだ。窓にはりつく人影に見覚えがあったからだ。そして、彼はいかにも、こういう突拍子もないことをしでかしそうだった。
「もしかして、ゾーイなの?」
よくよく目をこらして見れば、間違いない。夜中に突然、バルコニーに現れたのはゾーイだった。
エイミは呆れて大きくため息をつくと、窓を少しだけ開けた。大きく開いて彼を招き入れるつもりはない。誰にも見つからないうちに早く帰れという言葉を伝えようとしただけだ。
「ゾーイ! なにを思いついたのか知らないけど、早く部屋に戻ってよ」
ゾーイを含む堤防工事のために集まった領民達には、きちんと部屋をあてがっているはずだ。
「いや、もう村に帰るんだ。こんな気味の悪い城に用はない。ただし、エイミも一緒だ」
やっと見つけた大切な居場所を気味の悪い城呼ばわりされたことにも腹が立つが、それ以上に最後の台詞はさっぱり意味がわからない。ゾーイとはとことん話が通じないようだ。
「なぜ私が帰るの? 今はここが私の家なのに」
村には二度と帰りたくない。とまでは言わないが、ここでの生活のほうがエイミにとってはずっとずっと幸せだった。なんといっても、こんな自分を好きだと言って大切にしてくれるジークがいるのだ。
「無理やりこんなところに連れてこられたんだろう。 俺と帰ろう。そして、結婚して幸せに暮らすんだ!」
エイミは絶句した。ゾーイは頭をどうかしてしまったんだろうか。つい先程、ジークと結婚したのだと話したばかりなのに。彼の耳はなんのためについているのか。
「いいから急げ! 今なら誰にも見つからずに城を出られる」
ゾーイは少しだけ開いていた窓を大きく開け放つと、ぐいとエイミの腕を引いた。
薄い夜着姿のエイミに秋の冷たい夜風が容赦なく吹きつける。
「さ、寒っ」
思わず顔をしかめたエイミにはまったく頓着せず、ゾーイはどこかうきうきしたような口調で言う。
「ほら、俺が支えててやるから下に降りよう」
ゾーイの視線の先にはバルコニーから垂らされた頑丈なロープが一本。どうやら彼はこれを命綱に壁を登ってきたらしい。
昼間の旅装のままのゾーイはなんとかなっても、夜着姿のエイミがロープを頼りに下に降りるなんて到底無理だろう。だが、ゾーイはそういったことには思慮が及ばない性質だった。
「えーっと」
どこからつっこんだらいいのか、エイミは言葉が出てこなかった。
そのとき、ふたりの後ろから、ゴホンゴホンというややわざとらしい咳払いが聞こえてきた。ふたり揃って、部屋の奥を振り向く。
「ジーク様! いつのまに!」
寝室の扉の前にジークが立っていた。ジークはゾーイに向かって話し出した。
「誰にも見つからずにと思うなら、もう少し物音を立てずにことを進めなければ。ガタガタと大きな音がするから、外をのぞいたらお前がこの部屋に向かって壁をよじのぼっているのが見えた」
ゾーイはバツが悪そうにちっと舌打ちして顔を背けた。
「それからな……」
ジークは言いながら、ゆっくりとふたりに近づいた。そして、ゾーイの前で立ち止まると、ジロリと彼を睨みつけた。その眼光の鋭さにゾーイは思わず縮み上がった。
「こんな不安定なロープにエイミを任せるな。なにかあったらどうするんだ!」
真っ先にエイミの身を案じるところは実にジークらしい。が、次に続く台詞はエイミにとってはショックとしか言いようがなかった。
「エイミを連れていくなら、こんな危険なマネをせず堂々と城門を通っていけ。馬も防寒着も必要なものは全て用意してやるから」
エイミはジークの言葉に頭が真っ白になった。
(連れていく? ゾーイが私を? ジーク様、止めてくれないの?)
疑問符ばかりが頭に浮かぶ。
「いいのか?」
「エイミがそれを望むなら……」
エイミを無視して、ゾーイとジークはふたりで話を進めている。
「そっか。あんた、見かけによらずいい奴なんだな」
ゾーイはへらへらと笑っている。ジークは少し傷ついたような寂しげな微笑を浮かべていた。
(なに、勝手なこと言ってへらへら笑ってるわけ? で、ジーク様もなに悲しそうな顔してるのよ。泣きたいのはこっちの方なんですけど!)
エイミの中でなにかがプツンと弾けた。キレたというやつだろう。諦めてばかりの彼女の人生で、初めての出来事だったかも知れない。
「……望むならって、私、そんなこと、ひとっことも言ってないんですけど!!」
エイミ自身も驚くほどに大きな声が出た。怒りで肩がワナワナと震えている。
「ジーク様! 私、ゾーイと一緒に帰りたいなんて、言いましたか? いつ、どこで、言いました?」
エイミのすさまじい剣幕に、ジークはオロオロするばかりだ。
「私の望みを勝手に決めないでください!」
ジークに怒鳴りつけたあと、エイミはゾーイを振り返る。ゾーイもジークと同様にオロオロと視線を彷徨わせた。
「ゾーイも! なにを思いついたのか知らないけど、自分勝手に話を進めないで。私は自分の意志でジーク様と結婚して、ここにいるの!」
エイミは叫んだ。
「すっごい、すっごい幸せなんだから。邪魔しないでよ〜」
翌朝。エイミは寝不足の目をこすりながら、堤防工事に出かけるジークと領民達を見送るはめになった。
結局、ゾーイの思いこみによる暴走だったことがあっさりと判明し、エイミとジークの夫婦関係はこれまで通り維持されることになったのだが……。
「エ、エイミ」
ぶすっと口をへの字に結んでいるエイミに、ゾーイは声をかけた。だが、エイミは答えない。ゾーイは焦った。
「わ、悪かったよ。ごめんなさい! けど、俺の気持ちもわかってくれよ。好きだった女が急にいなくなってて、探しにきてみたら知らない男と結婚とかしてて……それに、俺、エイミも俺のこと好きなのかと」
エイミはギロリとゾーイを睨む。
「わっ、ごめんなさい。なんでもないです」
別に殴ったりする気はないのに、なぜか頭を庇っているゾーイを見て、エイミはふっと表情を緩めた。
「もういいよ。ゾーイの気持ちは全然知らなかったし、私は全然好きじゃなかったけど……」
すべてを全否定されてゾーイはがくりと肩を落した。
「けど、私なんかを思ってくれてる人がいたなんて知らなかった。それ自体ははすごく嬉しい」
村にいた頃の自分は、自信がなくて、いつも俯いてばかりいた気がする。その頃の自分に教えてあげたいくらいだ。
「だから、ありがとう、ゾーイ。堤防工事、しっかり頑張ってきてね」
エイミは笑って、ゾーイを送り出した。ゾーイはちょっと涙目になりながら、「おう」と元気よく答えた。
エイミは最後にジークの元へ向かった。ジークはもう馬に跨がっていたが、エイミに気がつくとすぐに降りて駆けつけてきてくれた。
「私、怒ってますからね」
エイミはぷぅと、頬を膨らませた。
「すまない。許してくれるまで、何度でも謝る」
ジークは心底済まなそうに、頭を下げた。
「こんなにもジーク様を大好きな気持ちが、ちっとも伝わってなかったなんて、悲しすぎます」
「う、いや、その……」
「だから、早く帰ってきてくださいね! 帰ってきたら、私のジーク様への気持ち、飽きるまで聞いてもらいますから」
エイミのその言葉に、ジークはほっとして頬を緩める。
「うん、すぐ戻る」
「はい、待ってますね!」
ジークは少し迷う素振りを見せてから、エイミの頬にそっと唇を寄せた。そしてささやく。
「……エイミは怒った顔も可愛いな」
ゾーイ編、完結です。
そして、ごめんなさい!ちょっと仕事がたてこんでまして、更新が滞りそうです。
気長に待っていてもらえたら、ありがたいです。




