結婚式の夜は
ゾフィー婆やを先頭に、アル、リーズ、キャロルはジークの寝室の前で聞き耳をたてていた。
「大丈夫なんだろうね、あのふたりは」
「そんなに心配しなくても、きっと大丈夫よ。お婆ちゃん」
孫娘になだめられてもまだ、ゾフィー婆やは落ち着きなくソワソワと扉の前を行き来している。
「甘いわ、キャロルさん。あのジーク様よ。今夜はなーんにも起きやしないことに、私は夕食一週間分賭けてもいい!」
「じゃ、僕は二週間分を賭ける」
「よし。キャロルさんはなにかある方に賭けるってことでいいのね?」
リーズにすごまれて、キャロルは迷った。
「えっとぉ……やっぱり私もなにも起きない方に」
「それじゃ、賭けにならないじゃない!」
「というか、リーズちゃんには
こういう話はまだ早くないかしら〜」
扉の向こうでそんな騒ぎが繰り広げられていることなど、もちろんジークとエイミは知る由もなかった。
「疲れただろう?」
ジークはソファに腰かけるエイミに温かいお茶を手渡し、自分もとなりに腰をおろした。
「いいえ。楽しかったです。トマスさんの用意してくれた食事も素晴らしかったですし、ヒースさんのお話もとっても楽しくて」
招待客をまじえての宴はとても賑やかで、楽しいものだった。特に、王都に屋敷を構えているというヒースの話は田舎育ちのエイミには興味深かった。
「王都に興味があるなら、今度俺が行くときに一緒に行ってみるか?」
「え? いいのですか?」
ジークがなんの気なしに言った言葉に、エイミはぱっと顔を輝かせた。
エイミは『ジークと一緒に』という言葉が嬉しかっただけなのだが……ジークはなにやら勘違いしたようだ。
申し訳なさそうに、しょんぼりと言った。
「そうだよな……こんな辺鄙な城に籠もりきりじゃ退屈だよな。俺はそういうところに気が効かなくて、すまん」
「いいえ、全然! ちっとも退屈なんかじゃありません。私はこの城での生活がとても楽しくて、幸せいっぱいです!」
力いっぱいのエイミの反論に、ジークはたじろいだ。
「そ、そうか。ならよかったが」
エイミは恥じらいながらも、勇気を出して口を開いた。
「いまのはですね……その……王都に行くことじゃなくて、ジーク様が一緒にと誘ってくれたことが……それが嬉しかったのです」
エイミの赤面が伝染したかのように、ジークも頬を赤くした。
「そ、そうか」
「はい、そうなのです」
「で、では、近いうちに一緒に行こう」
「はい!」
エイミは嬉しくてたまらなかった。
ジークと一緒に、賑やかな街を歩いているところを想像してみる。
(わ〜。そんなの、絶対に楽しいに決まってるわ)
勝手に頬が緩んでにやけてしまうのを、どうしても止められない。
ジークもジークで、そんなエイミの様子を幸せそうに眺めていた。
「あっ」
エイミが、はたと声をあげる。
「どうした?」
エイミは自身の指にはめられた指輪を慎重な手つきで外すと、ジークに差し出した。
「これ、ありがとうございました! 私、指輪の交換なんて考えてもいなかったです。ジーク様に助け舟を出してもらえなかったら、どうなっていたか」
ジークはぽかんと口を開けたまま、エイミを見返した。
そして、ようやく理解した。彼女は指輪を返却しようとしているのだ。
「あのな、エイミ。これはあの場を取り繕うために貸したわけではなくてだな……お前に受け取って欲しくて、用意したものだ。つまり、俺からのプレゼントだ」
「……。え、えぇ!?」
「受け取ってくれないか?」
「いや、だってこれ、宝石ですよね? 宝石って、宝石ですよ! ものすごーく、高級だって……村長だって一生かかっても、とても買えないって言ってましたし」
エイミの脳みそがフル稼働で、宝石に関する乏しい知識をかき集めてくる。
(村で一番お金持ちだった村長ですら手が届かないものを、私なんかが……ない、ない、ありえないよ!)
「そ、それに似合わないですよ。こういうのは、上流階級の方々が身につけるものでしょうし」
ジークはエイミの手を取ると、もう一度指輪をはめ直した。そして、満足気に微笑んだ。
「いいや。思った通り、よく似合っている」
「えぇ〜」
「それに、これはお前が俺の妻だという証でもある。俺のためだと思って、いつも身につけておいてくれ」
ジークのため。そう言われれば、エイミは否とは言えない。
「……バチが」
「うん?」
「バチがあたる気がします。ジーク様のような素敵な方と結婚できただけで分不相応なのに、結婚式やドレスや指輪や、きっと一生分の運を使い果たしました」
(そもそもついてないことだけが特徴だったような私に、こんな奇跡のような幸運が訪れるなんて、なにかの間違いかも知れない)
そんなことを考えていたエイミに、ジークはまた優しい言葉をくれた。
「では、エイミにあたるバチの半分は俺が引き受けるし、俺に残っている幸運の半分をエイミにあげよう」
ジークの笑顔が眩しすぎて、直視できない。
「……ジーク様はいい人過ぎます」
こんな素敵な男性、やはり自分には分不相応だとエイミは改めて思った。
「でも、夫婦とはそういうものだろう。幸運も不運も分け合いながら、これから共に生きていくのだ」
ジークはそう言って、エイミを見つめた。彼の青灰色の瞳が、静かな情熱をもって、エイミをとらえた。ジークの肩越しに見える大きなベッドが、急に存在感を増したような気がする。
(あれ? 結婚したということは今日から私もこの部屋で暮らすの? いやいや、先走り過ぎかな?)
公爵家の夫婦関係の『普通』なんて、エイミにはわからなかった。
わからないのなら、ジークに従うのみだ。彼女がそう覚悟を決めた瞬間、ジークがソファから立ちあがった。エイミは思わず、びくりと身体を震わせた。
「どうした? 大丈夫か?」
「は、はい。大丈夫です」
エイミは彼の顔を見ずに答える。
ジークは彼女に気づかれないよう、そっと小さく息を吐いた。
「もう部屋に下がっていいぞ」
「え?」
弾かれたように顔をあげたエイミに、ジークは優しく笑いかける。
「朝からずっと忙しかったからな。ゆっくり休め」
(そうなのか……。うん、そうだよね。たしかに朝から色々忙しかったし、ジーク様だって疲れているはず……)
「はい、お気遣いありがとうございます」
エイミはそう言って、彼に微笑み返した。……つもりだったのだが、なんだか上手に笑えなかった。
「おやすみ」
ジークに見送られながら、エイミは部屋を後にする。
ジークの部屋を出てすぐ、アルやリーズと遭遇した。どう考えても不自然な遭遇であるし、みんな挙動不審なのだが、エイミは全く気がつかない。というより、周りを気にするような心の余裕がなかった。
「おや、烏ちゃん。どうしたのさ?」
「そうね、ジーク様は一緒じゃないの?」
エイミはまた、ぎこちない笑顔を作った。
「えっと、部屋に戻っていいと言われたので、戻りますね。それじゃ、おやすみなさい」
エイミはみんなと目を合わさずに、早口で言うと、そそくさと逃げるように自分の部屋へと向かった。
これ以上話しかけられるのが、ひどく億劫だった。
なぜみんなにそんな態度を取ってしまったのか、自分でもよくわからない。ジークは疲れただろうと、エイミを気遣ってくれたのだ。感謝し、喜ぶべきところなのに。なぜ、心にぽっかりと穴が開いたような気持ちになるのだろう。
ひとりきりの部屋に、ゾフィー婆や特製の甘ったるい香油の香りが充満している。
(せっかく塗ってもらったのになぁ)
寂しいような、虚しいような、よくわからない気分だった。
この不可解な感情に振り回されたせいで、エイミは一睡もできぬままに朝を迎えた。
意外と肝のすわっているエイミとへたれなジークのお話でした。




