#5
「帰った、帰った!」とリースは腕をいっぱい伸ばして馬車から降りた。
「しかも結構設けたんじゃない?ブランズワドからもらった袋をちらっと見ただけだけど、袋が渡されたこと自体は相当の金額を渡されたってことででしょう?」とメリナも馬車から降りた。
「ま、ねー。やはり口止め料をつけてきた」
次は才機が降りて、海が降りるの手伝った。
「ただいま···か」と海が低い声で言った。
「でも今回のは才機の手柄だな、一杯おごってやる」とリースが言った。
皆が宿屋の食堂でテーブルを囲んでリースはビールを注文した。
「どうだ、ルピスじゃなくてトレイキで支払われるのはやっぱり嬉しい気分だろう。しかも三日分の働きで十八枚も入った」とリースは九枚のコインをテーブルの向こう側に滑らせた。
「いかがわしい仕事ではあったがな。もし俺はあれが出来なかったら、今みたいにこの報酬をもらえるような体じゃなかったかも」と才機が言った。
「本当よ。よくこんな危ない仕事を引き受けるんだ」と海が言った。
「殺人事件だとしか聞いてなかったよ。クマの化物が出るなんて思いもよらなかった」
「殺人事件だという事で既に十分怪しいけど」
「まぁ、まぁ、ほら、ビールが来たよ」
ウエイトレスはビールで満ちたピッチャーと四つのマッグをテーブルに置いた。リースはピッチャーを持って皆に酌をした。
「それじゃ、乾杯!」とリースが言って全員マッグを上げて飲んだ。
リースはまた皆のマッグを一杯に注いだ。だが才機の番が回ったら殆ど飲んでいなかったようだった。
「ん?どうした?まさか飲まないとか言わないだろうな」
「飲まないよ、才機は。苦い物は駄目なんだって」と代わりに海が言ってあげた。
「なんだそりゃ?子供じゃん」
「別にいいじゃないか。行き渡るビールが増えたって事」とメリナは才機のビールを自分の物にした。
「これはいかん。才機、お前」とリースは言いかけたけど、才機と海の間にやってきた女の人に話の腰を折られた。
「お楽しみ中に失礼致します。才機殿、海殿、お久しぶりでございます」
「あ、あんたは!」と海がびっくりして言った。
才機も同じようにびっくりしていた。
「あんた達の知り合い?」とメリナが聞いた。
「ええ、まぁ」と才機が言った。
「それにしても凄い格好だな。メードか何かっすか?」とリースが聞いた。
「そう思われてもらって結構です。」と女の人が答えた。
「この人はメトハインのあの塔で仕えている人だ」と海が説明した。
「申し遅れました。シンディです」
「へー。そんな人はどうしてここに?」とリースが聞いた。
「そう。っていうかどうしてここが分かった?」と才機が聞いた。
「ちょっと調べさせて頂きました。二人の人相を当てにあっちこっち尋ねてようやくこの宿屋に辿り着きました。ここ二日間はお留守だったようですけど」
「うん、仕事でちょっとね。その間ずっとここで待ってたのか?」と才機が聞いた。
「はい」
「私達に何か用件でもあるの?」と海が聞いた。
「はい、女帝陛下は今一度あなた方にをお会いになりたいと仰いました。またいらっしゃっていただけないでしょうか?」
才機も海も明らかに驚いてシンディをじっと見ていただけだった。床に液体が大量に零れる音が二人を我に返らせた。リースとメリナの方を見ると二人も随分驚いているようだ。リースは自分のマッグにお代りを注いで、ピッチャーを傾けているまま。とっくに満杯になったマッグに注がれたビールが床に零れ落ちていた。
「あのー」と海が言った。
「お兄ちゃん、ビール、ビール!」
「え?おっとと!」とリースは慌ててピッチャーをテーブルに置いた。
メリナはカウンターへ行って、タオルを借りてきた。一枚をリースに渡して二人は零したビールを拭き取り始めた。
「それで、いかがでしょうか?」とシンディが再び聞いた。
「そう···だね。行った方がいいよね?」と才機は海に確認した。
「この前は凄くよくしてくれたし、いいんじゃない?」
「ありがとうございました。長い仕事から帰ってきたばかりで疲れているでしょう。今日はゆっくり休んではいかがですか?明日いらっしゃるように女帝陛下にお伝えします」
「そうか?じゃ、頼む」と才機が言った。
「では、明日宮殿の前までいらしてください。お待ちしております」とシンディはお辞儀して去った。
ビールを拭き取っていたリースは急にテーブルに戻って才機と海の方に上半身を前にかがんだ。
「お前達が女帝陛下と知り合いなんて聞いてないよ!」とリースが低い声で言った。
「知り合いって言うか、一回だけ会ってごちそうになった。ね?」と海は最後の方を才機に向けて言った。
「うん」
「ごちそう?!一体どんな物が出された?!」とメリナもテーブルに戻った。
「えーと。実際になんだったのかはよく分からない。色々あった」と海が言った。
「美味しかった?」
「うん、美味しかった」
「やっぱりそうよね?いいな〜。女帝が食べるような物、匂いだけでも一度嗅いでみたい」
「で、何だって女帝陛下に会えた?」とリースが聞いた。
「お尋ね者の逮捕に助力した」と才機が言った。
「助力したって言うより全部私達でやった事なんけど」
「それで報酬をもらいに行った時、直接皇帝と女帝に会った」
「まぁ、それならありえなくはないけど、それだけでごちそうにまでなるとは。しかももう一度会いたいって。どういう事?」
「私達もよく分からないが、気に入られたみたい」と海が言った。
「気に入られた?女帝の気に入りって、あんた達どれだけ運が向いているの?迷う必要ないじゃん。絶対行くだろう」とメリナが言った。
「まぁ、でもどの道そろそろあっちにいる知り合いに会わないといけないし、ついでに彼のとこにも寄る。ちょうどいいタイミングだ」と才機が言った。
「知り合いって、あのクレイグっていう人?」と海が聞いた。
「うん。···あ!」と才機は何かを急に思い出したようだった。
「何?」と海が聞いた。
「今日一緒に行けばよかった。明日だとメトハインまで歩かないといけないくなる」
「あ、そうか」
「馬を借りたら?一日ぐらいならそんなにお金かからないよ」とメリナが提案した。
「馬?いや、乗れないよ。海も乗れないよね?」
海は首を横に振った。
「乗れないか···。な、メリナ、俺達も最近行ってないよね、メトハイン。潮時かな」
「ん?んー、そうね」
「実は俺達もメトハインに用事がある。皆で行こうか?馬を二頭借りれば二人乗りで行ける」
「そうか?歩いて行くよりましだな。それでいこう」と才機が賛同した。
「よし、じゃ明日までは自由行動だ。さっきのメードさんが言った通り今日は休むとしよう」
「二人は休むのか?せっかくだからカップルとして初デートに行ったらどうなんだ?」とメリナが提案した。
才機は海の方を見た。
「初デートねぇ。確かに昨夜のあれは初デートとしてはちょっと物足りなかったかも」
「え?もう行ったのか?早っ。恋人同士になった途端、時間を無駄にしてないのね。この調子だともしかして今夜辺りでも本格的に大人の関係に移るのか?」とメリナは肘で海の腕を突いた。
「何勝手に想像してるの?昨夜は娯楽室で少し遊んだだけだ。でもそうね。オーナーはまだ帰ってきてないはずだから今日は暇だし、どっか行こうか」
「特に行きたい所は?」と才機が聞いた。
「なってないなぁ、才機。男ならお前が計画を立てて楽しませてあげないと」とリースが言った。
「そういうもんなのか?」と才機は海に向って聞いた。
「いいんじゃない?才機がどんな所に連れて行ってくれるかちょっと興味あるし」
才気は腕を組んで頭を後ろに反らせた。
「あ、そうだ。才機が考えている内にちょっと着替えってくる」
「え?なんで?そのままでいいじゃん」
「着替えたいのっ。いいから、あんたは今日をどう過ごすか考えておいて」と海は階段を上がった。
才機はそうした。そして直ぐに何かひらめいたようだった。
「ちょっと行ってくる。直ぐ戻るって海に伝えて」と才機は宿屋を出た。
残された二人はそれぞれのビールを飲み干した。メリナはピッチャーを手に取って最後の一杯を自分のマッグに注いだ。
「それ、最後だろう?半々にしようよ」とリースが言った。
「あたしは今酔いたい気分なの。お兄ちゃんの分はそこだろう?」とメリナはビールで飽和されたタオルを指差した。
才機が戻ったら海一人がテーブルで待っていた。海が着ていた服は先ほど着ていた物と何もかもが違った。今着ている物は才機が買ってくれた帽子に完璧にマッチしている。このしゃれた服を着た可憐な女性が腕の立つ柔道家だと誰も思うまい。
「実際に被って出かけるのはこれで二度目か」
「特別な日に取っておいていてるの」
「凄く似合ってるよ。服のセンスはいいね」
「どうも。今どこに行ってきた?」
「あぁ、ちょっと偵察かな」
「で、今日の予定は?」
「そうね···どこにしよう」
「今偵察に行ったんじゃなかった?」
「うん。そうだけど、駄目だった。他の場所にしないと。あ、そうだ!昨日ナッチパイっていうのを食べた。結構いけた。確か、あれを売っている店がこの街にもあったはずだ。それを食べてみよう」
「じゃっ、案内せよ」
そういう事にしたのだが、才機の記憶にある店を中々見つけられなかった。あっちこっち行ったり来たり、やっとの事で辿り着いたら、結局ナッチパイは売り切れだった。代わりにナッチパイを売っているもう一つの店の情報をもらった。しかし、そこも探し出すのに同じぐらい苦労した。結局ナッチパイを味わう事が出来たのは宿を出てから約一時間後。
「いきなり出だしでつまずいたな。ごめん」と才機が謝った。
海はナッチパイの最後の一口を飲み込み、指先を舐めた。
「割と美味しかったよ。あの酸味が甘さに変えられたみたい。いい物食べさせてもらった。しょうがない。私も奥の手を明かすか」
「奥の手?」
海は立って、ナッチパイを買った店に戻った。何かを注文しているらしい。それを才機の所に持って帰った。
「はい。働いているレストランで食べたことある。才機はこういうの絶対に気に入ると踏んでオーナーが帰ってきたら作り方を教えてもらおうと思ったが、ここで感想を聞こうかな」
才機は海が渡した小さな箱から丸いケーキみたいな物を取り出した。凄くリッチな味と最初のふんわりした食感は歯が中身まで食い込むとナタデココに似た歯ごたえになる。今まで食べた事のない風味。口の中で蕩けて行く。
「面白いね、これ。独特な食感。そして美味しい」
「でしょう?」
「これ、作り方まだ習う気あるんだよね?」
「作って欲しいと?」
「海流のをも食べてみたい。あのスープみたいにもっと美味しいかも」
「そう言うんなら努力してみる。こういうのはスープを作るのと訳が違うけどね。うまく作れる約束は出来ない」
「じゃ、期待してるよ」
「ちょっと、聞いている?本当に難しいんだよ。識別出来ない固まりを持って帰るかもしれない」
「その時は全部食べて見せる」
「安請け合いして後で後悔しなきゃいいんだけど。そう言えば、言ったっけ?才機が好きなシーフードスープを作るの練習してるんだ。今度はあれを披露しようと思う」
「まじ?楽しみだな」
「野菜のス−プよりずっと大変よ。感謝なさい。さてと、次は?」
「次。次、ねぇ」と才機は顎のしたの肌を引っ張って周りを見た。
「本当に何も考えてなかったのね。まぁ、いいや。適当に歩き回って何か面白い物ないか見てみよう」
「わりぃ。今はそうしよう。」
少し歩くと面白い物が目に入った。大道芸人が何かをやっているみたい。約二十五人の引き付けられた観客が彼を囲んで見ている。その半分ぐらいが子供。
「何をやっているんだろう?」と才機が言った。
「行ってみよう」
二人は人込みに混じってよく見える位置に移動した。そこにそれぞれの手に皿を十枚ぐらい持ちながらボールの上でぐるぐる回っている男がいた。
「うわ、すげっ」と才機が言った。
男はボールから下りて皿を他の色んな道具が並んであった場所に置いた。ちょうどその芸が終わるところに来たようだ。
「さて!次は誰か一人ボランティアが必要です。手伝ってくれる勇敢人はいませんか?実はこの間買った卵を長い間忘れてずっと放置したせいでもうすっかり腐っちゃいましてね。でもやはりもったいないからどうにかして使いたい。そこで思った。この卵を使ってボールの代わるにジャッグル出来るんじゃないかな。しかし、ただジャッグルだけじゃつまらないでしょう?誰かここに横になって卵を手渡して欲しい」と男は綺麗なシートを敷いた。
子供達が何人か手を上げた。
「そしてジャッグルしながらその人の上で私の華麗な舞いを見せしたいと思います」
上げられた手は全部同時に降ろされた。
「上と言っても踏み台にするつもりはないのでご安心を。お客さんにそんな真似が出来るものか。上を飛び越えたり、周りを踊ったりするだけですよ?」
観客の様子は変わらなかった。
「仕方ありませんね。勇敢なボランティアにはこのマイスター劇場のチケットを進呈します!今日まで有効です!」
動機としては物足りないようだ。と思ったら一人だけ手を上げた。驚く事にそれは海だった。
「おお!ありがたい!しかもこんな美人は大歓迎。さ、さ、シートの上にどうぞ。仰向けになって下さい」
海は帽子を才機に預けて言われた通りにした。
「では、腕を真上に伸ばして両手を開いて」と男は六個の卵をカートンから出して海のそれぞれの手に二個置いた。
「それでは皆さん、始まります。心配はいりません。私は来る日も来る日も鍛錬してもはやプロの領域に達してます」
男は持っている二個の卵をジャッグルし始めた。それから海の上をぴょんと飛び越えながら彼女が持っている卵を一個取り上げた。三個の卵をジャグルするようになった男は何回回り、また海の上を飛び越えて卵を追加した。男は同じような事を海が持っていた卵を全部引き取るまで繰り返した。そして六個になった時、たゆまず海の回りや上を踊った。踊るといってもそれほど華麗なものじゃなかった。単に回って海の上を飛び越えただけなんだけど、かなり余裕がありそうで確かに大した手並みだった。でも本当に卵が腐っていようがいまいが、海は今一張羅を着ていてデートの最中だ。才機はやはりハラハラしながらでしか見ることが出来なかった。
「実はね、今までは五個が限界だったんで初めて六個に挑戦しだ。凄いでしょう?」
彼のその動きを見て初めてとは思わないが、急に動きが不器用になった。わざとやっているとしか思えないくらい今までの動きと違った。
「あ、あれっ、あれれ、やっぱり、無理があったかな。やばっ!」と男が海の真上を飛び越えた時にジャッグルを続けられなくなった。というよりも意図的にミスをしたようにも見えたが、どっちにしろ腐ったはずの卵が海の方に落ちて行く事に変わりはない。海は小さな悲鳴をあげて手で顔を守った。才機は歯を食いしばった。観客にいる婦人が口を手で覆った。そして何個の卵が海の上に落ちた。
《最悪だ》と思う海だが、卵は割れなかった。一個も割れなかった。
男は卵を一個拾って膝に何回かぶつけた。
「なんてね。作り物だ。ごめんね、ちょっと意地悪させていただきました」
海はほっとため息をついた。周りの人も緊張が解されて笑顔に戻った。
「とても寛容な方ですね。皆さん、彼女に拍手をどうぞ!」
観客から拍手の音が響いた。
「そして約束通り、このチケットを差し上げます」と男は立ち上がった海にチケットを二枚渡した。
「どうも」
「それでは、ちょっと休憩したいと思いますので少しでも面白かったと思ったら、興味深かったと思ったら、せめて注射を打たれるより楽しかったと思ったら、心ばかりのお捻りで今月の家賃を払いたいと思います」と男は被っている帽子をとって逆さもに地面に置いた。
海が才機の所に戻って人だかりの何人が前に出てきて帽子の中にコインを投げ込んだ。
「はらはらしてたよ」と才機が言った。
「はらはらしてたのはこっちよ。服が台無しになるかと思った」
「等価の報酬をもらってきた?」
「さぁ。劇場と言ったから何かの芝居かな」
「マイスター劇場。どこだろう?」
日常に戻っていく観客が解散すると道が開いて二人はその劇場を目指した。今度はあまり迷わずに辿り着く事が出来た。見た目はけして壮麗な物ではなかった。劇場にしては小さい方で、手入れがどっちかと言うと標準以下と言えるかもしれない。窓口で次の上演はいつと尋ねたら、五分に始まると言われた。チケットを渡して二人は中に入った。才機と海は真ん中の方で座り、暫くしたらステージに人が現れた。思った通り芝居でした。才機も海も映画館なら何度も行った事あるが、紙芝居や文化祭で生徒達が演じるものを別として芝居を見るのは初めてだった。所要時間は二時間近くだった。ポップコーンや飲み物はなかったにも関わらず、芝居を割と楽しむ事が出来た。恋愛コメディーで二人は声を出して笑った事は何回かあった。
「結構面白かったね」と劇場を出た海が言った。
「そうね。斬新な転回でした。流石異世界の物語は違うな」
「少しお腹減ってない?お昼にしよう」
「いいだろう。どこかに店がないかこの辺を歩こう」
歩き回っている内に通り越した窓の向こう側にあった物が海の注意を引いた。
「才機、見て」と海は窓を指し示した。
「ん?」と才機が見るとでっかいパフェを一緒に食べている二人がいた。
「ああいうの一回食べて見たかった」
「パフェ···だよね。あれ食べたら昼はいらないな」
「才機もアイス好きだろう?」
「そうだな。ま、海はあれがいいって言うならいいよ」
二人は店に入ってテーブルで座った。ウエイターが来たら才機は大型パフェを注文した。
「明日、何かいい知らせがあるといいね、クレイグ博士」と海が言った。
「今でも地球に帰せる、なんて言ってくれたら、二度と授業に遅れないで毎晩勉強すると誓う」
「なんか、緊張する。家に帰れる可能性が少しでもあると思ったら期待しちゃう」
「海も何か誓ったら?そうすれば期待に答えられなくても少しは安心感が出るかも」
「結果はどうであれ何かいい事があるようにね。んー、どうしよう。じゃ···もし明日帰れたら···もうアイスは食べなくていい。今日は最後にする」
「ほ〜」
「いや、待って」と海はテーブルに腕を置き、腕に顔を埋めた。
「今のはなし。えーと。そうじゃなくて。···毎日うちの猫を構ってあげて、弟の面倒をもっと見る。あ、後、才機の居残り柔道の稽古に必ずいつも付き合う」
「ちょっと、まるでそれが面倒臭いみたいな言い様じゃないか」
「面倒臭いよ、当然」
「副部長であろう者がなんて事言うんだ?」
「副部長だったよね。もう随分昔の事のように感じる···。やりたいなぁ、才機との居残り稽古」
「今の言葉、忘れないからな」
「うん」と海は地球を探しているかのように窓の外の空を見つめた。
「御待たせしました。大型パフェです」
二人の間に三十五センチのグラスが置かれた。盛り上げられたアイスを含めれば四十五センチになる。だがアイズだけではない。色とりどりの甘そうな丸い塊の数々の他に果物、シロップ、お菓子も入っていた。
「うわ、近くで見ると本当にでかい。二人じゃ食べきれないかも」と才機が言った。
海はスプーンを手に入れて先に試食をした。
「甘い〜」
「そんじゃ、俺も」
二人で協力してアイスの山が段々減って行った。
「ね、才機、この赤いの食べてみて。よく分からない味だ」
「どれどれ。うん、なんだろう。面白いけどね。でもやっぱあのキャラメル味のがまだ一番よかった。こっちのオリンジ色のを食べてみ。多分ナッチだと思うよ」
やがてグラスの中は二人の細長いスプーン以外、何も残っていなかった。
「凄い、全部食べ切ったんだ。それも結構簡単に」と才機が上体を後に逸らした。
海はお腹に手を当てた。
「ふ〜」
「どう?苦しい?」
「少しはね。まだ残っていたら食べられるけど。超美味しかった」
「俺はこれでしばらくアイスの事は考えなくていい」
「ちょっと歩いて腹ごなしするか」
「うん、今はいるのかな」と才機が独り言を言っているような感じだった。
「誰が?」
「ん?あ、いや、なんでもない。さぁ、行こう」
二人は店を出て街を当てもなく歩き回っていた。少なくとも海はそのつもりだったが、才機は売店を目指していたようだった。そこでパンを買った。
「まだお腹すいてた?」と海が聞いた。
「いや、買っておいただけ」
海は首をかしげたが、特に何も思わなかった。歩き続けていると気付いたら二人は市門の手前にいた。
「街を出るの?」と海が聞いた。
「そう。無駄足じゃなきゃいいけど」
才機が先頭に立て二人は街の外れを歩いた。草ぐらいしか生えていないが、暫くしたら池が見えてきた。
才機が急に立ち止まった。
「お、いた、いた」
「誰が?」と海は辺りを見回した。
才機は海の手を取ってそれまでと違う方向に誘導した。目的地は目の前の池だったらしいが、才機は遠回りをして違う方角から池に近付いた。そこにる鳥達を正面から寄ってきて警戒させない為だ。海は虹色の鶏冠を持った白い鳥達を才機の後ろから見た。
「ここってもしかして···」
「連れてて欲しいって言ったろう?ここだ」と才機は海を丸太の方に連れて行った。鳥達は飛び去らなかったものの、二人からちょっと距離を置いた。
二人はそっとそこに座り、才機はさっき買ったパンを出して半分を海に渡した。次にパンを手の中で細かく砕けて鳥達の方へ投げた。先ほどそっぽを向いた鳥達は手のひらを返すように一丸となって突然現れた餌をむさぼり食いきた。
「奇麗だね、この子達。見て、あのちっかいの。可愛いー」と海が言った。
「見た目に惑わされるな。手で食わせてみ。こいつらに出来たら手ごと持て行かれちゃうよ」
「手でやれるの?やってみたい」と海はパンを少し千切って差し出した。
取りにくる者は出てこなかったので才機はもう一度パンを粉々にして足元の近くに散らかした。鳥達はもうちょっと寄ってきたが、まだ少し距離を置いていた。二人の足の直ぐ近くのパンくずを食べにこなかった。
「今日はシャイなのかな」と才機が言った。
海はパンを出したままにしておいたけど、やっぱり誰も来なかった。しかし、自分より大きい仲間にずっと出し抜かれた小鳥が我慢出来ず、海が持っていた大きなパンの塊を取って逃げた。それを見た他の鳥は勇気を出して足元にあるパンくずを食べにきた。今はもう二人に出された物が誰に取られるかは競走して早者勝ちで決められている。その内海はこういう鳥に手をつつかれる痛みも知った。
「いいな、ここ。落ち着く」と海が言った。
心地よい微風が海の髪の毛を揺らした。
「ね、もう一つやってみたい事あるんだけど」と海が言った。
「何?」
「ちょっと横になって。」と海は才機の両肩を掴み、回転させて丸太の上で仰向けになるように促した。足を上げると鳥達はびっくりして一旦逃げたけど直ぐに散らばっているパン粉を食べに戻った。海は才機の頭を自分の膝の上に載せた。
「それで、どうすんの?」と才機が聞いた。
「何も。これだけ」と海は才機の遠い方の肩を握った。
「あぁ、なるほど」と才機は目を閉じた。
その顔は安らぎその物だった。
「うん、ナイスアイディア。癖になりそうだ、これ」と才機は目を閉じたまま言った。
二人はそうやって、暫くの間そこをその日の最後のデートスポットにした。餌を食べ尽くした鳥達はもう入浴に戻り、才機は熟睡していた。それに気付いた海はうつむいて、鳥達に見せでもしないかのように二人の顔を帽子で隠し、起こさないように才機の唇に軽くキスした。才機はああ言ったけど、やっぱりキスしてみたいものだ。
才機と海がデータを楽しんでいた間にリースは明日借りる馬を予約しに行った。馬房を次々に通り過ぎて、強そうなのが目に留まるとその鼻梁を撫でてみた。馬は鼻を鳴らし、悪い気分でもないようだ。
「そっちが眼鏡にかなったのかな」と後ろから声が掛けられた。
「ええ。こいつと後もう一頭貸して欲しい」
「こっちが頼んだ仕事もやってもらいたいが、あの二人はまだ自由に動き回っているようだ」
リースは後ろを振り返った。フードで顔を隠している男がそこにいた。
「その仕事ならもう完璧に仕上げたぜ。仲間から聞いてない?」とリースはまた馬の方に関心を向けた。
「仲間から聞いた話はいつの間にか脱走したとのことです」
「そうか。でも引き渡した時点でこっちの仕事が終わったから、悪いがその責任は取れない」
「今でもあの二人と一緒にいるようだけど、何があったか知らないかな」
「いや〜、こっちもびっくりしたよ。最初はお前達が解放してあげたと思った。そりゃ向こうは俺達を相当恨んでたが、それは金で解決出来た。世の中殆どのものはそれで解決出来るからな」
「では、もう一度依頼を受ける気はない?」
「あぁ、それはちょっと難しいかも。向こうは前みたいに俺達を完全に信用していないし、なんだかんだ言って仕事の助けにはなる」
「ふん。まぁ本気で依頼していた訳じゃない。ただの確認だ。だが注告だけはしておこう。俺達の目的は変わらない。それを邪魔したらそっちも一緒排除するのみ。行動する際に覚えておくといい」
リースは横目で男が去っていくのを見ていた。
•••
次の日はちょっと早起きして皆で馬屋を訪ねた。二人乗りなら必要な馬の数が半減するので昨日リースが予約した丈夫そうな二頭を借りた。もっとも、才機と海は馬を乗れないので誰かと一緒に乗せてもらう必要がある。
「さて、重さは均等に分布するんだったら男女ペアで行った方がいいけど、恋人になったばかりの二人の間に嫉妬の種をまくのもあれだし、才機、不満だけど俺にしがみつかせてやる」とリースが馬に乗った。
「お兄ちゃんはあたしが男に抱かれるのが嫌なだけだろう?」とメリナもう一頭の馬に乗った。
「違うって。気を使ってんだよ。そして『抱く』とか言うな」
「別にどっちでもいいけど」と言いつつ才機はリースが乗っていた馬に乗った。
海はメリナの後ろに座った。
「しっかり捕まって」とメリナが忠告した。
「分かった」と海は腕をメリナの腰に巻いた。
拍車で馬の肋をつついて、早足でメトハインを目指した。横に並んで四人とも道路を駆けた。
「なんだよ、それ?凄く変だけど」とメリナは大声で才機に叫んだ。
才機はジェットコスターでも乗っているみたいに背筋を伸ばしてリースの両肩を掴んでいた。
「別いいだろう?落ちなければ」
「何で男はそんなに同性のスキンシップを怖がるのかな」とメリナが海に聞いた。
「さぁ、今、女が見ているから?」
「なるほど、二人きりの時にべたべたすんだ」
「いや、断じて違うから」と才機が言った。
「お前ら黙って乗れ。舌を噛んだら知らないから」とリースが忠告した。
メリナはそんな事を恐れていないらしくて、舌をリースに向かって出した。だがリース
の要望通り、それからはメトハインに着くまでは黙々と進んだ。街に入って酒場の裏手の馬房で馬を繫ぎ止めた。
「用が済んだらここで落ち合おう。先に戻った方はビールでも飲みながら待つ。才機の場合は水か」とリースが言った。
「じゃ、俺達は宮殿に行く」と才機が言った。
「何か出されたらあたしの分も取っておいて。約束だからね」とメリナは海に言った。
「善処する」と海が才機と一緒に女帝に会いに行った。
「さて、俺達も行くか」とリースが言った。
「うん」
才機と海が目指している場所は街のどこに降ろされても直ぐ分かる。空にそびえる塔の方に向かえばいい。途中で才機は回りの風景に見覚えがある事に気付いた。
「ね、今通っていろこの道、覚えてる?」と才機は海に聞いた。
海は回りを見た。
「ん?あ、もしかしてここってあの時の」
「そう。今頃何やってるかな、ケンとあの男」
「あの時は人が沢山集まっていて、ここがどんな所かあまり見えなかったから最初は気付かなかった」
そして二人はくだんの男が追い出された店を通り過ぎようとしたら、店との距離があの時と同じに埋まった瞬間、ドアが開いた。あの事件が再生されるかのようで、二人は一瞬どきっとした。でも出たのは普通の客。その後に続いたのはあの時の店長。但し、今度は別人と思われるほど客を見送る大きな笑顔をしていた。最初はその違いのあまり才機は思わず見とれていた。だが、もし自分の顔が覚えられたらまずいと思って、通り過ぎるまで顔を逆の方へ向けた。宮殿に辿り着いて二人は塔への階段の手前で止まった。
「考えてみればここまで来たのはいいが、着いたって事をどうやって伝えればいい?」と才機が聞いた。
「門番に女帝に誘われたって言ってもそのままうのみにしないよね。かえって怪しくみえるかも」
「どうっすかねぇ」
「お待ちしておりました。よく来てくださいました」と真後ろから声がした。
才機も海も驚いてぐるりと回るとそこに昨日探しにきたシンディがいた。
「案内致します。付いて来てください」
シンディの後を続けて二人は宮殿に入り、前にに来た時みたいにエレベーターに乗った。この間は塔の上の部分まで上った気がしたんだけど、今回は割と早く降りた。そこからもう少し歩き、シンディはあるドアを開けて二人が入るようにしぐさで示した。
「連れて参りました」
「ご苦労、シンディ」とソファーに座っている女帝が言った。
どうやらそこは客室らしい。だけど、なんという豪華な客室。その広さだけでも自分達が済んでいる部屋より二十倍近くはある。ベッドから小さな噴水まで、あらゆる家具が惜し気なく備わっていた。天井から如何にも高そうな大きいシャンデリアが六つもつり下がっていた。ここを自分の家に使ってと言われて不満な人は少なかろう。シンディは部屋を出てドアを閉めた。
「来てくれて、本当に嬉しいわ。ドリックからの道程を歩いて疲れたでしょう?軽い食事を用意してもらった。どうぞ食べていって下さい」
「それが、実は馬を乗ってきたんです、今回は」と才機が言った。
「あら、そうですか。それならよかったわ。ここまでは少し距離があるからね。今思えば誰かを向かいに行かせればよかった。本来はシンディと一緒に来てもらう予定でしたが仕事で疲れていてたとか」
「いや、いいんです。誘ってくれただけで気前が良過ぎます」
「まぁ、とにかくこっちへきて楽にしていてちょうだい。そして好きなだけ食べて」と女帝は自分が座っているソファーの向かいのソファーを手で示した。
才機と海は言われた通りにして、二つのソファーの間のテーブルの上の女帝が言っていた軽い食事を目にした。これが軽い食事ならフルコースで一体どれだけの食べ物が出されるという感じだった。皿に盛った料理は五つ。全部見慣れない料理だ。
「海は前よりも奇麗になったような気がします」と女帝が海に言った。
「そんな。いつもと変わらないです」
「でも何となく雰囲気が違う。笑顔がもっと自然というか、幸せそうというか」
「そうですか?」と海はちょっとだけ赤くなった。
「見当違いでしたら許しておくれ。おばさんの戯言だと聞き流してください」
「とんでもありません。嬉しいです」
女帝は二枚の皿に色んなものを乗せて二人に渡した。
「すみません、いつもこんな手間をかけさせて」と才機は皿を受け取った。
「呼び出したのはわたくしですから、これぐらい当然のもてなしです」
「急にシンディに女帝陛下が会いたいって言われてびっくりしました。俺達に何かご用はあったでしょうか?俺達に出来る事なら協力します」
「そうですね。顔を見たくなった、と言ったら僭越でしょうか?」
才機も海もまたまたびっくりして瞬きした。
「最近皇帝陛下も忙しそうですし、ろくに話していません。またあなた達の話を聞けたら嬉しいと思っただけです。迷惑だったでしょうか?」
「いいえ、そんな事はない。むしろ光栄です」
「何か私達に凄く好意を抱いているようで、感謝はしていますが、何か訳ありですか?私達は女帝陛下からこんな恩を受けるような事はしていないと思いますが」
「そう考えるのはもっともですね。こんな事を聞いて気に障らなければいいのですが、本当の事を言うと二人は亡くなった娘と息子に似ています」
「あぁ、すみません、聞いちゃまずかったかな」
「気にしないでおくれ。でも似ていると言ってもあの子らが弱冠三と二歳で亡くなりました。自分でも不思議と思ているんですけど、二人を見ていると似た感じがします」
「そんな事があったんですか」
「ばかばかしいでしょう?でも二人がいると本当に心が和むわ」
「そうか。まぁ、話でいいならちょっと面白いのはあるかもしれない」と才機が言った。
「是非、聞かせてください」
才機が話したのはこの前の温泉リゾートでの仕事。海しか知らない場面は海が語った。女帝の方は心から楽しんでいたらしい。話にちょっと手を加えさせてもらったけど。犯人は経営者の娘ではなく、そのリゾートで止まっていた大富豪の娘だった。犯人の目的も石油備蓄ではなく、大富豪がどこかに隠した宝石の山。
「あの娘の手にかかったとは。それは思っても見ませんでした」
「ええ、皆もそうでした」と海が言った。
「あら、今、何時でしょか。二人は時間が大丈夫ですか」
「はい。あ、でも···せっかくここまで来たので、ついでに済ませたい用事があるんですが」と才機が言った。
「用事とは?」
「ここで研究をしている知り合いがいるんですけど、その人と会う約束したので連れていて頂けないでしょうか?」
「それは別に構わないんですが、わたくしは滅多に研究の層には行きません。あなたが探しているという知り合いを見つけるのにあまり力になれないかと」
「あぁ、それなら実はその知り合いを紹介してくれた研究者に研究室へ連れて行ってもらったことがあるので、どこにいるかはもう知っています。警備の人に俺達を通させてくれればそれでいいです」
「そうですか。今でも行きましょうか?」
「いいんですか?」
「ええ、研究施設でしょう。案内します」
三人とも客室を出、またエレベーターに入って下へ降りた。女帝というヴィプパスを得て二人は警備の兵と言葉すら交わさずに地下への螺旋階段を降りた。それから才機の方が先頭に立って海と女帝は後からついて行った。女帝は一番後ろで歩いていてから、二人は気付かなかったが進めば進むほど回りの事を気にしていたようだった。
「そこです」とクレイグ博士の研究室が見えてきたら才機が言った。
「ここ···ですか?」と女帝が聞いた。
才機がドアにノックをした。返事がない。もう一回ノックしても誰も出なかった。
「いないかな」と海が言った。
「電気がついているみたいけど」と才機はドアの取ってを回してみた。
「あ、開いている」
才機は部屋に覗いてみた。
「クレイグ博士?いますか?」
誰もいないようだ。才機は中に入らせてもらって、海はその後について行った。少し躊躇ったみたいけど女帝も中に入った。
「このコーヒー、湯気を立っている。ついさっきまでいたんじゃない?」と海が言った。
「そうだな。戻ってくるのを待ちましょう。大丈夫ですか?なんか、顔色がちょっと悪いような···」と才機は最後の方を女帝に言った。
「ええ。大事ありません。そこの椅子に座ってちょっと休みます」と女帝が部屋の隅にあった椅子に座った。
「本当に色々調べてるみたいだね」と海は研究室の様子を見た。
「覚悟した方がいいよ。お前を見たら色んな事根掘り葉掘り聞かれるかもしれない」
「標本二号って事か」
「そういう事。けっこう研究熱心なもんで」
「でも今、それはちょっとまずくない?」と海は瞳で女帝が座っている方へ示して低い声で言った。
「そうだな。でもいきなりこんな事を他人に悟らせないほどの分別はあるはずだ。また別の時に改めて来るように頼まれるかも」
その時、ドアが開いてクレイグ博士が登場した。ドアを開けてそこで才機が立っているのを見たらクライグはその場で止まった。
「君!」
「久しぶりです」
「そうか。そろそろ一ヶ月が立つもんね。あ、隣の女性はもしや···?」
「ええ、この間話していた海です」
「ほ〜。なるほど」とクレイグは部屋に入ってドアを閉めた。
「他にも客人がいるんだけど」
「ん?他にもチキュウ」とクレイグは言いかけたが、その客人は誰だったか目に入った。
「じょ、女帝陛下!何故ここに?」
「そこの方々がクレイグ博士の知り合いらしくて、話があると言いましたので連れてきました」と女帝は椅子から上がった。
「そうですか?ここまでいらっしゃって頂いたのは、ずいぶん久しぶりですね。でもちょうどいい。そろそろ報告しようと思っていました。実は、この二人はチキュウの人間ですよ!」
《ええええ?!言っちゃったー!》と才機も海も明らかにショックを受けているような顔になった。
それを聞いて女帝はどう反応するか。尋問されるのか?監禁されるのか?異世界から来るのは別に犯罪ではないはず。でも色んな実験に使いたいと思いかねない。そもそも信じているのか?だが結局は予想外れのリアクシオンだった。女帝は失神して床に崩れ落ちた。
一国の女帝が目の前で倒れば自然とパニック状態になる。まずは回りにいる人にどうすればいいかを仰ぐ。その回りの人が同じように自分から指示を求めている事に気付くと、自分でなんとかしなきゃと決断する。とは言え、気付け薬でもなんでも持っていないこの状況で出来る事は果たしてあるのか。
「取りあえず···椅子に座らせよう」とクレイグが提案した。
「うん」と才機はクレイグを手伝って女帝を椅子に持ち上げた。
「異世界人が実在するなんて相当なショックだったみたい」と海が言った。
「いや、そんなはずがないよ。私がこんな風に研究出来るのは女帝陛下の援助あってのことだ。異世界を観察する方法がないか調べるように頼んだのは他でもない女帝陛下です」
「なぜそんな事?」
「私も分からない。なんで異世界の存在をああもあっさり信じた理由も。ある日、この研究室にいらっして、私の研究の事が小耳にはさんで資金を提供したいと仰った。私には断れない話だった。資金をもらえるのが嬉し過ぎて、もらった理由はどうでもよかったのだ」
皆が気を失っている女帝を見た。
「それで、何か分かった?俺達を地球に返す方法について」と才機が聞いた。
「あれから色んな事が分かってきた。だが意図的に物質をを一つの世界からもう一つの世界へ送り込む事までは···」
「そうか。そうだよね。そう簡単に出来る事はずがないよね」
才機はそう言ったが自分の中の失望の大きさを否定する事が出来なかった。海もきっと同じような気持ちだ。
「まぁ、そう絶望するな。こっちは十年以上経っても諦めてないんだから。もう少しって感じだよ。後何か重要なヒントがあれば···。ところで···元気でやっているか、フォグリ博士?」とクレイグが近くのノートを拾って目を通すように見せた。
海は視線を落とした。言いづらそうだったので才機が説明した。
「実は、一ヶ月くらい前に亡くなったんです。発作で」
クリイグはノートをテーブルに戻した。
「そうですか。惜しい人を亡くしたな。フォグリ博士は実は私の先輩でね。同じ科学技術大学院大学に通ったんだよ。彼は私よりずっと優秀な研究者だったのに、いつも私に一目置いてくれて。彼の研究に誘って頂いたこともあったが、私の興味が他にあったから断るしかなかったがね。お互いの研究に大して関心ないのにたまに一緒にコーヒーを飲みながら自分達の研究に関する悩みや大躍進を話してさ。彼もどうでもいいとか思ってただろうなぁ。フォグリ博士が研究を続けていたらこの世の中にどれだかの発を生み出せたか考えると無念でしかない」とクリイグが残念そうに首を振った。
「研究者としてのケインはあまり知らなかったが、凄く良くしてくれました。もっと助けになりたかった」と海が言った。
短い沈黙は女帝の唸り声に遮られた。
「ん〜〜〜〜」
「気が付いた。大丈夫ですか?」と海が聞いた。
女帝がゆっきり目を開け、才機と海のぼやけた姿がはっきりになると、再び予測出来なかった行動を見せた。
目から涙が落ちこぼれた。
「ど、どうしたんですか?」
「二人とも···本当に···本当に別世界から来たのですか?」
「はい···」
女帝は両手を伸ばして、才機と海、それぞれの頬を愛撫した。
「よくぞ···よくぞ帰ってきた」
「え?」と才機と海はどう反応すればいいか困っていた。
「えっとー、俺達が分かりますか?才機と海です。今日、お話しする為に誘ってくれました」と才機が言った。
「ええ、わたくしの子供達です」
「さっき、頭を打ったのかな」と才機が海に言った。
「陛下、先ほど子供達が亡くなりましたと言ったのでは?」と海が聞いた。
「にわかには信じ難いでしょうけど、わたくしには分かります。あなた達はわたくしの子供です。但し、子供の生存については本当は分かりませんでした。わたくしが···わたくしが別世界へ送ってしまったからです」
「なんと!まことですか、陛下?!」と今度はクレイグが興奮する番だった。
「博士、見せたいものがありますが、本来は王家の者のみに知られている極秘です。くれぐれも他言しないと約束してもらわなければ」
「わ、分かりました」
「では、付いてきてください。二人とももいらっしゃい」と女帝は椅子から立ち上がった。
全員研究施設を出た後、またエレベーターに乗った。エレベーターは三階ぐらい上ったらまた止まった。
「寝室に寄りますのでここで待っていて下さい」
女帝は寝室に入って箪笥から素朴な宝石箱を出した。開けると一本の鍵が入っていて、女帝はそれをポケットに入れた。箱が上げ底になっていて、それをめくってもう一本の鍵が現れた。それもポケットにいれて、皆の所へ戻った。今度エレベーターに入ったら、女帝は鍵を出してハッチを開けた。ハッチの後ろは一つのボタン。それを押してエレベーターがまた動き出した。ただ、上に上がったのは本の数秒で、それから横に移動する感じがした。横への移動が数秒続くと再度上の方へ向かっていった。
「このエレベーターは今最上階に向かっています。そこには家宝や大事な文書、色んな物が保管されています。見てもらいたいのはここに移築したされた遺跡の一部です」
「遺跡ですか?」とクレイグが聞いた。
「ええ。現在の皇帝陛下のひいお祖父さんが発見した物です」
「今の皇帝陛下のひいお祖父さん···七代目皇帝ですね」
「そうです。遠征が好きな方だったらしくて、よく探検隊を編成しては自分自身も加わりました。そしてある日は遠い北の洞窟でとんでもない物を見つけました。本人は最初ただ珍しい形をしている石刻だと思ったでしょう。しかし、それを調べていた時に石刻が発光し始めたそうです。そして次の瞬間、探検隊の眼前で皇帝が消えたと。探検隊が大騒ぎで血眼になって皇帝陛下を捜していたが、十分足らずで皇帝は消えた時と同じように突然現れました。但し、遺跡の外から一人でまた入りました。皇帝の話によると一時間以上が確実に経ちましたが、やっぱりあっちではこっちより時間の流れが早いみたいです。僅か二年間で二人がこんなに大きくなりましたから」と女帝は才機と海を見た。
「まさか、異世界に行かれたのですか?!」とクレイグが聞いた。
「皇帝が仰るにはそうです。突如として見た事のない物や風景が目の前で広がっていた。異世界でなくても文明がわたくし達のより優れていたのは明らかだったそうです。今帝国が使っている自動車は別世界に行った七代目皇帝がそこで見た物を基にして作られたそうです」
エレベーターは減速して停止した。そしてエレベーターのドアが開くとエレベーターと同じ幅の狭くて、長さ二メートルの通路があった。その通路の末端には扉があった。女帝はもう一本の鍵で扉の鍵を開けて中に入った。才機と海はどんな財宝を目に出来るのかちょっと好奇心をそそられたけれど、銀行の中みたいに区分された引き出しだらけで思いの外地味だった。女帝は三人を奥のドアまで案内した。
「ここです」と女帝はドアを開けて皆を先に入れた。
部屋の中心に石で出来た不思議な彫像があった。それはロープ仕切りに囲まれていて、高さ約二百センチで、例えるならトナカイの二本の枝角が逆さまなハ文字のように地面から突き出ているみたいな物だった。それぞれの最先端は大きな翼のような形になっていた。
「これが···先代皇帝をチキュウに転送した遺跡···」とクレイグはロープ仕切りに寄り掛かった。
「気をつけた方がいいですよ、博士。異世界に転送されたのは先代皇帝だけではありません。その後も実験が行われて調査の為に兵士をも何人か送り込みまれました。その中で帰ってこなかった者もいました」
「それってこれを使ったら直ぐに家に帰れるって事?」と海が聞いた。
「その可能性はあるかもしれませんが、極めて低いと思います。さっき帰ってこなかったと言いましたが、それは兵士達の意識の事を言っていました。体は必ず戻ってきました。例えそれがもぬけの殻だったとしても。その危険に気付いてから実験は動物で行われたが、結果は大抵同じでした。しばらくすると植物状態で動物が戻ってきました。一回だけ転送された羊が戻って来なかったが、その原因を解き明かせませんでした。結局実験が中止になってこの遺跡だけをここへ移築されました」
短い沈黙が部屋を訪れた。
「二年前に異能者狩り事件があったの知っていますか?」と女帝が聞いた。
「ええ」と海が答えた。
「ちょうどあの頃でした、二人が異能者の特徴を表し始めたのは。次子の方、ヘンドリックのは異形者の、あ、失礼しました。才機のは異形者の特徴で一目で分かりました。体がガラスみたいに硬くなることが多かったです。海の周りに吹くはずがない不自然な風邪がたまに吹きました。皇帝は自分の子供が異能者だという事が明るみに出たら王家の汚名になると···二人の死を命じた」と女帝は目線を低くして、膝の前に両手をしっかり握りしめた。
「皇帝に懇願しましたが里子に出すのにも反対され、もう死なせるしかないと思った時にこの遺跡のこと思い出した。二人に生きてもらう方法はそれ以外思い付かず、部が悪いと知っていながらそれに賭けました。わたくしがあの夜にやった事で、今でも責めさいなまれています。無邪気に寝ている二人をそこの台に載せてしまい、時間が少し経つと目の前で消えてしまった。あの瞬間、本当に胸が裂けるよう苦痛で死にそうでした。一日千秋の思いで一度君達を手放したこの手で戻ってくる二人をもう一度抱き上げるの待ち侘びましたが、幾ら待っても戻ってきませんでした。意識のない二人を迎える覚悟でやったことでしたが、神様の導きがあったか別世界へ辿り着けたらしい。とはいえ、あっちに着いてどんな運命が待っているか知る由もなく、気はあまり晴れませんでしたが。皇帝の望み通り、二人は病死したことになりました。虫のいい話だとは重々承知していますが許してくれ」とまた女帝の目から涙が零れた。
才機と海はどう反応すればいいか今一分からなかった。
「そうか···それでまだここに···?」とクレイグの独り言が声に出た。
「博士?」と女帝が言った。
「陛下、兵士達の体だけが戻ってきたのはある時期を境に起きた出来事ですか?それとも無作為に起きた事ですか?」
「そこまでは分かりかねますが、その時の記録を読めばもしかして分かるかもしれません」
「その記録を見せて頂けないでしょうか?」
女帝は才機と海の方に向けた。
「二人がクレイグ博士を訪ねた理由は察しがつきます。こっちとしては二人がずっとここに残りたいと思ってくれたら嬉しい限りです。望みさえすれば君達がこの宮殿に住むように手配するのも造作もない事です。しかし···やっぱりあそこへ帰りたいですか?」
才機は頷いた。
「分かりました。二人が無事で幸せに暮らしっている事を知っているだけで十分です。あの日からずっと気がかりでした。博士、この遺跡に関する記録を閲覧する許可を与えましょう。どうか、この二人がうちに帰れる方法お見つけて下さい」
「出来る限りの事をやってみます。これだけ記帳なデータやサンプルが揃えばきっと皆さんも期待出来ますよ」とクレイグは声と顔で出ている興奮を隠しきれなかった。元々隠そうとしていないかもしれませんが。
「だた、少し時間が掛かりそうですね。色々と実験をもしたいし、また一ヶ月後に来てもらえるかな」とクレイグは才機と海に聞いた。
「はい、もちろん」と才機が言った。
「その時はわたくしとの面会を求めるといいです。宮殿を自由に出入り出来るようにします」と女帝が言った
「ありがとうございます」と海がお辞儀をした。
「さて、私達が出来る事はここまででしょうか。後は博士に任せて客室に戻りましょう」と女帝が言った。
女帝は先の部屋に戻って沢山の引き出しの中から特定のものを探し始めた。目当ての引き出しを見つけたら、鍵を開けてファイルを出した。
「ここにある文書は全て持ち出し禁止となっていますので、ここで読んでもらわないといけません」
「承知しました」とクレイグはファイルを受け取った。
「ここを出るとドアは自動的に錠が掛かるので、また入りたい場合はわたくしの所に来てください」
「はい、では、よろしければ直ぐにでも始めたいのですが」
「ええ、よろしく頼みます。では、戻りましょうか」
クレイグを残して三人ともエレベーターで下りて客室へ戻った。
「一遍にとんでもない事を沢山知って混乱しているであろう」と女帝がソファーに座った。
「それは···まぁ、確かに急に自分が違う世界で生まれたって言われるとぴんと来ない」と才機が言った。
「あの日、子供達と似たような能力の二人が目の前に現れたらただの偶然だと思いました。異能者のことはあまり詳しくないですし、色んな能力の希少性についてよく分かりません。でもそのお陰でずっと君達のことを考えていました。そして君が近くまで来て顔がよく見えたら思ったのです。息子がこの人くらいの年だったらこんな顔をしていたのでしょうって。遠目でしたけど海にも娘の面影がありました。まさか本当に君達だったとは夢にも思いませんでした」
「っていうか、もしかして才機も養子なの?私はそうなんだけど···」
「うん、実はそうです。小学校の時に打ち明けてくれた。海もか」
「偶然···にしては出来過ぎかな」
才機は無言で頭を掻いた。でも何かに気付いたように急に顔を上げて女帝の方を見た。
「待って。この話が本当なら俺と海は実は姉弟ってこと?!」
「ええ。あぁ、まぁ、厳密に言えば血が繋がっていない姉弟ですけれど。実はタン、失礼、海は私が養女として引き取りました」
才機と海は同時に安堵の溜め息を吐いた。
「海の母がわたくしの親友でして、妊婦四ヶ月だった頃に旦那が事故で亡くなりました。ライザはそのことで悲しみに暮れて自分のことおろそかにし始めた。妊婦八ヶ月だった時までに割と弱くなって、海を生んだ時に旦那の後を追いました。その時はわたくしは中々子供を授からなくて、海を引き取ると言い出しまた。凄く可愛くて自分の子供のように愛しました。そして海も幸運を運んでくれたのか、一年後に才機を生みました」
「そうなんですか。でも···やはりここが私達の故郷だとか···女帝が私達の母だと実感があまりしません」と海が言った。
「当然ですよ。今更母上と呼びなさいなんて言いません。君達には君を大事に育ててくれた母上がいるんですもの。そうですわ!是非君達はあっちでどんな風に育ってきたか聞きたいです。今度は本当の事を知りたいの」
「それならお安いご用だ。えーと。初子だった海から聞きますか?」と才機が聞いた。
「いいでしょう」と女帝は視線を海に向けた。
「私から?えーと、どこから話そうか。···東京という凄く込んでいる都市で育ちました」
話している内に時計の針がどんどん進んで、終わった時にはもう三時になろうとしていた。
「もうこんな時間ですか。日が出ている内に帰りたいんですよね。ずっと付き合ってくれてありがとう」
「いいえ、私達の方が色々とお世話になりました」
「博士の研究とは関係なくても、また来る気になったら遠慮なくいらっしてちょうだい。わたくしに出来る事ならいつでも力になります」
「ご好意をいただきありがとうございます。では、俺達はこれで失礼します」と才機は立ち上がった。
海は才機に付いていてドアへ向かった。そしてドアをくぐる直前に海は急にくるりと踵を返した。
「あ、そうだ。忘れるところでした」
二人が宮殿を出たら待ち合わせの酒場を目指した。
「何か···今日は色々あったな。信じてるの、女帝の話?」と才機が言った。
「辻褄は···合うよね。あんな嘘を言っても何の得はないはず。凄く誠実そうだったし。ここに来る前は他にも世界があるって言われたら絶対信じなかったけど、こうして私達が現に違う世界へ来てしまった。そしてここに異能者とか異形者がいて、もう『ありえない』の範囲が分からなくなってきた」
「だよなぁ」
「だた···」
「何?」
「気のせいと思って気にならなかったけど、この前ここに来て皇帝に会った時、あの拝謁の間を見て凄いデジャビュを感じた。あれはもしこっちでの記憶だとしたら···。才機は何も感じなかった?」
「んー、いや、特には。女帝の話によると俺は次子で、記憶に残るのに幼過ぎたかも。初めて女帝を見た時はどことなく自分に似ているとは思ったけど」
「私も···」
「···ま、あまり深く考えるのはやめよう。本当でも嘘でも俺達のやる事は変わらない」
「うん」
「正直、俺達の世界に帰るのと比べて問題にもならない。女帝の話が本当で俺達がその子供だとしても重要なのはそれで帰れるヒントになるかもしれない。それ以外は割とどうでもいい。養子だってこと知ってたし、本当の親に会いたいと思っていなかった。俺を今まで育ててくれた親には感謝しているし、好きだ。っていうか別世界に来れた時点であんな遠に知っていたことはショックでもなんでもない」
「うん、私も今のパパとママが好き。私のことをどれほど大事にしているかよく分かっている。弟は間違いなくママが生んだけど、正直パパとママは私の方が可愛いだと思う」と海が少し申し訳なさそうに言った。
「弟より何歳年上だっけ?」
「四年」
「仲良い?」
「うん。ちょっとうざい時もあるけど、弟にも会いたいな」
酒場に着いて、ドアを開けると鈴が鳴った。この時間になるとみんな仕事から上がって一日の疲れを癒しに来るでしょうか、中は人で一杯。才機と海はリースとメリナが既に来ていないかざっと回りを見た。すると名前が呼ばれるのを聞いた。
「お〜い、才機、海、こっち!」
リースの声だった。彼とメリナは隅のテブルから手を振っていて、才機と海はそっちに行ってテブルに座った。
「遅いぞ、二人とも。三時間も待ってた」とリースが言った。
「悪い、以外と時間が掛かった」と才機が言った。
「このビールはお前らおごりだな」とリースはコップを唇に持ち上げた。
「で、何の用だった?」とメリナが聞いた。
「ああ、少し話しがしたかっただけだった」
「え?何の?」
「大した事ないよ。最近の様子とか、昔話とか」
「それって、世間話する為にわざわざ来てもらった?」
「んー、そうなるかな」
「何それ?!あんたら女帝陛下と友達か何か?」
「バカ!声でかいぞ」とリースはメリナの頭の後ろを手の平で叩いた。
「いってぇなぁ。叩く事ないだろう?」
「いーや、あるね」
「まぁまぁ、ほら、お土産」と海が持っていた袋から箱形の入れ物を出してテーブルに置いた。
「何これ?」とメリナが聞いた。
「何って、頼んだだろう?」
メリナの目はきらきら光り始めた。
「これはもしや···?!」
メリナは息を飲み、箱の蓋を開けて中を覗き込んだ。そこにあったのは見たことのない珍味の数々。
「海大好き!」
「はい、はい。それぐらいあれば十分満足できるでしょう?」
「うんうん!こんなに一杯、女帝陛下様ふとっぱら〜!いて!」
「だから、うるさいよ、お前!」とリースが言った。
威力が増した打撃でメリナは頭を抱えた。でもそんな痛みなんて直ぐに忘れて眼前の宝石みたいに輝いている佳肴を目で味わい始めた。
「でも本当に珍しいものばっかだな。こりゃ、楽しみだ」
メリナはおもむろに首を回してリースを見た。その目は細められていて警戒の色が映っていた。いや、これはもう歴然とした敵意と呼ぶしかないだろう。
「お兄ちゃん···言っておくがな···万が一···万が一この状況でも一人で殆ど全部食べるような真似をしたら絶交だからな。いや、まじで今後は一人っ子だと思え」
「メ、メリナ?目が怖いぞ?ついでにお兄ちゃんも怖いぞ?」とリースがメリナの圧力に怯んだ。
「まぁ、こんなこともあろうと思って」と海がさっきの袋をリースの前に置いた。
そこにもう一個の箱があった。
「これで問題ないでしょう?」と海が言った。
メリカは席から上がって海の後ろへ歩いた。そこで後ろから海を無言で抱き締めた。あまりにも優しくて愛おしく抱き締められて海の頰が少し赤に染まった。
「え、えっとー、二人の方は何の用だった?」と海が聞いた。
「俺達?ああ、色んな知り合いと会ってたさ。ちょっと情報共有してた」
「仕事の事とか?」と才機が聞いた。
「うん、そうだな」とリースは残りのビールを飲み干した。
「じゃ、妹がこれ以上何かを口走る前にそろそろ帰ろうか。勘定は任せたぞ」
リースはメリナの箱を袋に戻して立ち上がったり、それから袋に手を伸ばしたが、ハンドルに手を閉じる前に袋はぐいと横へと引っ張られた。
「お兄ちゃんは持っちゃ駄目。途中で何個か消えそうだ」とメリナは片手でまだ頭を摩っていた。
「メリナの分からは取らないって」
「間違って取るかも。念の為だ」
四人で馬房に行って来る時と同じ組み合わせで馬に乗った。乗馬しながら荷物を持つのは少々難儀なのでひとまずお宝は海に預けた。ドッリクまでの道程を四分の三行ったところでメリナにあるアイディアが閃いた。
「ね、またピクニックをしよう」
「何の話?」とリースが聞いた。
「だって今美味しい物あるし、天気もいいし、たまにはいいじゃん?」
「ま、別にいいけど。どう二人は?休憩にするか?」
「構わないよ」と海が言った。
「特に異存なし」と才機も同意した。
馬から降りて、皆は回りの林の木がまばらに生えている場所を探した。随分開けた場所を見つけ、そこで座って女帝からもらった二つの入れ物を開けた。
「あ、中身が違うんだ。うまそー。でもどうしよう。それぞれの物は三つしかない。全部食べみたいのに〜!」とメリナは悩み出した。
「私と才機はもう食べたから三つ目は二人で半分こにする」と海が言った。
「いいの?やった!じゃあ、頂きま〜す」
全員木陰で太陽から身を隠し、満足そうに食べていた。
「皿とかないから手で食べられる物ばかりで助かった」とメリナが言った。
「うん。飲み物も詰めていれば最高だった」とリースは指を舐めた。
「贅沢言わないの。海がいなければこんなの一生食べられなかった」
「別に文句じゃないよ。ただ、もし飲み物もついていれば本当に最高だったって言っただけだ」とリースは次の料理を箱から取り出した。
「ならいいんだけど。ちゃんと海に感謝しなさい」
「いいえ、感謝されるべきなのは女帝陛下だ。頼んだら二つ返事で使用人に用意させてくれた」と海が言った。
「女帝陛下万歳!」とメリナは食べている物を高く持ち上げてから、ぱくっと口の中に入れた。
幸せそうに噛んでいるメリナは急に顔を上げ、表現が真面目になった。
「どうした?」と才機が聞いた。
「今···何か聞こえた」
「何かって?何も聞こえなかったよ」
「いや、誰かがいる。この耳はだてじゃない」
「メリナがそう言うんなら間違いない。問題は誰でどこにいるのかだ。こんな所でうろちょろするのは呑気な俺達と盗賊ぐらい」とリースはライフルを抜いて回りを見た。
「動物か何かじゃ?」と才機が言った。
「だといいが···」
才機と海も辺りを見回したが誰もいない。そこで海は目を閉じて集中した。
「本当だ。いる。そこに」と海は指差した。
でもやはりそこには木々しか見えない。
「これでは不意打ちはまるで論外ですな」
木々の向こうから発せられたその声を聞いて全員立ち上がった。
「誰だ?!」とリースは問い掛けた。
「まぁまぁ、そうかっとならないでくれ。本当に不意打ちを仕掛けるつもりなんてなかったから」と沢山の木の後ろから人の輪郭が近付いてきた。
「ふん、そりゃばれたからそんな事は言えるけどね。···あ、知っている、この人」とリースが言った。
皆の前に出たのは全身鎧をまとった人間。
「リース達の知り合い?少なくとも敵じゃないかな?」と才機が聞いた。
「それは言い切れないかと。なんせリベリオンンだから」とメリナが言った。
「リベリオン?」と才機は海の前に立って構えた。
「才機と海の暗殺依頼をを持ってきた人だ。ジェイガルだったっけ?」とリースが言った。
「覚えてくれて光栄です。しかしこれはどういう事?二人は受けた依頼を必ず果たすって聞いたのだが、失敗するどころか依頼主を裏切るとは。これが知られたら何でも屋のリースの評判は地に落ちるだろうね」とジェイガルが言った。
「謂れのない言い掛かりはやめてもらいたいね。お前達との契約はちゃんと守った。捕まえて欲しかった人間を捕まえて拘束した状態で渡したんだ。もしその後、逃げられたらそれは自分の部下の責任だ。そして仕事を終えた俺達は誰と付き合おうが俺達の勝手だ。お前が言ってるのは下世話に言う名誉毀損だ」
「あくまで、とぼけるつもりか。まぁ、どうでもいい、過ぎ去った事は。あなたの屁理屈を聞きに来た訳ではない」
「じゃあ、何しに来た?不意打ちのつもりじゃないなら、さてはお前もピクニックか?」
「いいえ。そんな悠長な事をしている贅沢は許されないもんで。そこの二人とちょっと話があってさ」とジェイガルは才機と海の方を見た。
「それは何の話だろう?」と才機が聞いた。
「二人に取ってとても利益のある話だ。何しろ、生き延びるチャンスを与えに来たからだ」
「どういう意味?」
「前にもこの申し出をされたとは思うけど、レベリオンに入らない?本来、君みたいにこれほど私達の邪魔になった人を入れる訳にはいけないが、やっぱり君の能力は我々の理想への確実な貢献になれる。もちろん彼女の居場所も用意するよ」
「あの狼男がその話を持って来た時、断った理由は二つあった。一つはお前達の戦いは俺達には関係ないから。もう一つはお前達のやり方か気に食わないからだ。今の所その辺は何も変わっていない」
ジェイガルは溜め息をした。
「今、自分が死にたいと言っているのが分からないのか?私達はただ前のように堂々と生きていたいだけなんだ。リベリオンに入って協力したらこの国は私達異能者にとって今よりずっと住みやすい場所になるんだよ?なぜそれを拒む?それか殺されるかの二者択一でなくても前者を選ぶだろう、普通」
「まぁ、この国にはそれほど長居するつもりはないとでも言いましょう」と才機が言った。
「それに殺されるってお前に?一人で来たって事はそれなりの自信があるようだが、才機を殺せるほどの力も併せ持ってるのか?」とリースが聞いた。
「確かに力で彼には到底及ばない。だが頑丈さに関しては私は負けていない。もしかしたら、私の方が上かも」とジェイガルは言った。
ジェイガルは小手を外して足元にあった枝を拾った。厚さ五ミリぐらいの細い枝だった。それを見てから才機に投げ渡した。
「ほれ」
才機はその枝を受け取った。
「何、これ?」
「折ってみ」
何のつもりか才機に分からなかったが、取りあえずは付き合って折る事にした。
「才機の力を試してみたいならそんな小枝じゃなくて木丸ごと倒させたら?」とリースが言った。
リースはそう言ったが、才機はその小枝すら折るのに以外と苦労していた。ジェイガルは鼻で笑った。
「違う、違う。そうじゃなくて能力を使って折ってみろと言ってるんだ」
才機は体の変形を起こしてもう一度枝を折ろうとした。しかし、出来なかった。
「あれっ、折らない」と才機が言った。
「何?ちょっと貸して」とリースは才機から枝を取った。
リースは精一杯力を入れて折ろうとしたが、その細い枝にひび一つも入らなかった。
「何なんだこれは?」とリースが言った。
「皆さん、ブロコニウムは知っていますか?この世で最も高い耐久性のある且つ衝撃を吸収しやすい化合物だ。少々希少な化合物でもあるがね。御偉いさんやお金持ちの金庫とか避難小屋の建設に使われる事が多い」とジェイガルが言った。
「それがどうした?この枝がブロコニウムで出来てると言うのか?」とリースが聞いた。
「そうでなきゃ、さっきの講義はしなかっただろう。私は触れた物の原子を自在に操る事が出来る。大体二日以内に再度接触しないと次第に元に戻るんですが、その間は私の思うがまま。さて、問題です。私が今着てるこの鎧は何で出来ているんだろう?」とジェイガルは小手を付け直した。
「まさか、全部ブロコニウム?」とメリナが聞いた。
「半分正解。模範解答はブロコニウム以上に強化された私が生み出した独創的な化合物。それはどういう意味か分かる?この鎧を着ている限り私は無敵なんだよ」
「そう?それほど凄い物だったら近衛兵全員使っているんじゃない?」と才機が言った。
「ブロコニウムの鎧を生産するって事か?それは可能かどうかは分からないが、出来るとしたら決して容易な事ではないはずだ。ブロコニウムはあまりにも耐久性が高くて、その加工はかなり困難。壁の基礎みたいな物に形作るのはやっとかと。鎧みたいな入り組んだ物にするのは至難の技だ。仮に出来るとしても、出来たところで使い物にはならない。凄く重いんだよ、ブロコニウムは。纏っている人間が無事でも、まともに動けないんじゃ仕方ないだろう。だが知ってる?陽子の数を保って中性子だけ取り除けば元素を変えずに質量を減少させる事が出来る。この鎧を使えるのは私一人って訳だ」
「えーっとー···まぁ、お前が打たれ強いなのは分かった···かな」とリースが言った。
「分からないなら素直にそう言えば?」とメリナが言った。
「うるさい。お前も分かってねぇだろう」
「まぁ、これでも前は科学者だったからね。分からなくても気にするな」とジェイガルが言った。
「とにかく頑丈さだけじゃ才機を殺せないと思うよ」とリースが言った。
「どうだろう。その答えには私も興味津々」とジェイガルは二つの短剣を抜いた。
「短剣?短剣で才機を切ろうってのか?」とリースが笑った。
「もう一度言う。どうしても私達の仲間にはならないか?君の答えはその女の命運も決めるんだぞ。悪いが欲しいの君の力だ。彼女だけ賛同しても相談は成立しない」とジェイガルは一つの短剣を二人に向けた。
「私は才機と同意見。あんた達と一緒に事を構えるつもりはない」と海が言った。
「海なら俺が守る。指一本触れさせない」と才機がジェイガルに宣言した。
「残念です」とジェイガルが言った。
鎧を着ている人間ととても思えない速さでジェイガルは才機に突っ掛かった。才機は腕で降り掛かる短剣を受け流した。
カチン!!
ジェイガルは一旦引いて自分の短剣を見た。特に変わりはない。才機も無事のようだったし。
「ほら、そんなもんじゃ歯が立たないだろう?分かったら帰れ。俺達は別に追ったりしないから」とリースが言った。
才機は自分の腕を見た。痛かった。まじで痛かった。ただそれよりもびっくりした。さっきので鋭い痛みを確かに感じた。そして腕を見ている内にゆっくりだが、赤い線が現れた。血。この姿で才機は初めて血を流した。
「いいや、ちゃんと効いてるじゃないか。期待していたほどではないが」とジェイガルが言った。
確かに才機の傷は浅い。浅いが切られたのは事実。命に別状はないが、何度も負いたい傷ではない。血管を切るのに十分の深さだろう。もしそうなったら絶体絶命。
「もちろんこの短剣もブロコニウム。普通ならブロコニウムをこれほど鋭く研ぐ事は考えられないが、まぁ、二度説明する必要はないよね。今までこの刃で切れない物はなかった。君のその肌も例外ではななそうだ」
「おい、才機、大丈夫か?」とリースが聞いた。
「ああ。海、下がってて」
海は木の後ろで隠れた。
「さて、続きと行こうか」とジェイガルはまた才機を狙った。
今度は才機が次々と来る斬撃をかわす事に専念した。たまには隙を見つけて反撃はするけど、相手も華麗にかわし攻撃を続ける。争いのはずみで女帝からもらった箱が踏み込まれて引っ繰り返え、中身は草にぶちまけられた。攻撃をかわすのはジェイガルの方が上だ。才機はもう六箇所から血が滴り落ちている。一つの傷は才機の喉に非常に近い。完全に押されている。
バン!
ジェイガルのヘルメットに弾丸が当たって跳飛した。
「おいおい、銃ごとき本気で通じると思った?」とジェイガルはリースを嘲った。
「いや。多分効かないんだろうなと思った。でも気をそらさせる事ぐらいは出来るんじゃないかなと踏んだ」
「?」
ジェイガルはまた才機の方に注意を向けた。すると接近する拳が見えた。しかし見る事以外は何も出来なかった。反応出来ず才機のパンチをもろに顔面に食らった。ジェイガルの体は飛んでいき、凄い勢いで木にぶつかって短剣を落とした。地面に座っている状態でジェイガルは動かなかった。
「あのヘルメットを被っていると回りがよく見えないようだな。って聞こえないか」とリースが言った。
「ちゃんと聞こえてるよ」とジェイガルが言った。
「あいつ、平気なのか?!」とリースが言った。
「言っただろう?ブロコニウムは衝撃を吸収する性質がある。しっかし、やっぱ大した怪力だ。生身だったら即死だろうな。怖い、怖い」
「お前···かなり戦い慣れてるな」と才機は荒い息で言った。
「先生が良かったんだ」とジェイガルが立って一つの短剣を拾った。
二つ目を拾いに行った瞬間に、急に後ろから強い風邪が出てきた。その風邪はジェイガルの短剣を林の向こうのどこかへ転がり込んだ。
「小賢しいまねを。軽くしたのが裏目に出たね。まぁ、いい。後は君も始末をすれば帰れる」とジェイガルが海を睨み付けた。
「俺の事を忘れてないか?この程度の傷じゃ死なないよ」と才機が言った。
ジェイガルはまた鼻で笑った。それから小手を外し、残りの探検を生身の手で握ってその腕を上げた。
「いい事を教えよう。私が原子を操ると僅かだけど性質や質量などが変化するのにちょっとしたタイムラグがある。タイムラグと言っても一秒程度だから別に弱点にはならないが、物を投げた直前にその質量を増やせば、移動中に同じ瞬間速度を保ったままその質量が増える。その結果···」
ジェイガルは短剣を思い切り投げた。しかしその狙いは才機ではなく、海だった。空中を突進する短剣は海が隠れている木を貫通して紙一重で海の眉間に届かなかった。
「きゃあ!」
その刃は海の前髪を三本ぐらい切り落とし、海はひっくり返った。
「てめえー!」と才機は小手を付け直すジェイガルを掴もうとしたが、またかわされた。
ジェイガルはそのまま才機の足元をすくって、真っ逆様に地面に突き落とした。そして才機が地面に落ちる前にジェイガルは既にまっしぐらに海に直進していた。才機は自分をひっくり返した時には、ジェイガルはもう海までの距離を半分以上縮んだ。
《速い!》
リースは海の前に駆け付けて何発ジェイガルに当てたが、ジェイガルは少しも減速しなかった。リースは一旦打つのを止めて狙いを定めた。次の銃声と共にジェイガルは完全に停止した。銃弾はちょうどジェイガルのバイザーの隙間に挟まった。無論ジェイガルは無傷だが流石にびっくりして足を止めた。もしバイザーの覗き穴がもう少し広かったらどうなってたか思いたくないものだ。
「ちっ」とジェイガルは弾を取り除いた。
一方、才機は立とうとしてジェイガルを追おうと思ったが、股の切り傷の痛みでまた膝をついた。
「くそっ!」と才機は痛みをこらえて立ち上がった。
弾を投げ捨てたジェイガルはまた海に向かってまっしぐらに駆けた。リースがライフルに弾丸をこめ直そうとしている時に、ジェイガルは流れるような動きで短剣を木から抜き取り、もう一方の腕でリースをぶっ飛ばし、続いて海にぶつけて組み敷いた。
「恨むならあの頑固な兄さんを恨むんだな」と海の上に覆いかぶさるジェイガルは短剣を振り上げた。
すると、後ろからメリナがジェイガルに飛び掛かって短剣を奪おうとした。才機はまだ少し離れているし、思うように走れない。メリナは直ぐに軽々と振り払われて、大した時間稼ぎにもならなかった。ジェイガルが短剣を海の心臓へ突き掛かかると海は目を閉じて運命を甘受せざるを得なかった。
ガン!!
バスケットボールよりちょっと大きい岩が物凄い速度でジェイガルの背中に命中した。
「うわぁー!」とジェイガルが前方に倒れて、海を捕らえていた足は今海の頭の左右両側に伸びていた。
ジェイガルは何が起こったのかよく分からなかったが、まずは体勢を直した。しかし四つん這いになったら右腕と右足を掴まれた。最初は「誰だ?」と思ったが、手軽に持ち上げられるとその答えが分かった。才機はジェイガルを木のない辺りの真ん中に連れて出してジェイガルの腕と足を持ったままくるくる回り始めた。回転速度はますます速くなって目も回り始めた。そろそろめまいで倒れそうになったら才機は力任せでジェイガルを空へと投げ飛ばした。ジェイガルの姿がどんどん小さくなって、やがて木々の向こうの何処かへ消えて見えなくなった。
リースは口笛を吹いた。
「あれじゃ、無事でも直ぐには戻ってこれないな。待つ義理もないし、ドリックに帰ろうか?」
「ああ」と才機は崩れ落ちて地面に座った。
「ちょっと、大丈夫?傷はそれほど酷くないが、顔色悪いよ」とメリナが言った。
「少しめまいがするだけ。平気」と才機は変形を解除した。
「今、直すから待ってて」と海が駆け付けてきた。
「いや···あの力を使うな···これぐらいの傷···なんとも···」
言い終える前に才機は気絶した。
「才機!」と海は才機の隣で膝をついた。
海は彼女しか見えない青いオーラを見て才機のあっちこっちにあった小さな黒い靄を取り払い始めた。おなじみの痛みを耐えながら才機の切り傷を一つずつ直した。急所は外されたし、深くはない。そんなに時間はかからなかった。
「才機、聞こえる?もう大丈夫よ」と海は言った。
でも才機は目を開けなかった。海は才機を揺り動かしてみた。
「才機?才機?なんで起きないんだ?傷は全部直したのに。あの黒い靄はもう何処にもない。···でも気のせいか、何か、才機のオーラはいつもより色あせているような···」
「オーラとやら見なくたって顔見りゃ分かるよ!真っ青だ!」とメリナが言った。
海は才機のオーラばかり見ていて才機の顔色に気付かなかった。本当だった。メリナは才機の額に手を当てた。
「体温は普通みたい」と次は耳を才機の胸に当てた。
少し聞いてからメリナは急に頭を上げた。
「大変だ!心拍がめちゃちゃに遅い!それにこんな顔だし。お兄ちゃん、これはもしかして···」
「才機を馬に載せるよ。あの短剣を持ってきて」とリースはメリナに指示した。
リースは才機を担いで馬へ連れていた。
「え?何?!何なの?!」と海はリースとメリナを交互に見た。
リースを追い掛けようとしたが足に十分な力が入らなくて転んだ。小さな傷でもやはりあの癒しの能力を使うと負担が掛かるみたいだ。
才機を馬の上に載せてからリースも乗った。メリナは走ってきてジェイガルが落とした短剣をリースに渡した。
「先に行ってるよ」とリースは手綱を鞭打って急いで出発した。
「だから何なんだ?!」と後ろからやってきた海はメリナ揺すって問い質した。
「猛毒だよ、おそらく」
ジェイガルは高度が下がってくると木の枝にぶつけてドスンと地面に落ちた。それから二十メートルぐらい縫いぐるみ人形みたいに転がり続けた。遂に止まったらそのまま動かなかった。
「うぇ〜。目が回る。気持ち悪い」
少し休んだら回りを見た。
「何処だここは?どっちから飛んできたかも分かんねぇ」
ジェイガルは起き直った。
「ま、これでまず一人。女の方は次こそやる」
《ジェイガルさん》
《ん?シェリか。今男の方を片付いたよ》
《それなんですが、デイミエンから伝言を言付かりました。ザンティスに光線走りを使って全てを観察させたらしいです》
《そうか。女なら今度必ずやるから心配無用って伝えておいて。伝言って何なんだ?》
《そう、デイミエンから新たな指示を預かりました》
•••
病室から医者が出てきた。
「どうなんですか?」とミリナが聞いた。
「凶器から毒の種類を判明して解毒剤は施した。処置は早かったからよかったものの、リゼナフィムは厄介だからな。毒が一定以上広がるともう助からない。後は治療が間に合った事を祈るしかないですね」
「そうですか。ありがとうございました」
「入っていいんですか?」と海が聞いた。
「ええ、どうぞ」
海、メリナ、リースの三人は病室に入った。海は椅子をベッドの近くに持って行って座った。
「間に合ったよね?リースは直ぐに才機をここに連れてきたからそんなに時間は経たなかったよね?」と海は才機の手を取った。
「十五分ぐらいかな。リゼナフィムは一時間で殺す毒物というからきっと大丈夫だ」とリースが言った。
でも短剣を分析するのにも時間が掛かった。もし間に合ったらぎりぎりのはずだ。
「もう、嫌なんだ。後何回才機の病床で生死の境をさもよっている所を見ないといけないの?」と海は額を才機の手に当てた。
「ねぇ、海。しばらく街を出ない方がいいと思う。あのジェイガルって奴はまだ生きているだろう。諦めの悪い奴って感じだったし、次はあんたが狙われるよ」とメリナが言った。
「そうだな。あの格好でのこのこ街に入ったら目立って直ぐに分かる。距離を置くのがそんなに難しくないはず」とリースが言った。
今の海はちゃんと聞いているかどうかちょっと不明だ。
「海?」とメリナが声をかけた。
「ったく。いつまで海に心配をかけるつもり、こいつは?起きたらぶん殴りそうだからまた後で来よう」とリースはメリナの肩を軽く叩いた。
「ん?ああ、じゃ、また来るね」とメリナはリースと一緒に病室を出た。
海は才機の腹の上に載っている手を握ったまま彼のウエストを枕にした。そうやってずっと才機を見ている内に眠りについた。
海が起きてゆっくり目を開けると、もう才機の手を握っていないことに気付いた。握っているはずの手は海の頭の上に載っていた。今は才機の顎しか見えなくて、起きているかどうかは分からないが、手が海の頭の上なら意識は眠っている間に戻ったはずだ。
「才···機?」
「俺ってやっぱ、ここの健康保険に入った方がいいよな?」
海は自分の頭に載っている才機の手に自分の手を重ねて目を閉じた。二人はそのまま静けな病室の中で過ごした。その内、医者が入ってきた。
「おっ、起きているか?どうかね、気分は?」
「うん、ちょっと疲れたけど、それ以外は特に」
医者は才機の瞳孔と脈を見た。
「峠を越えたようですね。これで心配はないと思いますが、もうしばらく様子を見たいから退院は明日まで待ってもらうよ。今ナースを呼んで血液検査を行わせる」と医者が病室を出た。
間もなくナースが来た。
「失礼します。今検査を行いますので外で待って頂けますか?」とナースが海に言った。
「俺はもう大丈夫だから、帰って休んでいいよ。明日、退院したら俺も帰るから」
「そう?じゃ、待ってるね」と海は才機の手をもっと強く握った。
「リースとメリナにまた迷惑をかけたな。代わりにお礼を言ってくれる?」
「うん。後はよろしくお願いします」と海はナースに言って病室を出た。
海が宿に戻ったらちょうどリースとメリナが出て来た。
「あ、海。今病院に行くところだったけど···どう才機の具合は?」とメリナが聞いた。
「意識が戻った。ありがとうだって」
「よかったー。一緒に帰らなかった?」とメリナは才機の姿を探した。
「明日まで様子を見たいんだって」
「どうした、その浮かぬ顔は?無事なんだろう?明日になれば帰ってくる」とリースが言った。
「うん、そうなんだけど、またいつかこういう事になるんだろうと思うと不安でならない。次はこうも運がいいとは限らない」
「まぁ、街にいる限りそんなに危険はないと思う。とにかく中に入ろう。結構暗くなってきた。温かい飲み物を注文してやる」
中に入って海とメリナがテーブルで座った。後からリースがコップを持って
きた。湯気が立っているそのコップを海の手前に置いてリースも座った。
「あ、この匂い、ココア?」と海がコップから漂ってくる香りを嗅いだ。
「うん。それ飲んで体を温めて」
「ありがとう。久しぶりだな、ココアを飲むのは」と海が一口飲んで黄金原オアシスの二人が今頃どうしているかなと気になった。
「ね、海、聞きたいんだけど」とメリナが言った。
「ん?何?」
「さっき、才機がジェイガルに言ったよね、この国に長居するつもりはないって。どこか行っちゃうの?」
「うん、まぁ、一応そういう予定なんだけど、それはいつになるのか私達も分からない。でも、直ぐにって訳じゃないよ。その日が来るとしたらまだ先の事だ」
「そっかぁ。でもまだ先の話でよかった。二人がいないと超寂しくなる」
「でも、もし本当に異能者への差別から逃げる為に他国に行くんだったら無駄足だと思うよ。恐らく、どこに行っても異能者に対する軽蔑の気持ちはあるだろう」とリースが言った。
「ううん。そういう事じゃない。私達はただ、ただ行きたい所がある。そこはどこなのか、まだ分からないだけ」
メリナは首をかしげた。
「ふーん。ま、分かるまでここでゆっくりするといい。ここにいる限り俺達はお前らをサポートするよ」とリーサが言った。
「うん。ありがとう」と海はまた一口飲んだ。
翌朝、海は一人で起きて左側の空虚を見た。起きて隣に才機がいないのは黄金原オアシスで泊まった夜以来初めてだった。今日また会えると分かっても意外と寂しいものだ。明日は海が働いている店のオーナーが帰ってくる予定だ。今日は仕事しないで一日才機と過ごしたい。もしリースが何かの仕事の話を持ってきたら今日は断念させてもらわないと。
「そうだ。才機が帰ったらあのシーフードスープを食べさせよう。二回も店で練習したし、私の料理でも病人食よりは美味しいはず。よし、そうしよう」
準備が出来たら海は直ぐに買い物に出かけた。まだ割と早かったので、海以外の客は僅かな数人ぐらい。でも今朝起きた時より上機嫌で色んな材料を選んで籠に入れた。食べる人の喜ぶ顔を想像するとこういう雑事も案外楽しい。最後に調理をする為の小さな鍋も買った。
「買い忘れしてないよね。才機が帰る前に早く支度しないと」
宿に戻って誰でも自由に使える焜炉を借りた。
「誰も使ってなくてよかった。さて、始めるか。しっかり作らなきゃ」
この料理を一人で作るのは初めてになる。今度は全てが順調に進むように見てくれる人がいなくて海はちょっと不安だった。教えてもらった事を全部思い出して海は一時間近くかけて丁寧に作った。遂に完成させると最後に味見をした。
「うん、我ながらいい出来だ」と海が唇を舐めた。
スープを椀に入れ、蓋をかけた。それを部屋に持って行って鏡台に置いた。
「よし、後は待つだけだ。才機はきっとびっくりする」と海は椅子に座って引き出しからスプーンを出した。
腕枕をして海はスプーンに映った自分の顔を見た。
才機は病院から出て背伸びした。
「せめて飯を食わせて返して欲しかったなぁ」
ぐ〜〜〜〜〜〜〜〜。
「やべっ、早く帰って何かを食べよう」
「まだか。そろそろ来ないとスープを温め直さなきゃ」
海は窓を開けて身を乗り出した。人はあっちこっち行ったり来たりして宿の側面を通り過ぎて行っていた。海の視線は行商人から果物を買っている婦人に止まった。多量に買い込んでいて持って帰るのが大変そうだ。
「そういや、少し作り過ぎたな。そうだ。リースとメリナに分けて皆で食べよう」
コンコンとノックする音がした。
「あ、才機は今、鍵を持ってないんだったね」と海が窓を閉めて、ドアを開けに行った。
「随分遅かったね。体の調子はもう」と海はドアを開けた。
そしてドアを開けた途端に布が海の鼻と口元に押し付けられ、誰かが部屋に押し込んできた。悲鳴を上げる間もなかった。
才機が宿に戻ったらやけに人が集まっている事に気付いた。気になって才機もその人込みに混ざった。
「どうなっている、これ。何かあった?」と才機は隣の男に聞いた。
「俺は見なかったけど、どうやら誰かが女を抱えて宿の二回の窓を突き破って飛び降りたらしい。ほら、あそこにガラスが落ちているだろう?」
才機はガラスを見てからその上の破れた窓を見た。血の凍る思いをした。才機と海の部屋だった。
「飛び降りた人はどんな奴だった?!その二人、どこに行った?!」
「いや、見てないからそこまでは」
「大きいマントとフードを被っていたからどんな人か分からないけど、そこの北門を出て真っ直ぐ走っていたよ」と才機の後ろの女の人が言った。
才機はそっちの方へ押っ取り刀で駆けつけた。門を出て誰も見当らなかったが、走るのを一瞬も止めず真っ直ぐ進んだ。やがて林に入り込み、次々と木をかわしながら必死に他の人間を探した。ずっと何も見つけられず、結局林を二つに分ける深い峡谷に辿り着いた。その下を見ると底がよく見えない。顔を上げると才機は峡谷の向こう側に探していたものを発見した。マントとフードを被っている人間。
「ジェイガル!!!」
振り向いたその人はジェイガルじゃなかった。見知らぬ人だった。その人は一人で、無言で才機を見ていた。
「いるんだろう、ジェイガル?!出て来い!」
「呼んだか?」と聞き覚えのあるジェイガルの声が返事してきた。
マントを着ている男の後ろの林の奥からジェイガルが出て来た。海と一緒に。ジェイガルは腕を海の首に絡みついて、手前で歩かせていた。才機は左右を見た。前にリースとの仕事であっち側に渡る為の橋を使ったけど、その橋は左の方でずっと下がった所にあったはずだ。今から行っても皆を見失ってしまう。
「君ってタイミング最悪だね」とジェイガルが峡谷の縁まで出てきた。
「ちょっと、なんで海を人質にしている?!」と才機が三人の真向かいの縁に行った。
才機は二十メートルの割れ目で海と隔てられていた。
「人質?それは勘違だ。君がタイミングが最悪と言ったのはこれからこの子の処刑を実行するからだ」
才機はそれを一番恐れていた。だからあえて海が人質だという前提で話していた。違うと確信した今、才機は歯ぎしりして焦り出した。
「分かった。分かったからお前達の仲間に入ると約束する。だから···海を解放して」
「ふーん。素直だね。最初からこうすればよかったのか。だが···この状況だから仲間に入ると言っているだけで、この子を返したらいつ裏切られるか分かったもんじゃない。いずれにせよ、残念だが上から新しい命令が出されんでね。その話はもうなかった事にするってさ」
「どういう···意味?」と才機は縁により近付いた。
「こういう意味だよ」とジェイガルはもしかしたら本気で残念そうな口調で言って、短剣で後ろから海の心臓を貫いた。
海は口を大きく開いたが悲鳴にならない短いうめき声しか出なかった。
「海—————!!!」と才機が叫んだ。
海の前から突き出ている刀身は血塗れで、その血は短剣の刃を逆に流れ、どんどんシャツに広げて行く血痕に更に血が加わる。海は才機に到底届けかない手を伸ばし、何かを言おうとしているが、口が動くだけで声は出ない。ジェイガルは短剣を引き抜き、海は唇から血を流しながらも最後に才機に笑顔を見せてそのまま峡谷に落ちた。才機は両膝をついて、落ちて行く海に掴めるはずのない手を伸ばした。たったの数秒の間で海は殺され、才機の視界から消えていった。才機は今ショックを受けている。今の出来事が実際に起きたと信じられなかった。
「正直、君が生きているとは驚いた。十分毒を施したつもりだったけど、ま、また今度彼女に会わせてあげるから寂しい思いをするのは少しの間だけ」とジェイガルは短剣を鞘に納めて、もう一人の男に後を付けられて林の中に消えた。
何時間経ったのだろう。才機がただそこで座って峡谷の中を見つめていた。頭の中で何度も海の最期を再生して。太陽が沈みかけ虫の泣き声がし始めた頃、才機はようやく街に戻った。死んだ目をして才機は宿の階段を上って部屋に向かった。ドアの取ってに手を付けると後ろから才機の肩にも手が付けられた。
「よ、やっと戻ったのか?お前も海もずっといなかったから病院に行ってみたけど···おい、どうした?」と才機は反応しないからリースが才機の左に回った。
才機の顔を見たらまるで魂が抜けていたようだった。
「ちょっと、退院して平気なのか?そんなに弱っているならもう少し病院で世話になった方がいいんじゃない?入院費用なら俺達」
「死んだ」と才機がいきなり言った。
「え?誰が?」
「海」
「は?何言ってんだ?」
「殺された。ジェイガルに」
「···ちょっと待って。どういう事かちゃんと説明して」とリースは才機の両肩を掴んで向き合わせた。
「北の林にいた、海とジェイガルともう一人の男。見つけた時は峡谷の向こう側に渡っていた。だから···助けられなかった。目の前で海が刺され、峡谷に落ちるの···見るしか出来なかった」
才機の声に一切の感情を見出せなかった。まるでトランス状態で話していたようだった。
「あれほど言ったのになんで街を出たんだ?!」
「拉致された。この部屋から」
「拉致された?いつ?」
「分からない。昼前。窓を突き破って連れ去った」
リースは才機を放した。
「確かに昼前は自分の部屋からガラスが割る音を聞こえたような気がした。まさかそういう事だったのか。ごめん。俺がいながらこんな事が···」
質問は終わったようで才機は自分の部屋に入った。リースはかける言葉を見つけられなくて、ただドアが閉まるのを見るしか出来なかった。才機は暗い部屋で立ち尽くしていた。彼は壊れている窓を見ていた。今はその場しのぎのプラスチックが貼られている。部屋がちょっと冷えていた。鏡台の前の椅子に座り、ぼうっと天井を見上げた。暫くしたらある香りが鼻まで漂ってきた。才機は鏡台の上の椀に気付いて蓋を開けてみた。いつぞや海が持って帰ったシーフードスープだった。本当に作ってくれたんだ。
ぐ〜〜〜〜〜〜〜。
そう言えば、朝から何も食べていなかった。その香りは才機にそう思い出させた。あんなにお腹がすいていたのに、才機は食べるかどうか迷っていた。自分でも実際に何で迷っているのかよく分からなかった。食べない事で海を助けられなかった自分への罰なのか?こんな時に食事を楽しむのは無神経だから?それとも海が最後に残した物を大事にして残したいから?結局は答えに辿り着かなかったが、手はゆっくりとスプ−ンの方に行って、スープを一口食べた。
とっくに冷めていた。そのスープは、凄く冷たくて···凄く美味しかった。
「うまい」
才機の頬を流れる涙はスープの中に落ちた。拭っても拭っても絶え間なく湧き出る涙が顎からスープに滑り落ちた。それを構うことなく一滴も残さずに食べた。そうしたら、椀を膝の上に抱えて眠りにつくまで鏡台に横顔を載せて泣き腫らした。
•••
コンコン。
才機はドアがノックされる音で目を覚ました。目を覚ましたが反応はしなかった。何も考えたくなくて、また眠りにつこうとした。昨日は海の夢を見たし。そして夢の中で海が死んでいると気付いていなかった。いっそ寝てそのまま起きなくてもいい。
「才機、いる?」と鍵はかかっていなかったからメリナが入ってきた。
「やっぱりいるんだ。うわ、寒いよ、この部屋。そこで寝たら風邪引いちゃうよ?」
才機は身動き一つしなかった。メリナは才機の隣でかがんで才機を抱き締めた。
「ごめんね。今は何を言っても何の慰めにはならないのは分かる。でも海の為にあんたを堕落させる別けにはいけない。そろそろ昼だよ。下りて何かを食べよう?そうしたら一人でここにいないで一緒に悲しもう」
またドアがノックされる音がした。
「はい」とメリナが返事をした。
「ども。壊れた窓を補修する為に来た者です。今は大丈夫ですか?」
「ええ、お願いします。ほら、才機、修理をしている間は下にいよう」とメリナが才機の腕を引っ張って無理やり部屋の外へ連れて出して行った。
「ん?それは置いてきていいでしょう?」とメリナは才機が持っていた椀を取って部屋の鏡台に戻してきた。
下でメリナはコーヒーとサンドイッチを買って才機が座っているテーブルの上に置いた。
「せめてこれだれでも食べて。食欲がなくても体に栄養を与えないと」
確かに才機は食欲なかった。でもサンドイッチぐらい食べられるのは困難な事ではないし、メリナは中々諦めないだろうから、ここは素直に食べた方が面倒を避けそうだ。メリナは何も言わないで才機が食べ終わるまで待った。
「よし。次は最後に海を見た場所まで案内して」
「どうして?」
「墓標を作るのよ」
メリナは才機と一緒に北の林に入って橋を渡った。海はどこで峡谷に落ちたか正確に分からなかったが、才機峡谷を沿って血の跡を探した。中々見つけられなかったので大体の所にした。
「ここね。才機は石を一杯集めてきて。あたしは花を摘んでくるから」
才機は黙々と石を集めに行った。五往復したらそこそこの数になってきた。メリナも丁度戻ってきた。左手に何本の花を、右手に花輪を持っていた。メリナは才機が峡谷の近くに積み重ねた石の上に持っていた花を全て飾った。
「奇麗なお墓だ」とメリナが地面に座った。
「才機も楽になって」とメリナは隣の地面を軽く叩いた。
才機はそうして、海の墓をじっと見た。
「才機のせいじゃないからね。今はああすればよかったとか、沢山のもしもに苛まれているだろうけど、あまり自分を責めないで。海はきっと恨んだりしてないし、才機にそんなに苦しんで欲しくないはず」
「うん」と才機が一言返した。
本当にそう思っているかどうかはまた別の問題だけど。
「あたしももっと仲良くなりたかったな。海はあたしにとって初めての女友達だよ?これからは女同士ならの喋りを沢山出来ると思ってた。才機の話とかはもう結構してたよ。認めるのに時間かかったけど本当にあんたの事好きだった、海は」
メリナは少し涙でかすんだ目を拭った。
「もー、今まで涙をこらえられたのに」
「別にいいんじゃない?俺も昨夜散々泣いた」
「そうか。じゃ、あたしも少し泣かせてもらおう」とメリナは涙を自由に流れさせた。
二人は暫くの間そうやって過ごした。いずれは風が出てきて、母なる自然のひんやりとした手がメリナの肌に触れた。
「ちょっと冷えてきたね。何か海が風を吹かせて早速帰りなさいって言っているみたいだね。そろそろ帰ろうか」とメリナが言った。
「うん。もうちょっとここにいるから、先に帰ってて。後少しで俺も行くから」
「そうか?じゃ、風邪を引かないようにね。帰ったら教えて。何か温かい物を飲もう。お兄ちゃんももう帰っているかも」とメリナは先に宿に向かった。
才機は即座に作った海の墓をずっと見ていた。遺体がないのでは、簡単に建てる物だ。正直、あまり乗り気になれず作業をした。こんな物を作ったところで気が少しでも晴れるはずがないと思った。やるせない気持ちは相変わらずだが、こうして座ってみるとここはやはり海に一番近い場所のよに思えてきた。一人であの部屋にいるのはやるせなくて帰りたくない。いっそジェイガルが現れてここで殺してくれたら楽になれるでしょうかと思った。何も出来なかった自分には相応しい最期かもしれない。だが自己嫌悪に浸っていられるのは束の間。ジェイガルの姿が思い浮かぶとその気持ちが別のものに変化して行く。憎悪という感情に。今になって初めて怒りが腹の底から沸き上がる。海が死んだ時は悲嘆のあまりに誰かを恨もうとも考えなかった。でも今は海にあんな憂き目に会わせて、自分をこんなにも苦しい想いをさせている人に対する殺意がどんどん、どんどん高まる。そんな時、肩に手が置かれるのを感じた。その手の持ち主はジェイガルだと強く念じて、思いがけず恐ろしい期待で振り向いた。
「だ、大丈夫か?」と才機の顔を見てリースが少し驚いた。
一瞬、てっきり才機からとんでもない殺気を感じたような気がした。
「リースか。どうした?」と才機はまた海の墓に目を戻した。
「あぁ、メリナからお前がここにいるって聞いた」
「そうか。今まで仕事してた?」
「いや、ちょっと探索に行ってた」
「探索?」
「ああ。この下の川が流れ込む湖でね。そしていくら探しても死体が見つけられなかった。もちろんどこかで引っ掛かったり、動物に持って行かれたり、単に俺が見過ごした可能性は十分あるけど」
「だから本当はまだ生きていると言いたい訳?」
「あ、いや、別に変な期待を持たせたいとかそういうんじゃなくて。あんな事があって助かるはずがないから。ただ、気になってた。何かがずれてるような」
「何の話?」
「だってさ。可笑しいと思わない?海を殺すのが目的なら何でわざわざここまで連れ出す必要がある?部屋に侵入した時に出来たはずなのに」
「騒ぎを起こしたくなかったんじゃない?」
「あの連中が?騒ぎを起こしたくない人は真っ昼間で窓を突き破って二階から飛び降りたりしない。目立ち過ぎだろう。それにちょうど才機が連中を見つけた時に海を殺したってのもタイミングが良過ぎる。あるいは悪過ぎるか。林に入った途端にやればよかったものを。それが林の奥に来て、峡谷まで渡った。才機に海が死ぬところを見せ付けたかったとしか思えない。お前に死んで欲しいなのはともかくとして、そんな趣味があるとは思わなかった」
「今となってはどうでもいい事なんだけど」
「そう···だよね。でもどうしても俺達は凄く大事な事に気付いていないような気がしてならない。単に趣味が悪いという理由じゃかなったら、海が死ぬところを見せたかったって事は、お前に海が死んだのを知って欲しかったって事だ」
「そりゃ当然だ」
「あるいは、死んだと思わせたかった」
「···」
「さっき言ったばっかりの事と矛盾しているだけど、もしかして、本当に万が一の可能性だけど、海は···生きているかも。何かの理由で海を捕虜にしたかったんなら、才機が見たのは海を諦めさせる為のやらせかもしれない」
「心臓が貫かれたんだよ!俺の目の前で!」
「本当にそうだと言い切れるの?そう見せかけて急所を外したかもしれない。異能者の集団だから空を飛べる誰かが海を受け止めたかもしれない」
「何もかも『かもしれない』。ただの憶測じゃないか」
「むちゃくちゃ言ってるのは自分でも分かるけど、何かが変だ。それは確か」
「だから俺に何をしろって言うんだ?」
「···分からない。ごめん。真実を確かめるにもリベリオンを探るしかないが、そのリベリオンの本拠の在り処は知らない。でももしそれが分かったら、海について何かが分かると思う。それは海が生きているとは限らない。だが、すがりたい物が欲しいんだったら、これを使えるかと。まぁ、深入りするかどうかは任せる。調べた結果を教えたかっただけなんで、先に行く。あまり遅く帰るなよ。メリナが心配するから」とリースは才機の肩を軽く叩いて先に帰った。
「リベリオンに侵入してあのジェイガルって奴を全部吐かせるってのか。無理だよ」と才機は立てた膝に額を置いた。
•••
昨夕、海は目を覚ましてみると駆け出している馬の上に体をへの字にし、腹這いになっていた。足と縄で縛られた手が馬の両側でぶらぶら揺れていた。今までの事を思い出した。宿で才機が帰ってくるのを待っていた時に、あの狼男が部屋に押し込んで薬で自分を眠らせた。どこに連れて行かれているんだろう。馬を操っている人に聞いても答えてくれなさそうだ。目的地に着くのを待つしかない。
途中で目印になるようなものはなかった。殆ど砂漠状態だった。ただずっと山脈の方に移動していた。その山脈に辿り着いたら、まさかこれから山越えをすると思ったら、馬が停止して馬を操っている人は降りた。やっぱりあの狼男だった。
「なんだ、起きてたのか。随分静かだったな。ま、ずっと『放せ放せ』とかぎゃあぎゃあ喚かれるよりはましだけどな。こっちだ。言っておくが風で変な真似はするなよ。怪しい風が出てきたら即お前をのしてやるからな」とディンは海を馬から降ろし、山裾の高さ二メートルぐらいの傾斜の上で作られた入り口へ連れて行った。
そこでもう一人見覚えのある顔の人が待っていた。アラニアでビルを放火していた異能者だ。
「お、うまくいったようだな」とラエルが言った。
ラエルは海を頭からつま先目までじっくり見た。
「ふーん。この女がね。まだ信じられないな」
「まぁ、直ぐに分かるさ。早速デイミエンの所に行くよ」とディンが言った。
三人で山の奥へ進んだ。そのトンネルを歩いていると何度も分岐点に差し掛かった。トンネルが二つに分かれることがあれば、三つに分かれることだってある。等間隔で設置された松明や焚き火は唯一の光源。たまに広い空間に出たと思ったらまたトンネルに入って登る。しかしどこに行っても変わらない事は一つ。明らかな窮乏。どこも汚くて、ぼろを着ている人間がごろごろしている。小さな子供から老人まで年齢層は幅広いが、全員異能者か異形者だろうか。熱を求めて火を囲む者も、もう寒さに構う気力すら残っていなくて地面に転がっている者もいる。何かの遊びをしている子供や、だべっている人は見当たらない。ここはスラム街以下の状態。何度目かトンネルに入ろうとしたら、ディンは止まるように手で合図した。
「ここで待ってて。デイミエンの指示を仰いでくる」とディンは暗闇に消えた。
海は回りを見た。近くで母親が子供二人、男の子と女の子と一緒に小さな焚き火を囲んでいた。その火が段々小さくなっていた。やがて火は温もりと言えるほどの熱を出せない燃えさしとなった。女の子は体を丸めて手に息をかけた。
「母さん、寒いよ」と男の子はお母さんに訴えた。
他に為す術がなく、母親は二人の子供を抱き寄せた。ラエルが燃え尽きようとしている焚き火の近くにしゃがんで手を薪の上に置いた。すると大きな炎が薪の上に赤々と燃え
上がり、暗かったその辺りを明るく照らした。まるで一瞬で夜が昼になった。
「ありがとうございます」と母親が礼を言った。
「気にすんな。弱くなったらまたでかくするから」とラエルが男の子の頭を撫でて微笑んだ。
ここに入ってから海が初めて見た笑みだ。
「そうだ。今日はいい物が手に入った」とラエルはポケットに手を入れてお菓子を取り出した。
それを二つに分けて子供達にあげた。
男の子は喜んで受け取って、口に放り込んだ。しかし、女の子の手の平に落ちた瞬間にそのお菓子が消えた。
「あ」と女の子が驚いた。
何かの存在を確かめるように女の子はお菓子が落ちたはずの所を指で二回突いてみた。手応えがあったらしくて、恐らく透明になったであろうそのお菓子を彼女は人差し指と親指に挟んで口に入れた。嬉しそうに何かを舐めているのはその証拠だ。母親は頭を下げて感謝の気持ちを表した。
「遅いから明日にするって言ってた。今日はもうこの女を部屋に入れるんだ」と戻ってきたディンが言った。
「へいへい。付いてきて、お嬢ちゃん」とラエルが海を案内した。
二人が着いた海の部屋とういうのはこの山に幾らでもあるただの空洞。割と広かって、真ん中にプラスチックで出来たでかい球体の上半が置いてあった。人をぎっしり詰めれば二十人ぐらいは入れる大きさ。
「ここがあんたの部屋になる。今まで住んでいた所ほど豪華じゃないが心配するな。別に差別じゃないよ。他の皆の部屋だって同じようなもんだから。あんたはそこの家具があるだけましだと思ってもいい」とラエルはプラスチックの半球形を指した。
海はその空洞に入って回りを見渡した。特に見る物はないけど。本当にそこにはあの謎の半球形と入り口の両側にある松明だけだった。
「ま、座って楽になれば?しばらくの間はどこにも行かないんだから」
「あなたが私の見張り役?」
「ジェイガルが戻るまではね。早く戻ってくれないかな。そろそろ巡回しなきゃ」
「巡回?ここは襲われる可能性あるの?リベリオンのアジトの所在は一般の人に知られてないと聞いたけど」
「そういう為の巡回じゃなくて、さっき見ただろう?あの家族が使っていた焚き火が消え掛かっているのを。皆がちゃんと暖を取れる為の火があるようにするのは俺の役目だ」
「ここを全部巡回するのに結構時間が掛かるのでは?」
「だから早く帰ってきて欲しいんだ、ジェイガル。ったく、俺には他にも責任があるって事を覚えておいてもらいたいもんだ」
「ここにいるのは全部居場所を無くした異能者?」
「全部じゃない。異能者に成り済ましてここで生活している人もいる」
「···何でそんな事を?」
「自分が異能者でなくても家族がそうかもしれないからだ。母親が街から追い出される自分の幼い子供を見捨てる訳にはいかんだろう」
海は先ほどの家族を思い出した。娘以外は普通の人間だったのだろうか。
「あなた達はここで何をしようとしてるの?リベリオンの目標は異能者がもっと住みやすい世界を作るとか言ってるが、異能者じゃない人を脅しているだけじゃない?その人の肩を持つ異能者も···」
「全てはもっと大きな目的を果たす為だ。俺達は見下されるべき存在じゃないって事を皆によく理解させないといけないんだ。まずは世間の考え方を訂正させるのが重要だ。それが出来なきゃこの世界はずっとここまま。皆はあんたみたいに虐げられるのを耐えながら恐怖の中で生きたい訳ではない。そもそもその選択肢すらない奴もいる。ここにいる連中に言ってみるか?ずっとこうして山の中で生きろって」
「そんな。私は別にそのつもりじゃ···」
「ま、あんた達の事はまだばれてないから分からないだけだ。一度理由もなく家から立ち退かされ、今まで苦労して手に入れたものを失ってみればその考えは一変するだろう」
確かに海は異能者である故の苦難はそんなに体験していない。隠すべき人からは何とか隠し通してきた。背中を半球形に合わせた海は座って膝を立てた。それから二人は静かに待っていた。いずれ沈黙を破ったのはラエルだが、それは海に向けた言葉ではなかった。
「やっと戻ったか。じゃ、後は任せた。俺は巡回に行く」とラエルはどこかに行った。
代わりに現れたのはジェイガルだった。
「やぁ、久しぶり。ようこそ我が家に。殺されなくて済んでよかったね」
「なんで私はここに連れて来られた?」
「詳しい事情はそのうち分かるさ。俺もゆっくりしていけないんで直ぐにまた出て行く」
「どこに行くの?私の見張り役じゃなかったのか?」
「ちょっと違うな。見張る必要もない。助けを待っているなら期待しない方がいいよ。君の連れが知っている限り、君はもう死んでいる」
「どういう事?」
「幻覚を見せてやったんだ。君が俺に殺される幻覚。そういう事が出来る仲間がいる。いやぁ、大変だったよ。彼は錯覚しか起こせなくて幻聴までは起こせない。そして錯覚って言っても何でも見せられる訳じゃないけど、目さえ合わせれば他人が他の誰かに見えるように暗示することぐらいは出来る。幸い、君の役にぴったりの人材もいてね。自分の体に平気で穴を開けることが出来る。その際は穴から血がにじみ出るけど、今回はそれが好都合で、君が刺される演出を見事に出来た。彼が自分の体を操れるのは穴を開くだけじゃないぞ?ムササビみたいに体を平らにしてある程度の滑空も出来る」
それを聞いて海は才機の事を凄く気に病んだ。あんな事を見せられたら才機はどうなる?今は恐らく、物凄く苦悩している。
「ま、見張りは不要だが、あれに入ってもらえる?ちゃんとした牢屋がなくて悪いね。自分で持ち上げられるはず」とジェイガルは半球形に指差した。
割と厚かったが、ジェイガルが言った通りそれほど重くはない。海が中に入ったらジェイガルは小手を外して手を半球形に置いた。
「最初の質問についてだが、薪を調達しに行く。ここには沢山の人がいるからな。急に無くなったら大変だ。明日の朝、向かいに来るからそれまでくつろいでいて」とジェイガルが海を一人にした。
海は半球形を押してみたが、やっぱりびくともしない。あのブロコニウムとやらだろう。どんな目的があって自分をさらってきたか知らないまま日が終わりそうだ。穴でも掘らない限り脱出する方法もない。だが地面がこんなに堅いとシャベルがあったとしても無理っぽい。海は観念して才機との再会を眠りにつくまで祈った。
•••
約束通りジェイガルは翌朝海を起こしに来た。海の牢屋をプラスチックに戻して昨日の三人家族がいた所に連れて行った。今はその三人がいないみたいけど。今日はそこで止まらずもっと奥へ進んだ。そして進んで行くと二人の人がいた。一人は海が一生忘れない顔。アイシス。流石は氷を操る人だけあって凄く冷たい目で睨まれていた。その隣に男が岩の上に座っていた。二十六歳ぐらいで見た事のない人だ。その人が声をかけてきた。
「お初にお目にかかります。海ですね。昨日は会わなくて悪かったね。ここまで連れてこられて、もしかして疲れたんじゃないかと思った。私は誰だか分かる?」
「リベリオンの首謀者?」
「まぁ、間違ってはいないが、首謀者って···ちょっと印象悪いと思わないか?団長とか言って欲しいな」とデイミエンがにっこり笑った。
「···」
「昨日はよく寝た?」
「···」
「あぁ、地面に寝たんだからそんな訳ないか。もっと持て成してあげたいところなんだけど、こっちはぎりぎりの生活必需品を揃えるのに苦労してるんでね」
「···」
「あまり喋らない人ですね」
「ね、本当にこの女に頼らないといけないの?」とアイシスが明らかに苛立っていた。
「まぁまぁ、そうかっかするな。今の状況だと緊張して当然だ。じゃ、海、聞きたい事があるんだけどいいかな?」
「何でしょう?」と海が遂に返事した。
「異能者同士だから、隠し立てしなくていいよ。海はどんな能力があるの?」
「風を少し操れる」
「そうだったね。お陰さまでアイシスが随分と世話になったな。そのせいで海の事ちょっと恨んでるかもしれないけど、気にしないでくれ」
「ふん!」とアイシスは腕組みをし、背をデイミエンに向けて誰もいない壁の方を見た。
「他に何か出来るの?」とデイミエンが続けた。
「いいえ、それぐらい」
「本当に?」
「···」
「森の中で初めて会った時は俺の居場所を探知出来たんじゃないのか?」とジェイガルが言った。
「あぁ···あれ。人の気配を何となく感じることはある」と海は目線を低くした。
「ほー。有能な方ですね。素晴らしい能力ばっかりじゃないか。他には?」とデイミエンが聞いた。
「特に何も」と海は更に目を逸らした。
「ふーん。そっか。ね、ちょっと行きたい場所があるんだけど、付き合ってくれる?アイシス、馬車を回してくれ。ジェイガルは海を外まだ案内して。多分右も左も分かってないから」
アイシスは先に行った。次はジェイガルに案内されて海は山への入り口まで連れて行ってもらった。アいシスはまだ馬車を回してきていないみたい。そこにいたのは海とジェイガルだけじゃなかった。男二人が話していた。
「よくここを見つけた。偶然?ここは散歩をするような所じゃないけど」
「あぁ、いや、前に他の異能者に教えてもらったんだ。もし他に行く当てがないならここに来ないかって誘われた」
「そうか。誰だ、その人は?」
「名前が分からない。背が高くて、茶色の髪と髭を生やしていた。元はメトハインに住んでいた人」
「んー、それだけだと絞らないな。まぁ、いいや。空き部屋だけはいくらでもある。先客さえいなければ好きな所を使うといい。但し、ここにいる皆は自分の仕事がちゃんとあるから、落ち着いたら俺のとこにまた来て。そこの通路のもっとも奥の部分だ。仕事の内容とここのルールを説明する。腹減ってんならあっちで何かをもらっとけ。まだ朝食を配っているはず」
もう一人の男は頷いて山の奥へ行った。
「また新入りが入ったか?」とジェイガルが男に聞いた。
「あぁ。今週で三人目」と男が言った。
「この山はでかいけどトンネルは全体的に広がっている訳じゃない。何人入るかな、ここ」
「ここに住んでいる人はそんなに多いんですか?」と海が聞いた。
「小さな村と同じ規模なのかな。百人は超えたんだろうね」
「ガルドルみたいな異能者の為の街があるのになんでわざわざこんな所に来るの?」
「あんな街でも生きていけるのにお金が必要なんだ。着の身着のまま追い出されるのは珍しくない。特に前はね。それに、ここに来る連中の殆どは住む場所だけを求めてここに来たんじゃない。この世の中を変えたいと思っている。その為に一時的な不便に耐えられる」
馬車がやって来る音が聞こえた。かなりのおんぼろで、どこかで捨ててあったのを拾った感がある。アイシスは馬を二人の前で止めた。前部座席と後部座席を合わせて六人まで乗れる。六人も乗ったら崩れそうな感じもしたけど。ジェイガルは海が乗るように合図した。海は後部座席に上がってジェイガルはその隣に座った。するとデイミエンともう一人の見た事のない男がやってきた。心なしかデイミエンは足を引きずっていたような気がした。男はジェイガルの隣、デイミエンはアイシスの隣に座った。どうやら馬車は五人の体重に耐えられるようだ。
「あ、そうだ」とデイミエンはポケットから八個のビーズを出して海に渡した。それぞれ色が違っていた。赤、青、黄色、緑、オレンジ、紫、黒、白。
「それ、二個あそこの木の後ろに置いてきてくれる?残りは自分のポケットにでも入れといて」とデイミエンは三十メートル離れた枯れ木を指差した。
「はい?」と海はデイミエンがやらせようとしている事の意図が見えなかった。
「ちょっとした遊びだ。付き合ったくれ」とデイミエンは木を首で示した。
デイミエンの考えている事がさっぱり分からなかったが、取りあえず海は言われた通りにした。指摘された木の後ろに二個のビースを手から落とすつもりだっだがうっかり三個を落としてしまった。二個でも三個でも大した変わらないからあまり気にせず、馬車に戻った。
「それじゃ、行きますか?」とデイミエンが言った。
目的地はどこかの街を臨む割と高い丘。麓で四人子供が走り回って遊んでいる。
「さて、君は何色のビーズを置いてきたか、当ててあげようか?」とデイミオンは海が知らない男に目配せした。
その男は空を見上げて太陽を直視した。すると彼の黒目が見る見る縮んで殆ど無くなった。それから二ミリメートルとなった黒目が目玉のあっちこっちを素早く跳ね回った。暫くしたらその目が元に戻ると男は海を見た。
「この女は指示に従うのが下手らしい。三個置いて来た。赤とオレンジと黒」
「この人はザンティス。太陽の光さえ差していれば、遥か遠い場所でもそこにいるかのように見える。疑うなら残ったビーズを確認して」とデイミエンが言った。
海はポケットから五個のビーズを出した。赤とオレンジと黒のビーズがない。
「あの日も天気が良くて凄く晴れていた。なぁ、ジェイガル?林で才機って人と戦ったあの日」とデイミエンが言った。
海は手にあったビーズを強く握った。
「ああ。皆のピクニックを邪魔するのが悪いと思った」とジェイガルが言った。
「この話はどこに向かっているのか分かっているよね。単刀直入に言う。俺はそろそろまた都に襲撃をかけたいと思っている。軍勢がそれなりの数になってきたし、頃合いだ。但し、色んな意味で俺が先頭に立つのが肝要だ。でもこの前の襲撃で俺の不注意のせいで左足と右腕に深手を負った。以来、左足はちょっとしか上げられず、歩くのはままならなくて、走るのは論外だ。右腕も似たような状態だ。俺が参戦するのはもう不可能だと思ってた。でももし君が傷を直す力があるなら夢ではなくなる。アイシスの話によると才機に重傷を負わせた事がある。なのに次の日はその才機が何ともないみたいに歩き回っているという報告が入る。彼女はいくら彼が半死半生だったと言い張っても、きっと見誤ったと思ってた。でもそんな力があるんなら納得出来る。海。俺の足と腕を直してくれ」
海の目線は地面に向けていた。だが、ほどなく何も見ようとしていないその目に痛みが映った。アイシスは海の髪の毛を掴んで上の方にぐいと引っ張った。
「もうしらばくれたって無駄なんだよ!お前のとぼけっぷりにはうんざりだ!さっさとデイミエンの傷を直せ!」
海はあまり抵抗せず、アイシスの思いのままになっていた。
「やめなさい、アイシス。彼女には助けてもらうんだからもっと丁重に扱わないと」とデイミエンが言った。
「っちぇ。協力する気ないんじゃない?」とアイシスが海の髪を離して、海は崩れ落ちて両膝をついた。
デイミエンは海の前にしゃがんだ。
「そんな事はないよね、海?だって海も才機も含めて俺達が自由に生きられる為だ。手伝ってくれるよね?」
「出来ない」と海はずっと自分の膝を見ていた。
「なんでだ?ずっと人に化物扱いされ、蔑まれて生きて行きたいのか?元の生活に戻りたくないのか?!俺なら、リベリオンならそれを可能に出来る。君には君にしか出来ない事がある。自分の為じゃなくても苦しんでいる人の為にそれを果たす義務がある」
「戦争を起こす為だと分かって出来る訳ない!」
「戦争じゃない!聖戦だ!そしてこの戦いを仕掛けたのはあっちの方だ!こっちが正義だと分からないのか?!彼らが勝手に俺達を異能者にして、勝手に俺達を排除しようとしている!何も皇帝を暗殺しようとは思ってない。俺達の存在を認めてもらって苦痛を味わった異能者に補償してもらうんだ」
「多くの人を傷付ける事には変わらない!」
「皇帝に逆らって革命を起こそうとしてるんだよ?!犠牲は付き物だ!」
「···」
デイミエンは立って街の方に歩いた。
「アイシス、そこの子供の一人の頭蓋に氷刃を突っ込んでやれ」とデイミエンが遊んでいる四人の子供を見た。
アイシスはデイミエンの所へ行った。
「ちょ、ちょっと何をする気?」と海が聞いた。
「デイミエンの命令が聞こえなかった?そこの子供を一人殺す」とアイシスが何気なく言った。
「なんで?!」
答えたのはデイミエンだっだ。
「君は犠牲という物から目を逸らしているようだ。しっかり見てもらわないといけないらしい。そこの子供を殺さなくてもこのままでは代わりに異能者の子供を死なせる事になるだろう。一人で駄目なら二人。それでも駄目なら三人目、四人目。異能者の子供が同じように容赦なく殺されるという事実に目を向けるまで続く」
「子供には関係ないだろう?!」
「そう思うならこの体を直して俺に大人達に責任を取らせろ!!その四人が足りないなら次は街の方に進んでもっと犠牲を出す」
海は物凄い焦燥感のあまりに大声で叫びたい気分だった。どうすればいいかを悩みながらアイシスは手を上げてその上に氷の刃が生じた。
「ダメ!」と海はアイシスの腕にしがみついた。
「こら、離せ!」とアイシスは海を振り落とした。
アイシスはもう一度構えて、氷の刃を子供の方へ飛ばした。その死をもたらす刃は高速度で坂を下り、標的にどんどん近付いた。途中でいきなり現れた疾風が刃を振るわせ、僅かに軌道からずらさせた。結果、男の子の後頭部を数センチで外れて、刃は先端を地面に埋めた。
「ん?何これ?」と何かが後ろで通るのを感じた男の子が氷の刃を見た。
「氷だ!」
「霰が降ってるの?」
「でも、何も降ってこないよ」
アイシスは自分の足の隣を見た。そこで胸を波打たせている海は四つん這いで手のひらを子供達の方へ伸ばしていた。
「この···!」
アイシスは海の肋を蹴って海が横に倒れた。
デイミエンはうつむいた顔を手で覆ってため息をついた。
「誰か彼女を押さえてくれ」
その命令をジェイガルが引き受け、海を立たせてその両腕を背中に回して押えた。アイシスは再び手を上げて二本目の氷の刃を生成した。
「分かった!」と海が叫んだ。
アイシスの手は空中で止まった。
「直せばいいでしょう?!」
デイミエンを見て発したその言葉に海の悔しさが溢れ出ていた。
「そう、直せばいい」とデイミエンが答えた。
ジェイガルが海を放すと海はデイミエンの前にしゃがんで左足に集中した。青いオーラと共に左足の膝の辺りに黒い物体が現れた。その黒い物体は今までで一番濃い色だと感じた。濃過ぎていつもみたいに渦巻いているかどうか分からなかった。そんな事すら出来ないほど濃縮した塊だった。本当に真っ黒で後ろの青いオーラを見る隙間は微塵もないくらい密集していた。まるでそこは光が存在出来ない空間みたいだった。海がそれに触れるとおなじみの痛みが手を走った。しかし、こすってもこすってもその黒い物を崩す事が出来なかった。
「駄目だ」と海が苦しそうに息をした。
「何がだ?」とデイミエンが聞いた。
「いつもみたいにうまくいかないんだ。見た目だっていつもよりやばい感じがするし。傷がそれだけ酷いなのか、古いだからか分からないけど、効果はない」
「適当な事言ってんじゃないわよ!そんな嘘誰が信じるもんか!」とアイシスが言った。
「嘘じゃない!本当なんだ!」
デイミエンは海を見た。何かを考えているようだ。そうしたら手を海の肩に載せてその視線はもっと熱心なものになった。
「もう一度やってごらん」
「だから、効かないんだ。あなたのは普通の怪我じゃない」と海は痛そうに手をこすった。
「いいから。もう一回だ」
海は腹を据えてまたデイミエンの膝に手を伸ばした。今まで以上の激痛が手から腕を通って体中に広がった。そして更に驚く事に、黒い物体を僅かだけどに取り除いた。しかし、五回くらいやると力を使い果たしたらしい。
「汚れが···少しだけ···取れた」と顔に汗をかいて海はあえぎながら言った。
「汚れ??何言ってんだこの女?垢擦りじゃないんだぞ!」とアイシスが言った。
「そういう···物なんだ。取れば···取るほど治る。なぜか···今回は出来た」
「それは俺のお陰だろう。俺の能力は俺一人だとどうにもならないが、周りの異能者の能力に影響を与える。その範囲内の異能者の能力は何倍も強くなる。分かるか?近衛兵が数でまさっても、強い能力者がいればその差を力で埋められる。百人力とはまさにこういうことです。効いているんなら続きなさい。その汚れが全部なくなるまで」とデイミエンが言った。
「これ以上···無理。···凄く疲れる。痛い···」と海が両肘を抱えていた。
「そうか。じゃ、休むといい。無理はさせたくない。でも治療が一日に二回やってもらうぞ」
デイミエンがそう言い終わった途端に海は意識を失った。
「本当に疲労が激しいみたいだね。ジェイガル、馬車に運んでやれ。皆、戻るぞ」
海の意識が戻った時、既に独房に入っていた。がんがんする頭に手を当てた。あんなに力を尽くしたのに黒い物体は本の少しだけ取れた。足と腕、両方の治療が終わるまでどれぐらいかかるだろう?それまでに体は持つなのか?確か、デイミエンは一日に二回の治療って言ったような気がした。今は何時?後何時間で治療をやらないといけないのだろう?そう思ったら飯を持ってジェイガルがやってきた。
「お昼だよ」とジェイガルは半球形を少し上げて皿とコップを下に滑り込ませた。
皿の上は米と小さな乾燥した肉。コップには水。昨夜出された物と同じ。
「今は十二時ぐらい?」と海が聞いた。
「うん、そんなもんかな。次の治療なら夕方だろうね」
「やっぱりあなた達は間違ってる。無実な子供達を殺すまで自分の目的を達したい。異能者の子供はそう無残に殺されるなんて信じられない。そんなのでたらめに決まっている。普通の人間よりあなた達の方がよっぽど酷い」
「確かに、今は子供でも大人でも、異能者だって分かったところで殺される事はないだろう。でも前はそうでもなかった。異能者狩りの事件では子供だって殺された。例えば···デイミエンの妹」
今のは海の胸にぐさりときた。
「だ、だからって関係ない子供を殺していいと言うの?」
「あのな、無関係な子供を殺したくてああやったんじゃないよ。君があんなに頑固だったからそうするしかなかった。だが現に今は直接誰かの手に掛からなくても異能者の子供は貧困のせいで栄養失調や病気で死ぬ。何も知らず刃で頭を刺し貫かれて一瞬で死ぬのと一家毎路頭で餓死にするのとどっちが無残だろうね。それに早く気付いて協力してくれたらあんな事にはならなかった」
「···」
「ま、食べて体力を付けておけ。これから必要になるんだろう」とジェイガエルは海を一人にした。
海は膝を立てて体を丸めた。
「でもやっぱり間違っている。この世界の何もかもが間違っている。帰りたいよ。才機···」
•••
その才機はリースの言葉が頭にこびりついて離れなかった。もし海が生きている可能性はかけらでもあれば、それにすがらなければ毎日はただ断腸の思いで過ごして、朝起きる気力も湧かない。それがただの現実逃避だと分かっても。しかし役に立つような情報は何一つ入らない。二週間リベリオンについて何も掴めなかったあげく、今日はやっと興味深い噂が耳に入った。リースのお陰で。
「確かな筋から仕入れた情報だ。帝国軍が最近色々と軍備を拡張しているそうだ。噂なんだけどその理由とは···リベリオンのアジトを見つけたからだ。近々リベリオンを急襲するつもりだ」
「見つけたか?!本当か?!」
「だから、あくまで噂なんだ。でも軍の動きに変化があるのは確かだ」
才機は席から立った。
「どこに行くんだ?」とリースが聞いた。
「軍に志願する」
「志願って。俺は後を付ける事を勧めようと思ったんだけど。そもそも噂が本当かどうか確かめないと」
「それなら、確実に確かめられる方法はある」
「どんな方法?」
「皇帝に聞く」
「···は?何言ってんだお前?そんな事」と才機の変わらない真剣な顔を見たらリースは途中で口をつぐんだ。
「いや、女帝の友達だったもんな。もう何も疑わない。でも軍に入ったとしても異能者と戦う事になる。自分の能力を使わずに乗り切れるのか?」
「その必要はない。もう誘われているんだ。異能者だと知られた上で。歓迎されるだろう」
「そうなのか?俺に出来る事はしてあげたいけど、流石に戦争に行くのは···ちょっとな」
「いい。そこまでやらせたくない。この情報だけで十二分だ。もし死んだりしたらメリナに合わせる顔はない。それに、あのジェイガルって人に会ったら、お前もそこにいて欲しくないような気がする···」
「せめて、メトハインまで送ってやる。馬、乗れないんだろう?」
「ああ、悪い」
「メリナは···まぁ、いいや。後で俺から話す。お前なら絶対帰ってくる。行こう」
正午までに二人はメトハインに辿り着いた。
「じゃ、武運を祈っている。どさくさに紛れて背中を刺されないように気をつけろよ」
「分かった」と才機は馬から降りて街に入った。
街の中心にある塔で才機は門番の二人に率直に言った。
「名前は才機だ。皇帝との拝謁をお願いしたい。名前を言えば許すはず」
「皇帝に会う約束はありますか?」
「ないけど」
「あのな。皇帝に会いたくてここへぶらついてくる人を全部通したら切りがない。さぁ、帰った、帰った」
「だから、俺の名前を出せば必ず会ってくれるって」
「しつこいんだよ。皇帝はあんたみたいな名のない人に会うわけないだろう。さっさと帰らないと力ずくで排除するまでだ」
ここは何で皇帝に注目されているか実演する必要はありそうだ。才機は手を握りしめた。
「才機殿?」と後ろから声がした。
振り向くとそこにシンディがいた。
「あ、シンディさん」と才機が言った。
「この男を知っていますか?」と門番が聞いた。
「ええ。女帝陛下の知り合いです。またいらっして下さってお喜びになるでしょう」
「そ、そうだったんですか。とんでもないご無礼を許しください。どうぞ中へ」と門番は扉を開けた。
才機はシンディに続いて中に入った。
「助かったよ。もうちょっとで早まった事をするところだったかも」
「女帝陛下に会いに来て下さったのでしょう?案内致します」
「いいえ。実は皇帝に話したくて来たんだけど、何か、俺が来たって皇帝に伝えてもらっていいかな」
「皇帝にですか?何の用件でしょうか?」
「俺が最初にここに来た時の事を覚えている?一緒にリベリオンと戦ってくれないかって誘われたんだろう?もし気が変わったらまた来るように言われたんで、まぁ···気が変わった」
「そうですか。では、あそこで待って頂けますか?皇帝陛下に知らせて参ります」
「その···聞いた噂なんだけど、軍がリベリオンの本拠を攻めるっていうのは本当?」
「分かりかねます。お見えになったら皇帝陛下に訊ねるといいでしょう」
才機がシンディに示された場所へ歩いて席に座った。ちょっと落ち着かないが、近くを通る人は才機の事を特に気にしていない。入ってしまえば、もう素性は疑われないみたい。シンデイが戻るまで二十五分ぐらい待たされた。
「皇帝陛下は才機殿に謁見をお賜いになりました。こっちへどうぞ」
才機はシンディに付いて行って最初に皇帝に会った場所まで案内された。そこで皇帝が玉座に座っていた。隣の席は開いていた。この前いた大臣らしい人は今回も皇帝の隣で立っていた。そしてその人の隣には才機がよく知っている人物がいた。ルガリオ。後は数人の警備員。
「久しぶりですね。聞いた話ではリベリオンとの戦いで加勢する気になったそうです」と皇帝が言った。
「はい、その通りです」
「どういう風の吹き回しか聞いてもいいかな?」
「強いていうなら復讐です。リベリオンは消したい存在です」
「そうか。復讐か。それもまた信頼出来る動機ですね」と皇帝は顎をこすった。
「私からも質問して構いませんか?」
「何なりと申せ」
「リベリオンのアジトを突き止めたというのは本当ですか?」
「やはり噂は速く広がるものです。奇襲を仕掛けるのが困難になるからこっちとしては困りますがね」
「では、真実ですね」
「ええ。そして君はやっと間に合いました。明日出陣する予定です。今日はここで泊まるといい。ルガリオ隊長、彼を宿舎まで案内せよ」
「はっ。かしこまりました」
「ルガリオとは以前折り合いがよくなかったかもしれないが、あれから本人は反省しています。わだかまりに囚われる必要はないはずです」
「では、こちらへどうぞ」とルガリオは才機の横を通った。
宿舎は塔の直ぐ隣だが、二人はずっと無言で歩いた。才機に使わせる部屋は他の誰かが使っていないようだ。
「明日は向かいに来るからここで気合いでも入れ直すといい。戦場でまた気がふらりと変わったらかなわんからな」とルガリオはドアを閉まって行った。
あの隊長と肩を並んで戦う事になるとは考えても見なかった。まさかこの前の事で解雇されると思っていなかったが、降格ぐらいはされて欲しかった。ケインの事を思い出すとわだかまり無しなんて無理だ。相手もこっちの事をそんなに快く思っていないはずだ。恐らく自分の力を利用したいだけなのだ。それぐらいは才機にだって分かる。だがそれでもいい。才機も帝国軍を利用しているからだ。リベリオンの本拠を見つけてやる事をやれば軍とは縁を切る。これ以上気合いを入れる必要はないし、才機はベッドに入って昼寝をする事にした。
ドアにノックする音で目が覚めた。翌日まで寝たかと思ったら窓の外を見ると夕方だった。応対に出たら兵士が一人立っていた。
「ルガリオ隊長に食事の時間だと伝えるように言われて来ました」
「そうか。確かに腹減ったな」
「では、行きましょう。食堂まで案内します」
食堂では沢山の兵士が既に席に着いて食べていた。才機と向かいに来た兵士も行列に並んだ。
「名前はまだ言いませんでしたね。ラスティ二等兵です。」
「才機だ。階級は···ないかな」
「ルガリオ隊長から聞きました。今日入ったばっかりですって?災難でしたね。入った早々戦争とは」
《異能者だって言ってないか。まぁ、向こうもそれを伏せたいだろう》
「まぁ、ね。ここの飯はどうなんた?うまい?」
「ん?そうですね。心に残るような味ではないが、けしてまずくはありません」
「ふーん」
順番が回ったら才機の椀にシチューが注がれ、盆にパンが置かれた。二人は開いている場所を探して隣同士で座った。
「うん。まあまあの味だね」と才機が言った。
「それにしてもこんなに急に軍に入れてもらえるなんて、才機ってもしかして凄い人?」
「さぁ、ね。ルガリオ隊長から何って聞いた」
「ただ、新しく入った兵がいると」
「そっか」
「明日の戦い、敵は誰だか聞いてますよね?」
「リベリオンだろう」
「そう!何か怖くないんですか?同じ剣をふるう相手ならいくらでも戦ってやるけど、異能者はとんでもない事が出来るんですよ?」
「帝国軍には勝ち目はあると思う?」
「こっちの方は数がずっと多いから勝算は十分にあるはずだけど、損害はどれほど大きくなるやら。あっちには二十人の兵を一瞬で倒せる異能者だっているかもしれない」
「十分ありうるね」
「こんな時期に自ら入隊たいしてあんな物騒な集団と一戦を交えるなんて勇敢ですね」
「いかれてるだけなかもしれない」
「はは、どの道明日はよろしく頼みますよ。お互い無事に帰りましょう」
「それに乾杯」
才機はコップをぶつけたい気持ちを一切見せず勝手に一人で水を飲んだ。
「異能者なんて目に物見せてやろう!」
それに対して才機は少しにやりと笑った。
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