困った訪問者2
濃灰色の曇天に向かってそびえ立つ、堅牢な城を前にして、領民達は一様にがくりと肩を落とした。
残虐な悪魔が住まうにふさわしい、おどろおどろしい城だと誰もが感じていた。
「はぁ……俺の人生もここで終わりか。もうすぐ子供が生まれるっていうのになぁ」
「せ、せめて楽に逝かせて欲しい」
「いや、でも俺らがここで死んだら誰が堤防工事をするんだ? 案外、見逃してもらえるのかも」
誰かの前向きな意見は、別の誰かに否定される。
「馬鹿か! 俺らみたいな平民はいくらでも補充がきくんだよ。牛馬と一緒さ」
その一言には説得力があった。一瞬にして、場ががしんと静まり返る。まるで葬式のようだ。みなが暗い顔で、むっつりと黙り込んでいる。
そんななかで、空気を読まない男がひとり。ゾーイだ。
「よっしゃっ! いま、助けに行くからな~。待ってろよ、エイミ」
とらわれのお姫様を助けに行く勇者に、彼はすっかりなりきっていた。シチュエーションに酔っているだけとも言える。当のお姫様が助けを求めているかどうかなんて、いまのゾーイには些事でしかない。
「さぁ、どうぞ。中で、ハットオル公爵がお待ちです」
アルが城門を開け、領民達を城の中へと誘導する。
ゾーイは横目でちらりとアルを見ると、ふんと鼻を鳴らした。
(ものすごい美形だけど……俺だって負けてない! いや、俺のほうが品の良さとか器の大きさとか、そういうものがにじみ出てるはずだ)
気を取り直したゾーイが顔を上げると、目の前には見上げるほどの背丈の男が、仁王立ちでこちらを睥睨していた。その眼光は鋭く、周囲の男達はみな縮み上がってしまい、金魚のように口をパクパクとさせている。大男の筋骨隆々たる身体を前にして、ゾーイは思わず自身のひょろひょろと生白い腕を背中に隠した。
(お、男の価値は腕力じゃないぜ!)
財力も地位も身分も、足元にも及ばぬことには気がついていない。
「ジーク様。笑顔、笑顔」
むっつりと黙りこくったまま領民達を睨みつけているジークに、アルが小声で囁いた。ジークははっとした
ように頷き、ゆっくりと口角を上げた。人見知りな彼なりの精一杯の笑顔だったが、領民達には悪魔が舌なめずりをしたようにしか見えない。「ひっ」という小さな悲鳴があちこちから聞こえた。
アルは腹を抱えて笑いをこらえている。
「ほら、ご挨拶も!」
「あ~、え~。夕食を用意した。食べていけ」
ジークはぶっきらぼうにそれだけ言うと、ぷいと背を向けてしまった。仕方なくアルがフォローを入れる。
「堤防工事はノービルド領の人々の命を守る重要な仕事です。重労働でもありますから、しっかりと腹ごしらえして英気を養ってください。と、いうようなことを領主は言いたかったんですよ。さ、食堂へどうぞ」
アルがみなを食堂へと誘導した。ふわふわとただよってくる美味しそうな匂いにつられて、食堂へと向かう者もいたが、遠慮なのか警戒なのかその場から動けない者も多数いた。アルは彼らに、にこりと微笑んで見せる。
「心配しなくとも、毒など入っていませんよ。考えてみてください、私たちがあなた方のために高価な食材を毒で無駄にする必要がどこにあるんですか」
アルらしい上から目線の失礼な発言だったが、領民達の納得は得られたらしい。彼らはおずおずと食堂に足を踏み入れた。まぁ、どうせ殺されるなら毒入りのご馳走でも構わないからたらふく食べてやろうと思っただけかも知れないが。
ゾーイはといえば……一目散に食堂に飛び込んで、エイミを探していた。彼女はすぐに見つかった。エイミはトマス爺を手伝って、料理の配膳に忙しく動き回っているところだった。
「エイ……」
ゾーイが片手をあげてエイミに声をかけようとすると、彼女のほうが先にこちらに向かって笑顔を見せた。
ニコニコと満面の笑みで手を振ってくれている。
(エイミ! やっぱり俺の助けを待っていたのか)
ゾーイは感動で泣きそうになった。それに、しばらく会わない間にエイミは驚くほど美しく変貌していた。
ガリガリだった身体は女性らしい肉付きに変わり、荒れ放題であちこち傷だらけだった肌は白く滑らかに生まれ変わっていた。散々気味が悪いと言われていた黒髪でさえも、こうして美しく整えられていると、つややかで神秘的なように見えてくる。
「エイミ!」
感動の再会を期待したゾーイだったが、それは勝手な思い込みであったようだ。
「ジーク様!」
エイミはゾーイを素通りして、すぐ後ろに立っていたジークのもとへ駆け寄った。
「準備は終わったか?」
「はい。いつでも食事が始められます」
「そうか、では冷めないうちにみなに食べてもらおうか」
ゾーイは後ろを振り返り、楽しげに会話する二人の様子を観察した。
(領主だかなんだか知らないけどエイミに偉そうに命令するな。あぁ、すっかり怯えてるじゃないか)
いつものごとく、ジークの笑顔にキュンとなったエイミが頬を染めて俯くという状況だったのだが……勇者フィルターのかかったゾーイの目には悪者に脅されて怯えているという風に映ったらしい。
ゾーイが今度こそエイミに声をかけようと意気込んだところで、邪魔が入った。
「ほら、ほら。さっさと席につけ。あの綺麗な兄ちゃんが睨んでるぞ」
領民達の間でいつの間にかリーダー格におさまっていた青年に急き立てられ、ゾーイはエイミから遠ざけられてしまった。気がつけば、彼以外はみな大人しく席に座っていた。
ゾーイが席につくと、すぐに晩餐会が始まった。
「う、うまい!」
「もう死んでも悔いはないぞ」
「酒だ! 酒をもう一杯!」
トマス爺のこしらえた料理はどれも
絶品だ。さっきまであんなに怯えていた男達も、あっという間に笑顔になってしまった。
「みんな嬉しそうですね。おもてなし、大成功です」
エイミはジークにささやいた。ジークは満足そうに、うむと頷いた。
「あぁ。そういえばな、さっきアルに名簿を見せてもらったんだが、この中にエイミの村の者がいるそうだ」
「えぇ? 本当ですか?」
エイミは領民達をぐるりと見回した。全部で5、60名くらいだろうか。見知った顔はいない気がするが、エイミの座る上手側の席からだと、入口近くの席はよく見えない。あのあたりにいるのだろうか。
「う〜ん。狭い村なので、顔を見れば絶対わかるはずなんですけど」
「では、せっかくだから自己紹介でもしてもらうか。俺にとっても、しばらく一緒に働く仲間となるわけだしな」
「ん? 堤防工事ってジーク様も一緒に行くんですか?」
「むろん」
ジークは当然だろうという顔をする。貴族が土木作業だなんて聞いたこともないが、なんともジークらしいなとエイミは笑ってしまった。が、次の瞬間には顔を青くして肩を落とした。
「あぁ。でも、堤防工事って危険もともなうんですよね。もしジーク様になにかあったら……」
「心配ない。必ず無事に戻ってくる。エイミや子供達を置いてはいけないからな」
「ジーク様!」
ふたりは互いに見つめ合い、すっかり自分達の世界に入り込んでしまった。
「あ〜、うざっ。鬱陶しくて飯が不味くなるんで、そういうのは後で寝室ででもやってください」
アルが頭の上でしっしっと手を振り、ふたりの世界を払いのける。
「自己紹介なんて、ジーク様にしちゃまともな思いつきで悪くないですよ。僕らはさっきしましたから、まずは烏ちゃんと子供達からにしましょ」
アルに促され、エイミは一番手で自己紹介をするはめになった。これまで大勢の前で話をする経験なんて皆無だったものだから、緊張で顔も声もガチガチに強張った。
「あの、えっと……ジーク様のつ、つ、つ、妻のエイミです」
それだけ言うのが精一杯だった。もう勘弁してと思いながら、エイミが椅子に座ろうとした瞬間、入口近くの席にいた誰かが立ち上がり大声を上げた。
「つ、つ、つ、妻ぁ〜?」
全員に自己紹介をしてもらうまでもなく、あっさりと同郷の人間は見つかった。
叫んだ男はエイミの良く知る、懐かしい人物だった。
「わ、わ、わ! ゾーイなの?」
もう少しで物語自体も完結しそうです!




