ついてない日々
ほのぼの新婚ものです!
ついていない。
そんなさらりとした表現では、とても言い表せないほどに、彼女の人生はとことんついていなかった。
一体、なにが悪かったのだろうか。
21年の短い生涯を走馬灯のように思い返しながら、エイミは考えた。
まず第一は、生まれ落ちた場所だろうか。
エイミは帝国の北の辺境地、ノービルド領内の貧しい村に生まれた。下に4人の弟と5人の妹を持つ長女だった。貧しい村のなかでも特別に貧しい両親を手伝って、農作業と家事、子守りに追われる毎日で、学校に行くことさえできなかった。もちろん恋なんて、夢のまた夢だ。
両親に優しい言葉をかけられた記憶もないが、貧しさ故に余裕がなかったのだろう。仕方のないことだと、エイミはなかば諦めていた。
唯一の希望は、適齢期になれば村の誰かと結婚し、子どもを産み新しい家族を作ることができる。物語のような大恋愛のすえに結ばれるわけではないけれど、夫となる人と仲睦まじく暮らせるのでは……。貧しくとも、可愛い子どもをもうけることができるのでは……。
そんな淡い期待をエイミは抱いていた。
だが、ここでエイミに第二の不幸がおとずれる。村の男の数だ。エイミが結婚適齢期となる17歳を迎えた年、村は大規模な水害に襲われた。
橋の補修工事に駆り出された若い男達が何人もこの水害で命を落としたのだ。
村は突然、女余りになった。そして、エイミはおおかたの予想通り、余ってしまった。
やむを得ないと、両親は50過ぎの妻に先立たれた男性にエイミをもらってくれるよう頼んだのだが……なんと、彼からも断られてしまったのだ。
結局エイミは適齢期をとうに越えた21歳になっても嫁に行くあてもなく、実家で厄介者扱いされながら過ごしていた。先に嫁に行く妹たちを笑顔で見送りながら。
そして、第三の不幸はつい先日、ノービルド領の領主からの使者が運んできた。
エイミ達村人にとって、領主というものは雲の上の存在だ。その使者ともなれば、まるで神様のようなものだ。神様の命令は絶対だ。
神様いわく
『ノービルド領主、ハットオル公爵が下働きの女中を探している。人材を差し出せ』とのことだった。
この手の募集は時々あることだった。いわゆる人買いが村にくることもある。貧しい村にとっては、提示される金額は飛びつきたくなるようなもので、希望が殺到する場合もある。もちろん、売られた娘がその後幸せにしているかどうかは誰も知らない。が、残された家族はそれなりの幸せを手にできるのだ。
今回もさすがは領主といった金額が提示されていた。とはいえ、あくまでも田舎の農民であるエイミ達にとっては高額というだけで、それが適正価格なのかどうかはわからないが。
それでも、今回ばかりは手を挙げるものはいなかった。というのも、ノービルドの領主は残虐公爵と呼ばれていて、すこぶる評判が悪いからだ。
なんでも、領内から美しい女をさらってきては子どもを産ませる。だが、女も子どもも、飽きてしまうと殺すか捨てるかのやりたい放題なのだそうだ。
村の皆も、大金と引換とはいえ、さすがに殺されるために娘を差し出すほど非情にはなれないのだろう。
だが、繰り返すが、神様の命令は絶対なのだ。差し出せと言われたら、差し出さねばならない。
「あの、下働きならば、その〜、容姿を問われるわけではないですよね?」
村長がおずおずとそう口にした時から、エイミは嫌な予感がしていた。
そして、見事に予感は的中した。
村内会議の結果、生贄はエイミに決まったのだ。
両親はなぜかずっとヘラヘラと笑っていた。そのくせ、エイミとは決して目を合わせようとしない。
「ほら。ミアは今年で16歳になるでしょ。ぜひ嫁にとあちこちから声がかかってるの。アイリーンはまだ子どもだけど、皆が村一番の美貌だって。村長の息子の嫁も夢じゃないって」
母親は残るふたりの妹がいかに価値があるかを語った。
「昨年の飢饉で、村長に多額の借金をしちまってる……逆らったら、どうなるかわからない」
父親は自身の弱い立場を力説した。
そして、ふたりで示し合わせたように同じセリフを口にする。
「やっぱりお前の見た目がね……。村に残ってたって、嫁にも行けない。皆がそう言うんだ」
エイミは両親に、にこりと微笑んでみせた。
「そうよね。ミアやアイリーンを行かせるわけにはいかないもの。私が行くのが一番だわ。心配しないで、家事は得意だもの。下働きなら、きっとうまくやれるわ」
両親はそろって、ほっとしたように息をついた。
「うんうん。エイミは本当にいい子ね」
「あぁ。さすがはお姉ちゃんだな」
(そうね。私はずっといい子だった。……都合のいい子で、どうでもいい子。どうなっても構わない子)
その瞬間から出発の日まで、エイミは笑顔に似たなにかを常時、顔にはりつけていたのだけれど、両親はちっとも気がつかなかった。
妹達や村の誰かに悲しい思いをさせるくらいなら、行くのは自分でいい。それはエイミの本心からの言葉だった。
ただ…ただ、ひとことでいい。
「辛い思いをさせて、ごめんね」
両親からのそんな言葉を、エイミは待っていた。そして、最後に思いきり抱きしめてほしかった。
だが結局、願いは叶うことなく、エイミは村を出て、領主の住む城へと向かうことになった。
領主の城はエイミの村よりさらに北、ツィンガ連峰のふもとにあった。偉い人が住む場所としては、ずいぶん辺鄙なところだと思ったが、偉い人の考えることなどエイミにはわからない。深い事情があるのかも知れないし、なんの意図もないのかも知れない。
城までは、エイミの村を含むノービルド領内北部を管轄する役人が案内してくれた。きっと村長よりは偉いのだろうが、言動は粗野で、あまり賢そうには見えない男達だった。
ツィンガ連峰に近づくにつれ、道は険しくなり、デコボコ道が続いたが、領主が用意してくれたという馬車は今まで見たことないほどに豪華で、乗り心地も快適だった。
下働きの女中ごときにこのような馬車を出せるのだから、やっぱり領主は雲の上の存在だと、エイミは改めて感心したものだ。
夜もかなり更けた頃、ようやく到着した領主の城は、お城というより要塞といったほうがしっくりくる佇まいをしていた。
大きく、立派な建物なのだが、華やかな装飾などは一切なく、質実剛健を体現しているようだった。それに、領主の住む城のまわりには街があり、人がたくさんいて、賑やかなのものかとエイミは思っていたが、そんなことは全くなかった。街からはかなり離れており、静かで、城のまわりはぐるりと険しい山々に囲まれている。
あたりには蝙蝠が飛び交っていて、残虐公爵の城にふさわしい、おどろおどろしい雰囲気がよく出ている。
役人は、エイミを城の城門付近にある小さな小屋に放り込んだ。
すぐ隣に厩舎があるから、厩番の詰所のようなところなのだろうか。
役人いわく、「夜更けに領主をたたきおこすわけにはいかないから、今夜はここで寝ろ。顔見せは明日だ」とのことで、エイミは黙ってうなずいた。
だが、役人の男達は小屋から出て行こうとしない。領主の下働きと役人、どちらの立場が上かといえば、きっと役人なのだろう。つまり、彼らはエイミに遠慮して出ていく必要はないのだ。一晩くらい彼らと雑魚寝をしても、なにも問題ではない。
そう思って、エイミが硬い床に横になろうとした瞬間、彼らが不穏な動きを見せた。
これが現在、エイミが直面している新たな不幸だ。
「かわいそうなんじゃないか〜。ちょっと歳食ってるけど、未婚だって話じゃないか」
「どうせ、残虐公爵に好き放題にされて捨てられる運命だ。傷がひとつやふたつ増えても構わんだろ」
『私は構います!』
そう主張したかったが、驚きと恐怖で声が出なかった。
どうせ殺される運命なのかもしれないが、痛い思いや嫌な思いは少ないほうがいい。傷がふたつよりは、ひとつのほうがマシというものだ。
「けどなぁ……その女の髪と瞳、気持ち悪いったらないよ。触ったら、呪われそうじゃないか」
「あぁ。たしかにな……おかしな容姿も一興かと思ってたが、近くで見ると本当に気味が悪いや」
エイミの髪と瞳。烏や蝙蝠と同じ、漆黒だ。この国において、黒は忌み嫌われる色だ。黒は夜の闇を連想するからだ。太陽のある昼間は女神ルイーサの加護をえられるが、夜は魔物が支配する時間。そう信じられている。黒い服を身につけるのは、死罪を言い渡された罪人のみだ。
この国でエイミのような黒髪は非常に珍しい。金髪碧眼が美女の条件とされ、国民の大半は金に輝く髪を持つ。ついで多いのが、赤茶色や銀髪だ。エイミは自分以外に黒髪を持つ者を知らない。
おそらく、エイミの不幸の最大の原因は、この黒髪と黒い瞳にある。
結婚相手が見つからなかったのも、両親や村の皆から疎まれていたのも、この髪と瞳のせいだった。
そんな諸悪の根源であった自身の容姿に、エイミは初めて感謝した。
男達が怯んでいるからだ。
「うーん。でもまぁ、味見くらいなら。ものはためしって言うしな」
エイミの願いも虚しく、男が無駄な勇気を出して、エイミの長い髪に触れた。
なぜ忌み嫌われる黒髪を伸ばしているのかというと……切ってくれる人がいなかったからだ。誰も触りたがらないから、自分で切るしかなかった。自分で短く切り揃えるのは、難しいのだ。
接近してくる男から酒と汗の混ざったよう匂いがして、エイミは思わず後ずさる。ちょうどその時だ。小屋の扉がガンと蹴破られた。
「おいっ。金は払い終わってるんだ。それは領主の持ち物だぞ。お前ごときが触っていいと思ってんのか?」
プラチナブロンドにエメラルドグリーンの涼しげな瞳。まさにこの国の美女の条件にぴたりと当てはまる、繊細な美貌を持つ青年が颯爽と登場し、エイミのピンチを救ってくれたのだった。