表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつか君と...  作者: Saihig
7/7

#7

才機が目を覚めたら真っ白な狭い部屋にいた。そこには何もなくて、窓や扉すらない。才機は自分の手を顔の前に上げた。

「能力なら使えないよ」とどこからウェバーの声がした。

音からすればどこかのスピーカーが発生源だ。そして彼が言った通り能力は使えなかった。

「安心して。能力が永久的に消えた訳ではない。いや、永久的に消えた方が安心出来るかな。でもそんな事が出来たら実験する必要もないしね。まぁ、完全に不要にはならないが」

「他の皆はどうした?」と才機が聞いた。

「あぁ、昨夜はよくここまで侵入出来たもんね。何の目的でここへ?」

「···」

「黙りか。ま、言いたくなければいいんだけど。私が本当に興味を持っているのは別にあるからね。で、さっきの質問だけど、異形者ではない方の女の子ならあなたが思っているより近くにいる。あれは素晴らしい能力を持っている」

「海に何かしたのか?」と才機は今に切れそうな口調で言った。

「ここはどこだ思っている?実験に決まっている。あなたは今なぜ能力を使えないか説明してあげよう。三週間ほど前にリベリオンという暴力団は帝国軍によって解散された事を知っていた?その集団に属していた異能者は全員ここへ連行されたんだ。その異能者はどんな能力を持っているか、それをどうにか利用出来ないかあれこれ調べていました。検体が多くて様々だから色々分かりそうだった。ただ、可笑しかったのはレベリオンのリーダーが能力を持っていなかったようだった。でも異能者の集団のリーダーともあろうものが異能者ではないはずがなかろう。いくら説得しようとしても本人は自分から教えてくれないし、ああやって協力する気を示さない場合はショック療法などで強制的に能力を誘発するか喋りたくなるようにするが、彼には全く効果なかった。そう思っていたが効果はちゃんとあったんだ。私達はそれに気付かなかっただけだ。ある日、偶々近くで他の異能者の実験を同時に行っていたら分かったんだ。彼は他の異能者の能力を影響する力を持っていた。彼一人で実験した時に何の効果が見られなかった訳だ。彼はどうやって異能者に影響を与えるか知っているか?音波だ!彼は人間では感知出来ない音波を発する事が出来る。私達はそれを解読して再現出来るのに成功した。その音波の周波数を増やしたり減らしたりする事で効能を変化する事も可能。超収縮したものなら一回晒されるだけで二十分ほど能力を使えなくなる。その際は頭の中で微小な痛みが伴うらしいけど。更に、最近新しく知ったのはその音波を逆再生すれば、異能者の能力は強まる。但し、異形者にはあまり効果がないようだ。と、最初はそう思ったが実は異形者にも効果を現す方法があるんだよ!出力の問題だ。ただ、こちらが幾ら増幅しても足りないようだ。ここからがちょっと興味深い話だが、外部からあの異能者の集団のリーダーに音波を晒すと本人にも影響が出る!彼自身が増幅器になるんだ!しかし、それでも出力不足、身体的な接触が必須。石みたいな体をしている異形者もちょうど被検体の中にいてね。二人とも拘束してリーダーの手を異形者にくっつけてから能力を強化する方の音波を当てた。すると異形者の体はみるみるうちに完全に石になってゆく。最終的に正真正銘の石像になっていた。いや~、でも失敗だったね。最初に能力を弱める音波を施すべきだった。石像になった異形者はもう生きていなかったからか次に弱める方の音波を使用しても効果はなかった。大幅な増幅には身体的な接触が必要という原理は分からないが、その謎もその内解き明かされよう」

ここでウェバーは喋り過ぎて疲れたのか、吐息をついた。

「一遍に色んな事言われたけど、大体理解出来たかな?これで···海でしたっけ、の実験の話に戻るが、あなた達は親しい間柄であると見受けたんだけど、どうなんですか?もしかして恋人とか?」

「取りあえずは海にもしもの事があったら俺はお前をこの施設毎破壊すると誓って置こう」と才機が脅迫の言葉を発した。

「そんなに仲がいいのか?それは何より。では、海はそろそろ起きるはず。会いたいですよね?」

部屋の壁の一部が沈下して戸口になり、隣の部屋への出入りが可能になった。足しか見えないけど隣の部屋に誰かが実験台の上に載っている。才機はその部屋に移って、その人が海だと確信した。まだ起きていないようだ。入った途端に壁が元通りになって才機をそっち部屋に閉じ込めた。海は手足が革ひもで実験台に縛られていた。近くまで寄ると海の服にはあっちこっち切られた形跡があった。海の体自体にも深くはない切り傷が数箇所にあった。

「てめ!海に何をしてた?!」

「勘違いしないで。その傷を負わせたのは私達ではない。まぁ、私達は完全に無関係とは言えないが。さっき言っていたよね?音波を逆に再生すれば異能者の能力は強まる。で、その超収縮版を使うと、なんと、異能者は自分の能力を制御出来なくなり、暴走するんだよ。この人は周りの空気を操られるらしい。でも強力になり過ぎた彼女の力は自分にも被害を及んじゃった」

「何が及んじゃっただ?!全部お前が原因じゃないか?!」

海が唸った。気が付いてきているみたい。

「とにかくだ、彼女は自分ではどうにも止められなかったらしいので寝かせておいた。私が思うにはこれが精神的な問題。彼女一人だと無理でも、親しいあなたを守る為なら抑えられないんだろうか」

「下種が」

「一応忠告して置くけど、そんなに近く寄らない方がいいかもしれない。あなたをこの部屋に入れる前にあの音波をもう一度施したから」

海は目を開けた。

「海、大丈夫か?!」と才機が聞いた。

「···才機?ここは···?」と海が言い始めたが急に目を強く閉じて呻いた。

「どうした?苦しいか?」

「ああああああああああ!!」と海が悲鳴をあげた。

才機は海の体の周りにいきなり生じた風に吹き飛ばされて壁にぶつけられた。猛烈な風はその部屋ので吹き荒れる。たまには一際強い疾風は才機の体に切り込んだ。強風の中心である海の方がもっと頻繁に切られている。これは危ない。運悪く海の手首でも切られたら···。

「海やめろ!ここままじゃ、やばい!」と才機が風と戦いながらまた海の所に行こうとした。

「く、来るな!制御出来ないの!は、離れなて!」

「いいから、集中しろ!何とかして抑えろ!」と才機が海への距離を半分まで縮めたところで右目の真下が切らて引っ繰り返った。後数ミリ上だったら右目は失明していた。その傷から出る血も風によって吹き払われた。

「む、無理!出来ない!出来ない!」

「海!!」と才機が一躍して実験台に到達し、海の上に身を乗り出して両手で彼女の顔をしっかりと抱えた。

「奴らに負けるな!俺はこんな所でお前を失ってたまるか!」と言いながら才機の傷が一つ一つ増えていく。

海はただ苦しそうな表現を見せ続けた。

「くっそー!抗え!」と才機は躍起になって海をキスした。

海の苦しい顔は驚いた顔に変わって目が大きくなった。ぴんと張っていた体が緩み、そして荒れ狂う風はだんだん静まって消えた。完全に消えると才機は海の唇から離れた。

「やっぱお前をここへ連れてくるんじゃなかった。俺は大馬鹿だ」

「これって···愛の力でしょうか?」とウェバーの隣にいるに研究員が聞いた。

「っバカ言え。恐らく、あんまにもびっくりしたことによる生理的な反応が関係している。驚かされるとしゃっくりが止まるのと同じように」

ウェバーはボタンを押し、スピーカーを通じてまた才機に話し掛けた。

「お陰で興味深いデーターを収集出来た。感謝する」

「てめ!隠れてないで出てきやがれ!能力なしでもお前をぶっ飛ばしてやる!」と才機は部屋を見回した。

かっとなった才機は後ろの壁を拳の側面で叩いた。その壁にぶつけた拳はガランとなった。才機はガラスの姿になっていた。

「あら、戻っちゃったね、能力。そろそろだったな」とウェバーが言った。

今度は才機が本気で壁を殴った。だが驚く事に壁は凹みもしなかった。

「あなたがそうなると凄まじい身体能力を得るらしいだね。でも無駄だよ。この地下四階では異能者ほどの危険な存在で実験を行っているからには、それなりの非常事態対処方針を採用している。その部屋の壁はブロコニウムで裏打ちされている。あなたでも壊す事は出来ないよ」

才機は四つの壁を色んな場所で攻め続けていた。海は肉体的にも精神的にも疲れ切っていて才機を見る事しか出来ない。

「諦めが悪いだね。無理だって」

「ブロコニウムは壊せないかもしれないけどお前はどこから俺達を見ている。マジックミラーか何かある。それを見つければ向こう側にお前がいる」と才機はまた壁を殴った。

「それはそうだけど、見つからないよ?」とウェバーがスピーカーを通さないで言ってボタンを押した。

ウェバーはガラスで出来た床の上から才機と海のいる真下の部屋がガスで充満されて行くのを見た。

「てめ、ゴホン、どこまで卑怯なんだ?ゴホン」と才機はむせびながら言ってガスに参った。

才機と海がいる部屋の天井の一部が下って傾斜路になった。ガスマスクを付けた兵士達はそこから下りて気を失っていた二人を運び出した。


リースは一階の留置場で一人で幽閉されていた。

《能力のない俺には用なしか》

リースは指を頭の後ろで組み合わせ、長椅子で仰向けになって天井を見つめていた。

《どうしたもんだ、これは。異能者の能力を封じる武器を開発していたとは。まじでやばいよ。フリツが俺達の事を知っているとしても何も出来ないんだろうな。作戦が失敗したとなると、後は帝国を公然と告発するしかない。だが証拠なしじゃいい結果は期待出来ない。たとえうまくいったとしても、捕虜が釈放されるまでに皆は無事でいられるか分からない》

リースは起き直り、背を丸くして両手を強く組んだ。

《考えろ!何か打つ手はないか》

リースがそうやって苦悩している時に近付いてくる足音が聞こえた。それは誰だかを見ようと顔を上げたが、その人がリースの監房の前に現れる直前に足音が止まった。見張りか何かと思ったらリースに話し掛けてきた。

「あなたですか、研究施設に潜り込んだのは?」

誰だか知らないけど姿を見せないつもりらしい。男だってことだけは分かる。

「噂は速く広まるもんだな」

「そりゃ、ここに侵入する馬鹿がいると直ぐに人の耳に届くよ」

「この施設の地下四階で何が行われているかも速く人の耳に届いて欲しいもんだね」

「質問なんですけど、確かあなた一人で来た訳じゃないよね?」と男はリースの言った事を完全にスルーした。

「それが何か?」

「その仲間の名前を教えてくれないか?」

「なぜそんな事を教える必要はある?特に教える義務ないな」とリースはまた仰向けになった。

「答え次第ではあなたをここから逃がしてもいいからです」

リースはまた直ぐに起き上がった。

「こっちの話に興味を持ったかね?では、その仲間の名前は?」

「というかそっちの話が本当かどうかすら分からないけど」

「他に頼る人がいなければ信じて損はないと思うが」

確かに獄中では自分じゃどうにもならない。

「ジークと言うんだ」

「ジークですか。ごめん、私の勘違いだったみたい」と男が歩き去り始めた。

「待って!今のは嘘だ。お前の出方を見たかった」

足音はまた近付いてきた。

「忙しい身なんでね、今度は本当の事をお願いします」

「三人だ。才機と海と俺の妹のメリナ」

男はまた去って行った。

「おい、ちょっと!どこに行く?!」とリースが立って監房の鉄棒の外に頭を突き出して覗いてみたが、留置場のドアの向こうに白衣が消えるのしか見れなかった。

「くっそ。やられたか。何だったあいつ?」とリースは長椅子に戻った。

「俺も必死だなぁ、あんな口車に乗って」

約十分後にまた足音が聞こえた。いつもの場所で止まって監房の中に何かが投げ込まれた。

鍵だ。

「今度はうまくやれよ」と男が言った。

「あれどうやって?」

「なーに、武官に適当な事を調べてもらって席を外している内に鍵を借りさせてもらっただけだ」

「借りた、ね。返却は出来ないと思うよ?しかし、武官はそう簡単に持ち場を離れて放置にするのか?ここの兵は案外無責任だな」とリースは鍵を拾った。

「とある···高貴な方に直々に至急で調査を命じて頂いたもので。では、失礼」

「待って。なんで助けてくれた?」

会話が少しの間ぷつっと途切れた。

「あなたの妹は知らないけど、他の二人は私の研究に深く関わっている。彼らの知り合いからその特徴も聞いていて、昨夜捕まった異能者の中には私の研究に関わっている人の一人と同じ能力を持っているそうだ。それでもしかしたらと思った。あの二人がここで捕らえられては困る。後少しで研究の成果が遂に出そうなのに」

「何の研究?」

「それはもう、彼らの故郷について」

「故郷?」

「そう。え?まさか知らないのか?仲間なのに?」

「何が?」


才機が次に目を覚めた時は手術台の上だった。手足が縛っている。

「お目覚めかい?」と目の前にいるウェバーが聞いた。

才機が周りを見た。ウェバーの他に二人の研究員に囲まれて、兵士も三人部屋の壁に沿って立っていた。三人ともライフルを装備している。

「今の状況を説明するね。あなたの変形した体の強度を試したい。可能ならサンプルも切断したい。あ、別に腕を丸ごと取るとかそんなつもりはないから。皮膚少し回収出来たらと思っている。簡単に取れないだろうから電流や酸、色々試してみたいと思う。そこでだが、そこにスイッチを握っている兵士がいるだろう?スイッチを切れば音波は消える。その時はどうぞ能力を使って下さい。但し、くれぐれも暴れないように。もし逃げようとしたりしたら彼は即時スイッチを入れる。その時は受けている荒療治を生身の体で体験する事になってしまう。いいわ、ね?」

「相変わらず話しが長過ぎる。海はどこだ?」

「ご心配なく。今の所は彼女を使うような実験は予定していない。では、そろそろいいかな?」

「いずれ落とし前は必ずつける」

「お願いします」とウェバーが兵士に言って、兵士はスイッチを切った。

ウェバーは電動のこぎりを持ち上げて電源を入れた。才機は彼がうるさい電動のこぎりを抱えながら無表情の顔で自分を見て待っている姿を少し睨んでから体を変身させた。金属が高回転でぶつかる耳障りな音が地下四階中に響き渡った。


空を眺める為の窓もなくて正確に何時だか分からない。でもそろそろいいんだろうね。リースは鍵を使って監房の扉を開けた。留置場の外を覗くと誰もいなさそう。リースは取り調べを受けた場所を目指した。まずは取られた銃と爆弾を取り返さないといけない。がっかりな事には武官がまだそこにいた。思っていたほど夜が更けていないか、ここは二六時中誰かが部署についている。その武官が椅子から立ち上がってリースの方に向かった。リースはそこから逃げ出して外の角を曲がって隠れた。武官がリースに気付かず通り過ぎた。どこに行ったか分からないが今がチャンスだ。リースはもう一度中に入って押収品が保管されそうな所を探した。運よくそれが割と簡単に見つけた。リースのライフルは直ぐに見つかったが、爆弾の方は捜し出す必要があって少し時間が掛かった。目当ての物を手に入れてリースはそこから離れようと思ったが、外の様子を見たらさっきの武官が戻ってきていた。今出たら絶対に見られる。リースはドアの後ろに隠れ、取ってを握ってドアを出来るだけ自分に引き付けた。武官が通り過ぎたらリースは直ぐにそっと出て行った。リースが次に目指したのは便所。誰も利用していないかを確認して一番奥の仕切った小部屋に入った。謎の研究者に頼んだようにそこに白衣とカルテと眼鏡があった。


**「もう随分助けてもらったんけど、まだ頼みたい事がある」

「何だ?」

「一番近い便所はどこにある?」

「トイレならそこにあるじゃない」

「そう、じゃなくて。便所の一番奥の小部屋に白衣を入れておいて欲しい。そうね、後、カルテと眼鏡も」

「なるほど。そういう事か。地下への階段の右にあるよ。用意しておこう」

「最後に、伝言を頼みたい」

「伝言?」

「街の九番地区にゲントリオズという金物屋がある。そこの店員に今夜作戦続行って伝えればいい」

「いいけど。他には?」

「いや、それで十分。恩に着る」**


リースは白衣を着て眼鏡をかけた。カルテを手に持ち、便所を出て研究施設への階段を下った。やはりまだちょっと速かった。殆ど誰もいなかったようだが明かりはまだついていて、たまには廊下で研究員に出くわす。その度にリースが目を合わずにカルテを読むふりをしながら擦れ違った。その調子で地下四階へ辿り着いた。修理の形跡はあったがやはりこんな短時間で扉を直せない。今回は言葉通りのこの最大の難関は問題にならずくぐり抜けた。この地下四階に出入れ出来る人は限られているから、ここで誰かを見かけたら顔を見せないように完全に避ける事にしようと思ったが、精鋭少数の為か誰にも遭遇しなかった。この階で働く研究員の大多数はもう帰ったみたい。捕虜達が監禁されている所に辿り着いたらそっちのドアもまだ直っていない。中に入ると暗いが、あえて明かりをつけない。

「メリア、才機、海、いるか?」とリースは囁いた。

「お〜い。いたら返事して」

「リース?リースなの?」と海の声が聞こえた。

「お、海か。無事だったか?」

「あ、ああ、大丈夫。どうやってここに」

「その話は後だ。他の二人は?」

「いない。メリナならついさっきどこかへ連れて行かれた。何かの実験を始めると思う」

「っちぇ。夜遅くまでご苦労なこった。誰か、この鉄棒を壊せるような能力持ってないか?」

「ねぃ、よ。あったとしてもスピーカーから定期的に流れる音で能力を使えない」と捕虜の誰かが言った。

「うん。この部屋の中心にスピーカーあったな。才機がいればそれを壊せばいいと思ったが。とりあえず壊して置こう」

リースは目を細くして暗闇の中でスピーカーを探した。

「あれか」とリースがライフルをこん棒にしてスピーカーを叩き落とした。


メリナは実験台に縛り付けられ、研究員と二人で地下四階のどこかの部屋にいる。

「研究所長は人使いが荒い。遅いし、今日はもう帰りたい」とその研究員が愚痴をこぼした。

「あたしに何をするつもり?」

「ん?開発中の活性剤ってところかな。君達異能者の能力を音波で影響を与えることは出来るが、もっと永続的な効果が望ましい。そこで注入によって音波以上の効能を出したいと思っている。まぁ、あの音波はどのように異能者に働き掛けているのかまだ完全に理解していないから成果は直ぐ出ないだろうけど、その為の実験」

研究員は薬瓶に注射器を差し込んで何かの液体でたっぷり満たした。

「こっちは力を増加する方なんだけど、多少の効果はあるみたい。音波の異形者への影響は微々たるものらしいから研究所長は是非異形者に試したいというんだ。どうなるんだろうね。その耳は大きくなるのか?増えるのか。他に何かも生えてくるのかな。予想外の副作用も十分にありうるけど」と研究員が注射器を持ってメリナに近寄った。

「あ、あたし、注射凄く苦手なんだよね。やっぱ別の方法で試してみない?」とメリナが焦って束縛から逃れようともがいたが、当然無理だった。

研究員はメリナの所望を無視してガーゼで彼女の腕に消毒剤を塗った。準備が出来たところで彼は注射器をメリナの腕に持って行った。

「や、やめて···」とメリナが近づく針を恐怖の目で見ながら無駄に腕を外そうとした。

バシン!

「ぐっ!!」

今の音でメリナも研究員もびっくりしてドアの方に向いた。ドアが開けると他の研究員が入ってきた。

「一体どうした」とメリナの隣の研究員が言い掛けたが、入ってきた研究員は片手で気絶した兵士を引き摺り、もう片方で自分にライフルを向けた。

「その注射器が彼女の肌に触れた時はお前の脳に弾が打ち込まれる時だと思え。直ぐに離れろ」とリースが低いけど怒りで満ちた声で言いながら背筋が凍るような恐ろしい目を研究員に向けた。

「お兄ちゃん!」

研究員はゆっくり後ずさりした。

「後ろを向け」とリースは兵士を床に落としてドアを閉めた。

研究員は言われた通りにした。そして程なく後ろからリースに打たれて倒れた。リースはメリナの束縛を解くと妹に抱き付けられた。

「怖かったー!なんでお兄ちゃんがここにいるか分からないけどよかったー!」

「俺はまだ才機を探さないといけない。こいつらを縛り上がるのを手伝ってくれ。ここらの機械のコードを使って」

兵士の手足にコードを巻いているとリースはその人のホルスターに入った銃に気付いた。麻酔銃だった。

「ほー。これは便利だ。銃よりずっと静か。貸してもらおうと」

兵士と研究員の自由を完全に奪った後、リースは保護テープを出した。

「こういう使い方もあるからね」とリースは二人の口の上にテープを貼った。

「さて、才機はどこにいるか心当たりはないか?」とリースが聞いた。

「さっぱりだ」とメリナは首を振った。

「じゃ、俺一人で探してくる。捕虜達がいる部屋で待っていろ」

「大丈夫か?」

「多分。この階で人はあまり残っていない。さっきのように不意打ちにすればこっちのもんだ。兵士は研究員がいきなりアッパーカットを見舞ってくると思わない。一番の問題は警備員が巡回し始める前にここをトンズラしらないと。さ、速く行って」とリースが先に出た。

リースはあっちこっち歩き回ってさり気なく色んな部屋の窓から中の様子を見た。その殆どは誰もいなかった。たまには研究員が資料に目を通したり、何かを調合したりしていた。そしていよいよ才機がいる部屋を見つけた。但し、さっきみたいにそううまくはいかない。なんせ、研究員も兵士も三人ずついやがる。研究員の一人はウェバーだった。中に踊り込んだところで兵士のどれかにやれるだけだ。リースは何回もその部屋の窓を通りかかって横目で中を見て何かの隙を見出そうとした。一方、才機は未だに同じ実験で使われていた。ずっと才機の左腕の断片を何とかして回収しようとしていた。

「今日はもうそろそろやめますか?何時間もやっていて一向に進捗しません」と研究員の一人がウェバーに言った。

「電流、酸、高熱、凍結、振動、浸し、何をやっても無駄。この体の特性は一体何なんだ?···もうちょっと続けよう。電圧を増してもう一度電流を流してみよう。」とウェバーが言った。

痛みこそないが、こんなに左腕をいじられたんじゃ少し痺れる。研究員がもう一度才機の腕に留め金を付けた。普通ならスタンガンで感電される気分が、今の才機には痺れを僅かに悪化させているぐらいだ。しかし、だからと言って無論愉快な経験ではない。才機はそろそろ堪忍袋の緒が切れそうだ。こいつら、何様のつもりだ?平気な顔をして同じ人間にこんな真似が出来る外道だ。少しは他人の痛みを味わわせて欲しい。そうだ。こいつらを小さい部屋に閉じ込めたり、体中を切り裂いたり、酸を掛けたりしたらこんな実験を続けられるのだろうか?

「所長、彼の目を見てくさい。何だか光っていませんか?」と研究員が言った。

「光ってますね。どういう事だろう?君、その目はどうした?」

「目?何のこと?」

研究員が自分の左腕を掴んだ。

「何だか急に腕が痺れてきました。過労ですかね」

「うん。私も急に来た。やっぱり続きは明日にした方がいいかな」とウェバーがライトペンを出して才機の光る目を調べようとした。

だがライトを才機の目に近付かせた途端にウェバーが自分の目を閉じて怯んだ。

「も、もしかして目に強い光を感じましたか、今?」と研究員がウェバーに聞いた。

「え、ええ」

「私もです」

二人は少しの間お互いの顔を見ていた。

「ハリソン、目や腕に何か異変を感じないか?」とウェバーが忙しそうにノートを殴り描きしているもう一人の研究員に聞いた。

「ん?別に何も」とその研究委員がノートを書き続けた。

ウェバーはもう一度才機の目に光を当てた。本人は何ともなかったかのに、また自分が目を開けていられなかった。

「これは···」

ウェバーは才機の腹を軽く叩いてみた。自分は特に何も感じなかった。もっと力を入れて拳を才機の腹に落とした。特に何も感じなかった。

「今のちゃんと感じている?」とウェバーが才機に聞いた。

「感じてるけど?」

ウェバーは指の側面で唇を擦って考えていた。

「君はくすぐったがる方?」

「···人並みに」

ウェバーはテーブルに行って羽ペンを手に取ってから才機の足の方に回った。

「彼の目を見ないようにして」とウェバーが才機の隣に立っている研究員に指示した。

ウェバーは才機の靴と靴下を外して羽ペンで足裏をくすぐってみた。才機は足を引くという極普通の反応を示した。

「じゃ、今度は彼の目をしっかり見て」

研究員は少し屈んで才機を目をじっと見た。ウェバーはもう一度才機の足裏をくすぐってみた。すると今度は反応しなかった。代わりに研究員が後ずさりした。ウェバーと研究員が視線を交わすと研究員が頷いた。

ウェバーはもう一度考える仕草を見せてから研究員に指示を出した。

「彼にあのヘッドホンを被せてくれ」

研究員がそうしている間にウェバーは操作盤に歩み寄ってダイアルを一気に回した。才機にヘッドホンが装着しているのを確認して次の指示を出す。

「今度は見なくていいよ。私が見る」

ウェバーは一瞬だけ操作盤のスイッチを入れてからまた直ぐに切った。その一瞬の間に部屋にいる誰もが聞こえるほどの大きな甲高い音がヘッドホンから漏れ出た。

だが目立った反応を示したのはウェバーだけでした。彼は耳を押さえながら少し不快な顔で才機に問いかけた。

「何も聞こえなかったかね?」

「何が?」

《なるほど。この状態だと彼の体に対する悪影響、若くは単に体が嫌がる刺激を無意識に遮断して目が合った対象にその感覚を覚えさせる。驚異だ。実に驚異な現象。だが音すらも拒否されるとなると能力を抑える音波も効果ないのでは?これは危険だ。しかし、もしそうならなぜ今までこの能力を使わなかった。反応を見るとひょっとしたら本人は自分のこの能力について知らないのか?》

でも流石に才機も状況を把握してきた。デイミエンと戦ったあの時だ。あの時と同じ能力が今発揮されているだろう。その証拠に少し前から腕の痺れが感じなくなった。ウェバーほど頭の回転が速くなかったが、才機にも考えが来た。

これはうまく利用出来れば自由になれるかもしれない。生身の体に戻ればこの部屋にいる全員に相当なショックを受けさせることが出来る。その隙にまた変身し、動けなくなった兵士達が回復してスイッチを入れる前に処理する。行ける。もうこれしかない。だがウェバーの話によると成功させるにはこの部屋の全員の注意を集める必要がある。肝心の兵士はろくにこっちを見ていない。才機は深く息を吸ってゆっくり入った。

「ぎゃああああああああああ!」

才機はいきなり大声を出して激烈な痛みに襲われているように見せかけた。何事かと全員がもがき苦しむ才機を見た。全員の目が自分に向けているのを確認出来たら変形を解けた。研究員と兵士は一度に苦痛の声をあげて倒れた。

《よし!》

才機はまたガラスの体になって腕を振り解いた。振り解くはずだった。才機は察した。自分の体をうまく動けない。あの力は自分と相手の体を騙すだけだ。痛みを感じなくても才機の体はちゃんとショックのダメイジを受けた。体の変形を起こす精神的な行動は取れても身体的な行動はそうはいかない。失敗だ。急に六人が原因不明なショックを同時に受ける偶然はないし、才機の仕業だと分かる。今度はどんな実験に使われるのだろう。あらゆる方法で痛めつけられて、それを他の捕虜に移させるとか?兵士達は立ち直りかけている。才機は拘束を破るに成功したが、まだ自分の体を支えるほどの力は足に戻っていない。間に合わない。最後の希望と共に才機の目に宿る光がどんどん消えていった。その時、もう一人の研究員が部屋に飛び込んできて麻酔弾を三人の兵士の首に打ち込んだ。次に才機の近くの研究員が同じ目に遭った。但し、麻酔銃は五発しか入っていないみたい。引き金を何回か引いたが、何も出てこない。よく見ると···その研究員はリースだ!リースは弾切れになった麻酔銃を捨ててライフルを最後の研究員に向けた。ウェバーだ。

「才機、大丈夫か?」とリースが聞いた。

「あ、あぁ。何とか」と才機がゆっくり立った。

「あんたは確か、昨日の···留置場に入っているはずだ。なんでここにいる?」とウェバーがリースに問いただした。

「言ったろう?妹に何かしたらぶっ殺すって。でもまぁ、何かされる前に助け出したからお前は命拾いしたね」

「リースにぶっ殺さずに済んでも、俺は違うけど。お前の傲慢さに限界はないのか?人の命を何だと思っている?」と才機がウェバーに聞いた。

「人の命だと?何だそのきれい事は?じゃ、ネズミの命はどうなんだ?人間の生活を便利にする為にネズミは何百万匹実験に使われていると思う?それで怒った事はあるか?ないだろう!同じ命なのに。人間の命の方がネズミより価値があると言うなら傲慢なのはあなたの方だ!私はネズミだろうが、人間だろうが、科学の為に実験を行う!」

「急いでいるんでお前と議論する暇はない。俺は今は人間の代表としてお前を糾弾している。もし恨みを持ったでっかいネズミが現れたらその時はネズミに弁解してみるといい」と才機はそのガラスの拳を振り上げた。

「ま、待ってよ!そもそもあの異能者達は犯罪者だ!どう扱われても文句は言えない!」

才機は溜め息をついて感情のかけらのない顔でウェバーを見た。

「犯罪者にも人権がある事は取りあえず置いておいて、五秒以内に彼らは何の罪を犯したか言えたら殴るのをやめる」

「そ、それはもちろん!その、だって···彼らは帝国軍に逮捕されて···そして···そうだ!テロ集団に入っていた!」

「入っているだけで罪にならないよ」と才機は拳をウェバーの顔に突っ込んだ。

と、思ったら才機のつやつやした拳は寸前のところ止まった。一歩下がって才機はリースに質問を投げた。

「な、俺の目は何か光ったりしてない?」

「してないけど?」

リースがそう答えるが早いか才機は今度こそ渾身の一撃をウェバーの頰にぶち込んだ。但し、ウェバーに当たる直前に拳を普通の人間のものに戻した。ウェバーはぐらっときて倒れてから動かなかった。

「何だ、手加減したのか?」とリースが聞いた。

「いや、手加減したくなかったから普通の体に戻った。思い切り殴らなきゃ気が済まなかったが、殺しまではしない。前にその間違いを犯すところだったことがある」

「慈悲深いだね。でも確かに急いではいる。皆はあの監房のある部屋で待っている」

「やっぱり、まだ作戦を諦めていないんだな」

「ここまで来たら引っ込みがつかない。昨日より幸先はいいし、絶対遣り遂げる」

才機とリースはその部屋を出て急速に且つ密かに他の皆と合流しに行った。着いたらリースは入ってからドアを閉めて明かりをつけた。

「お兄ちゃん、才機、よかった!」と監房の格子にもたれて座っていたメリナが安堵して立ち上がった。

「才機は無事か?」とその監房に入っていた海がメリナに聞いた。

「見る限りでは」

「じゃ、爆弾を設置するから、才機は捕虜達を」とリースが言った。

才機は手短の監房から次々とロックをもぎ取った。八つの監房をこじ開けたら海は抱き付いてきた。

「よかった、無事で」

「あ、あぁ。海も」と才機は照れ臭くて海の目をまともに見れなかった。

「監房の中に小さな女の子もいたよね?」

「んー、いたっけ。いたような」

「探してくる」と海は監房の外に出来ている人集りに紛れ込んだ。

「まさかてめぇに助けられるとはな」と最後に監房から出てきた捕虜が言った。

不機嫌そうなラエルだった。

「お前は確か···アラニアだったっけ?で会ったあの放火魔」

「あれ以来の対面じゃないだろうが。もっと最近に会ってる」

「そうだっけ」

「何だ?俺何か目もくれないってか?そりゃ仕方ないかもな。何せあの時はお前が発狂した猛獣みたいにここにいる人の三分の一を一人に二秒も掛けずぼこぼこにしたんだからな。とびっきり強い圧縮炎を見舞ってやろうと思ったが、あいにくてめぇだって気付いた時にゃもう遅かった」

《リベリオンのアジトに乗り込んだ時の事か》

確かにあの乱闘で才機が相手にした人の顔を思い出せと言われたら無理だ。そもそも色々なの攻撃を受け過ぎて視界があまり利いていなかった。

「そうか。さっきから何人が変な視線をこっちに投げかけたような気がしたんだけど、そういう事か」

「あんた、向こうにももう一人がいる」と捕虜の一人が言いに来た。

「ああ、そうだったな」と才機は人込みを押しのけて部屋の反対側に行った。

忘れていなかったが、忘れたいと思っていた。才機はデイミエンがいる監房をこじ開けた。

「そこで普通人が爆弾を設置している。今から脱獄するんだけど好きにして」と才機が言ってから皆の所へ戻った。

本人は才機を見向きもせずその座っていた。

「準備オーケー。皆、下がれ。壁に穴を打ち抜くぞ」とリースが周りの人に注意した。

そして言った直後に警報が鳴った。

「地下四階で囚人が暴れ回っている。繰り返す。地下四階で囚人が暴れ回っている。警備員は直ちに鎮圧に向かえ」

放送の声はウェバーのだった。

「あの野郎、もう元気になってやがるのか?」とリースが言った。

「やっぱりまだ本調子に戻っていなかったみたいだ」と才機が言った。

「どうする?警備員が直ぐに駆け付けてくるよ」とメリナが言った。

「リース、早くその壁を吹き飛べ。俺は入り口を封鎖する」と才機が言った。

「よし、行くよ」とリースはボタンを押して皆と一緒に避難した。

才機は背中をドアに押し付けて入り口をバリケードした。

「何やってんだ、お前?退けよ、邪魔」とラエルが才機に近付いてきた。

「何って、警備員を足止めしなきゃいけないだろう?」

「バカか、お前?奴らはあの能力を封じる銃を持っているって事を忘れたのか。取ってがなくて穴から丸見えだし、てめぇは五秒も持ちこたえられない。俺に任せろ」

才機は退き、ラエルが指をドアの枠に当てた。すると真っ白な火は指から伸びてラエルは高熱の炎でドアをその枠に溶接し始めた。才機がその作業を見ている内に爆発音がした。振り返ったら部屋の一部が煙に覆われていた。その煙が治まり始めるとリースは全員に指示を出した。

「皆、管に入って下水道まで辿って行けばいい!そうしたら」とリースが急に黙った。

壁は破壊されていない。黒い焼け焦げの跡があっただけで、ひびは一つ入っていない。

「え、威力が足りなかっただと?!」とリースは信じられない面持ちで壁を見ていた。

「大丈夫だ。俺が二発目を入れてやる」と才機は全力で壁をパンチした。

だがが鈍い物音が大きく鳴り響いただけで壁は微動だにしなかった。

「うそ。どういう」と才機が言いかけてウェバーの言葉を思い出した。

《それなりの非常事態対処計画はしている。その部屋の壁はブロコニウムで裏打ちされている》

「まさか、この壁もブロコニウムで出来ている?」

異能者を幽閉する場所だ。そうだとしても何ら不思議ではない。

「やばいよ、リース。この壁を壊すのは無理かも」

「そんな···逃走ルートはこれしかないんだぞ!」とリースが焦り出した。

「囚人が監房から抜け出した。向こうの壁を破ろうとしているようです」とドアの穴から覗き込んでいる警備員が言った。

「だったら早く拘束せんか?!何でそこで突っ立ている?!」と赤い頬に手を当てているウェバーがやってきた。

「それが、ドアがびくともしません。溶接されているようで開きません」

ラエルがちょうど最後までドアの溶接を終わらせてそこから離れた。

「だったら切断トーチか何かを持って来い!それぐらい自分で考えろ!」とウェバーが警備員達を叱責した。

「はい、ただいま」と一人がウェバーの命令を実行しに行った。

この予期しない展開とドアの向こうにいる警備員の存在で捕虜達は恐慌を来たした。

「ここは一生出られないのか?!」

「やっぱ無理だ、ここから逃げるなんて」

「実験はもう嫌!」

才機とリースはお互い顔を見合わせ、これはもう万事休すだと二人の目に移っていた。誰かが後ろから才機の肩に手を乗せた。才機は振り向いて、それがデイミエンの手だと分かった。

「もう一回やってみろ」とデイミエンが言った。

「この壁にブロコニウムが含まれている。俺でも壊せない」

「いいから、もう一回やってみろ」

《そうか。この人は異能者の力を増幅出来るんだった。特に変わった感じがしないけど》

才機は壁に向かってもう一度拳を振り上げた。腕の筋肉を張り詰めて、出来る限りの力を溜めた。拳を推進させ、壁を貫くとてつもない音がパニック状態になっていた捕虜達を一瞬で静めた。才機は腕を引っこ抜いて、腕と同じ大きさの穴が壁に出来た。

「よーし。この穴を大きくするぞ」と才機が一つまた一つ穴を入れて、人が通れるような大きさにした。

壁に入った穴はその向こう側の管の穴にもなっていて水が零れ落ちてきた。

「逃走ルートが出来た。皆、落ち着いて一列縦隊で管に入って。メリナ、お前は先に入って下水道を案内してやって」とリースが指示した。

「わかった」とメリナが管に入り込んだ。

「囚人達が壁に穴を開けて逃げて行きます」とドアの穴から見ている警備員が報告した。

「まだか、あののろま?!」とウェバーが先ほど警備員がドアを開ける為の道具を取りに走って行った方向を見た。

その警備員は今何かを持って廊下を駆けてきた。

「切断トーチを持ってきました!」

「早くこのドアを開けろ!」

「は!」

警備員は切断トーチに火をつけてドアを開ける作業に入った。小さな火花がドアの反対側で散り始めた。これでもう時間との勝負だ。脱出かドアの突破、どっちが先か。ドアの縁が半分まで溶断された時、管に入った人数は半分より少し多い。警備員の方がちょっと遅れているようだ。ドアに取り掛かっている警備員は何かに気を取られて手を止めた。もう既に溶断された部分が何者かによって溶接し直されている。

「それをよこせ」とウェバーが隣の警備員の音波銃を横取りしてドアの穴に当てた。

引き金を引くと溶接が止まった。ウェバーは音波銃を警備員に返した。

「さぁ、続けて」とウェバーがイライラと足踏みした。

「ちぇ、ばれたか」とラエルは炎が出せなくなった自分の手を見て、皆が集まっている場所に行った。

「ドアは後数分しか持たないよ」とラエルが言った。

リースは溶断されていくドアの方を見た。

「十分だ。問題は追っ手だ。俺達より相手の方が早く移動出来る。今の内に下水道で出来るだけ引き離して追跡者をまくしかない」

「あそこに入るの?」と海の手を握っている小さな女の子が聞いた。

「そうだよ。もうすぐお母さんに会えるよ」と海が言った。

「でも···怖い。溺れない?」

「大丈夫だ。お姉さんも一緒に行く。ほら、私達の番よ。さ、入って」と海は女の子を持ち上げた。

女の子は躊躇したが海に促されて管の中を這って行った。海はその次に真後ろで付いて行った。暫くすると警備員が遂にドアを叩き倒して部屋の中へ殺到した。捕虜はもう全員いなくなっている。

「そこの管を使って逃げたんだろう?何ぼさっとしているんだ?早く追わんかい?街から出たら二度と取り戻せなくなる」とウェバーが言った。

警備員は速やかに管に入って捕虜達の後を追った。

その捕虜は今狭い下水道で押しくらまんじゅうしているように非常に密集した状況になっている。彼らは一人ずつ頭上のマンホールから降ろされたロープを登って、地上で待っている馬車に乗り込んでいる。後ろからまだ捕虜が来ていてその人集りを増大させる。

「こりゃ相当時間がかかるなぁ。間に合うか?」と才機が不安になってリースに呼び掛けた。

群衆の端にいたリーシは後ろの方を見た。

「警備員はこの下水道の構造が詳しいと思わない。何回も間違った方向に行ってくれれば大丈夫が···」

一人一人捕虜が下水道から逃げ出した。デイミエンの番になったら、彼はロープの前に立ってマンホ−ルをじっと見上げた。

「考え直しているなら後方でやってくれない?ちょっと一刻を争う事態なんで」と才機が言った。

「ああ。確かに普通人の手を借りるのはしゃくだ。だがその前に」とデイミエンは才機の方に振り返って手枷を上げた。

才機にとってデイミインの枷を取るのがしゃくだが、体を変形させてデイミインの手と足を繋ぐ鎖を引きちぎった。手と足の自由を取り戻したデイミエンはロープを握って登り始めた。上部の方まで行ったら、地上の男は手を差し伸べた。

「さ、こっちへ」

デミイエンは止まってその手をじっと見た。随分躊躇ってからデイミエンもゆっくりだが、手を伸ばした。

「やばい!警備員が直ぐそこまで来ている!見つかっちまう!」と見張りをしていたディンが走ってきた。

まだ二十五人ぐらいは残っている。デイミエンの手はもう地上の男の手に触れる寸前だったが、その手が止まった。

「早く、掴まれ!」と男が急かした。

だが掴むどころかデイミエンの手は逆に引いた。彼はロープを離して下水道の底へと落ちた。着地場所は海の目の前。驚いたのは勿論だが、やはりその男はどうしようもなく苦手で、目が合うと海は視線を逸らした。

「何やってんだ?!警備員は今にも来そうだ!」と才機が言った。

「こうなったら戦うしかない。能力に頼れると思うなよ」とリースがライフルを出した。

「その必要はない。俺達は囮になる」とデイミエンが言った。

「え?」と才機は聞き間違えたのではないかと思った。

デイミエンは人込みの後ろに行って三人が一緒に付いて行った。ラエル、ディン、そしてアイシス。

「囮って何をする気?」と才機が聞いた。

「囮に一つの意味しかないと思うが、奴らを違う方へ誘導する」

「何でだ?」

「そうね。そこの女に手足を直してもらったお礼って事にしよう」とデイ ミエンが一旦海の方を見てから要求を出した。

「その代わり、この人達が全員無事に逃れるようにしろ」

「お前はどうするんだ?」

「こっちの心配はしなくていい。ここから出たらもう一度リベリオンへの勧誘を始める。あそこに監禁される間も外界との···連絡は取り合っていた。ジェイガルと他の部下も身を隠して待っている」

《この人、まったく懲りてない》

「前と同じような戦力を結集するまでにああいう組織が増えていればいいんだが」とデイミエンは手をアイシスの肩に乗せた。

アイシスは手を足元に向けて、皆がいるエリアを完全に隔てる氷の壁が建てられた。その壁に自分の姿しか映らなくて向こう側が見えない。だが声は聞こえる。

「いたぞ!」

「囚人達発見しました!こっちです!」

その場から走って行く足音の次に、走ってくる足音がした。

「なんだ、この氷は?」

「そんなの放って置け。あっち行ったんだ。確か、あれはリベリオンのリーダーだった。皆、こっちだ!絶対逃がすな!」

その後、人が走って通り過ぎる音がずっと続けた。その間は物音を立てずに捕虜達はじっとしていて氷の壁の方を見た。そのうち何も聞こえなくなって、念の為にもうちょっと待ってから脱出を再開した。

「さぁ、お姉さんの背中に乗って」と海がしゃがんだ。

女の子は腕を海の首の周りに巻き、海は彼女を背負ってロープを登った。マンホールから差し伸べられた手を掴んで下水道から引き上げられた。その同調者を見て海はびっくりした。同調者もまた海を見てびっくりした。

「オーナー!どうしてここに?」

「海こそなんで出てくるんだ?」

二人お互いを見て、元の理由が分からなくてもどういう事情か大体想像出来た。だが詳しく話すのはまた今度でいい。

「この子のお母さんがメトハインにいて、毎日王宮に訪ねてずっと探してるの。 何と会わせてあげたい」と海が言った。

「分かった。俺の馬車はそっちだ。あれに乗せてやって。満員になったらガルドルに向かうんだけど、面倒を見てくれる奴は知っているから一旦その人に預けて、明日俺がお母さんを探して知らせてあげる」

「ありがとう。さ、こっちだ」と海は女の子の手を取ってオーナーが示した馬車に連れて行った。

その隣の馬車がちょうど一杯になって皆を運んで行った。

「もう少しであなたもガルドルという町に行くよ。そこで待てばお母さんが向かいに来るから」

女の子は頷いた。遠からずして最後の一人がマンホールから出てきて、その人が乗り込んだ馬車も夜の闇へ消えた。

「終わった···。遂にやったな、おい!」とリースは才機の肩を揺さぶった。

「あ、ああ。やったね」

「おい、あんた達、ご苦労さん。俺の馬車はいらなかったみたいけど、せめて皆を送ってあげる。どこに向かっている?」と男が声を掛けた。

「そうだな。いくら近くても流石にメトハインに止まるのを止そう」とリースが言った。

「じゃあ、ドリックまでお願い」とメリナが言った。

「おお、任せて。四人にしちゃ広過ぎるかもしれないが、ま、脚を伸ばしてゆっくり休むといい」

それは幌馬車で確かに広かった。四人が入って四分の一しか使っていない。他の馬車と比べて動きは速くないから最後に残ったのだろう。やっと一息が出来て全員は自分がどれだけ疲れたかに気付いた。海は才機の隣に座ってその腕に寄り掛かっている。彼らの向かいにリースとメリナは同じ体勢で休んでいた。静かのはずの真夜中はうるさく回転する馬車の車輪と馬の足音で乱される。

「彼奴ら、どうなるんだろうね」と才機が不意に言った。

「ん?囮になってくれた連中か?分からないけど、まぁ、大丈夫だろう。距離さえ取ればあの音波銃の影響は受けないし、女の方はあの氷の障壁を時々使えば足止めとしては効果抜群のはずだ」とリースが言った。

「でもまた狙われる心配はないんじゃない?これで彼らはあんた達に大きな借りが出来たんだから」とメリナが言った。

「だといいが。そもそも彼奴らをあの状況に追い込んだのも俺だからねぇ」と才機が言った。

「彼が最後に言ったあれはどういう意味だろう?異能者の同調者が十分に増えれば復讐を諦めるのか?」と海が聞いた。

「どうだろうね。何人になれば十分なのか分からないし、増えるとしてもこの組織みたいにその姿勢を公にしないかも」とリースが言った。

「公と言えば、私達は大丈夫?顔見られたから手配書に載ったりしない?」と海が聞いた。

「賭けだな、それは。手配書が出ても捕虜を研究施設から逃がした罪じゃなく、別の罪をなすり付けてくるだろう。人体実験が行われたなんて世間に知られちゃまずいからな。だからもしかたら、誰にも何も言わないようにあえて俺達を刺激さないで放って置くかもしれない。まぁ、時間が経てば分かる事だ。どうだ?これから野宿生活っていうのは面白そうじゃない?」とリースは最後の方をメリナに向けた。

「冗談じゃない。温かいベッドと風呂がなきゃ生きて行けないよ」とメリナが言った。

「じゃ、精一杯祈る事だな」

「他人事みたいに言うな」

「あ、そうだ。まだ一番肝心な事は聞いてない。リースはどうやって助けに来れた?」と才機が聞いた。

「そう言えばそうだ。どんな手を使った?」とメリナがきちんと坐り直してリースの顔を見た。

「まだ言ってなかったね。自分の手柄にしたいところっだが、実は協力者の手引きで脱獄出来たんだ」

「協力者って、フリツ?」と海が推定した。

「いや、でも同じ研究者だった。それも···お前達の知り合い」

「俺達の?」と才機が言った。

「そう。どうやら隠し事をしていたのは俺達だけじゃなかったよ、妹」

「まさか、協力者ってクレイグ?」と海が聞いた。

「名前は教えてくれなかったが、お前達が研究を手伝っている研究者はそんなにいないだろう」

「じゃ···研究の事も全て聞いた?」と才機が低い声で聞いた。

「おお。びっくりしたぜ。お前達にはそういう秘密があったとはな」とリースも同じく声を低くした。

才機と海は目と目を見交わした。

「別に隠していた訳じゃないんだけど。ただ、言ってもどうせ信じてくれないから言わなくてもいいと思っただけだ」と才機が言った。

「それに言ったら絶対電波だと思われる。言えない、普通。っていうかよく信じたんだ」と海が言い足した。

「何言ってんだ。俺はそんなに心の狭い人に見えるか?」

「と言ってもね···」と海が言った。

「え、なになに?皆して、あたしだけ輪の外」とメリナが不満そうに言った。

「彼らの故郷の事。俺が教えてやろうか?お前達の方は分かりやすく説明出来るんじゃない?」とリースが言った。

海は運転手が聞こえないだろうと踏んでメリナに言った。

「説明って言っても私達もよく分からない。私と才機はこのルヴィアじゃなく地球という違う世界から来たとしか言いようがない」

「··················は?」と長いポーズの後メリナもリースも同時に言った。

「何、その顔?信じたんじゃなかったのか?」と才機が聞いた。

「いやー、実はその研究者に言われたのは」


**「それはもう、彼らの故郷について」

「故郷?」

「そう。え?まさか知らないのか?仲間なのに?」

「何が?」

「いや、知らないなら、私の口から言わないでおこう。今のを忘れて。別に知らなくてもいいでしょうし」**


「え?騙したのか?」と才機が聞いた。

「いや、騙すつもりとかそんなんじゃなくて、その、ちょっと茶化そうと思って、まさかそんなに大した、ってまじかよ?!」とリースは興奮していたが声をあまり上げないようにした。

「ほら、やっぱりいかれてると思っている」と海が言った。

「思ってるよ、当然!普通そうだろう。しかし、直ぐ聞き捨てられない自分も相当いかれてると思う···。そりゃ、二人はどこかがずれているとずっと思ってたけどさ。他の人と雰囲気が違うっていうか。でも故郷の秘密って、てっきり外国の人間と思った。世界が違うなんて。まじで言ってるのか?」

「じゃ、何?信じてるの?信じてないの?」と才機が聞いた。

「信じてねぇよ!本当にそうだというのか?秘密を暴こうとした俺への嫌がらせとかじゃないの?」

「じゃ、別にいいよ、そういう事にして」と才機が言った。

「いや···でも···二人がそこまで言うなら···本っ当にまじで言ってるの?」

「四回目だよ、その質問」

「何か証拠とかはないの?」

「証拠ってなんの?」と海が聞いた。

「それは···宇宙船とか?」

「ないよ、そんなの。ってか同じ宇宙ですらないみたい、俺達の世界は」と才機が言った。

「何それ?」

「お前が会った研究者の話によると、この世界と俺達の世界は距離で離れていない。次元が違う」

「ますます分からない」

「メリナはずっとそこで黙っているけど···どう思う?」と海が聞いた。

「えーーーと。何って思えばいいか分からない。これはきっと何かを冗談だと思いたいが、どうもそういう雰囲気じゃなさそうだし、あんた達がそんな嘘をついて何も得る事はないし、恐らくお兄ちゃんを助けた人の話をしなかったら、今この会話はしてないと思う。だから可能性は三つ。あんた達は本当に別世界から来た。別世界から来たと思い込んでいるだけでやっぱ電波。あるいはお兄ちゃんがさっき言ったようにあたし達をからかっている。三つ目は今直ぐに確認出来ると思う。いいか?あんた達が今とんでもない事を言い張っている。これからの付き合いに大きな影響を与えるほどのね。だからもし冗談なら冗談だと言って皆で笑い飛ばそう。お願いだから」とメリナは大真面目に言った。

才機と海はお互いを見て、言葉を利用せずに何かの結論に達した。才機は話そうと口を開けたがメリナに邪魔された。

「待って。今から質問をするから正直に即答して欲しい。約束して。絶対に正直に即答してくれるって。簡単な質問だから」

「約束する」と才機が言った。

「よし。行くよ。即答だからね?準備はいい?」

「おお」

「···今···海と見つめ合った時、何って考えてた?」

才機は質問にびっくりして、即答と呼ぶには二秒遅かったが、

「ここはいっそ冗談だって言っておいてなかった事にしようと」

メリナは溜め息をした。

「あ〜あ。じゃ、三つ目は外れだね。三つ目だったら一番楽だったなのに。って事は本当に別世界から来たか、そう思い込んでいるだけだ。となると······あたしはどっちでもいいや。思い込みならあたしは電波系の友達がいるという事だけで、それもそれで面白いかも。本当に別世界から来たなら、そこに戻ると言わない限り問題ない」メリナは本当にどうでもいいと言わんばかりにもう一度リースの肩に寄り掛かった。

「メリナ···」と海が言った。

「流石俺の妹だ。いい事を言う。俺もそれで行こう。信じる信じないか悩むのは面倒臭い。どうでもいい。まぁ、正直信じてないけどどうでもいい」

才機も海もその結論に笑うしかなかった。

「あ、そうだ。伝言を頼まれたんだ、あの研究者に。来週あたり実験がしたいから準備が出来たら使者を送るって」

「実験はもううんざりだけどなぁ」と才機が言った。

「ま、電波者同士楽しんできて」

その内、運転手が垂れぶたを開けて、ドリックへの到着を告げた。

「着いたぞ。あんなに働いてもらったのにこれぐらいしかしてやれなくて悪いな」

「いいって。俺達の宿への道を教える」とリースが助手席へ移った。

宿に着いたらもう午前二時は過ぎていた。メリナは馬車から降りようとしたが、海に呼び止められた。

「あ、メリナ、待って」

「ん?」

「耳」

「あ、そうだ!完全に忘れてた」とメリナは頭の耳を手で隠した。

海は運転していた男に話し掛けた。

「ね、その帽子は大事な物?」

「これ?いや、それほどでもないけど」

「じゃあ、今回の働きの報酬として頂いていい?」

「ん?ああ、いいよ。御安いご用」と男は帽子を取って海に渡した。

海はその帽子をメリナの頭に被らせた。

「ありがとう」

ヘトヘトの四人はそれぞれの部屋に行って昼過ぎまで寝込んだ。


   •••


リースとメリナは暫く仕事を休む事にした。どこかに旅行する予定はない。ただ暇である事を存分に楽しんで、釣りに行ったり、町を見物して回ったりとだらだら過ごす。そしてその二人が仕事を休むと結果的に才機も休む事になり、二人に付き合っている。海だけは真面目に仕事を放置しなかった。ドリックに帰った日は流石にオーナーがまだ戻っていなくて、仕方なく一日休んだ。その次の日は店が営業再開となった。オーナーのオフィスで二人で話してオーナーが前からあの組織の一員だって分かった。海は自分が異能者までとは言わなかったが、最近入った新しいメンバーだという事にした。昨日はオーナーが女の子のお母さんを見つけて、今頃は家族三人で感動の再会を遂げて喜んでいるだそうだ。何日も立って四人の手配書どころか研究施設が侵入された噂もなかった。やっぱり皇帝はこの件に関しては何も暴露されたくないみたい。全てを押し隠すつもりだ。その方が才機達にとっては好都合でありがたい。

今日は才機とリースとメリナは商店街でウインドーショッピングに行っている。リースは気になったお菓子やおやつを買って歩き回りながら必ず何かを食べている。メリナは気に入ったアクセサリーを色々付けてみてその殆どを元に戻しているが、たまにはどうしても手放せない代物を見つけてはしっかり思い悩んでから満ち足りた笑顔で購入した宝物を鞄に入れた。

「どうした才機?何も買わないの?ずっと貯金してるんだろう?そんなにしみったれていないで人生を楽しめよ」とリースが一つかみのお菓子を口に詰め込んだ。

「そういうつもりじゃなかったけど、ただ目ぼしいが見つからないだけだ」

隣で歩いているメリナは買ったばかりのガラス細工の鳥を目の近くで眺めながら才機に言った。

「欲がないんだね、才機は。じゃ、海に何か買ってあげたら。あたし達と違って頑張って働いているんだから、何かご褒美をあげた方がいいんじゃない?」

「そうそう。偉いよなぁ、海は」とリースが同意した。

「そう思うなら、俺は別に仕事してもいいよ。もう四日も休んでるじゃん」と才機が言った。

「んーーーー。もう少しだなぁ。後三日ぐらい」

「という訳で今日の目標は海へのプレゼントを探す事。海はどんな事が好き?」とメリナが聞いた。

才機の瞳は上の方を向いた。

「柔道」

「何それ?それじゃ、買う物ないじゃん。ダメ、ダメ、後は?」

「料理?」

「却下。鍋とか何かの調理道具でも買ってあげるつもり?それじゃ、結局才機の為に使われる」

「服」

「服ね。女なら当然だけど、ま、取りあえずそれで行こう。海に似合いそうなドレスをどこかで見かけなかった?」

「いや、そもそも探してなかった」

「じゃ、目を光らせておいて。あたしも探すから。服じゃなくても可愛い指輪とか首飾りでもいいと思うよ」

こうして海のプレゼント探しが始まった。才機は通り掛かる衣料品店を真面目に見回したが正直、服の事はあまり詳しくない。ましては女物。

「どう思う、これ」と才機はリースに聞いた。

「聞く相手間違っているよ。女の服なんて知らん」

「才機、こっちだ。いい物あった」と通りの向こう側からメリナが呼び掛けた。

才機とリースはそっちの店に行ってメリナが見せたがっている物を目にした。

「それ、水着っぽいんだけど」と才機が言った。

「ぽいじゃなくて、水着だよ。超可愛くない?」

「水着を買えるか。っつうか、この辺に海何かないだろう?」と才機がちょっとうろたえた。

「あるわよ。九十キロメートルぐらい歩けば」

「とにかく、水着はなし」

「分かったよ」とメリナが面倒臭そうに言ってもっと奥の方へ進んだ。

「おお、これはいい!」

「今度は何だ?」と才機はメリナを追った。

メリナが手にしていたのはとてもセクシーな赤いランジェリー。

「へー。お前そういうの趣味だったのか?隅に置けないなぁ」と後ろから聞いたリースが才機に言った。

「本当に手伝う気あるの?お前完全に面白がってんだな」と才機がメリナに言った。

「両方」とメリナはきっぱりと答えて無邪気に笑った。

「ふーん。でもそうだねー。そういう物だったら俺達の関係に何かの変化が起きるかも。しかしあれに決めた方がいいかどうかまだ分からないよねぇ。もしモデルになってくれる人がいれば助かるんだけど」と才機がわざとらしくほのめかした。

「はい、試着室に行ってきて」とメリナがそのランジェリーをりースに差し出した。

リースは片眉をつり上げて、誰かに着せたら裏がどうなっているか想像に任せる必要が殆どないそのネグリジェを見た。

「がーー!今想像してはならない物を想像させてしまったじゃねぇか!」と才機は頭を抱えて店の外へ逃げ出した。

「あの···苛め照準はいつ俺に移った?」とリースが聞いた。

「ったく。自分でプレゼントを探せって言っておいて、これだ」と才機が独り言を漏らした。

「ここにいらっしゃったのですね」と才機の近くに来た人が言った。

その方向を見ると才機はびっくりした。シンディだった。

「シンディ!何でここにいる?」

「才機殿を探していました。海はご一緒ではありませんか?」

「海なら今仕事中」

「あ、この間のメードだ。何?また女帝を会いに行くのか?」と店を出たリースが才機に聞いた。

「でしたら、今度海殿に会ったらお伝えて下さい。クレイグ博士は二人を戻せるかもしれませんので、明日はガルドルへいらっしゃるようにと。そこの宿屋でお二人を待つそうです」

才機の目は大きくなった。

「戻すってどこに?」とリースが聞いた。

「分かりかねます。わたくしも詳しい事情は聞かされておりませんでしたので。明朝、ガルドルで子細をお聞きになれるかと。では、伝言を確かにお取り次ぎ致しました」

シンディはお辞儀してお暇しました。

「なーんか無愛想だな、あの人。で、彼女は知らなくても本人は知っているよね。戻すってどういう事?」

「その···俺達の世界に戻す。多分」

「やっぱその話かぁ···。俺達も付いて行って構わないか?ほら、戻るんなら見送りたいし」

「あぁ、そうだな」

「どうした二人とも、そんな辛気臭い顔して?」とメリナがやってきた。

「今、例の使者が来たんだ。才機と海を彼らの世界へ戻すってさ」

「あくまでやってみるだけだ。うまくいく保障はないけど」と才機が言った。

「そうか。···でもやっぱり、帰りたいのか?···その、自分の世界へ。こっちの世界でも良くない?」とメリナが聞いた。

「それを希望にしてずっと頑張ってきたからね」

二人が本当に信じていたのか、それともただ話を合わせてくれているだけなのか才機には分からないが、どの道空気がちょっと重くなった。

「そろそろ海が上がる時間じゃない?迎えに行って知らせてあげなくちゃ。プレゼントとしてはそれ以上喜ばせる事はないだろう」とメリナが言った。

「そうだね。あまり期待を持たせたくないけど。じゃあ、お先に。プレゼント探すの手伝ってありがとう」と才機が手を振って海の仕事場を目指した。

才機が海の働く店に着くとまだ少し速かったようで外で待たせてもらった。海にあまり期待を持たせたくないと言ったが、自分も相当期待し始めてきた。頭の中は地球の事で一杯。海が店から出て近付いてくるのを気付かないほどに。

「だ〜れだ?」と誰かの手がテーブルで座っている才機の目を覆った。

「俺が毎日生きていて良かったと思わせる存在だ」

「嬉しい事言ってくれるねぇ」と海は前腕を才機の肩にもたせ掛けた。

「もっと嬉しいくなる事を言えるよ」

「ほー、じゃ、言ってみ」

「明日にでも日本に帰れるかもしれない」

「···え?なんで?何かあった?」と海がハイテンションに切り替え、つめ先立ちしながら手で才機の両肩を押し下げていた。

その声は間違いなく期待に溢れていた。

「クレイグは何かを掴んだみたい。あまり期待しない方がいいと思うけど。一発で決めるなんてほぼ無理だろう」

「でも近付いてるんでしょう?私達を地球に戻す方法に」

「そりゃ、まぁ、前よりは近付いてるだろう」

「じゃ、もっと喜べよ!希望が見えてきた」

「そうだな。ただ、一つ気がかりがある。リースとメリナがね」

「二人ね。言った方がいいかな。もし失敗するんなら言う必要はないだろう。でももし成功したら何も言わずにいなくなった事になる」

「それなら悩まなくていい。二人はもう知っているから。俺と同時に知ったんだ」

「そうか。どう受け止めた?」

「んーー。ちょっと言えないな。動揺してたのは確かだけど、それはまた異世界の話になったからか、俺達がいなくなる可能性があるからかは分からん」

「メリナ、言ったもんね。戻ると言い出さない限り問題はないって」

「でもだからってこのチャンズを逃せる訳にはいけないだろう。二人には悪いけど」

「なんか複雑だね。日本に帰るのにまさか未練があるとは」

「仕方ないんだ、これは。真実だって知っていれば分かってくれるはず。誰だって自分の世界に帰りたいと思う」

ちょっとした沈黙。

「じゃ、宿に帰ろう。明日は早起きだ」と才機が言った。

宿に帰ってからリースとメリナに会わなかった。夕ご飯は四人で食べるのはよくある事だが、今夜は誰も誘われなかった。既に帰っているかどうかも不明。部屋のドアをノックしてみれば直ぐに分かる事だが、あえてしないでその晩を二人で過ごした。


   •••


翌日は目が覚めたら雨の音が聞こえた。

海は窓の方を見た。

「やだ、雨がざあざあ降ってる」

「参ったなぁ。今日こそ馬車に乗りたいな。ずっと雨に打たれて乗馬をするってのは気が引ける」

「風引きそうだね。でもうまくいけばお母さんに看病されながら家で回復出来る」

「俺はどうするの?一人暮らしだ」

「私の風が治ったら看病しに行く」

「何日も風を引いていろってか?」

「じゃ、うちに来て一緒に看護される?パパにどう説明するか見てみたい」

「怖そうもんな、お前の親父。大会で見た事がある。柔道やってたよね?」

「うん。子供の頃からびしびし鍛えられた」

「お前と組んで技練やってたら、すんげぃ睨まれてたような気がした。もしお前を変に触ったら親父に一本背負いされそうだった」

「ありえなくはない」

「風は自分で何とかやってみよう」

準備が出来たら二人は部屋を出た。同時にリースとメリナも彼らの部屋から出た。

「お、おはよう。酷い天気だね」とメリナが言った。

「うん。悪いね、こんな日に付き合わせてもらって」と海が言った。

「いいって。あたし達は勝手に付いて行くだけだから。さ、朝飯食べたら行こう」

朝食は妙なくらいいつもと変わらない雰囲気で、四人で楽しく話したり、いがみ合ったり、これから仲間二人を別世界へ見送ると思えない光景だ。神様が情けをかけたか、食べ終わって外に出たら雨は霧雨となっていた。風が少し出てきたけど。

「ま、濡れることには変わりないけど、さっきよりはずっとましだ。ガルドルに着くまではこれぐらいの雨のままであって欲しい」とリースが言った。

「どうせなら雨が止むように願えよ」とメリナが突っ込んだ。

「欲張りはしない主義なんでね。こうやって常に些細な願いにとどめておくと後々いいことがある」

「それ、ただ期待を低く持って生きているだけなんじゃ」

「さ、本当にまた本格的に降り出す前に出発しよう」

だが早速悪いことあった。馬を借りに行くとリースは大目玉を食らった。それもそのはずだ。前に借りた馬を返すのを忘れたからね。金物屋の店主は恐らく未だに面倒を見ていて、いつリースが引き取りに来てくれるのか気になっているだろう。今度帰ったらあの二頭も一緒に連れて帰らないと。その延滞料は今日の馬を借りた時に先払いした。

騎手が嫌でも馬達は雨を気にせず、泥化した道路をいつも通り一所懸命に走った。ひずめが滑りやすい地面に沈んでも踏み外さないで騎手を無事ガルドルへ送り届けた。

宿屋の手前で降りて、馬を柱に繋ぎ止めてから中に入った。才機と海には何だか懐かしい感じがした。あの日、初めてこっちの世界に来た日はこの町でゲンの助けを得てこの宿で泊まった。お陰で野宿せずに済んだ。小さい応接間でクレイグ博士を直ぐに見つけた。時間は指定されていなかったから、才機は彼らが先に着くと思ったが、クレイグはテーブルで座って普通に朝食を食べていた。

「早いね」と才機が言った。

「ん?もう来たか?ま、別にいいけど。友達を連れて来たんだね」とクレイグがフォークに刺さった芋を口に入れた。

「この間はどうも。助かった」とリースが言った。

「ああ、君はあれか。拘置された人。面と向かって会うのは初めてだね。礼には及ばん。私利を図っていただけだったんで。一緒に捕まったのはこの二人じゃなければ一切関心しなかっただろう。だから恩義があるとか思わなくていいよ」とクレイグが正直に言った。

「そうか。ま、その方は気楽だからこっちは助かるけど」

「海とメリナは暖炉の近くに行って暖まって来たら?」と才機が提案した。

「あまり意味ないですよ。また直ぐに出掛けてもらうから」とクレイグが言った。

「せめてもっと天気のいい日に呼び出して欲しかった」とメリナはクレイグの言った事を気にせずに暖炉に行った。

「それは困る。むしろ、天気のいい日だったらこの実験を延期したんだ」とクレイグが何気なく食べ続けていた。

「え?どうして?」と才機が聞いた。

「前に教えただろう?こういう天気の異変はチキュウとルヴィアが同調し初めて扉が開く前触れだ。私の計算によるとその時がまたやって来た。概算だからいつ完全に同調するかは分からないが、この天気は徴候となる」

「偶々今日の天気が悪いだけって可能性は?」と才機が聞いた。

「十分ある。でも本物の星合現象と出来るだけ同じ状況にしたいんだ。どんな細かい処置でも取るべきだ」とクレイグがフォークを才機に向かって振り回した。

「じゃ、どうすればいい?」と海が聞いた。

「では、付いてきてくれ」とクレイグはナプキンで口元を拭いてからフォークとナイフをまだ飯が残っている皿にことりと置いて宿を出た。

角を回って宿の後ろに行った。そこに近衛兵が三人いたから才機は突然足を止まった。

「大丈夫だ。この三人は実験を手伝う為に女帝が自ら選んだ」とクレイグが保証した。

その兵士達は荷馬車の警護をしていた。荷馬車には防水シートに包まれた何かが乗せていた。

「あれは?」と海が聞いた。

「王宮の最上階にあった移築された遺跡だ」とクレイグが言った。

「いいのか、あんなのを持ち出して?」と才機が聞いた。

「女帝陛下が許可してくれた。皇帝陛下には黙って許したと思うけど。実験が終わったらまたこっそり元に戻す。この世界に来た時はトゥイエ森にいたと言ったよね?」

「そうだけど。それが大事な事ですか?」

「大事とも。来た場所で帰さないとあっちでどこで現れるか分かったもんじゃない。どこかの壁の中に具体化するかもしれない。その際はあなた達の分子か壁の分子、どっちが優先されるか分からない。合成されるかもしれない。どの道、結果は恐らくよろしくないはずだ」

「そうか。だから待ち合わせ場所をこの町にしたんだね」

「そういう事。今から兵士達をあなた達が現れた場所まで案内してやってくれ。彼らはそこで色々と準備をするから。一時間強は掛かるかな」

「分かった」

「私は朝飯の続きをやるとする。この宿は見た目に寄らず料理だけがまともなんだ」

クレイグを除いて全員宿の前で一旦集まった。

「お前らが先に行ってくれ、この子達をどこか屋根のある場所に連れて行く」とリースは馬の手綱を解き始めた。

メリナはもう一頭の馬の世話を引き受けた。

「そうか。そこの崖を沿って来れば見つけられるはず。ふもとの洞穴だから」と才機が言った。

「分かった」

才機と海はまた兵士達が待っている宿の裏へ向かった。

「これでもう信じてもらえたんだろう?」

「クレイグまでいかれているっていうのは凄い偶然だからね。立場が逆だったら海は信じる?」

「んーー。自分の目で見ない限り半信半疑かな」

「だな」

リースとメリナは馬を宿に併設された馬房に連れて行ったら、才機と海を追うのではなく、また宿に入った。そこで朝飯を終えようとしていたクレイグの向かいに座った。

「あら?他の皆と一緒に行ったんじゃないの?」

「その前にあんたと話がしたかったからね。才機と海に別の世界だのの話を吹き込んだのはあんたか」とメリナが聞いた。

クレイグは開いた口の中に運ぼうとしていたホットケーキの一切れをフォークごと皿に戻した。

「いえいえ、むしろ向こうから私に来たんですよ。あなた達の考えている事が分かる。未だに信じられないだろう、友達が異世界の者だなんて。無理もない。俺が信じられるのは実際に見たからね」

「異世界を?」とリースが聞いた。

「いや、異世界の来訪者の行き来を。まぁ、後少しであなた達自身も目にする可能性は一応あるが」

「って事は何?俺達の世界を異世界人があっちこっち訪ねてきてるのか?」とリースが聞いた。

「いや、世界の境界を越えるのは極稀な出来事だ。そして越えられたとしても、程なく自然と自分の世界に戻る。あの二人はちょっと···特別なんだけど」

「じゃ···この実験が成功する確率は?」とメリナが聞いた。

「それなりに高いと思うよ。まぁ、分からない事が多くて失敗する理由が見えていないだけかもしれませんが、この間はネズミをあっちに送り込むのに成功した。多分」

リースは溜め息をついた。

「俺はどっちかっていうと絶対信じないと思ったが、こうなると自分の正気を疑う余地が少し出てくる。なんせちょっと信じてきたからね。世の中は分からないもんばっかりだ。って、その世の中も一つとは限らないんだった。信じられないが信じるしかないっていうか。冗談にしては凝り過ぎだし、皇族も裏から手を回しているとなりゃ何かがある」

「あたしは信じられなかったというより信じたくなかった。そもそも考えないようにしてた。でも今までの話を聞いたらもうそうはいけない。これであの二人の女帝との関係に頷けるし、たまに首をかしげさせるような発言の裏にあった意味が理解出来る。どこか普通の人と雰囲気が違うって思ってたけど···。信じたくはないが···取りあえずは信じることにする」

メリナは肘をテーブルの上に置いて疲れたように垂れた頭を両手で受け止めた。

「あの二人がいなくなるのは寂しいけど、家は他にあるというならあたしからも頼みます。出来るなら無事に帰してあげてください。出来ないならまた考えないようにするだけだ」

「ぜ、善処します」

納得した二人は宿を出た。一方、トゥリエ森の方では才機と海が初めてこの世界で現れた場所で兵士達は移築した遺跡を洞穴の手前に置いて入り口で薪を沢山集めていた。遺跡の前に小さな機械が置いてあった。

「リースとメリナが迷ちゃったかな。探しに行った方がいいと思う?」と才機が海に聞いた。

「そうね。宿に戻って待っているかも」

「ここの準備はそろそろ終わる。博士を知らせに行く所だったから他の二人も一緒に案内します」と兵士の一人が言った。

「あぁ、じゃお願い」と才機が言った。

二十分ぐらいたったら兵士は二人を連れて戻ってきた。一人はクレイグだった。もう一人はリースでもメリナでもなかった。シンディだった。

「あれっ、シンディ。どうしてここに?」と海が聞いた。

「女帝陛下から二つの命令を仰せ付かって参りました。一つはこれを二人に差し上げる事です」とシンディが才機と海に一人ずつ高価そうなブローチを手渡した。

「これは?」と海が聞いた。

「こんな大事な時に見送れなくて本当にごめんなさい。その代わりにこれを受け取って欲しい。あなた達が持つべき物なんです。二人が無事に帰ること、そして幸せになることを祈っています。以上が女帝陛下のお言葉です。二つ目の命令はここで起こった事を見届けて、陛下にお伝えする事です。立ち会っても構いませんか?」

「いいえ、全然」と海が言った。

「ありがとうございました」とシンディがお辞儀をしてから下がった。

「リースとメリナは一緒じゃないの?」と才機がクレイグに聞いた。

「まだ来てないのか?私達よりずっと先にこっちへ向かったはずだが。準備が出来ているようだね」

「それなんだけど。さっき思ったんだ。あれを使って精神を失った人も出たって話じゃなかった?本当に安全なのか?」と才機は遺跡に指差した。

「そういった事件の日付からすると、どれもチキュウとルヴィアの同調期からかなり離れた時期に起こった例だ。二つの世界が完全に同調した時しか発生しない現象を人工的に起こしているからね。···距離、と呼ぶのはいささか不適切なんだが、二つの世界の間の距離が遠過ぎると戻ってくる際の反動が大き過ぎて、そのショックで精神が壊れる可能性がある。分かり易く説明すると、この遺跡は異世界への扉を開けるんだけど、二つの世界を隔てているるのは普段閉じてる扉だけではない。その扉の他に網戸もあると考えるといい。ただ、この網戸は物凄く弾力性があって、空気が入っていない風船みたいだ。破れなくても頑張って突き進めばその網戸をぐんぐん押して伸ばしながら扉の向こう側へ行ける。でも限界はある。いずれは戻される。そして戻った時は進んだ分、強く弾き返される。この遺跡の転送の仕方は強引でね。扉を開けると人間大砲みたいにとんでもない勢いで扉の向こうへ打ち出すんだ。網戸の弾力性のお陰でぶつけても扉を遥かに超えて進むが、結局その網戸で弾き返される。兵士や動物はその反動にやられた。しかし、その網戸はチキュウとルヴィアが同調していない時のみに存在し、同調しているならスムーズに渡ることが出来る。チキュウとルヴィアがまた同調し始めているはず今なら、弾き返される心配もないはずだ。もっとも、私の考えが正しければそれはあなた達には関係ないのない話だ。今のあなた達なら、ね」

「と言うと?」と才機が聞いた。

「それぞれの世界に存在するあらゆる物質はその世界の属性を持ち、そしてもし何かがもう一つの世界に渡っても同じ属性の世界に引き戻される。しかし、二人はどうなんだ?チキュウに戻らなかったどろう?それはその体は元々ルヴィアの物だからだ!女帝陛下の話を聞いていなければきっと解けなかった謎だった。では女帝が二人をチキュウに送った時、なぜルヴィアに戻らなかった?先ほど言ったようにこの遺跡で人工的に送り込むという方法はかなり強引だ。自然の現象はそもそもチキュウとルヴィアが同調している時しか発生し得ないから網戸はないし、開いた扉を偶々通り抜けたら普通に歩いてくぐるようなものだ。扉からそんなに離れることはない。簡単にまた自分と同じ属性の世界に引き戻される。でもこの遺跡はね、乗ると扉が直ぐに開く訳ではない。ここからはまだ私が立てた仮説に過ぎないが、何かが乗ると扉を開ける為のエネルギ、エネレギ源か分からないが、それが十分溜まれば扉が開く。そしてそのエネルギは台座に乗っているものにも働きかける。扉が開く前は位置エネルギーみたいなものだが、扉が開いた瞬間、それが運動エネルギに変換される。体にも溜まったそのエネルギで扉の向こうへビューンと打ち出され、もし網戸がなければ弾き返される力に抗わず扉を遥かに越える。属性を引き戻す力だけでは引き戻されないほどにね。そう。二人は運良くチキュウとルヴィアが同調している時期に女帝に送り込まれた。ちなみに扉を遥かに越えるとか言っているけど、物理的な距離じゃないからそこは間違えないようにね。例え自然に別の世界へ渡ったとして、戻される前に仮に何らかの方法でチキュウやルヴィアの反対側へ移動出来たとしても元の世界に戻るはず。えっと、何を言おうとしていたっけ。あ、そうだ。この属性を引き寄せる力は網戸の弾力と合わせて弾き返す現象を起こす訳が、ずっとチキュウにいた二人はチキュウの属性をも得たのではないかと睨んでいる。こっちへ来た時は自然に出来た扉をくぐって渡ってきた。こっちの属性の人間だから残るのは当然。だが着ていた服が突然消えるようなことはなかったよね?」

「ないですね」

「考えられるのは何度も着た服だから自分の汗などがある程度染み込んだらその服はルヴィアの属性も得た。ならばチジュウの空気を何年も吸って、チキュウの食べ物を何年も食べてきた二人は間違いなくチキュウの属性を得たと言えるだろう。二つの世界の属性を持つあなた達ならどっちの世界にでも止まる事が出来ても何も不思議ことはない。だから今のあなた達ならチキュウとルヴィアが同調していない時にこの遺跡で送り込んでも大丈夫と思うが、あの網戸に包まれたままで残ってもどんな影響があるか分からん。もしかして影響などないかもしれないが、念の為にね」

「そうか。何となく分かったような気がする。海は分かった?」

「何となく」

「そこ、あれに火を付けてくれ」とクレイグが兵士の一人に指示した。

その兵士は火を付けたマッチを積み上げられた薪の上に落とした。間もなく立派な焚き火が出来上がった。

「これで、火、雨、風が揃った。雷はないが、そればっかりはどうしようもない。この小型発電機で何とか補ってみよう」とクレイグがスイッチを入れた。

「条件を前部整えるのは大変だな」と才機が言った。

「王宮の最上階で何かをのこの遺跡の上に置いてもなんの反応はしなかった。最低限の自然力が必要だろう。七代目皇帝があっちの世界に渡った時は探検隊が松明を持っていたはず。遺跡の中はじめじめしていたらしいし、風通しもよかったかもしれない。心の準備は出来ているか?いつでも初めていいよ」

「でもリースとメリナはまだ来てない」と海が言った。

「もしかして、あの二人は来ないつもりかな」と才機が言った。

「もう少し待ってもいい?」と海がクレイグに聞いた。

「それはあなた達に任せる。私の計算は概算だからひょっとしたら本当はもう少し待った方がいいかもしれない」

「もしこれで帰れたら、ちゃんと別れを言えなかった事を絶対後悔する」

「そうだな。もう少し待とう」と才機は賛同した。

全員洞穴の中で雨宿りをしながら待った。そうやって二十分ぐらいは経ったが、その間は雨が少しに強くなっただけだ。

「一応、焚き火が燃え尽きない内に実験を行いたいんだが、外の薪が湿って使い物にならない。そろそろやって見ますか?」とクレイグが聞いた。

「どうしたの、二人は?見送ってくれるって言ったのに」と海が言った。

「あれは一緒に来て真相を確かめる為の口実だったんじゃないか?真実だって分かって彼らも辛いだろう」と才機が言った。

「それにしたって···もうちょっとだけ」

「俺もこのまま帰るのは気が済まないが、来るんだったらとっくに来てるはず。今頃は宿で失敗した場合の俺達を待っているだろう」

海は何にも答えず、外と見た。

「では、後十分待とう」とクレイグが提案した。

洞穴にいる皆は人によってその十分は長く感じたらり、早く感じたりしたが、経つまでにリースとメリナは現れなかった。

「それじゃ、もういいかね?」とクレイグが聞いた。

「はい···やってみましょう」と海はしぶしぶ返事をした。

全員また外に出て、才機と海は遺跡の前に立った。

「上に乗ればいいんだね?」と才機が聞いた。

「ええ」とクレイグが答えた。

「じゃ、行くぞ」と才機は海の手を握った。

「待って!」とメリナの声が聞こえた。

振り返るとメリガ走ってきている。

「間に合ってよかったー」とメリナは息を切らして二人の前に止まった。

「今までどこに行っていたのよ?!来ないかと思っ」と海が身をかがめて膝に手を付けているメリナが持っている物に気付いた。

「大事な物、はー、はー、忘れてない?」とメリナは帽子を海の頭に被らせた。

才機からもらって大切にしていた帽子。

「これ、取りに行ってくれたのか?」

「海ったら自分の世界に戻れると思ったら、こんな大事な物まで忘れちゃうもんね。どうせ何かを置いて行くならあのスープのレシピを残して欲しかったな」

「ありがとう。ありがとうね」と海が帽子のつばを両手で握った。

「それはこっちの台詞。海は初めて友達になってくれた人。普通の女はどんな風に友達と過ごすか教えてくれた。あんた達のお陰で今まで経験出来なかった事を沢山やってみる事が出来た。あんた達がいなきゃ成し遂げなかった事も成し遂げた。どうやってこの世界に来たか分からないけど、幾ら感謝しても感謝し切れない」

「私だって、メリナとリースがいてくれて心強かった。才機と一緒にこの訳分かれない世界に来て凄く不安だった。でも二人が味方になってくれたから、もしずっとこの世界にいる羽目になってもても大丈夫だって、何とかやっていけるって思えた。困った事があったら頼れるって分かっていた」

「あーあ、海は帽子を被っているから泣いているって分かっちゃうよ。あたしは涙が雨に混ざって分からないからいいっしょ?」とメリナが笑った。

「ずるいな。これで帰れなかったら本当に格好悪い」

「失敗したらこっちとしては嬉しいが、心から成功を願っているよ」

「リースは?見当らないけど」と才機が言った。

「来てないのか?あのバカ兄貴。照れ臭いんだろう。後で顔を出さなかった罰として思いっきり殴ってやる」

「まぁ、そんなに辛く当たらないでやってくれ。確かにこういうのは彼の柄じゃなさそうだ」

「よく知っているね。流石はお兄ちゃんの相棒だ。でもお兄ちゃんはあたしと同じ気持ちだから」

「そうだ。俺達の部屋の鏡台の三つ目の引き出しの裏に今まで溜まったお金がある。あれをお前らがもらえばいい。リースが紹介してくれた仕事だったし、持って行っても俺達は使えない」

「後、もし帰れたらオーナーにうまく話してくれる?」と海が頼んだ。

「分かった。後始末はそれだけか?じゃ、いよいよだね」

メリナは海を抱きしめた。次に才機の頬にキスをした。

「あんた達が消える瞬間を見たら耐えられそうにないからもう行くね。もしうまくいかなかったらあたし達は宿であんた達を待っている。それじゃ、ね」とメリナが行ってしまった。

「うん。じゃ、ね」と海は呼び掛けた。

「海の言う通り待ってよかったな」と才機が言った。

「うん」と海は鼻をすすった。

「気持ちの整理が出来たらいつでも遺跡の上に上がっていいよ。さっきも説明したが直ぐには送られない。少し時間が掛かる」とクレイグが言った。

メリナは崖のそれほど険しくない部分を登ってい

た。上に出ると縁の方へ歩いた。

「やっぱりあんただったね、下から見かけたのは」

縁には既にびしょ濡れになっているリースが立っていて、下の方を見下ろしている。そこから約五十メートル下に才機と海は遺跡の上に乗っていた。

「帰ってくるの随分遅かったじゃない」とリースが言った。

「遠いんだから仕方ないだろう。あんたの言い訳は?なんでそんなに恥ずかしがりやなんだよ?こんな高い所から顔もろくに見れない」

「別れが苦手な方なんだ。そういうのお前に任せる」

「成功しなかったら来なかった事を絶対怒られるよ?」

「成功したら自分の世界に戻れて嬉しくて、俺に怒る余裕はないはずだ。成功しなかったら幾らでも怒られてもいい。望む所だ。どっちに転んでもいい事はあるだろう?」

「お兄ちゃん···」

メリナも下を見下ろした。

「消えるのを見たくないってのは本当なんだ。あたしはもう帰る」とメリナは行こうとして踵を返した。

しかし雨で足元が滑りやすくなって仰向けに転倒した。下の方へ。

リースは崖から落ちて行く妹の手を掴もうとした。どう見ても手遅れだ。


   •••


ドボン!

才機と海は急に水の中に落とされた。いきなり水に突っ込まれて、そりゃ、慌てふためく。でも普通に立てば首から上は水から突き出る。

「ゴホン、ゴホン!何があった?!戻ったのか?!」と困惑した才機が叫んだ。

「才機、見ろ!」と海は才機の後ろへ指差した。

才機が振り返って見ると橋が見えた。

「あの日、私達が上から落ちた橋だ!」と海は大喜びだった。

「やった!本当に帰ってこれた!」と才機が海を抱きしめた。

「今日は何月何日?早く確かめよう!」

二人は川から出て橋の方へ河川敷の表法面を登り始めた。

ドボン!

才機と海はその音を聞いて川の方に振り向く。そこには到底見えると思わなかった光景が呈された。先ほどの才機と海と同じようにリースとメリナが川でのた打ち回っている様だ。

「才機、あれは···」

「うん···」

二人は茫然自失してリースとメリナが川から上がるのを見た。

「二人ともなんでここに?」とまだショックを受けている才機が尋ねた。

「なんでって?それよりどこだここは?さっきまではメリナと一緒に崖かから転落していたはずだ」とリースが言った。

「え?」と海はまだ驚いているのに更に驚いた。

「そうしたらいつの間にか川にいる。何がどうなって···」

リースは周囲を見回した。

「もしかして、ここはお前達の世界?」

「うん」と海がリースの仮説を実証した。

「実験に巻き込まれたんだ、きっと」とメリナが言った。

「どうする?」と海は才機に聞いた。

「どうするって。まぁ···取りあえずは···当初の目的を果たして今日の日付を確かめよう」と才機はまた法面を登り始めた。

他の三人はその後を追った。才機は近くのコンビニに入って雑誌コーナーに行った。適当に雑誌を選び出して日付を見た。

「二月二千十一年」と才機が読み上げた。

「一年半も経っている」と隣で海が言った。

「浦島太郎の気分が分かったような気がする」

「いやぁ、何百年と十八ヶ月は比べ物にならないと思う」

リースとメリナは自動ドアで少し戸惑ってから不思議そうにコンビニを見回っていて人目を引いていた。ただでさえずぶ濡れなのにメリナはともかく、リースの格好、特にマントが目立つ。才機と海は二人を引っ張ってコンビニを出た。

「凄いよ、あんた達の世界は!見た事ない物ばっかりだ!」とメリナは興奮していた。

「まぁ、世界が違うと多少の相違が見られるものだ」と才機が言った。

「何あの建物?!派手だね。この辺の建物は全部派手だけど、あれは飛び切り派手だ」とメリナが気になっているそのビルの方へ走った。

「待って、待って、待って」と才機がメリナを追い掛け、手を掴んで引き止めた。

「何?」とメリナが聞いた。

「今の状況を少し把握しよう」

「把握って、あたし達はあんた達の世界に来た。他に把握する事あるの?」

「少し落ち着いて考えればきっとあるよ」と才機が近くにあった道路標識に手を付けてもたれ掛かり、自分でも落ち着こうとした。

チリンチリン。

才機の後ろから自転車に乗っている少年が接近していた。その狭い歩道に立っていた才機が振り向いて、少年が目に入るとぎりぎりで身をかわした。

「危ねぇなぁ」と才機が言った。

「才機!」と海が慌て出した。

「ん?どうし」

才機は手を付けていた標識に気付いた。四十五度の角で曲がっていた。才機の無意識にガラス姿となった手によって。幸い、それを目撃する人はちょうどいない。才機はさりげなく標識も自分の体も元に戻した。元に戻したと言っても標識が曲げられた痕跡は完全に見え見えだが、そこは誰もツッコまなかった。

「能力が···残っている」と才機が言った。

「なんでそんなに驚いている?自分の世界に戻るからって別に消える理由はないだろう?あたしの耳もちゃんとある」とメリナはバンダナの上から耳に手を当てた。

「っていうか、完全に忘れてた。こんな能力があった事」

海は弱めの風を召喚しようとして成功した。

「本当だ。私もまだ残っている」

「別にいいんじゃない?二人の能力は結構便利だし」とリースが言った。

「良くないよ!この世界でこんな事が出来るの俺達だけだ!」と才機が言った。

「じゃぁ、今まで通りばれないように隠せばいい」

「そうは言うけどさ、ってお前、見送りに来なかったじゃねぇか?!どういう事だ?!」

「さっきのあの乗り物面白かったよな、メリナ?追い掛けてもっと近くで見よう」とリースはすうずうしくも聞こえなかったふりをして先に行った。

「実験が成功したのに怒られてるじゃん。お兄ちゃんの作戦大失敗」とメリナが独り言のように言った。

「おい!白を切ってんじゃねぇ!ってか歩いて追い付く気か?」

「あ!思い出した!」とメリナが急に言い出した。

「今度は何?」と才機はびっくりした。

「初めて会った時、確か言ったよね?どこかの町でこの耳は男に好評されるって。そこってもしかしてここ?」とメリナが目をきらきらと輝かせて明らかに期待に満ちている。

才機はさっき曲げた標識に前腕をもたれ、その腕に顔を埋めて溜め息をついた。

「あ、お兄ちゃん、待って!」とメリナはリースを追い掛けた。

「何か大変な事になったね」と海が言った。

「なったね。···あ。」と才機は顔を上げて何かに気付いたようだ。

並んで歩いているリースとメリナはいきなり才機に手を掴まれた。

「お前ら早くこっちへ!」と才機は走って二人を引っ張った。


リースもメリナも顔を少し赤らめていた。

「せっかく別世界に来たのにこんな風に過ごせないといけないのは間違っている」とメリナが文句を言った。

彼女はリースと抱き合っていて、川面から少し突き出ている幅五十センチぐらいの岩の上に立っている。

「仕方ないだろう。クレイグの話によるとお前達はそう長くここにはいられないかも。俺達は最初からそのエネルギとやらを体に溜めていたけど、二人は扉が開く直前に飛び込んできたらしい。だったらその···この世界にはあまり定着していないかも。いつ戻されるか分からないけど、その時はこっちに現れた場所にいるのが一番安全だ。あっちに戻ったら木の上に現れたら困るだろう?下手したら木の中に出現する事だって···」と川岸で座っている才機が言った。

「でも能力が残ってよかったじゃん。じゃなきゃこの岩をここに建てられなかった」とリースが言った。

「まぁ、ね」

海は人差し指を顎に当てて考えを言葉にした。

「でも考えてみれば能力のことは多分一時的なものだ。だって女帝の話によると私達は赤ん坊の時に能力を発揮した。でもこっちの世界でその能力が発生したことが一度もなかった。思い出せる限りでは」

「そうか。異能者を生み出したのがケインが言っていたガスなら、ルヴィアの大気じゃなきゃ異能者でいられないかも」

「なるほど。アナトラス現象ね」とリースが言った。

「え?あ、ああ、そうだな···」

「二人とも大丈夫?落ちそう?」と才機の隣で座っている海が聞いた。

「大丈夫。凄く恥ずかしいんだけど。あーあ、あんた達の世界をもっと見たかったのに。帰ったらあのクレイグって人にあれこれ尋問されるだろうな。ま、最後にあんた達に会えてよかったけど。ほら、お兄ちゃん、今度はちゃんと別れの挨拶してね」とメリナが言った。

「分かったよ。じゃ、ね。色々と楽しかった。お前達の事を絶対忘れない。それでいい?」とリースは気持ちを殆ど込めないで言った。

「も〜、素直じゃないんだから」とメリナが兄を咎めた。


「なぁ······俺達はいつまでここでこうやって突っ立てなきゃいけないわけ?」と、もう五分黙りこくって動かずにいたリースが聞いた。

「いや、分かんないけど。そろそろ来るんじゃない?」と才機が言った。

「お兄ちゃんとのハグはもう一生要らない思う」とメリナが言った。

「ったくよ。橋を渡っている奴らはこっちを見てんじゃね?見せ場じゃないっつ

うの」とリースが言った。

才機と海は橋の方を見た。

「うむ、まぁ、気にしなくていいよ。見ているとしても二度と会う事は」と才機が言って海と一緒にまた川の方を見るとリースとメリナはどこにもいない。

「行っちゃったか」と海が言った。

「そのようだね」

少しの間そこで座って川の流れを見てから才機は立ち上がり、海が立つの手伝った。

二人は河川敷を出るべきして表法面へ向かった。

「後は一年半の不在を皆にどう説明するかだけど」と海が言った。

「だよね。留年は確実だ。どうしよう。いっそのこと俺達は駆け落ちしたって事にするか?」

「パパに殺されてもいいならそれでいけるよ?」


   •••


ルヴィアのどこかの峡谷。静かで何もない。鳥達の不当間隔のさえずりしか音はしない。大した事が起こらなさそうなこの場所で、峡谷の縁で人間の手が現れた。もう一つの手が現れ、次に顔が出てきた。息の荒いガロンだ。

「やっと、やっと、出られた。長かった〜。暗くて、よく見えなくて、その状況でこの峡谷をよじ上る為の道具を何度も木で作って、いざ登ってみる度に俺の重さや崖にぶつける事で壊れて失敗した。毎日キノコばっか食べて同じ事の繰り返し。だがついに石で出来た道具を完成して運よく崖が崩れずにここまで来た。はー、はー、長かった〜。あの野郎。この峡谷へ突き落としてくれたあの野郎を今度こそぶちのめす」とガロンは縁に置いてあった腕を垂直にして上半身を上げた。

その時、チョウがひらひらと飛んできて無邪気にガロンの鼻の上に止まった。

「ん?なんだ、こい···ハ、ハ、ハクション!!」

また何もない、静かな峡谷に戻った。


終わり。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ