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いつか君と...  作者: Saihig
4/7

#4

翌朝、海が起きたらもう何ともないと言った。見る限りもそうだったし、才機はそういう事にしておいた。今日の仕事は肉体労働の続きだった。リースとメリナと才機は一日運送屋をやるそうだ。どこかのお金持ちは自分の家を壊して一から立て直すらしい。三人の仕事は家の中の物を全部家の持ち主のもう一軒の家に搬送出来るようにトラックに積載する事だ。家が割と大きいので三人だけではなく、本物の運送屋と協力して仕事をする予定だ。

「しっかし、お金持ちの考える事が分かんないな。高が模様替えする為に家ごとぶっ壊すか、普通?」と三人が現場に歩きながら真ん中のリースが言った。

「でもそのお陰で今日の仕事が見つかったから感謝しなきゃ。やっぱり金持ち大好き」とメリナが言った。

「別に文句を言っていた訳じゃないよ。ただ解せないだけだ。ま、お金持ちになる日まではずっと解せないままだろう。なぁ、才機?」

「ん?あぁ、そうだな」

「どうした、没頭して?」

「ちょっと海の事を考えていた」

「朝ご飯を食べていた時は顔色が良くなっていたみたいけど、海は何か言った?」

「本人は全然平気だって」

「なら、信じてあげよう。くよくよしたってどうにもならないし」

「たまにはあたしの事も真剣に考えてくれてもいいよ」

メリナは才機に近寄って手を肩に載せた。

「ん?メリナもどうかしたのか?」と才機が聞いた。

「そう。病んでるよ、あたしの心が」

「心がねぇ。聞いてる、お兄さん?妹の精神衛生がとても不安だそうだ。その辺の配慮をちゃんとてるか?」

「この際は俺が配慮してもしょうがない。お前の方がそれに適任なんじゃないか?」

「もー、才機は意地悪なんだから。ま、その分、落とし甲斐があるんだけどね」とメリナが才機に微笑んだ。

「誰が意地悪?からかってるのはお前だろう」と才機が抗議した。

「なんでからかってるって言い切れる?」とメリナは真剣な声で才機の顔を真っ直ぐ見た。

「勘。それにリースは絶対に妹を過保護にするタイプだ。本気だったらリースは黙って見過ごさない」

「妹は誰と何をしようとこいつの勝手だ」

「ふーん。昨日のお前の顔を見て、それは信じ難いな」

「あれは別だ。メリナが嫌がってた」

「本気かどうか、証明してあげようか?海に内緒にするから」とメリナはもっと近付いて才機の耳元で囁いた。

才機は視線をメリナのと合わせて右の眉を上げた。

「ははは、その反応可愛い!やっぱ最高、才機は!」とメリナはリースの左側へ戻った。


例の家に着いたらリースは運送屋の人達と話を付けてきた。

「人使い荒いなぁ。さっそく二階を俺達に振った」

「えええ?この豪邸の二階は全部あたし達がやるの?」

「全部じゃないよ。向こうは一階から作業を始め、終わったら二階で俺達を手伝うことになってる。あっちは五人いるから一階は先に終わるだろう」

三人は家に入って二階を目指した。

「うわー。値が張りそうな物一杯あるな。お前らくれぐれも何もを落とさないように気をつけろよ」とリースが言った。

「この壺だけであたし達のギャラの何十倍だろう?」とメリナは階段で飾ってあった装飾用の壷を見た。

階段を上って家の幅に及んでいる廊下に出た。あっちこっち色んな絵画や彫刻などが並んであった。その殆どが一人で運べる物だったから三人は最初にその廊下を空にした。次は最も奥の部屋に取り掛かることにした。入ってみると見つけたのは豪華な寝室だった。

「これが寝室か。俺達の部屋は四つも入るじゃん」とリースが言った。

「これからこの屋敷で見る物にそんなに感心しない方がいい。空しくなるだけだよ」と才機が言った。

メリナは大きなな天蓋付きベッドに飛び込んだ。

「うわーー、ふかふかー!才機も横になってみない?」

メリナはちょっと誘惑的なポーズで隣の場所を軽く叩いた。

「そうしたいのは山々なんだけど悠長に寝転がっている場合じゃないだろう?ずっとサボっていたと思われたら給料が減らされちゃうかも」

「ぶー」

「俺達三人じゃこのベッドは無理だな。そこの箪笥も凄く重そう」

「じゃ二人掛かりで運べる物から始めよう。割と軽い物はメリナに任せるよ」とリースがより小さな箪笥へ向かった。

「はーい」とメリナはベッドから飛び降りてクローゼットに入っている物から手をつけた。

終わったら残ったのはそのベッド、箪笥、他に三人だけでは運べない家具が少々。

次の部屋。

書斎だった。その割には本がそれほど多くなかった。部屋の奥に本棚が三つしかなくて、後は机、ランプ、椅子、様々な植物。いつも通り才機とリースは二人で重い物を先に移動させた。本を下された本棚は三人掛かりでなんとか一階へ運べた。本しか残らなくなったら三人はそれぞれ自分のペースでその本を一階にあった段ボール箱に梱包した。メリナが書斎を出るところに才機が書斎に戻った。書斎に入ってドアの直ぐ右の壁に他のドアが取り付けられていた。何か入ってないか確かめようと才機がそのドアを開けた。

「うわ」

「どうした?」とリースが聞いた。

「これは単なる収納室だと思ったが···まぁ、収納室ではあるけど···」

リースは持っていた本を床に置いて才機の所に行った。

「なるほど。少ないと思ったぜ」

その収納室は本棚で埋め尽くされた。それもかなりの数だった。

「本物の書庫はここだったね」と才機は奥へ調べに行った。

リースも付いて行った。縦二列、横五列の本棚がそこに並んであった。二人が書庫を見ている間にメリナは帰ってきて、書斎へのドアを開けようとしたがドアが何かにぶつけて完全に開かなかった。その隙間から首を突き出して他のドアが邪魔になっているのを知った。邪魔になっているドアを閉じてメリナはリースが下ろした本の山を拾ってまた部屋を出た。急に真っ暗となった部屋にいた才機とリースはドアの所まで手探りで慎重に進んだ。才機はドアを開けようとしたが鍵がかかっていた。

「あ···鍵がかかっている。閉じ込められた」

「メリナのやつ。ちょっと中の様子を見てから閉めてほしいな。ま、どうせここは解体されるんだ。このドアを壊しても苦情はないはずよ」

「だよね。じゃ、こじ開けるよ。あれっ」

「どうした?まさかまた力が使えないとか?」

「そのようだ」

「まじ??なんでこういう時に限ってそうなるんだ?いや、ふざけてるだけだろう」

「いや、まじで。体が変形しないんだ」

「肝心の時に役に立たないんだよな、お前のその怪力」

「言い返す言葉もない。本当にどうなってるんだ、これ?」

「ま、メリナは直ぐ戻るだろう。少し待てばいいか」

メリナが戻るのを聞こえたらリースはドアをドンと叩いた。

「おい、メリナ!出してくれ!」

メリナははっとなって、リースの声が聞こえた方向へ向かった。奥の書庫へのドアを開けるとリースがそこで立っていた。

「先から見ないなって思ったら何やってんだ、二人とも?」

「何やってんだじゃねぇよ。お前が閉じ込めたんだ」

「あたしが?あ、そうか。で、なんで才機がそんな格好?」

リースが才機の方に振り向いた。

「あ!やっぱりふざけてたんだ!」

「え?何が?」とメリナがはてな顏になった。

才機は自分を見て、体がガラス状になっているのに気付いた。

「あれっ。いつの間に?いや、さっきまでは出来なかったよ、本当」

「お前、この期に及んでうまく話してごまかせると思うか。坑道の時は本当にそうだっただろうけど、こん」

リースが突然黙り込んで首をかしげた。何か考えているようだ。

「ちょっと試したい事がある」とリースはドアを閉めた。

「今、お前の体はどうなってんだ?」

「生身の状態」

「力を使ってみて」

「使えない」

リースはドアを開けた。

「じゃ、やってみて」

才機は変形するのに成功した。

リースはまたドアを閉めた。

「今は?」

「普通の体に戻ってる」

「あのガラスの体になれないよね?」

「はい」

リースはほんの僅かだけドアを開けた。一センぐらい。

「今は?」

「変身出来た」

リースはドアを閉めた。

「今は?」

「元に戻ってる」

リースはドアを開けた。

「お前、光がその力の源となってるんだ」

「らしいね。全然知らなかった」

リースとメリナは目と目を交わした。

「肌が光を吸収してるのかな」とメリナが言った。

「どうかな」と才機は自分をドアにはさんで、右腕を奥の書庫に入れて出来るだけ日が当たらないようにした。

その状態で体全体をガラスのように変えられた。

「そうでもないみたい」と才機が言って元に戻った。

「そりゃ、そういう事だったらつま先はいつも変わらないはず。靴の中にそんなに光が届いてないだろう。」とリースがあごをこすった。

「な、目をつぶってみて」

「目つぶっても出来るよ」

「いいから、やってみて」

才機が目を閉じるとリースは肩手を才機の後頭部を押さえ、もう一つの手で自分のマントを使って才機の目を隙間なく覆った。

「もう一回やってみて」

才機はそこで突っ立っているだけだった。

「やってるか?」とリースが聞いた。

「やってる」

リースは手を離した。

「なるほど。光は目にさえ入らなければいいんだ」

「そうか。異能者って不思議なものね」と才機が言った。

「ま、まぁ、ちょっと面白い事を発見したね。暗い所に閉じ込められないように気を付けるこったな」

「うん」

結局一日中やっても終わらなかった。次の日に戻って残った物をトラックに詰め込んだ。リースとメリナは先に帰ると言った。才機は特にやる事がなくて、暫くしたら海も仕事から上がるし、その辺をふらりと歩き回る事にした。時間になったら才機は海を向かいに行って、その足で二人は宿へ向った。

「そうやって俺の力は光がないと発揮出来ないって分かった」

「へー」

「ほんのちょっとでいいんだ。光が目にさえ入れば力を使える。それが星明かりでも」

「私も何かの条件であの力を使ってるのかな」

「さぁ。今まで力を使えなかったことはなかった?」

「ないね。疲れて使えなくなることはありうるけど」

宿に付いたら人が入り口の隣で座り込んでいた。膝を立てて、顔を腕に埋めていた。メリナだった。

「あれっ、メリナ?」と海が尋ねた。

メリナが顔を上げると二人は彼女の泣き顔に驚かされた。

「どうした?」と才機が聞いた。

「才機···助けて!」

涙が新しくメリナの頰を伝って流れ落ちた。

「え?あ、ああ、もちろん。何があった?」

「お兄ちゃんが···お兄ちゃんが危ない!連れて行かれた!」

「誰に?」と海が聞いた。

「四人の男。この間私に絡んできた男とその仲間」


**リースとメリナの帰り道にその四人の男達に見かけられた。

「おい、あいつだ。よくやってくらたな、この間。ずっと落とし前をつけようと思ったんだよな。ちょっと挨拶しに行こうぜ」

「お、弾薬のセールか。何があるかちょっと見てくる」と売店の広告を見たリースが言った。

リースを待っている間に、誰かがメリナと肩を組んだ。右を見たら前にちょっかいを出しにきた男が直ぐ隣で立っていた。

「あんた、また!」

メリナは尖った堅い物が背中に押し当てられるのを感じたら話しを途中で止めた。後ろにも誰かいるみたい。

「そうそう。あまり騒がない方が身のためだぞ。お兄ちゃんが戻ってくるのを大人しく待つんだ」

そのリースが間もなく戻ってきて、あの男が海と肩を組んでいるところを見ると瞬時に不愉快な顔になった。

「てめぇ、まだ懲りてないみたい。今度は暫く外に出られないようにしてやろうか?」

男は上着の中に忍ばせていたチャクラムを出して遊ぶ感覚で人指し指にかけて揺らしてみせ、海の後ろにいる男もメリナの肩越しにちらっとナイフをリースに見せびらかした。

同時に他の二人の男がリースを左右とから囲んだ。

「久しぶりじゃねぇか。そちらは俺のダチだ。ちょうどおめぇの話をしてたんで、皆会いたいってさ」

リースは険しい目つきになった。

「でさ、ちょっと面を貸してもらいたいんだよね。あまり騒動を起こさないで同行してくれるかな」

「妹をどうするつもり?」

「何もしないよ、協力してくれれば。あっちに着いたらちゃんと解放してあげるから。約束だ」

「その約束を守ってもらうよ。傷一つでも付けたらお前らを全員ぶっ殺す」

「おっかねぇー。でも覚えておく。では、行きますか?」

リースとメリナは孤立した地区にあるぼろぼろな倉庫に連れてこられた。そこでリースの手をつなぎ梁に巻いた縄で縛った。そうやってリースの手を真上へ伸ばした。

「なんで妹がここにいる?解放するという約束だろう?」

「そうだったな。おい、女を外に放り出して」と男がもう一人の男に指示した。

メリナは出入り口に連れていかれ、手荒に押し出された結果、メリナはつまずいて転んだ。後ろから扉にかんぬきが掛かるのを聞いた。**


「それかれここに戻って、才機に助けを求めに来たんだけど、まだ帰らなくて、ここで待ってた」

「なんで警察に行かなかった?」と海が聞いた。

「ダメなんだ。あたし達はなるべく警察と関わらないようにしないと。たまにいかがわしい仕事に手を出してるし、行ったってただの不良の喧嘩だって軽くあしらわれるだけだ。あたしはあんた達以外に頼れる人がいない!」

「分かった。リースが捕らえてる場所まで案内してくれ」と才機が言った。

そこに着くと才機は扉を開けようとしたがやはりかんぬきが掛けられていた。

「二人ともあそこら辺で隠れて待ってて。もし十五分経っても俺が出て来なかったら···ま、その時は四人が出て行くのを待って俺達の身を引き摺り出してくれ。死体じゃなきゃいいんだけど」と才機が言った。

「不吉な事言わないでよ。何をする気?」と海が聞いた。

「まだ考え中」

「考え中って···そんないい加減な」

本当はちゃんとした作戦がなければ行くなって言いたかったけど、メリナの焦っている顔を見るとどうしても言い出せなくて。才機は海の肩に手を載せた。

「大丈夫だ。無茶は最低限にするから。まず交渉出来ないか話してみる。早く行って」

最初、躊躇はしたが、海は心ならずもメリナと一緒に才機の言う通りにした。


中ではリースがぼろぼろな状態になっていた。

「おめぇ、治りは結構早いみたいだ。この間俺とやり合った痕跡は何もなかったじゃないか。今度はもっと徹底的にやってやる」と男は金棒でリースの脇腹を叩き付けた。

「ぐ!」

「そうだ。その目を元通りにしようっか」

男は左手でリースの顔を上げて右手で拳を作った。

その時、かん高い音に全員耳鳴りがした。

「なんだった、あれは?」

「さぁ」と仲間の一人が言った。

皆がいた大部屋への戸口で才機が現れた。

「おい、誰だそいつ?ドアにかんぬきを掛けてなかった?」

「掛けた···と思ったが、あれっ、忘れたかな」

「ね、兄ちゃん、俺達は今取り込み中なんで、出ててくれるか?」

「うん、俺もこんな所直ぐに出たいんだけど、問題は彼も連れて行かきゃならないんだよね」と才機がリースの方へ目を向けた。

「わりぃが、俺達はこいつに用があるんだ。出て行く気がねぇならおめぇも可愛がってあげてもいいぜ」

弱った声でリースは言った。

「何しに来たんだ?あれを使ったらお前も海もこの町で暮らせなくなるよ。うまくやってるだろう?さっそく帰れ。妹を頼む」

「それが、もう頼まれたんだ、妹に。どちらかの頼みしか聞けないんだったらやっぱ先に頼んだ方の頼みに応じるのが筋だろう?」

「バカ野郎。こいつらを全員殺す覚悟が出来てない限り、お前は勝てない。お前と海がせっかく掴んだ安住を無くしてもいいのか?」

「殺す?俺達?おいおい、何ぼけた事ぬかしやがる?この人数が見えないのか?そいつには勝ち目はねぇよ」

《確かに多勢に無勢。そしてリースの言う通り、ここで能力を使っちゃ駄目だ。俺の柔道だけではこんな人数にどれほど通じるか分からない。相手の戦闘力も不明だし。せいぜい出来るのはそいつらを怒らせて逃げる。運が良ければ四人ともが俺を追ってきて、その間にメリナと海はリースを助け出せる。もし全員が追って来なかったら二人くらいは自分で何とか出来るかも》

男は懐から二枚のチャクラムを出して才機の方へ投げた。二枚のチャクラムは才機の頭の両側の直ぐ近くを通って、後ろの壁に埋まった。

「最後の忠告だ。こいつとはどういう関係か知らねぇが、同じ目に会いたくなきゃさっさと消えろ」

才機は頭をかいた。

「それが答えらしい。俺に任せて」ともう一人の男が言った。

その男は金棒を拾い、才機に歩み寄った。才機は金棒を振り下ろす手を掴み、男を思い切り投げ倒した。

「野郎!」と残り三人の男も才機の方へ突進した。

才機は壁に埋まったチャクラムを一枚引っぱり出して接近中の三人に投げた。三人とも伏せてチャクラムをかわした。

「なんだ、フリスビーみたいだね」と才機はもう一枚を引っぱり出して立ち上がっている三人へ投げた。

今度は高過ぎてかわす必要もなかった。

「へ、最後の一個をふいにしたな。もう終わりだ」

才機は怒らせるのはこのぐらいで十分と思い、引きどころだと判断した。だが逃げようとしたその瞬間に先ほど投げ倒した男に足を掴まれて転んだ。もう二人の男はそのチャンスを逃すつもりはなく、意地悪そうな笑いで才機に襲い掛かった。才機は思いの外早く膝に立って、走ってきた男より先にあごにパンチを入れた。二人目の男ではそううまくいかず、才機に飛び掛かった。その男と取っ組み合っている間に才機の足を掴んだ男も才機を押さえるのに加わった。それでも才機は雄々しく戦ったが、三人目も加勢に入るとあがくのもすら困難になった。

「ここまでか。よーし。そのままあいつを取り押さえろ」とその光景を見ていた四人のチャクラム男がさっき落とされた金棒を拾い、それで手の平を叩きながら背を向けている才機へ歩いて行った。

才機はもう殆ど四つん這いの状態で身動き一つも取れなかった。男一人は才機のふくらはぎの上に膝をついて、胴も押さえていた。もう一人は才機の首に左腕を巻き付けて、右手で才機の右手を地面に押さえつけていた。三人目の男は才機の左腕を捻じって水平に引っ張っていた。才機はまだ振り解こうとしていたが無駄だった。後ろを見る事さえ出来なかった。

「威勢のいいやつだな、お前。その腕を折ったら大人しくなるかな」と男は金棒を持ち上げ、才機の左腕に振り下ろした。

ピシャリ!

以外な事に叫び声は出なかった。なぜかというと打たれた時に気を失った。金棒を持っていた男が。それに気付いた才機の左腕を掴んでいる男が右を向いたら、同じく伸される前に一瞬だけリースが頭の上に金棒を振り下ろすのが見えた。本当は才機が投げた二枚目のチャクラムは見事に的に当たった。その的とは男達ではなく、リースを縛っていた縄が巻かれたつなぎ梁だった。チャクラムはつなぎ梁に巻いた縄を切り、リースは解放された。今度は才機のふくらはぎの上の男は二人目の仲間がリースに倒されるのを見て、リースに突っ掛かった。体の自由をほぼ取り戻した才機は左手で最後に自分を捕らえている男にパンチを食らわせ、そのまま立って肩車で相手を投げ落とした。弱ったリースは十分に力を出し切れなくて、しかも手がまだ縛ったまま。相手に組み敷かれ、金棒を取り上げられた。その金棒をリースの頭蓋に振り下ろそうと、男は金棒を高く持ち上げたが、才機が横から男をタックルしてリースは助かった。今度はその二人が組んず解れつして、才機がさっき投げ落とした男が立ち上がって加勢に来た。斃れて後已む、リースもその乱闘に入った。

外では海とメリナはまだ不安を抱いて、ちょっと離れた所から廃倉庫を見ていた。そこからは何も聞こえない。中はどうなっているか想像に任せるしかない。才機が中に入ってから二人は誰かがそのドアから出るのをひたすら待っていただけ。恐らく、十分はまだ経っていないが、才機は偉く長い時間あの倉庫にいるような気がした。

「本当にごめんね、海。才機をこんな事に巻き込んじゃって。自分だって最低と思ってる。でもあたしじゃ何も出来なくて、お兄ちゃんがめちゃくちゃにされるのを想像したら耐えられなかった。しかし、もしあたしのせいで才機まで···」

メリナの顔と声から恐怖がはっきりと伝わってくる。

隣でしゃがんでいる海がメリナの肩に手を載せた。

「メリナのせいじゃないよ。才機は自分で行くって決めた。あんた達には世話になってるし、ほっておけない。今はうまくいく事を祈ろう」

海は強がってみせたけど、本当は居ても立っても居られなかった。

後五分待っていたら、倉庫の壊れたドアから二人の男が現れた。才機とリースだった。才機はリースに肩を貸していて、二人はゆっくりと海とメリナの方へ向っていた。清々した海はほっとため息をついた。メリナは二人が来るの待てず、リースの方へ走って抱きついた。

「いってぇ!お前見えないのか、このぼろぼろな体?」

「よかったー!本当によかった!」とリースに与えている痛みを気にせず、メリナは新たに涙を流した。

海は他の皆がいた所へ歩いた。リースも才機も本当に傷だらけで、痛々しい有り様だった。特にリースが。

「痛そうね」と海は心配顔でリースに手を伸ばした。

リースはその手を取って下ろさせた。

「いいんだ。自力で治す。お前達はもう十分やってくれた」

海はちょっと躊躇ってから才機を見た。

「俺もいいよ、これくらい。あの力は無闇に使うなって言ったろう?」

「あんた達がそう言うなら···」

「あの男達は?」とメリナが聞いた。

「中で伸びてるよ」とリースが言った。

「やっぱり、能力を使ったか?」とメリナは才機を見た。

「いや、彼はあの···なんだったっけ、ジュウドウだけであいつらに挑んだ」

「リースが言うと英雄譚に聞こえるけどそういうもんじゃなかったよ。助けに行った俺は結局リースに助けられた」

「とにかく、二人とも無事で何より。あの人達が気が付く前に帰ろう。ここは薄気味悪いし」と海が言った。

「そうだね。ここで長居は無用だ。早く行こう」と才機が賛成した。

それから宿に戻って、メリナはリースをベッドに寝かせた。

「お兄ちゃんの治療をするから、海も才機の傷の手当をしてあげて。今日はありがとう」

「もう大丈夫、二人だけで?」と海が聞いた。

「うん。後はあたしがやるから」

「じゃ、リースの事はお願い」と海が言って才機と一緒に部屋を出た。

暫くしたら、メリナはリースの顔をタオルで拭いていた。

「痛い?」

「少ししみる」

「水に薬を混ぜたからね。これで治りが少し早くなるはず」

メリナはタオルを洗面器に戻して水を絞った。

「うつ伏せになって。次は背中をやる」

リースは言われた通りにして、メリナは打ち傷のある所をタオルで当てた。

「ねぇ、お兄ちゃん」

「分かってるよ、お前が言いたい事」とリースは口を挟んだ。

「やっぱりやめよう!」とメリナは手を引っ込んだ。

「今さら?」

「もうあたしには出来ないよ!」

リースはため息をついた。

「情が移ったか?前からそうじゃないかと思ってた。ま、無理も無いか」

「お兄ちゃんだってそうだろう?本当はこの仕事を降りたいと思ってるはずだ」

「俺達は遊びで何でも屋やってる訳じゃないだろう?!仮にもプロだぞ、俺達は。真面目に商売やってるからこれで食っていける。今回の報酬も破格だった」

「お兄ちゃんの本当の気持ちを教えて!本当にそれしか考えてないの?」

「仕方ないんだ!この期に及んで、ごめんなさい、ずっと騙していた、なんて言える訳ないだろう!約束した日は明後日っていうのに」

「彼らが来てくれなかったら、お兄ちゃんの怪我はもっと酷かった。下手をすればお兄ちゃんが···ひょっとしたらお兄ちゃんが···」

「分かってるよ、そんな事!」

短い沈黙が部屋を訪れた。

「あんなに同じ時間を過ごして、話し合って、助け合ったのに、リベリオンに引き渡したら可哀相過ぎる···」

「今回の事で俺達二人にとっていい教訓になった。あまり深入りするなってな」

「あたしは二度とやだ、こんな仕事···」

「くっそ。残すところ二日でなんでこんな事にならなきゃならなかった」

次の日、才機と海は何回もリースの様子を見に行こうと思って彼らの部屋に訪れたけど、毎回留守だった。正確に言えば、留守だと思っていた。本当は二人が陰気な顔で留守にしているふりをしていただけだった。


   •••


才機と海は朝起きて顔を洗う時間もなくドアをノックする音がした。海が出るとそこにリースとメリナが立っていた。

「二人ともどこにいた、昨日?朝からずっと部屋にいなかったじゃない」

「ああ、ちょっと用事があってな。帰った頃にはもう夜だった」とリースが言った。

「もう平気なの、歩き回って?」

「うん、ちょっとずきずきするけど、問題ない。ね、今日は休みだよな?」

「ええ」

「海にも仕事を手伝ってもらたいんだけど、大丈夫?」

「いいよ。準備が出来たら才機と一緒に下りる」

「じゃ、下で待ってる」とリースは食堂に向った。

一回も海と目を合わせなくて、海の左の空間ばかりを見ていたメリナがリースの後からついて行った。

才機と海が下に下りたら自分の朝食は既に頼まれていてテーブルの上で二人を持っていた。

「今日は二班に分かれて別行動を取るんだ。才機は俺と一緒に来て。海はメリナに同行して欲しい」

「何をするんだ?」と才機が聞いた。

「難しい事じゃないさ。あそこに着いたら依頼人から詳細を直接聞いた方がいい」

「そうか」

皆が朝食を食べていたが、どうも雰囲気がいつもと違う。

「二人とも大丈夫?なんか、やけに静かっていうか、いつもの二人じゃないっていうか」と海が言った。

「少し疲れているだけ。昨日は一日中忙しかったし」とリースが言った。

「昨日は何の仕事してた?言ってくれれば手伝ったのに。ずっと暇だったよ」

「ああ···ちょっとメトハインまで行ったんだ。二人をあんな所に行かせるのは悪いと思って」

「まぁ、元気出して。今日は私達に好きなだけ頼っていいから」

「ああ、すまん」

食べ終わったらリースはライフルをメリナに渡し、全員宿を出た。リースとメリナはお互い横目て見て、リースがかすかにメリナに頷いた。メリナは海を、リースは才機を連れて、二人は反対の方向へ行った。五分歩いたらリースと才機は人気の少ない広場に着いた。

「待ち合わせ場所はここだ。まだ少し時間があるな。ここでちょっと待ってく」

「ああ」

リースは近くの販売店に行って飲み物を二つ買った。ポケットから小さな包みを出し、それに入った粉を一つの飲み物に入れた。

「ほら」

才機が振り返るとリースが飲み物を差し出していた。

「え?さっき食べ終わったばかるじゃん」

「少し冷えてるだろう。待ちながら温かい物でも飲んで」

「俺は別に平気だけど。リースって冷え性?」と才機は差し出された飲み物を手に取った。

才機は一口飲んで舌つづみを打った。

「なんか、苦くない?リースの好み、これ?」

「うん」

「変わった嗜好だな」と才機は飲み続けた。

「そういや、ライフルをメリナに渡したけど、二人は何か危ない事やるのか?」

「いや、ちょっと狩りに行くだけだ」

「ふーん。海は狩りに行った事はないと思うよ。そんなに役に立てるかどうか分からない」

才機はあまり美味しく飲めなかったが、結局は全部飲む事が出来た。

「まだ来ないね。いつ来るんだ、その依頼人?」

「そろそろだな」

才機が持っていたコップは手から落ちた。その手は突如として襲ってきためまいのせいで額に行った。

「あれっ、なんか、急に···」

言い終える前に才機は崩れ落ちた。


メリナと海は町を出て、近くの林を歩いていた。

「メリナも銃の使い方知ってたんだね」

「基本ぐらいはね。お兄ちゃんに比べてあたしなんか目じゃないけど」

「狩りに行くって言ってたけど、具体的に何を狩るの?」

「逃亡犯人」

「ええ?!それって危なくない?男達に任せた方がいいんじゃ?」

「心配ない。聞いた話では丸腰で怪我している。万が一の場合海の能力もあるし。指名手配人が自分を連行した人を異能者呼ばわりしても誰も信じないから大丈夫」

「そう?まぁ、メリナがそう言うなら」

もう少し歩いたらメリナは止まった。

「何か聞こえる。海はここで待ってて。ちょっと調べてくる」

「一人で大丈夫?」

「うん。もし犯人がこっちへ逃げたら止めてくれ」とメリナは低木の向こうへ消えた。

メリナはああ言ったけど、海はやはり落ち着いていられなかった。全面的に青葉に囲まれた海はきょろきょろ回りを見始めた。真後ろで物音がして海は百八十度回転した。木の枝に割と大きい鳥が着地したんだ。安心の吐息をつける途端に、それほど遠くない場所で発砲がこだました。それから間もなく、何かが低木の中で動いているのを聞こえた。それは間違いなく海の方に近付いてきていた。海は後ずさりしたが数歩引いたらもう背中は木に押し付けられた。目の前の灌木が揺れ、さっきの大きい鳥が飛び立った。海は両手を前に出した。灌木から出てきたのはメリナだった。

「ちょっと来て!」

「え?!」

メリナは海の手首を引っ張って今来た方向へ走った。海が連れてこられたのは鹿の前。その鹿は地面に横たわっていて、後部が血塗れだった。

「間違ってこの子を撃っちゃった!このままだと死んじゃう!何とか出来ないの?」

「動物の怪我を治した事ないから分からない。でもやってみる」

海は鹿の隣にひざますいて銃傷に集中した。動物のオーラを見るのも初めてだったけどやれば出来るものらしい。例の黒いのも出てきた。才機が重傷した時みたいに濃くて渦巻いていた。

「これは···厳しくなりそう」

海は五分の間その指を焦がすような痛みに耐え、黒い物体を取り除いた。するとシカは立ち上がるほどの力を取り戻したら、直ぐにそうして急いで逃げて行った。海は額から汗が滴っていてその場で横に倒れた。ぼんやりと手が背中の後ろで縛られるのを感じた。

「な、何を」と海はほとんど聞き取れないほどの声で何とか言えた。

「ごめんね、海。実は、あたし達はあんた達を」

続きは聞こえず、海の意識が遠のいた。


海の意識が戻ったら最初に見たのは前の目に檻に入った男。その男はあぐらをかいて座っていて、手が鉄格子檻の外で縛られ、鼻から上はしっかり黒いビニルか何かで覆われた。明らかに才機だった。その目隠しみたいな物は恐らく光りを遮る為だ。海は後ろ手に縛られ、足も縛られていた。足を縛っている鎖は手を縛っている鎖と結び付けられて、海が立てないようにしていた。

「やっと目覚めたか?」

リースの声だった。声の方へ見るとリースとメリナと知らない男二人がいた。海と才機はどうやらああいう前方と後方からしか外が見えない古い幌馬車に積んであるらしい。

「どういうこと?何がどうなってるんだ?」と海が聞いた。

「ま、文字通り俺達はお前らを売った。リベリオンにね」

「ええ?!どうして?!」

「別にお前達に恨みがある訳じゃない。これは仕事なんだ。お前達に会う前に受けた仕事ね」

「何言ってるの?訳分からない!才機も何とか言ってよ!」

「もう言いたい事は特にない」と才機がきっぱりと言った。

「まだ分かんないの?俺達はリベリオンに雇われたんだ。その依頼はお前らを捕らえて引き渡す事。いや、ちょっと違う。本来、依頼はお前達を抹殺する事だったんだけど、俺達は人殺しだけはやらない主義だから抹殺を捕獲に変更させてもらって、お前達をリベリオンの好きなようにさせる事にした」

「ふん、ご殊勝なことだ。今日の様子が可笑しいと思ったよ。でもずっと騙していたとは。まんまとやられたね」と海は激越な口調で言った。

「そうなっちゃうね。お前達の情報を得て色々知る為に接触して親しくなる必要があった。でも楽しかったよ、本当に。満更演技じゃなかった。特に妹にとって辛かったよ」

「それは悪かったね」と海は皮肉をたっぷり入った口調で言った。

遂にメリナが喋った。

「ごめんね海、才機も。本気で言ってるの。こういう事になって欲しくなかった。あたしは本当にみんなを友達だと思ってた。出来れば自分の胸の中を探ってみて欲しい。あたし達を許せるすべを見つけられるかもしれない。

海はこれ以上二人を見たくなくて顔を背けた。メリナは海の肩に手を載せた。

「いい?こんな風に別れるのは本当に嫌なんだ。あたし達の身にもなって。胸に手を当てて自分の心を探ってみて。きっとあたし達を許せるはず」

海は自分の肩をギュッと掴むその手を払い除けたくて仕方なかったが、今の状態ではそれすら叶わない。

「この状態じゃそれはちょっと無理があるね」

「そうだったね。ごめんなさい」

「おい、いつまで金を確認してるんだ。全部入ってるだろう」と男の一人がリースに

言った。

「そうだね。毎度。また何かあったら何でも屋リースに御任せあれ」

「こいつは凄い怪力だって聞いたんだけど。あの程度で拘束出来るのか?」

「大丈夫、大丈夫。あの目隠しさえ巻いていれば何も出来ない。鉄格子が邪魔になっているから自分では決して取れない。そうそう。風で縄を切ろうと思っていたらやめた方がいいよ。間違って動脈切ったら大変よ?」

実際はそうしよう一瞬思っていたが、風で縄だけを切るなんて精密な操作は出来ないからリースの言う通りだった。男が幌馬車のカーテンを閉じ、仲間と一緒に運転手席に乗って馬達を走らせた。

「信じられない。まじで頭きた。何でずっと黙ってる?才機は悔しくないの?」

「悔しいよ。あいつをぶん殴ってやりたい。能力なしで、自分の生身の拳を使って。意識があるうちに何度も殴れるようにな。この縄をお前の風で何とかならいの?」

「残念だけどリースの言う通りだ。そもそもこんな分厚い縄を切れないんじゃないかな。強い風で切れたとしても間違いなく才機の手首も切れちゃう。縄を切れなくてもあいつらを一回吹き飛ばせばよかった。才機こそどうしてもその目隠しを取れない?」

「この鉄格子が邪魔だからな。檻は狭いし。やっと入るんだ。頭を下げるのに限界がある。くっそ。息苦しいよ、この目隠し。鼻の風穴くらい開けろっつうの」

「私が取れないかな」

海は苦労して少しずつ才機の檻の方へのたくって行った。急激な動きをする旅に頭ががんがんした。まだ鹿を治した時の疲労が残っている。才機の檻に足裏を押し付けて膝に立ち、縄が許すまで足を伸ばした。

「頭を下げて」

届かない。

「もっと下げて」

「ここまで下げているとこれ以上首が曲がらない」

海は精一杯手を上げようとしたが数センチ足りなかった。諦めて床に倒れてから海はうめき声をあげた。

「もーー、頭が痛いー」

「あまり興奮するな。無駄に疲れるだけだ」

「興奮せずにいられるか?!なんであんたはそうやって平然としている?」

「どうしようもないんだから。事態がどう展開するか見るしかない」

「私はむかつき過ぎて、あいつらにどう落とし前を付けるかしか頭にない」

次の二十分の間の殆どはこんなやりとりと脱走未遂に終わる試みが何度も実行された。

「しかも何よ、あの心を探れば許せるだの。許せる訳ないだろう!」

「海よりちょっとだけ早く目覚めたけど、俺も散々言われた、それ。聖者気取りか

何だか知らないけど」

海はもう一度手を縛っている鎖から抜け出そうとした。でもやっぱり悪あがきでしかなかった。海はため息をついた。

「大体なんで私だけ鎖で縛られてる?あんたじゃあるまいし」

前で乗っていた男の一人が前方のカーテンを退かした首を突っ込んだ。

「うるせぇよ、さっきから!よく文句を言う人だな。少しは気にいられたんじゃない?あんな可愛い錠前で縛り付けられて。先はまだ長い。頼むから黙ってろ」と男は注また前方の道路に注意を向けた。

「可愛い錠?」

海は鎖の錠前を手探りした。何だか···ハートの形をしている。

「これってまさか···」

《値打ちはゼロに近いだろうけど、あたしにとっては凄く大事な物。あたしにもあるんだ、そういうの》

「あれも嘘だったのか?でもそんな嘘をついて何の得がある?とても嘘をついているようには見えなかったし。だったらなぜ?」

《出来れば自分の心を探ってみてほしい。あたしたちを許せる方法を見つけられるかもしれない》

《 胸に手を当てて聞いてみて。きっとあたしたちを許せるはず》

《日記は今でも実家にあるけど、錠前を首飾りにして、それと鍵だけを持ってきた》

海の目は自分の胸ポケットに行った。あっちこっち体を動かしてみた。気のせいかもしれないが微妙にポケットに何か入っているような気がした。才機に向けて体を床から押し上げた。

「ね。私のポケットに何かが入ってないか確かめて」と海は才機に囁いた。

才機はどういう事かよく分からなかったけど、取りあえず手を前に伸ばした。今の才機は目が見えなくて、海が既に胸ポケットを才機の手の前に位置づけた事が知らなかった。

ぷにゅう。

才機は慌てて手を引っ込んだ。

「あ、ごめん!」

「いいから早く!」と頰を少し赤らめた海が低い声で言った。

今度はもっと慎重に手を海のポケットに入れたが、多少の接触は避けられなかった。何だか才機が今目隠しされている事に海が凄く感謝していた。ただでさえきまり悪い状況だというのに、事態が悪化するばかりだった。カーテンの向こうから手が現れた。男が様子を見に来た。ばれちゃう。

海は体全体を檻に押し付けて、才機にキスをした。

「静かになったと思ったら。あのな、あんた達は自分の立場分かってるのか?現実逃避にもほどがある」

無視されて、男は呆れて才機と海を二人にした。

「もう行ったよ。さ、早く」と海が囁いた。

才機がポケットから取り出した物。

それは鍵だった。

「鍵だ!絶対落とすな。今錠前を向ける。はい、開けて」

何回か試みて鍵穴をうまく見つけられなくて、四回目で遂に錠を開ける事に成功した。海は鎖を脱ぎ捨てて足を縛っている鎖も解けた。次は才機の目隠しを目の上から外した。なるべく音を出さないように才機は腕と頭を鉄格子に押し付けておもむろに檻をこじ開け始めた。だが、檻の錠が圧力に耐えかねて屈するとやはり物凄い音がした。

「やっと大人しくする気になったと思ったら今度は何?」と前で乗っている男はまたカーテンを退かして覗き込んだ。

海はまだ縛られているふりをして足と手を背中の後ろで隠して横たわっていた。才機は檻の扉を元通りにし、むき出しになった目を幌馬車の後方に向けて頭を檻の縦棒にもたれていた。幸いに手の縄をまだ取り外していなかった。男は海から才機へ、そしてまた海を見た。

「何だった今の音?」と男は二人を怪しい目で見た。

「さぁ、岩でも轢いたんじゃない?」と海が言った。

男は幌馬車の中にざっと目を通した。もうちょっとまめに調べようと思って男は幌馬車に入ってくる。一本の足を踏み入れたその時、幌馬車は割とでかい岩を轢いて、男は頭を頭上の骨組みにぶつけた。

「痛って!」

「ほら、言わんこっちゃない」

「ちくしょう、もっと丁寧に運転しろよな」と男は仲間に言って席に戻った。

今度は海に縄を解いてもらって静かに檻から出た。次は二人が幌馬車から飛び降りて着地した場所でじっとしていた。伏せたまま、二人は幌馬車がどんどん離れて行くのを見た。

「二人とも遅いよ。あたしの言った事の隠された意味に気付くのがそんなに難しかった?以外と鈍いね」

左を見ると道端の林の縁でメリナがしゃがんでいた。その隣にリースもしゃがんでいる。才機と海は二人のいる場所まで背を低くして走って同じくしゃがみ込んだ。

「もう一回説明してもらえるかしら?」と海は眉を上げた。

「あ、その前に、あたしの錠前と鍵は?返してもらっていい?」とメリナは少し遠慮がちに聞いた。

海はメリナが頼んだ物を差し出した。

「よかった〜。置いてきたらどうしようと思った」とメリナがが自分の宝物を取り戻した。

「ここで立ち話ってのもあれなんで帰りながら話そう」とリースが林に入った。

「また説明する必要は特にないと思うがね。俺が先ほど説明した通りだから」

「なら、鍵はたまたま海のポケットに入っただけで、気が済むまでお前をぶん殴っていい訳だな?」と才機が言った。

「まぁまぁ、確かに俺が言った事は全部本当だけど、それは楽しかったって事も辛かったって事も含めてだ。やっぱりやり通せなくて今日の案を練った。一応一流の何でも屋としての面子がある。約束されたお金も捨て難かったし。そう言えば、ほれ」とリースは才機に袋を投げ渡した。

「今回は主にお前達の働きによって仕事が成功した。報酬は八割お前らのものだ。お疲れさん」

「どこまでが本当でどこまでが嘘だったか分かんないよ。最初から私達を陥れるつもりだっただろう?」と海が聞いた。

「うん。あたしがあんた達の部屋に侵入したあの日から」とメリナが言った。

「ああ!やっぱり鍵をかけたんだ!」と才機が言った。

「うん。自分をそこまで疑ってくれて助かったよ」

「どうやって入った?」

「針で錠をこじ開けた」

「あっさり言うなぁ」

「だってあの程度の錠ならこじ開けるのはへっちゃらだ。あたしそういうのちょっとだけ得意なんだ」

「そういう事を自慢すんな」

「でも最初から私達をはめるつもりだったんなら、どうしてリベリオンに襲われた時に助けてくれた?」と海が聞いた。

「そりゃ、俺達がお前ら引き渡さなきゃ報酬をもらわなかったから。連中はせっかちみたいで、そっちもそっちで動いていた。いい迷惑だ、本当に」とリースが答えた。

「せめて俺達にも今日の作戦を打ち明けろよ」と才機が言った。

「海に教えるつもりだった。でもあの癒し能力を使ったら思っていたより早く気を失って妹が全部伝えられなかった」

「薬を飲ませる前に俺にも教えろ」

「だって、断ったかも」

「殴っていいよな、一回ぐらい?」と才機は海に聞いた。

「そう言うなって。全部丸く収まっただろう?」とリースが言った。

「もし私が目が覚めなかったらどうするつみだった?あるいはメリラが言ったことの意味に気付かなかったら?」

「色々と時間を稼いで海が起きるのを待ってたんだ。でももしそういうことになっていたらその時は諦めて二人を力ずくでも奪い返した。その為にこうして追ってきたんだ」

「最初から奪い返して欲しかった。脱走するのが大変だったから」と海が言った。

「大変って何が?鍵を持っているって分かればそっちのもんだろう?」とメリナが言った。

「鍵の事に気付いた後でも色々!」と海は急に口をつぐんで顔が赤くなった。

それを見た才機も赤くなった。

「え、何?」とメリナが聞いた。

「何でもない」と海が言った。

「機嫌治してくれよ。ほら、今からうまいもん食わせてやる。俺のおごりだ。今度は薬抜きで。それでどうだ?」とリースが言った。

「十割だ」と才機が険しい顔付きで答えた。

「ん?」

「報酬。今回は十割きっちり俺達のものだ」

「え〜?あの檻は安くなかったぞ?」

「それで一度失った信頼を取り戻せるなら安いもんだと思うがね」

これもまた重々しい口調で言われた。

リースは少しの間才機を直視し、本気だと判断するとベルトに付けられているポーチに手を突っ込んだ。

「信頼を金で売るとかありえないよ、この人。俺達より怪しい商売だぜ」とリースが数枚のコインを才機に渡した。

「でも全てが終わって本当によかった〜」とメリナが腕を伸ばした。

「これであたしが本気を出せるってもんよ」

メリナは海に意味ありげな視線を送りながらそう言い足した。

その視線を受けた海はよく分からない顔で目を前に戻したメリナを見ていた。


   •••


「あああああああん」とメリナはスポーンを才機の顔の近くに持って行った。

「ん?何?」

「だから、食べさせてあげる」

「なんで?」

「あたしの才機へのお詫びの気持ちだと思って」

「いいって。ほら、海も結構傷付いたぞ。海に食べさせて」

「でも女同士じゃ可笑しいだろう、それ?周りの目を気にしてるの?私が機の恋人だと勝手に思わせればいいじゃん。遠慮しないであたしの好意を素直に受けなさい」

「だから、いいって。ご飯ぐらいは自分で食べる」

「ひどいよ!一生懸命に謝ろうとしているだけなのに、そこまで拒絶しなくたっていいじゃない?」とメリナは顔を手で覆い、泣き声で言った。

「いや、そうじゃなくて···」

「そんなにあたしが許せないの?じゃ、どうすればいいか教えてよ!あたしが嫌いなら気が済むまで殴ればいい!それで信じてもらえるなら耐えてみせるから!」

「分かった、分かった!怒ってないから食べさせてもらうよ。一回だけだぞ」

「三回」とメリナは人差し指と中指の隙間から才機を覗き、むせび泣きながら言った。

「はい、はい、三回」

メリナはあっと言う間に立ち直って笑顔で最初の一口を才機に食べさせた。そして才機の口がスプーンを囲んだと同時にメリナは海にも笑顔を投げかけた。ただ、今度のはもっと意地悪な笑顔だった。

《これであたしが本気を出せるってもんよ》

メリナが言った言葉の意味を理解した。

《何よ、それ?ライバルって事?私は別に···》

「俺はやらないぞ」とリースが海に言った。

「頼んでないから」と海が率直に返事した。

海は何も言わないで自分の食事を食べながらメリナが才機を食べさせるのを見た。でも腹の底で不愉快な気持ちが込み上げるのを否定出来なかった。


その夜、才機は腹一杯で寝た。そして真夜中の二時ぐらいに才機が眠りから目覚めた。とういうより、目覚めさせた。横向きに寝っていた才機に腕が巻き付いてきた。才機はうとうとしていてまだその手を完全に意識していなかった。でも次に海の体が自分の背中に密着するのを感じたら、眠気が一気に飛んだ。

《海の奴、どうしたんだ?寝てるのか?寝てるよね?一体何の夢を見ている?》

今度は足が絡み付いてきた。流石に才機は平然でいられなかった。目ん玉が飛び出そうになっていた。

《起こした方がいいかな。でもこの状態で起こしたら海が恥ずかしいだろうな。待てば元の体勢に戻るかも。ってゆうか、そもそも本当に寝てるのか?今まで海は寝相がいい方だったし。寝たままこんなに動くのってあり?まさか···意図的に?!》

才機は後ろを向こうとしたが、その体勢でよく見えなかった。

《やっぱり、確かめなくては》

「ねぇ、海。海?」と小さな声で才機が囁いた。

反応はあった。ただし、口頭の反応ではなく、才機は前よりもちょっと強く抱かれたような気がした。

《何それ?何それ?いきなり名前が呼ばれて思わず力を入れた?それとも本当に寝ていて、たまたま握力が強まったとか?あれじゃ分かんねぇ〜!》

もはや自分の目で確かめるしないと結論し、才機は体をねじって二人の目を合わせた。

「うわー!」と才機はベッドから落ちた。

「ん〜。何?」と才機の叫びで起きた海が目をこすった。

海は才機がいたはずの方へ向いた。

「な、何してるの?!」と海はびっくりした。

今の質問は才機に向けていたものではなかった。才機の代わりに、隣にいたメリナが問われていた。

「寝ている」とメリナは普通に答えた。

「どうやってはいっ···?!いや、聞かなくても分かる」と海は眉間に人差し指と中指を当てた。

「なんでここで寝てる訳?」

「別にいいじゃん?このベッドは三人まで入る」

「そういう問題じゃないだろう?なんで自分の部屋で寝ない?」

「寂しかった。最近夜はちょっと寒くなってきたし」

「だからってここに忍び込む必要はないだろう?っていうかそんなに寂しいならお兄さんがいるじゃない」

「この年にもなってお兄ちゃんと添い寝なんて恥ずかしくて出来ないよ。まぁ、出来ているけど仕方なく」

「今は恥ずかしくないの??お兄さんと添い寝して二人だけの秘密にすればいい」

「今は別に恥ずかしくないよ。あたしと才機は意気投合してるもん。ねぇ〜」とメリナは最後の方を才機に向けて言った。

落ちた場所であぐらをかいて左腕を左肘に載せ、右手を右膝に立てて体重を掛けている才機は未だに黙り込んでいて少し困った顔でメリアを見詰め返した。いたずらした子供に『しょうがない奴だなぁな』とでも言っているような顔。

「何が意気投合だ?明らかに困ってるだろう」と海が指摘した。

「そんな事ないよ。感じたんだ、才機の心拍。だんだん上がっていたよ。かなり興奮してたみたい」

「それはあんたが緊張させていたからに決まってる!」

「海は全然分かってない。教えてあげてよ、才機。あたし達の仲の良さについて」

「才機、はっきりしないとこの人は分からないよ。迷惑だって言って」

才機は交互に二人を見た。

「恥ずかしがらないで言いなよ」

「何黙ってるの?困ってるって正直に言いなさい」

才機は遂に口を開いた。

「お、俺は···その···んー、どう言ったらいいか···」

「才機!」と二人が同時に責めた。

どうも二人の目付きが怖くなってきた。

「俺は!······トイレに行かなくちゃ!」と才機が走って部屋を出た。

「もー、海が強引過ぎるから逃げちゃったじゃない」

「私が強引だと?!メあんたに言われたくない」

「まぁ、いいわ。才機がいないんじゃ、もうここにいる理由がなくなった。自分の部屋に戻る」とメリナはベッドから出た。

廊下に入って完全に消える前にメリナは言い残した。

「言っておくけどあたしは全力を出すつもりだから。だから海ももうちょっと真剣になってもいいよ。···負けたくなければ」

才機が部屋に戻った時、海はもう寝直したようだった。抜き足差し足でベッドへ歩いて潜り込んだ。才機に背中を向けていた海は目を開け、瞳が目尻に行った。それから何か考え事をしているみたいにその瞳は暗闇の中でひたすらに宙を見据えた。しかし、やがてそのまぶたを黙々と閉じただけだった。


   •••


「眠そうね、二人とも。よく眠れなかった?」とリースが聞いた。

才機も海も目の縁に隈が出来ていて、食堂のテーブルを囲んでいた。

「誰かさんのお陰で」と海が言った。

「才機はそんなに寝相悪いのか?」

誰も答えなかった。代わりにメリナがあくびした。

「お前も目が赤いな」とリースが言った。

「へー。メリナも睡眠不足?ちょっと意外」と海が言った。

「あたしだって色々と考え事してた」

「まぁ、今日の仕事は昼間からだから、それまで休む時間が少しある」とリースが言った。

皆は活気がなくても食欲はある。全員残さずに朝飯を食べ終えた。と、思ったらリースはメリナがパンだけに手を付けていない事に気付いた。

「食べないのか、パン?」とリースはパンへ手を伸ばした。

リースの手中に陥る前にメリナはパンをさっと取り上げた。

「後で食べる」

メリナはパンを紙ナプキンで包んでポケットに入れた。

「そうか?んじゃ、十二時にまたここで集合という事で。海は今日仕事あるよな?」

「うん。私、そろそろ行った方いい」

才機は宿の入り口まで海と一緒に歩いて見送った。

「ね」と海が人混みの中に紛れ込んだら後ろからメリナがやってきた。

「ちょっと付き合ってくれない?」

「ええ?リースのアドバイスに乗って休むつもりだったけど」と才機は面倒臭い顔になった。

「でも今じゃないと駄目なんた。お願い」

「駄目って、何が?」

「行ってみてのお楽しみだ。絶対後悔しないから」


メリナに先導されて、才機は町の周辺にあった自然の池に連れて行かれた。人気が全くなくて、見る物と言えば二百メートルぐらい離れた町の石垣。池の近くの一本の丸太を除いて、周りはピンクか白い花だけが点在する一面の緑色の草原。

「ここ?」と才機が聞いた。

「うん」

「ここで何をするの?」と才機は辺りを見回した。

「取りあえず座ろう」とメリナは才機を中ががらんどうの丸太の方へ引っ張って才機の左に座った。

先客の蝶は狭苦しいだと思ったらしくて、飛び立った。メリナは左の空を見つめた。

「んー、まだ少し時間があるみたいからちょっと話をしない?」

「話?まぁ、構わないけど···そんなに話して面白い人じゃないよ?」

「そんな事ないって。あたしは才機と話すの好きよ」

「そう?物好きだな」

「何?海に才機と話すのが楽しいって言われた事ないの?」

「ないけど···多分、嫌がってはいないはず」

「ふーん。何かあんたと海の関係ってよく分かんないなぁ。一見仲良さそうで、どことなく互いに微妙な距離感あるみたい。二人でいつも何してるの?」

「何って言われても、別に大した事はやってないけど」

「そうなの?男女が寝食を共にしてりゃ、ちょっとエロチックな関係になっても可笑しくはないと思うが···」

「いやややや、なってない、なってない」と才機は断じて否定して首を横に振った。

「はは、冗談だって。そんなにむきにならなくていいよ。でも···そっかぁ」とメリナは両足を伸ばした。

「昨日まであたし達はあんたらに隠し事をしてたけど、あたしの事を友達だと思っている?」

「うん」

「じゃあ、本当に許してくれた?」

「俺は恨みを長い間根に持てる人じゃないんでね」

「よかった。海は?」

「まぁ、裏切られたと思った時は激怒したけど、もう怒ってないと思う」

「ふーん。これからは怒られるかもしれないけど」とメリナは小声で言った。

「ん?何?」

「あぁ、何でもない。ね···聞いていい?」

「何についてかはさっぱりだけど、拒否する理由は特にないな」

メリナは少しだけ前かがみになって自分の両足を交互に蹴り上げてはかかとをまた地に落とす様を見て少し躊躇していたようだが、五秒ぐらいで口を開けた。

「その···あれ、本当だったかな」

「『あれ』って?」

「あたしが才機に塗布剤をあげた日、覚えてる?あの時、言ったじゃん?あたしの耳は可愛いかもって」

「う、うん、言ったね」

「本当に···気持ち悪くない?」

メリナは既にバンダナで隠された耳を両手で更に隠すようのにした。

「本当だよ。それに何も人間は頭頂部が全てじゃない。その耳を買ってない人がいても、メリナには他にもいいところ一杯あるじゃない」

「も、もー、おだてても何も出ないよ」とメリナは才機の背中を叩いた。

「今、出てるじゃん。その笑顔」

才機が言ったメリナの笑顔は徐々に消え掛け、ちょっとびっくりした赤い顔と入れ替わった。

「物好きはどっちだ」とメリナが半ば文句のように言ってまた足を見るようになった。

しばらくの間メリナはそのまま黙って足元の草を見た。

「昨夜はごめんね。もうあんな無茶はしないから安心して。友達ごっこが終わってやっと本当に友達になれるって思ったら何かつい抑えられなくて」

「それを聞いて安心したよ、本当に。寝る前にドアを家具で塞がないと睡眠不足の日々がこれからも続くと思っていた」

才機もメリナもクスクス笑った。

「あぁぁあ、海はいいなぁ。あたしももっと早く才機に出会えたかった。二人はいつから知り合いだったっけ?一年半?」

「うん、そんなもん」

「もう一つ聞きたいけど、実際のとこ、海の事どう思ってる?」とメリナが左の空の方へ向いた。

「どうって、えっとーー、そう言われても、そう簡単に言葉に出来ないかなぁ。友達なのはもちろんのこと。付き合いも長いと言えば長いとは言えなくもし、それに、お互いちょっと並外れた事情を抱えてるし···」

才機が明らかに動揺してだらだらと喋り出した。

「動くな」と海が自分の手を才機の手の上に置いた。

「え?なんで?」

「じっとしていて」と海は真っ直ぐ前を見てびくともしていなかった。

才機はどういう事かよく分からなかったが、メリナに見習って身動きを止めた。その静寂の中で、先ほど飛び立ったかもしれらない蝶がまた近くの空間を飛び交う。但し今度は伴侶と一緒で、二頭楽しそうにお互いの周りを飛び回って戯れ、二人の目の前を横切った。時期に才機は何かパタパタする音が聞こえてきた。どんどん近付いてきた。次の瞬間、才機の視界は白い鳥で埋め尽くされた。ハトと同じぐらいの大きさで、鶏冠は虹色で、体長より少しだけ短い尾羽が三つ付いていた。その殆どが池の手前で着地し、数羽が池の中に水着した。全部で十五羽ぐらいいたかもしれない。メリナは自分の手を才機の手の上から退かし、取っておいたパンをゆっくりポケットから出した。先端を引きちぎって、粉々にしてから手首を振って鳥の方へひょいと投げた。二人に一番近い鳥達は一斉に餌に群がって貪り食った。出し抜かれた者は仲間の中をかき分けて突然現れた恵みの方に進んだが、あいにくパンはもうどこにも見つけられなかった。メリナはまたパンを投げた。今度は量を減らして、二人が座っている場所のもっと近い位置に。そうやって鳥達を少しずつ自分達の方へ誘き寄せた。足元まで来たらメリナはパンを才機の膝の上にまき散らした。最初は誰も反応しなかったが、その内勇気のある鳥が才機の膝の上に飛び上がってそこにあったパンくずを独占した。

「すごっ」と才機が言った。

「動物が好きって言ったしょう?あたしも好き」

メリナは才機の膝の上の鳥に自分の手からパンを食べさせた。そしてパンを真っ二つにして半分を才機に渡した。それから二人揃って楽しそうに鳥達にパンをあげていた。

「たまにはここに来て、こうやってパンをあげてる。最初はこんなに近くまで寄り付かなかったけど、ある日直接あたしの手から餌を取るようになった。凄いだろう?誰かに見せて一緒にやりたかったけど、お兄ちゃんは動物にあまり興味ないよなぁ」

「そうか?俺はこういうシチュエーションに憧れちゃうんだけどね。最近、動物とじゃれあう機会が全くないし、この間だってあの猫はメリナとしか懐かなかった」

「可愛かったね、あの猫。あたしも飼いたいけどお兄ちゃんは反対だ。才機は何かペットを飼った事ある?」

「うん、実家に犬がいる。コーラって言うんだ」

「いいなぁ。大きい?」

「いや、小さい方。猫よりちょっとだけ大きい。凄く可愛くて人が見境なく好きな奴。家族じゃなくても呼ばれたら誰にも喜んでついていく。いわゆる誰にでも優しいタイプ」

「ふーん。やっぱ、ペットは飼い主に似てるっていうのは本当かな」

「ん?どういう意味?」

「別に〜。でも動物はそういうところがいいんだよね。他者の見た目なんて意に介さない。優しささえ伝わればそれでいい。仲良くなれる。人間は互いにコミュニケーション取れるからその分伝わりやすいのに、どうしてうまくいかないのかな。あたしは人間の友達より動物の友達の方がずっと多かった」とメリナは何かを思い出しているようで少し寂しそうな顔になってその手の平にあったパンくずが我先にと足元に集まる鳥に食べられて無くなるのを見ていた。

二人で静かに手に載せた餌を鳥達に食べさせた。

「よ、よかったら、またここに、痛っ」とメリナが急に声を上げた。

「どうした?」

「噛まれた。悪気はないんだけど、たまに間違って手をつついてくる」

「そうか?俺の方が好かれてるかな。全然つついてこ、痛っ」

「ははは、今何か面白い事を言おうとしたんじゃ痛っ。おい、あんた達、わぞとやってないだろうね」

才機は左目を一瞬だけ閉じた。

「あ、またつつかれただろう。今絶対我慢した」

「うん」と才機はあっさり認めた。

爆笑する才機とメリナ。


待ち合わせの時間が近付いたら二人は宿に戻った。そこでリースと海ともう一人の男がテーブルを囲んで座っていた。

「海。なんでここに?」と才機が聞いた。

「オーナーが急用で五日間ぐらいいないんだって。才機はどこに行った?てっきり部屋で寝ていると思ってた」

「あ、んー、ちょっと散歩」

「二人でデートに出かけた」とメリナは才機の腕にしがみついた。

「デート?!」と海が才機を問い詰めた。

「違うんだ!デートじゃない!なんでそういう誤解を招くような事を言うのかな?」と最後の方をメリナに向けた。

「ごほん!」

リースのせき払いだった。

「あのな、依頼人の前だぞ。席に座らんか」

「すみません」と才機が言って、メリナと一緒にテーブラに着いた。

「いえいえ、正確に申しますとと私は依頼人ではなく、依頼人の使いです。皆さんを迎えに参りました。これで全員が揃いましたか?」

「はい」とリースが答えた。

「では、外に馬車が置いてあるので親方の所へ連れて参ります」

目的地に着くのに四十五分くらい掛かりました。メリナが降りると眼前の光景で目が輝き出した。

「ここってまさか、暫く前に出来た豪華スパリゾート?!」

「さようでございます。依頼人はここの経営者、そして私の主、ブランズワド様であらせられます」

「凄い〜!一度来てみたかったんだ!でかしたよ、お兄ちゃん!大好き!」

「バ〜カ。仕事で来てるんだよ。遊ぶ暇はねぇ」

「実物を見ると本当に素敵な所。仕事が終わってあのボロ宿に戻ると思うと気が滅入っちゃうよ。ね、海?」

「う、うん。はまりそうね、こういうとこ」と海が素直に感動していた。

「いや、ボロって言うほど悪くないだろう」と才機が突っ込んだがメリナは訂正する気がないようだ。

「ねぇ、お兄ちゃん、帰る前に少し羽を伸ばしてもいいだろう?」

「考えておく。さっそく依頼主に会いに行くよ」

中に入ったら豪華リゾートと呼ばれるだけの事はあるのが分かる。そこは惜しみなく宮殿の壮麗さで満たしていた。作りは殆ど大理石と青銅で、その主に白いカンバスを大量の植物の緑が色付けている。水がテームの一つらしくて、室内の噴水が小さくて簡素なものから水をあらゆる角度に噴射したり、流したりする大きくて物凄く手の込んだものまで至る所にある。水の音が絶えることは一瞬たりともない。リースだって感心せざるを得なかった。

「こちらへどうぞ」

男に先導されて皆が玄関広間の中心にある大階を上って二段の奥の部屋へ案内され、男が全員を部屋に通したら自分だけ入るつもりはないようでドアを閉めた。その部屋にいた人間は全部で六人。後二人は机で座っている四十歳ぐらいの男と部屋の左壁に沿ったソファーでクマの縫いぐるみと遊んでいる六歳ぐらいの女の子。

「ああ、君達ですか、何でも屋リースとその一行?」

「ええ。俺がリースです」

「私はここの経営者、ブランズワドです。君の業績は耳に入っています。頼まれた仕事の成功率は極めて高いらしいですね」

「お客さんを満足させるには完璧に仕事をこなすのが一番ですからね」

「それは頼もしい。ではさっそく私が君達をここに呼んだ理由を話そう。だがその前に、これから話す事は他言無用でお願いしたいのですがいいかね」

「もちろんです」とリースの目はソファーで遊んでいる女の子に行った。

「心配入りません。そちらはジェシカ。私の娘です」

「そうですか。では、依頼とは?」

「実は、このリゾートで殺人事件が起きています。それも二回も」

「殺人事件?それなら警察に知らせた方がいいのでは?」

「それが、もし三回目が発生したらそうするつもりですが、出来ればこのことを隠し立てしたいんです。この手のスキャンダルはこういう所にとって致命的なんです。犯人が不明で野放しになっていたらなおさら。こっちで処理出来るなら是非そうしたいと思っています。幸いな事に犠牲者は二人ともここで勤めていた身寄りのない男達。公にする必要はなかろう」

「俺達は別に異存はありません。但し、捜査となれば、何日かかるか分かりません。それにずっと現場にいた方が色々と都合がいいので、捜査中はここに泊めさせてもらえまないでしょうか?最低限のもてなししかいりません。寝る所と一日の三食」

「お安いご用です。他に必要な物は?」

「俺達はここの従業員として雇われたことにしたい。俺達を他の従業員にも正式に紹介してもらえますか?」

「ええ。この後、皆との打ち合わせが予定されています。ついでに君達を紹介しましょう。二十分後に二階の会議室に来てるといい」

「分かりました。では、また二十分後に。行くぞ、皆」

「あのー、ここにいる間はお風呂も使っていい?」とメリナは出し抜けに聞いた。

「おい」とリースが妹を注意した。

「すみません。礼儀も遠慮も知らない妹なんで聞き流してください」

「ははは!構わん、構わん!但し、しっかり働いてもらいたいから使うんなら営業時間後にしてくれ。三階には俺の専用の露天風呂がある。そこなら遅くても使用可能だ」

「本当?!ありがとう!」とメリナは右胸の前で両手を握った。

「はい、はい、よかったね。行くぞ」とリースはメリナの腕を引っ張って連れて行った。

「ね、この仕事なら何も最初から張り切る事なくない?期限もないし、気楽にやろうよ」とメリナが言った。

「期限がない訳ないだろう?成果を出さなきゃ俺達は首だ。ブランズワドも言っただろう。三人の犠牲者が出たら警察に通報するって。その前に片付けないと。って言うかお前、緊張感なさ過ぎ。その三人目の犠牲者はお前がならないように気を付ける事だな」

「不吉な事言わないでよ。殺人事件という事だけでもう鳥肌が立っている」と海は肘を抱えて縮こまった。

「俺達は別に探偵じゃないし、どう解決すればいいの?」と才機が聞いた。

「今やるべきなのは情報集めだ。俺達が他の職人に紹介された後、ばらばらになってスタッフに交わる。一緒に働いている内に、事件について聞き込みに入る。何かを知っている人が何人いるかも。どうするかはその後だ。無論、何か怪しい事に目を光らせておくのも大事。聞き込みはさり気なくやるんだぞ、さり気なく。職人が犯人という可能性は十分ある」とリースは説明した。

二十分後に会議が行われた。リース達はブランズワドと一緒に会議室の前で立っていた。

「皆さん、紹介します。本日で新しく仲間に入った四人です。例の事件で亡くした人の代わりにやってきました。皆はとても不安な状態だと思いますが、仲良くしてあげてください。彼らも事情を分かっていてここに来る事を決断しました。事件に関しては、引き続き外部に漏らさないよう御願いします。この悪行に終止符を打つ為に措置は既に取ってありますので安心して働いて欲しい。では、自己紹介してもらいましょうか?」

「シグニです。よろしく御願いします」とリースが言った。

次に並んだ才機はちょっとパニックした。偽名を考えようと思わなかった。

「あ、才、キシンです。よろしく御願いします」

次は海。

「花子···です。よろしく御願いします」

最後はメリナ。

「エズマです。よろしく御願いします」

「空いている所に座っていいよ」とブランズワドが手で合図した。

四人とも別々に席に付いた。

「それでは、今日の打ち合わせを始めたいと思います。まず、部屋掃除担当の者は···」

会議が終わったらバンズワドがリース達を泊まる部屋まで案内すると言った。それは三階にある部屋だった。誰もは気付いていなかったみたいけど、ずっと曲がり角の後ろから覗いて尾行する人がいた。クマの縫いぐるみを持つ女の子だった。

「ここを使って下さい。何もないけれど、広い部屋ではある」

「いいえ、これで十分です。心遣いありがとうございました」とリースが言った。

「後で誰かに寝袋を持ってきてもらう。大いに期待していますよ」とバンズワドが言い残して去って行った。

そして四人になるとメリナが鼻で笑った。

「何いきなり笑ってんの?」と才機が聞いた。

「あのふざけた偽名に決まってんだろう、サイキシン」とリースが呆れた口調で言った。

「あ、あぁ、あれね。リースがいきなり偽名を使うからちょっとうろたえた。俺も偽名を使うべきかどうか実際に決める前に口を開けちゃったから」と才機は恥ずかしそうに頭をかいた。

「多少名高いなのは俺だ。お前達は無理に偽名を作らなくても、別に本名でいいよ。前から変わった名前だと思ったがもっと変になった。海も海だよ。いくら準備してなかったからってハナコはないだろう」

「え、そう?」と海が聞いた。

「聞いた事ないよ、ハナコなんて。『海』の方がまだ信じられる」

「メリナだって偽名を使ったじゃない」と海はメリナに向かい合った。

「お兄ちゃんほどじゃないが、いつも一緒に仕事しているから、あたしの名前も知られてるかもしれない。用心というものだ」

「凡人で悪かったわね」

「何いじけてんの?偽名を使いたきゃ、使えばいい。でももうちょっとましな名前を考えろって話だ」

「ふん!私から見ればエズマは十分変な名前」

「何が変?ごく普通な名前じゃない」

「ハナコだって普通だ」

「どこの世界で?」

才機が介在してきた。

「まぁ、まぁ、過ぎたもんは仕方ない。誰もそんなに気にしてないと思うよ。一番ださい名前は俺のだし」

「じゃ、さっそく聞き込みに入ろう。あたしは才機と行く。」とメリナは才機の腕にしがみついた。

「か、勝手に決めるな」と海は異議を唱えた。

リースはメリナの襟の後ろを掴んで才機から引き離した。

「言っただろう。別々に行動するんだ。その方が聞き込みの範囲を広げられる。それに会議で皆は自分の任されている仕事を既に知らされた」

「分かってるって。先に行くよ」とメリナは部屋を出た。

四人が一人一人部屋を出て違う方向に向った。

才機は部屋の掃除、リースは部屋以外の掃除、海は洗濯物、メリナは厨房での手伝い。皆それぞれの仕事を一通りこなした。当初の目的を忘れずに他のスタッフと会話を初めて、何気なく事件について情報を聞き出した。勤務時間が終わったら四人とも外で集まった。

「地獄だった〜」とメリナは疲れたそうに言った。

「メリナは確か、厨房で働いてたよね?そんなに大変だった?」と才機が聞いた。

「そうよ。ずっとああいう美味しそうな物を目の前にして味見も出来ないなんて拷問だよ」

「そ、そう?」と才機は心配して損したみたいな顔になった。

「辛抱だよ。この仕事を完了出来たら、好きなだけ食わせてやる」とリースがメリナの頭の上に手を載せた。

海は手を挙げた。

「私は事件について大した事は聞かなかった。面白い事と言えばバンズワドが成金だって事くらい。このリソートを建てる前はどこにでもいる普通の商売人だった。彼はここの温泉を発見し、土地を買い取った。ここの温泉は鉱泉で、豊富な鉱物で恵まれて肌や病気に効能があるらしい。お陰でここは評判がいいけど、それにしても発達が早過ぎる。たった半年でこのリゾートをここまで作り上げた。ここの温泉以外の何かでバンズワドが伸し上がったって噂がある。事件に関係があるかどうか分からないけど」と海が説明した。

「何かって何?この地に眠る悪魔とでも契約を交わしたのか」とメリナが皮肉を言った。

「さぁ」

「なるほど。お前は?」とリースがメリナに尋ねた。

「いい情報が入ったぞ。二つ目の死体を処分した人と一緒に働いてた。彼の話によると胸部にナイフで刺された縦の傷が三つ奇麗に上下平行に並んでいた。そして最初の犠牲者の死因も全く同じ傷をだったらしい」

「ふーん。じゃ、二人を殺したのは同一人物だと考えてもいいだろう。しかも気がふれているみたいだ。あがいている相手に完璧に平行している傷を三つ負わせるのは無理な話。恐らく最初の一撃で相手を殺し、動かない死体に同じ傷を後二つ付けたんだろう」

「なんでわざわざそんな事をする必要はある?何かの印?」と海が聞いた。

「さぁ、ね。それは本人に聞かないと。大方、何かの儀式か署名的行動だろう。それより、狙われた二人は死因以外で何が共通点がないか知りたいが、残念ながら俺も大した事が分からなかった。二人が結構仲良かったって聞いたけど、それぐらいだ。最初の事件は五日前で、二件目はその二日後。両方夕方に行われた。あ、そうそう。どれほど当てになるかは分からんが、一緒に窓を磨いていた人が言った。二度目の事件の夜、一瞬変な物を見かけたって」

「変な物?」と才機が聞いた。

「彼もよく分からないんだ。露天風呂の掃除が終わって、休憩して飲んでいた時だったそうだ。一瞬だけ何か大きいものが視界に入って直ぐに通り過ぎて行った。見に行ったら誰もいなかったって。ま、そう言って上着の中に隠していた酒の小びんを出して、飲む前に俺にも勧めたけど。才機、お前は最後の希望だ。何が分かった?」

「ジョージュの好物は新鮮なハチミツらしい」

「ジョージュ?誰それ?」

「クマさんだ」

「は?」

才機は親指で自分の後ろを指した。他の三人が指している方向を目で辿るとビルの角の後ろから覗いている女の子がいた。自分が見つかった事に気付き、女の子は引っ込んでクマの縫いぐるみをぎゅっと胸に抱き締めた。

「あれっ、ジェシカだったっけ?」と海が呼び掛けた。

ジェシカはまた角の後ろから顔を出して、皆を見た。

「どうしたの?あそこで隠れなくていいのよ。こっちにおいで」と海はこっちに来るように手で誘った。

最初ジェシカは躊躇ったが、結局皆の所へ駆け付けてきた。そこで才機の手を掴んで、今度は彼の後ろに隠れた。

「ずっとこんな感じだよ。あまり聞き込みに行くどころじゃなかった」と才機が言った。

「随分と懐かれたみたいだな」とリースが言った。

「今日は才機と遊んでたの?」と海が聞いた。

ジェシカはうなずいた。

「あのクマか?ジョージュって言うのは?」

「よく見ればこのクマ、実はリュックだね」とメリナが言った。

「あ、本当だ。可愛いなぁ。何か入ってるの?」と海が聞いた。

ジェシカは才機の手を離して、クマの裏にあったチャックを開けた。そして色とりどりの飴玉が一杯入った小さな瓶を出した。才機に飴玉を一個あげた。

「ども」

次に海に一個渡した。

「ありがとう!」

三個目はメリナに。

「いいの?ラッキ〜」

リースにやったのは目線。リースも無表情に見返している。

「何無愛想な顔してんだ?何とか言え」とメリナはリースの足を軽く蹴った。

「え?ああ···美味しそうだね。俺ももらっていいかい?」

ジェシカはその小さな手を瓶に入れて、持ち出した飴玉をリースに差し出した。

「ありがとうね」とリースがしゃがんでひょいと受け取った飴玉を口に放り込んだ。

「ジェシカは事件について何か知らないかな?」とリースは駄目元で本人に聞いてみた。

ジェシカは首を横に振った。

「やっぱりそうか?」

「知る訳ないだろう、この子」とメリナが言った。

「聞いて損はないから。ん?この縫いぐるみ、いや、リュックか。まぁ、どっちにしても毛がいいね。ってか毛皮だ!すげ〜。流石金持ちの御令嬢だぜ。本物の熊の毛皮だ、これ?爪も可愛く見えるように加工されてるけどこれも本物っぽい。こりゃもう剥製術に近い」とリースが感心してジョージュを調べていた。

リースの関心をよそに、ジェシカは才機の手を掴んだ。

「ね、こっち来て。いい物がある」とジェシカは才機の手を引っ張った。

才機はジェシカに引っ張られるがまま、リゾートの裏手にある噴水に連れて行かれた。中心に沢山の小さな滝みたいな物が水を循環させていて、そこに三十センチ前後の魚達も泳いでいた。

「見て」とジェシカは近くの蒲をを一本摘み、前にかがんで蒲で水面を叩いた。魚達はどんどんそこに集まった。そうしたらジェシカは人差し指で水に小さな丸を描いた。魚達は餌の時間だと勘違いしてジェシカの指を口でつついてきた。

「面白いでしょう?お兄ちゃんもやってみる?痛くないよ」とジェシカは才機に言った。

「うん。やってみる」と才機はやる気満々で指を水に突っ込んだ。

「ちょっと、これあたしの戦略じゃない?」とメリナが言った。

「戦略?」と海が聞いた。

「あ、ああ、いや、何でもない」とメリナが笑顔を作った。

「で、ジェシカちゃんはなんで才機と一緒にいた?他にやる事ないのか?友達は?」とリースが聞いた。

「ううん、いつも一人で遊んでる。ここはジョージュ以外、友達はいないもん」

「何をして遊ぶの?」と海が聞いた。

「ジョージュと一緒に探検するとか、奇麗な石を探すとか、お客さんを見るとか。でも最近、お父さんに暗くなったら部屋を出っちゃ駄目だって言われてる」

「うん、お父さんの言う事ちゃんと聞いた方がいいよ。どこかに悪い人がいるかもしれない。人が多い場所で遊ぶのもいいかも」とメリナが言った。

「人が多い場所?じゃあ、もう地下へ行っちゃダメなの?」

「地下?」

「地下には面白い通路が一杯あって迷路みたいけど、誰もいないんだ」

「そうね。悪い人が捕まるまではそこに行かない方がいい」

「早く捕まらないかな」

「心配ない。その為に俺達は来たんだ。だから仕事中はお兄さん達の邪魔しちゃ駄目だぞ?才機にはちゃんと働いてもらわなきゃ。分かるよな?」とリースが言った。

「じゃあさ、じゃあさ、仕事が終わったら遊んでいい?」とジェシカは才機に聞いた。

「あ、ああ。いいよ」と才機が言った。

「じゃ、後でまた来る。頑張ってね」とジェシカがジョージュを背負って走って行った。

「やれやれ。持て持てだな、お前。でも浮かれるなよ。ままごとをしに来た訳じゃないから」とリースが言った。

「誰が浮かれてるんだ?七歳も越えてないだろう、あの子」

「そうだよ。才機はああいう小さな子に興味ないんだ」とメリナが言って、次に才機に向かって話した。

「ないよね?ロリコンだったとかそういう展開じゃないよね?」とメリナが割と本気で聞いていたようだ。

「当たり前だろう!」

「とにかく、これで手が空いたはずだ。今日は残った時間でひたすらに調べるだけだ。客も職員も、誰か怪しい人がいないか監視しておくんだ」とリースがリゾートの玄関へ向った。

「才機、一緒に回らない?」とメリナが聞いた。

「何度も言わせんな。手分けして範囲をなるべく広くするんだ」とリースが言った。

「ぶー。つまんない〜」とメリナも行った。

「俺達も戻ろうか」と才機は海に言った。

「うん」

十時になったら皆部屋で集まった。最後に来たメリナにリースが言った。

「お、いた。ちょっといいか?一緒に来てもらいたい所があるんだ」

「今から?もう疲れたんだ。朝になってからでも遅くないだろう?」

「この時間だからこそ今行きたいんだ。直ぐに終わるよ」とリースが部屋を出た。

メリナは不満そうにリースの後に続けた。二人が辿り着いたのは一階にあるドアだった。そのドアに赤い太字で立ち入り禁止って書いてあった。

「行きたい所ってここ?このドアの向こうに何がある?」とメリナが聞いた。

「階段。地下への」

「犯人がそこにいるって言いたいの?」

「いや。ジェシカが言ったように地下には誰一人もいない。あるのはいくつかの部屋だけ」

闇にまぎれて二人はトアを通り抜けた。

「今のドアは鍵が掛けてなかったが地下の部屋は全部鍵が掛かってる。そこでお前に鍵を開けてもらいたい」

「なんで、わざわざ?今、地下に犯人がいないて言ったじゃん」

「犯人がいなくても罪を証明するような証拠があるかも」

「こんな所に?」

「犯人が実はここの経営者···という落ちもありうるだろう?徹底的に洗ってるだけだ。それに俺の勘はどうもここが怪しいと言っている。地下への階段はここしかない。しかも随分離れた場所にある。何より廊下に据え置きのランプがある。それほど明るくはないが、電気だぜ?一体どんな大金をはたいて取り付けんだろう。なぜここだけ?匂う」

「でももしブランズワドが犯人だったらあたし達は報酬をもらえないよ?」

「何言ってんだ?そうなったら恐喝して報償以上の金額を絞り穫れる」

「腹真っ黒だよ、お兄ちゃん」とメリナが一応呆れたが大分慣れているようだ。

リースは鍵が掛けられたドアまでメリナを案内した。

「まずはここだ。開けそうか?」

メリナはライターを取り出して鍵穴を調べた。

「それほど複雑な錠じゃなさそう。何とかなるかもけど、時間は掛かる。宿のようにはいかない」

メリナはライターをリースに持ってもらって色んなピンが中で並んである生皮を出した。二本を選んで作業に取り掛かった。

「あれっ」とメリナが眉を寄せた。

「どうした?」

「いや、何でもない」

二十分くらいは経ったかもしれないが、やがてドアの蝶番がちょっぴり動いた。

「お!流石。さて、一体何が隠されてるかな」とリースはライターを消し、メリナに戻してからドアを開けた。真っ暗で部屋の様子をかろうじてしか見えない。部屋に入って最初に気付いたのは壁に沿って円柱形のものがずらっと並んであった。リースは目を凝らして前方の暗闇を通して見ようとした。

「ん?こんなとこにまで温泉か?」

リースはしゃがんで水に手を入れた。

「生温っ。っていうか何か変だぞこの水」

後ろからメリナも入ってきた。

「やっぱ暗いな。ちょっと灯を」とリースが言った。

メリナは言われた通りにし、リースはライターの僅かな光で照らされた自分の目の前を見て、細めていた目が大きくなった。するとメリナをたじろがせるほどの速さでリースは体を捻ってライターの火を吹き消した。

「ちょ、ちょっと、いきなり何を?!暗いんじゃなかったのか?」と驚いたメリナが言った。

「絶対につけるな」とリースは大真面目な口調で言った。


一方、才機と海は部屋で待って話していた。寝袋が四つ並んであって、才機は一番右の方の寝袋の上に、海がその隣の寝袋の上に座っていた。二人の話が才機にとってはちょっと触れにくい話題になりつつあった。

「それにしても最近メリナの態度はいつもと違うと思わない?」と海が言った。

「そ、そうか?」

「そうだろう。リベリオンに内通していた事を明かした以来だ。やたらに才機に絡んだりして」

「本来はああいう奴だったんじゃない?隠し事しなくてよくなって、本当の自分らしく振舞っている。最近まではずっと遠慮してたんだろう」

「本来の自分と遠慮する自分がこうも違う物なのかな?才機、幾らあんたでもそれほど鈍くないんだ。あれは絶対才機に気がある」

「お、思い過ごしよ、そんなの。単に揺らいだ信頼を強化しようとしてるだけだ」

「にしては才機との信頼ばかり強化しようとしてるけど。騙されたのは私も同じだろう?今夜は才機と私、どっちの寝袋に忍び込むんだろうね?」

「···」

「私には関係ないから二人が何をしたかは聞かないけど、今朝だってデートに行ったとか言った、あれは?」

「あれはただ海をからかってたよ。一緒に行ってほしい所があると言うから行ってやっただけなんだ。デートなんて海の前に出るまでは一言言ってなかった」

「じゃあ、もしデートに行かないって誘っていたら才機はどうしたんだ?」

「な、なんでそうなるんだ?デートじゃなかったからそれでいいじゃん」と才機は横になり、背中を海に向けた。

「別にメリナとデートに行ったら駄目とは言ってないよ。私はただ···才機の本心が気

になっただけなんだ」

二人は黙り込んで沈黙が訪れた。

《やっぱり、聞いちゃまずかったかな。やっと才機と二人でいる時間が出来たと思ったのに、なんか気まずくなっちゃった。空気がこれ以上悪くなる前に私も寝よう》

海も背中を才機に向けて横になった。

「デートの内容を事前に確認していた。そしてもし今日みたいに単に野鳥を見に行くだけなら断らなかった」

今朝からずっと気にかかった事を遂に聞けた。それぐらい十分無邪気なのだれけど、それでも気はあまり休まらなかった。何のつもりで野鳥観察に誘ったかは見当がつくから。その間、二人がどれほど仲良くなったかは知らない。そんな事まで聞き出すのも野暮だし、知る由もない。今、最も気に病んでいるのは、才機がどんな気持ちでさっきの発言を言ったかだ。何もなかったから心配しないでと言いたかった?それとも、ほら、お前の杞憂に過ぎなかった。大きなお世話だと。海はどう返事すればいいか考えた。

「今度···連れていってくれる、その場所?」

「いいよ。もしかしたら海も楽しいかもしれない。鶏より可愛いから」

やっと気が少し晴れた。あのまま寝るのが嫌だったが、これなら寝るのは勿体ない。話題を変えて何か面白い事を話そうと思ったらドアが開いた。リースとメリナが部屋に入った。

「戻ったよ」とリースが告げた。

「結局どこに行った?」と才機が聞いた。

「ちょっと地下へ。どうやら海が言ったバランズワドは成金っていうのは嘘じゃないかも」

「どういう事?」と海が聞いた。

「確かにここは温泉以外に他に何かがあった。このリゾートは石油鉱床の上に出来ていいるみたい。下にはかなりの石油備蓄がある。とんでもない秘密を知っちゃった」

「秘密じゃないかも」とメリナが言った。

「ん?」

「少なくともあたし達だけの秘密じゃない。ドアの錠がいじられた形跡があった。あそこに侵入したのはあたし達が初めてじゃない」

「へー。そうなんだ。これは事件に繋がっているのかな。関係が見えてこないが」

「口封じとか?」と才機が憶測した。

「仮にそうだとしてもバランズワドがやったって事になる。もしくは糸を引いていた。俺もさっき面白半分に同じような事を言ったけど、バランズワドが真犯人だったらなん

でわざわざ俺達を招いたか解せない」

「もう疲れたから明日考えよう。今日はもう寝よう。ってちょっと寒くない?」とメリナが言った。

「あ、さっき窓を開けたんだ。」と海は起きて窓を閉めに行った。

そして窓を閉めて皆の方を向いたら自分の寝床がメリナに占拠されていた。

「え?あのー···」

「おやすみ」とメリナは顔を枕に埋めた。

「ちょ、ちょっと、私がそこに寝てただろう?」

「ん?いいじゃん。寝袋は全部全く同じ物だ」

「いや、そういう問題じゃなくて···」

「海ったらいつも才機の隣で寝ているじゃない。一晩くらい離れて寝れないの?」

海は恥ずかしそうな面持ちになった。一時、メリナに譲りそうだったが、引き下がらない事にした。

「そ、そうさ!ずっと才機の隣で寝てきたからもう慣れちゃった」

メリナもそれにちょっとびっくりしたみたい。

「ならいい機会じゃないの?その悪習を直すのに」

「あいにく私達の部屋はベッド一つしかないんで、これからもずっと一緒に寝ないといけないんだ」

「お前ら何子供みたいに言い争ってんだ?」とリースは呆れた口調で言って、メリナの隣の寝袋を集めて才機の右側に敷いた。

「ほれ、これで誰も文句はないだろう?」

「才機の隣で寝ていられば文句はありませ〜ん」とメリナが言った。

海は才機の右側の寝袋に潜り込んだ。

「あ〜あ、俺だけ独り寝か。寂しいねぇ」とリースは最も左にあった寝袋に入った。

暫くしたら、全員暗がりの中で目を閉じていた。一番早く眠りについたはリースだった。残り三人は色んな考えが頭の中を走って、直ぐには寝られなかった。


   •••


翌朝、才機が目を覚めたら初めて見た物は自分に向けられていた海の寝顔だった。二人とも横寝して向き合っていた。いつもなら起き抜けにこんな情景を見るのが大歓迎。でも今はその瞼が開けるのが怖くて、自分を睨み付けているような気がした。その理由とはまた誰かが背中に絡み付いている感覚があったからだ。そしてその誰かはリースではない。彼のいびきは離れた所から聞こえてくる。それも才機が直ぐに寝られなかった原因の一つだが。

《やべ、海に注意されたばかりだ。皆そろそろ起きるはずだ。こんなところ見られたらまずい。でもどうすれば?!》

誰も起こさずにメリナを自分の寝袋に戻す策を才機が頭を回転させ、編み出そうとした。しかし、どう考えてもそれは不可能だ。少なくてもメリナを起こす事は必然。そして起きる途端に何かと騒ぎ出す可能性は高い。ならば、手で口を押えたまま起こし、大人しく自分の寝袋に戻るように哀れみを請う目で泣き付くか?だがその作戦を熟考している最中、運も時間も尽きた。海は瞼を半分開けて身を起こした。海が目をこすっている間才機は決心した。こうなったら選択肢は一つしかない。

まだ寝ているふりをする。

知らない事は無実だという事。責められまい。

寝惚けていた海が才機の方へ見て何の反応を示さない。だが数秒があれば脳は目が中継している情報を処理した。

「え?なんでそこにいる?!」と海はびっくりした。

「ん〜〜、騒がしいなぁ。一体どうしたって言うの?」とメリナは起きて眠そうに言った。

メリナの眠気も直ぐに消え、海と同じく驚いた声で言う。

「あ!あんたは!」

才機はメリナの声がやけに遠いだと気付く。メリナじゃなかった。体を回して寝袋に侵入した者を確認する。

「ジェシカ?!」

「ん〜〜、おはよう、お兄ちゃん」

「お、おはよう。じゃなくて!なんでジェシカここにいるの?!」

「一緒に寝たかった。ジェシカの部屋は広すぎて、ジョージュだけだと寂しい。でも昨夜はよく寝た。ね、ジョージュ」とジェシカはその縫いぐるみ兼リュックを持ち上げた。

「そう···か。でも俺達がここにいるのは一時的なもんだからあまり慣れない方がいいよ」と才機が言った。

「でもいる間はいいよね?」とジェシカがせがんだ。

「それって今夜もここで寝る気満々?」

「うん!」

「えーと。お父さんの許可をもらったらそれでいい、というのはどう?」

「分かった!朝ご飯はそろそろ出来てるかな。見に行こう、ジョージュ」とジェシカは部屋から走り出た。

「才機、どういう事?寂しかったらあたしに言ってくれれば良かったのに。喜んで背中を暖めてあげた」とメリナが言った。

「さっきの話聞いてなかった?寂しかったのはあの子」と才機が言った。

「寂しいなら才機の寝袋に入っていいって事だね?」とメリナは才機の方へ転がり始めた。

届く前に才機はさっと海に引き上げられた。

「いつまでそこで座ってるつもり?早く顔を洗って」と海は才機の背中を押して、二人が部屋を出た。

メリナは「あらまあ」と言わんばかりの表情で二人が出て行くのを見た。

リースは寝袋を片付け、黙って全てを横目で見ていた。


今日は調査の続き。職員から得られる情報はもう得た。今度、皆は張り込みみたいなものをしている。但し、誰を見張ればいいか分からないと、それは困難だ。デッキブラシで適当に掃きながらリースはあっちこっち次から次へと移動していた。その内メリナと出くわした。

「あれっ、厨房で手伝ってたんじゃ?」とリースが聞いた。

「今日厨房はそんなに忙しくないから露天風呂の掃除をするように頼まれた。お兄ちゃんは何?まだ廊下や物置の清掃?」とメリナはちょうど隣にあったドアを開けて覗き込んだ。

「うわ。汚い。お兄ちゃんはまだやってないね、この部屋」

「いいんだ。本当に掃除しに来た訳じゃないんだから」

「何ヶ月分の埃だろう、これ?クモの巣もいっぱいあるし。ねぇ、いくら本当の仕事じゃなくてもこの部屋ちょっとは奇麗にしてよ」

「そんな事しても犯人が見つからない。そこにいる間、正に犯人だって顔をしている人が通っちゃうかも」

「それってどんな顔?それを知ったらもっと探しやすいからあたしにも教えて」

「そりゃあ、あれだ。目付きが悪くて、打算的で、周りをやたらに気にしてる人とか」

「それじゃお兄ちゃんが犯人になるけど···」

「そういう顔をしている俺じゃない人だ」

「あっ!」とメリナが急に大きな声をあげた。

「な、なんだ?」

「前言撤回。ここを掃除するな。使えるよ、この部屋。才機にここを奇麗にするのを手伝ってもらって、掃除している最中に『キャア、クモが』とか言ってどさくさに紛れて抱きついて助けられる。完璧だ」

リースが鼻で笑った。

「ん?今笑ったよね?プって何よ?」

「いや、お前のその作戦に根本的な欠陥があるって思って。それにしてもお前も十分打算的だな」とリースは自分のにや笑いを消すのに苦労していた。

「なんだよ、知ったような口をきいて。欠陥って何?」

「悪い、口止めされてるんだ」

「何それ?ま、いいわ。あたし、露天風呂に行くから」

「ちゃんと仕事しろよ。本来の仕事を」

露天風呂を目指したメリナは手を振った。そこに着いたらメリナはモップを探し出して拭き始めた。しかし本当に立派な露天風呂だ。大きくて、周りはは生い茂る草木だらけ。まるでジャングルみたい。メリナはもっと近くで見ようと少しだけ奥へ歩いた。冷たいコケの感触が素足に快適だった。ヤシの木やシダに露のしずくがまだ残っていた。

《気持ちのいい場所だ。少しぐらい休んでも平気だよね》とメリナはコケの絨毯の上に横になって枕代わりに頭の後ろで手を組んだ。

そして知らない内に、昨夜寝られなかった分をここで補っていた。自分でもどれぐらい寝ていたか分からなかったけど、誰かの声に起こされた。

「やっぱりいいよね、ここの温泉」

「生き返る〜」

男が二人いた。

《やっば、寝ちゃった。って、ここは男の風呂場だったのかよー!こっちはまだ気付かれてないみたいだ。今は出ちゃまずいよな。彼らが出て行くの待つしかないか》

メリナは諦めて身動きせずに二人が出るまで音を立たないでじっと待つことにした。それまでにこれ以上客が入らなければいいけど。

「しっかし、どこに消えたんだあいつら?」

「全くだ。一言も言わないでどっかに行くなんて、まさか怖じ気づいて逃げたのか?」

「そんな奴らじゃないはずだけどね。今回のは結構美味しい話だし」

「だよなぁ。ガキ一人さらえないでどうするってんだ」

何やら物騒な話らしい。メリナは聞き耳を立てた。

「いくら搾り取れるかな」

「石油王だぞ、ここの所有者。間違いなくたんまり金を持ってんだ。石油備蓄の事を知ってるって言ったら、しこたまもうけられるよ」

《この人達か、地下の部屋に侵入したのは?ジェシカを誘拐して身の代金を要求つもりなんだ。やばいよ〜。このリゾートが新たなスキャンダルに巻き込まれるよ〜。殺人犯が次にこの二人を狙ってくれたら一網打尽出来きそうけどね》

メリナはシダの間から覗いて、二人の顔を突き止めようとしたが、二人は岩の向こう側で浸かっていてちっとも見えなかった。

「でもいつまでもここに泊まってたんじゃ元手が無くなっちまう。早いとこガキをさらって戻りてぇ。俺達は向こうで待っているはずだった」

「大丈夫だ。ここの経費はしっかり返金してもらわうんだから。利子付きでね」

男達はくすくす笑った。

「もう少し待って、誰かから連絡が来なかったら俺達だけでもやる」

「しっ!誰かが来た」

露天風呂にもう一人男が風呂場に入った。

「お、こんなに朝早く先客がいたか?私も一緒で構わんかね?」

「ああ、どうぞ」

「やっぱ朝風呂はいいよね」

「そうだね」

《ちぇ。増えてやがる。これから人はどんどん入ってくるんだろうなぁ。いつになったらここから脱出出来るの?》

予想通り、それから人数は増える一方だった。露天風呂が遂に空きになって抜け出す隙があったのは昼ぐらいだった。最初に入った二人の男がいつ出たかすら分からなかった。メリナは他の皆を探しに職員用の食堂へ行って、三人とも座って昼食を取っているのを発見した。皆の所へ歩み寄って、最初にメリナに気付いたのは才機だった。

「あ、メリナ。どこにいてた?皆待ちくたびれたから先に食べちゃったよ。って言うか、もう殆ど終わった」

「食いっ逸れたくなきゃ早く何か頼んだ方がいいよ」と海はスプーンでカウンターの方へ指した。

「それどころじゃないいんだよ!さっきとんでもない事を聞いちゃった!」

「事件に関するか?」とリースが聞いた。

「いや、違うけど、同じぐらいビッグニュースだ」

リースと才機と海はお互い目と目を交わした。

人のいない場所に移動して、メリナは状況を説明した。

「どうする、お兄ちゃん?」

「まぁ、確かにビッグなニューズだね。だが俺達の仕事とは関係ない事だ···と、言ったら怒られるだろうな。どうすっかねぇ。才機、ジェシカは始終お前を付きまとってるだろう?」

「うん。まぁ、昨日ほどじゃないが」

「時間が出来たからもっと遊べるとか言って、彼女をそばに置いておいて。そうしたらあっちは迂闊に手を出せない。俺達は今まで通り殺人犯を追う。才機はジェシカの護衛に専念して。それでいい?」

「はーい」とメリナは立ち去った。

「どこに行く?」と海が聞いた。

「食堂。腹ぺこなんだ」

「俺はブランズワドに話してくる」とリースが言った。

「そうね。父親に教えた方がいい」と海が言った。

「ついでに保護金も要求しないとね」とリースがウインクし、親指と人差し指で輪を作ってお金のサインを見せた。

結局は静かで平凡な一日が終わりを迎えようとしていた。もう九時過ぎで、海はブランズワドの専用露天風呂に浸かっていた。専用と言ってもきちんと男女に別れていた。ブランズワドだけではなく、特別な客や要人の為にも作ったのだろう。海が露天風呂を独り占め出来たのは暫くの間だけ。引き戸が開いて、メリナが入ってきた。

「あら、海が入っていたんだ。あたしもご一緒してよろしいかしら?」

「どうぞ、ご自由に」

メリナは頭にタオルが巻いてあった。どうやら、海と二人きりでも耳は見せたくないらしい。あるいは用心しているだけかもしれない。彼女は風呂に入って海の隣に座った。

「いい湯加減だね。この時をずっと待ってた」

「そうだね。夜の空気も寒すぎず暑すぎない」

二人とも目が閉じていて、首から下が水面下に没している。さも気持ちよさそうに風呂を満喫している。

「ところでさ、びっくりしたよ、昨夜」とメリナが言った。

「何が?」

「だって、てっきり海が引いて才機の隣を何も言わずに譲ってくれると思った。最近あまり気にしてないように見えたけど、やっぱり好きなのか」

「そういうメリナはどうなの?ただ楽しんでいるようにしか見えないけど。才機をからかってるつもりなのか、私をからかってるつもりなのか分かんないよ」

「あら、あたしは真剣だよ?口説き方が海と違うなだけなんだ」

「口説いた覚えは特にないんだけど」

「ま、確かにあたしの記憶にもないね。このままだとますます遅れをとる事になっちゃうよ。後で後悔しても知らないから」

「遅れをとるって、別にメリナと勝負している訳じゃないんだ」

「そうか。そうよね」とメリナがちょっといらいらした口調で言って遂に目を開けた。

メリナは立ち上がり、両手を腰に当てて海の方に向いた。

「それって何?才機はもう自分のものだと確信してるのか?それともあたしみたいな変な女は勝ち目ないから眼中にないって事?」とメリナ少し目を細めた。

「別にそんな事言ってないだろう?」と海の目を開けてメリナを見上げる。

「言っておくけど、あたしは才機とうまく出来る自信がある。こっちから見ればあんた達の方が全然ダメだ」

「どういう意味、それ?」

「言った通りの意味。どう見ても二人は中学生同士みたいな関係だ。一年間以上一緒にいるのに何の進展もない。その点、あたし達はもうお互い裸見せ合ってる」

「え?!いつ才機が裸を見せた?!」

「まぁ、上半身だけだけど」とメリナは才機の背中に塗布材を塗った時を回想した。

海は怪しむ目でメリナを見た。

「あ、あんた達はどうなのよ?まだキスもしてないだろう」とメリナが言った。

「キスした事あるよ」と最初は自慢げに言ったが、海は直ぐに目を逸らした。

「うそ!絶対うそだよ!」と今度はメリナが驚く番で後ずさりまでした。

その様子はあんまりにも心底驚いていて海はなぜかちょっと癪に触った。

「ふん!本当だとしてもどうせ事故か演技か何かだろう。あんた達はぜっっったいにそういう関係じゃないんだ」

「だから、そういう関係じゃいないって言ってるだろう」

「まぁ、いいわ。あたしには他にも取り柄がある。た、と、え、ばー···あたしの方が大きいんだ」と最後の方はつっけんどんに言った。

「な、何がだ?」と海はしらばくれたが明らかに動揺していた。

メリナはただ誇らな笑みで胸を張った。

「言う?!言うの、それ?!だ、だからなんだ?そんな事で···才機はそんなに喜ばないよ」

「そうかしら?」

「大体、胸がちょっと大きいからって男に選ばれたい女って感心出来ないね。私だってない訳じゃないのに···」

海は最後の方を独り言みたい小さな声で言った。

「自分の気持ちを口に出す事すら出来ない女より断然いいと思うが?」

二人はお互いを睨み合った。

するとまた引き戸が開く音がした。今度は男用の風呂場だった。

「よーし、今日も溜まった疲れを吹っ飛ばさせてもらおう。なぁ、才機」

「ああ、そうだな」

リースと才機だった。この露天風呂は男と女の湯が共用されていて、たった一枚の高い柵で分かれている。除かれる心配はまずないが、音は筒抜け。海は話題を変えた。

「そ、それにしてもいつまでここにいるんだろう。犯人、早くぼろを出してくれないかな」

「なに話を逸らしてんだ?私の胸の方が大きいなのがそんなに悔しいの?」とメリナはわざとらしく大きいな声で言った。

「ちょ、ちょっと!聞こえちゃうじゃない!」と海が怒ったひそひそ声で言った。

「別にいいんじゃない?案外もう知ってたりして。裸見られたんだから」とメリナがさっきと変わらない声で言った。

「お、大きいって言ってもそんな大した差じゃない。気付かない、普通」と海は同じぐらい大きいな声を出した。

「あのな、二人とも。もっと静かに出来ないか?俺達はリラックスしに来たんだ」と向こうからリースの声が来た。

メリナは不本意そうに海の隣に戻った。

リースが求めていた静かな時間は束の間だった。男風呂の引き戸が開いてタオルに巻かれた小さな人間が現れた。

「ジェ、ジェシカ?!何でここに?!」と才機が聞いた。

「ジェシカも皆と風呂に入る」

メリナと海は顔を上げて男風呂の方へ見た。

「いや、ここは男用だよ?」と才機が言った。

「ん?いつもお父さんと一緒にここに入るよ?ダメなの?」

「ダメ!!」と、海とメリナが一斉にに叫んだ。

「お姉ちゃん達もいた。じゃあっち行っていい?」

「おいで、ジェシカ。背中を洗ってあげる」と海が言った。

ジェシカは元来た方向へ戻って女子達と混ぜてもらった。それからリースが求めていた静かなリラックスする時間は女達が仲良くそうにしている声だけに妨げられた。

「どうよ、才機?風呂に入ってるところ、いい女が乱入して一緒に入るのが有りがちな夢だけど、ちょっと想像してたのと違ったな?」

「今の聞かれたらまずいんじゃない?」

「大丈夫、大丈夫。彼女らは自分達ではしゃいでいてこっちの話を聞こうともしてない。そうだ。いい機会だから聞いておこうか」

リースは声を潜めて才機に尋ねた。

「どっちが本命だ?」

「え?本命って」

「とぼけるなよ。俺はあいつの兄だからって遠慮する事はないよ。二人の女がお前の事で張り合ってんだ。どっちがいいかぐらい考えたろう」

「勘違いだ。少なくとも海は俺の事で張り合ってなんかいない」

「あくまで白を切り通すつもりか?ま、それなら別にそれでいいんだけどよ。女に浮かれてなきゃ仕事に集中出来るからな」

「その辺なら抜かりはないからご心配には及ばず」

「心強いなぁ。じゃ、そろそろ出ようっか?」

「驚いた。もっとしつこく答えを聞き出されるかと思った」

「そりゃ、答えは既に分かってるから。多分。だがなぁ。これだけは言っておこう。いつぞやお前が言ったことは本当だ。俺は妹に対して過保護するタイプだろうな。あいつがお前に甘えるの見て正直複雑だ。本音を言うと割って入って思っ切り邪魔したい。でも初めてなんだ。十九歳になっては初めて男に興味を持った。あの子の今までの人生を考えればそれも仕方ないかもしれないけど、せっかく俺以外の人に打ち解けようとしているからやっぱ邪魔したら酷だよね?だから邪魔はしない。ただ、せっかく他人に心を開く気になった結果が傷付くことになったらそれも酷だろう?だから応援もしない。この三角関係はいつまで続くか分からんが、あまり長く続くのもなんだし、ここでお前の答えを面前で聞き出せたらのめり込む者がのめり込み過ぎる前に決着がつくと思ったが···おっと、プレッシャをかけるつもりはないぜ。お前は自分のペースで自分の好きなようにして。メリナに同情する必要なない。して欲しくない。でももし本当に俺の弟になるってんなら考えてやらんこともない」

リースは才機の肩を一回叩いた。

「さ、なんか冷たいものでも飲みにこうぜ。いい加減熱くなってきた」とリースが上がって脱衣場に入った。

「答えはとっくの前に出したよ。もう俺にどうしろって言うの?」と才機が低い声で言って同じく上がって脱衣場に入った。

「あ、男達が上がったみたい」と引き戸を聞いたメリナが言った。

それを聞いたジェシカは何かを思い出したのように急に風呂から上がって着替え始めた。

「あたし達も上がるか」とメリナが言った。

「そうだね」

二人が脱衣場に入ったら、ジェシカはもう半分着替えが終わっていた。急いでいるようだったが、メリナと海は自分のペースで着替えた。着替えが済んだらジェシカは濡れた髪のまま走って脱衣場を出た。やがて言葉一つ交わさずに、海とメリナも着替えを済ませ、メリナは自分の持ち物を持ち上げて言った。

「さっきはごめん。ちょっと言い過ぎた。海はあたしの事を変だなんて思っていないのは分かる。ただ···海があまりにも平然としていて、自信をなくしちゃう。許してくれる?」

「胸の事は謝らないんだ」と海は少し意地悪そうに言った。

「だって、あれ本当だもん」とメリナが少し申し訳なさそうに微笑した。

苦笑いを返して、海も私物をかき集めて二人で出て行った。すると、二人が見たのは長椅子に座っている才機と才機の膝の上に座っているジェシカ。才機はタオルでジェシカの頭を拭いていた。リースは隣の椅子で座り、冷や水を飲んでいた。

「髪くらいちゃんと乾かしてね。風邪引くぞ?」と才機が言った。

「誰かが乾かしてくれると気持ちいいの。たまにパパがやってくれる。次はくしでとかして」

「持ってるのか?」

「うん」とジェシカは隣の席に置いた籠からくしを出した。

「二人じゃなくて三人だったな」とリースが水をちびちび飲んで椅子で上体を後ろに逸らした。

「ねぇ、チョウサはうまくいってる?」とジェシカがまた才機に上がった。

「正直、あまり進んでないね。二つの事件の共通点がもっと分かれば次に狙われる人くらいは見当がつくが」と才機が答えた。

「キョウツウテン?」

「そう。二つの事件にともにある同じ事情とか」

「んーーー。それならジェシカ知ってるよ。事件があった日は怖い夢を見た」

「へー。予知能力か?どんな夢?」

「怖い人の夢。そして起きたらいつも変な所にいた」

「変な所?」とリースが聞いた。

「行った覚えがない所で起きた。廊下や露天風呂。ここの露天風呂じゃなくて、お客さんが使っている方」

「露天風呂か」

才機はタオルをかごに置き、くしでジェシカの髪をとかした。とかされている方はいかにもご満悦の態で足を前後に揺らしていた。メリナはこの才機の膝の上に座っている三人目のライバルの前に歩いてしゃがんだ。

《才機がロリコンじゃないって言ったのは信じてるけど、万が一の事もあるし、変な趣味に目覚めないようにしないと》

「ねぇ、ジェシカ、あたしと遊ばない?」

「ここがいいの」

「そうか。厨房で何かのおやつを作ろうと思ったけど、食べたくない?」

「おやつ?!んーー、やっぱいいや」

「ねぇ、ジェシカ、ジョージュが見当らないけど、どこにいる?」と海が聞いた。

「あ、ジョージュ!風呂に入るから部屋に置いてきた」

「一人で寂しいだろうね。向かいに行ってあげよう」

「うん、ジョージュをとってくる」とジェシカは才機の膝の上から飛び降りた。

「じゃ、ついでに厨房によってメリナにおやつを作ってもらおう。ジョージュはきっと喜ぶ」

「うん!」

三人の女達が男子を二人にして先に行った。

「縫いぐるみに負けたよ、才機」とリースが言った。

「別に負けてもいい勝負だった、これは」

リースは残っている水を飲み干して、グラスをテーブルに置いた。

「今、仮説を立てたんだけど、聞きたい?」

「仮説?何の?」

「この事件の。犯人はジェシカと言ったらどう思う?」

「ジェシカ?どういう了見だ、それ?」

「メリナの話によるとジェシカを狙っていたはずの人が数名いる。少なくても二人。その人達が行方不明になった。つまり殺されて処分された可能性がある。そしてジェシカは事件が起きた日、両日とも誰かに襲われる夢を見た。殺されたのはここの従業員。だったらブランズワドの秘密を知った可能性は高くなる」

「んー、ちょっと飛躍し過ぎやしないか?でも仮に行方不明になった人と事件で殺された人が同一人物だとしても、ジェシカが殺したとは限らないだろう。大体、正当防衛で相手を殺したとしたら、あんな妙な殺し方はにはならないと思う。っていうかあんな幼気な少女には無理だって。百歩譲ってそういうことだったとしても誰かに助けられたんじゃない?」

「そういう事だったらジェシカは覚えているはず。ジェシカを守った人だって名乗り出ればいい。ジェシカは露天風呂で起きたって言った。俺と話していた職員はどこで化物を見たって言ったか覚えてる?」

「露天風呂。···まさか、ジェシカが化物となって彼らを殺したって言いたいの?」

「俺達は今どんな時代に生きているのか忘れたか?俺は同じぐらいありえない事を何度もこの目で見てきたぜ」

才機は頭をかいた。

「じゃ、どうする?それをブランズワドに伝える?」

「あくまで仮説だよ。仮説は証明しないと」

「どうやって?」

「そりゃ、簡単だろう。ジェシカを襲う」

「やっぱり?」

「まぁ、ジェシカが誘拐されそうな場面を作るだけだよ。もしも何も起こらなかったらお前は飛んできて俺を追い返す。ちょろいもんだろう?」

「で、もしジェシカが本当に化物になってお前を殺そうとしたら?」

「お前は飛んできて俺を救う。どの道ヒーロー役だから不満はなかろう」

「嬉しいとも思わないないが、確かめるのに有効な策ではある」

「そんじゃ、仮面か何かを探してくる」


メリナは冷蔵庫から次々にデザートを出してテーブルに置いていた。

「アイスクリームもあるし、ケーキもあるし、フルーツもあし、この豪華そうな何だか分からない物もあるし···」

「あのー、何かを『作る』って言ったよね?」と海が言った。

「あたしの炊事スキルは中の下だ。海が何かを作ってくれるなら大いに期待して楽しみに待つけど?」

「私はまだ···野菜のスープしか作れない」

「どう?野菜のスープ食べる、ジェシカ?」

ジェシカは首を横に振った。

「じゃ、この中から選ぶんだね、どれがいい?」

「アイスクリームがいい」

「はい、アイスクリーム」とメリナはアイスクリームとスプーンをジェシカに渡した。

「でもいいのかな、勝手に冷蔵庫を漁って」と海が言った。

「いいのよ。これぐらいでブランズワドの懐は痛くも痒くもない。護衛の経費で落とせる。海は何がいい?」

「プディングはある?」

「プディング、プディング、あった」とメリナはチョコレートプディングが載せた皿とスプーンを海に渡した。

「あたしはー、そうね、ケーキにしよう」

ジェシカをはさんで三人とも美味しそうに甘い物にふける。

「あ、これ、プディングじゃなくてムースだ。久しぶりに食べた」と海が言った。

「アイスクリーム美味しい、ジェシカ?」とメリナが聞いた。

「うん。美味しい」

「ジェシカは今夜も私達と一緒に寝るの?私の寝袋を分けてあげるよ」と海が言った。

「ううん、パパは皆一日中働いているから夜くらい休ませてやれって言ってた。皆いいなぁ。ジェシカも皆みたいにお兄ちゃんと寝たい」

ジェシカはメリナの方へ顔を向けた。

「お姉ちゃんはお兄ちゃんの彼女?」

「え?いや、まぁ、彼女じゃないけど、お兄ちゃんと仲が良くて、一緒にいると楽しくて、よく彼の事を考えていて、でももし彼女になれたら才機を幸せに出来るんじゃなかいかなぁなんて思ったりして···」

「そっか、友達だ」

メリナはガンとなって左手にもたれていたあごが滑り落ち、危うくケーキの上に落ちた。

ジェシカは今度海の方を見た。

「じゃ、こっちのお姉さんは彼女?」

「違うよ!ただの友達」と海は手を顔の手前で左右に振った。

「なんだ、皆友達だ。だったらジェシカも一緒に寝てもいいでしょう?」

「んー、まぁ、こっちとしては別に構わないけど、お父さんはきっと何か考えがあって決めたんだ。やっぱ、ここはお父さんの言う通りにしていい子にすべきかな」とメリナが言った。

ジェシカはぶーって顔になったけど、アイスクリームをまた頬張ると機嫌を直した。皆が食べ終わった頃に才機が厨房に入ってきた。

「皆まだいたんだ」

「今終わったところよ。才機も何か食べたかった?」とメリナが聞いた。

「あ、いや、ちょっと二人と話があっただけだ。ジェシカ、先に行ってくれる?」

「何?内緒の話?ジェシカも聞きたい」

「ごめん。この話は二人のみにするように頼まれた。ジョージュを持ってきて。ここで待ってるから」

ジェシカはスツールから降りて、ジョージュを取りに行った。

「いいのか、一人で行かせて?一応狙われてるだろう?万が一襲われたらどうしよう?」と海が聞いた。

「襲われるよ。今から」

「?」


ジェシカは自分の部屋に向って走っていた。だが角から忽然と出てきた男を見てジェシカは早急に停止した。男は顔にスカーフみたいな物が巻かれて、目しか見えない。

「とうとう捕まえたぞ!こっち来るんだ!」とリースは声色を使って言った。

ジェシカは目を大きくして尻込みした。そしてぐるりと向きを変えて逆方向へ逃げた。しかし二歩も動く前に後ろから掴まれ、口もリースの手で塞がれた。

「高く売れそうだねお前」

ジェシカは抵抗しようとしたが大の男にかなうはずがなく、疲れたか諦めたか分からないがジェシカは腕を降ろしては大人しくなった。

《何も起こらない。俺の勘は違ったか。あれっ···》

リースの目が細くなって後ずさりした。急なめまいで一瞬だけ意識がもうろうろとしたが、頭を激しく横に振って何とか気力を取り戻した。

《おっとやっぱり少しのぼせちゃったかな。なんで温泉ってああも温度高いんだ》

ジェシカはまた暴れ出し始めたからリースがもっとしっかり押えた。そこで才機の声が聞こえてきた。

「誰だお前は?!ジェシカを放せ!」とダッシュで接近中の才機が言った。

《お芝居は終わりか?そんじゃ、俺はこの辺で退場させてもらう。悪いな、ジェシカ》

リースはジェシカを放して逃げて行った。

「ジェシカ、大丈夫か?」と才機はジェシカの前でしゃがんだ。

答えとしてジェシカはわんわん泣いて、才機に抱きついた。海とメリナは後ろから駆け付けてきた。

「よし、よし、怖かったか?もう大丈夫だ」と才機はジェシカの頭を撫でた。

「あんたが言うな」と海は小さな声で言って、拳骨を才機の頭の上に落とした。

「あっ、あいつを追い掛ける。海、ジェシカを頼んだ」と才機がしがみついているジェシカの手をどうにか引きはがし、海に預けてからリースの後を追った。

海に抱えられてジェシカは顔を海の胸に埋め、涙で海のシャツを濡らしていた。

《あの馬鹿どもが》

「むう大丈夫よ。あの人は才機が捕まえるから心配しないでね。そうだ。お父さんに内緒にするから今夜は私達と一緒に寝ようね」


リースは椅子に座り、顔を隠していた物を外した。

「どうやら俺は間違ったようだ。ジェシカには悪い事をしたな」とリースは歩いてきた才機に言った。

「間違いで安心したけどね。もしジェシカが犯人だったら色々と複雑になるから」

リースは頭を垂れて両手で顔を隠した。

「大丈夫か?」と才機が聞いた。

「うん。ただ、さっきちょっと変な気分だった。急に意識が消えそうな感じがした。何か、こう、眠気に逆らっているようだった」

「疲れてるのか?」

「そうかもしれない。或いは風呂が長過ぎたかな。ああ、それにしても以外と演技がうまいな、お前。真に迫っていた」

「そうか?」

「うん、あれじゃ女子達も本当に誘拐未遂だったと信じる」

「いや、話したから」

「え?!なんで?」

「まずかった?」

「まずかったっていうか、これじゃもう叱られるよ?俺もお前も。いっそ本当の出来事だって信じてくれた方が都合がよかった」

「そうか。そこまで考えてなかった」

「ばか正直だなぁ。ま、もう腹をくくるしかないよ。もうちょっと時間をつぶしてから戻ろう。何か飲み物でも買おう」とリースは才機の肩を叩いて先に行った。

二人が部屋に戻ってドアを開けた頃、海とメリナは向き合って寝ていた。そして二人の間にはジェシカもぐっすり寝ていた。

「説教は明日みたいだな」とリースは小さな声で言って同じく自分の寝袋の上に横になった。

女子達は海と才機の寝袋を使っていたので才機はメリナの寝袋を借りた。


   •••


「おはよう、ジェシカ。よく寝れた?」とメリナが側で起きたジェシカに言った。

「うん。ジョージュがいなくて寝るのは久しぶり」

「で、その後どうなった、才機?」と海が聞いた。

「ああ、逃げ足早かったけど誘拐犯を捕まえたんだ。昨夜、警察に突き出したし、もう心配しなくていいよ」と才機が言った。

「よかったね、ジェシカ?これで安心して遊べるね」とメリナが言った。

「しかし、ジョージュは随分ほったらかしにしたね。向かいに行ってあげたら?きっと寂しいよ」と海が言った。

ジェシカはその提案に同意して海の言う通りにした。

「立ち直ったみたいだね」とリースが言った。

拳骨がリースの頭の上に落とされた。

「立ち直らなきゃいけない状態にした張本人が言うか?」とメリナが言った。

「悪気はなかったよ。確かめるにはその方法が一番手っ取り早かった」

「あんな穿ち過ぎた仮説を確かめる為にあの小さな子を凄く怖い目に会わせたんだよ?泣き止むのにどんなに時間かかったと思う?」

「そりゃ、大変な役割を押し付けたのは分かるけど、結果しか知らないからそれが言える。俺と才機と一緒に同じ場で話し合ってたら納得したはずだ」

「誰があんな無謀な策に納得するものか?」

リースは才機に指差した。

「男って本当にデリカシーってもんが知らないのね」

「面目ないす」と才機が言った。

「じゃ、何?『ジェシカってひょっとして異能者?』って直接聞いた方がよかった?そんなの誰が認める?」とリースが言った。

「まぁまぁ、もう過ぎた事だし。とりあえずジェシカが犯人じゃなくてよかったという事で」と海が割り込んだ。

「ほら、お前も海みたいにちょっとは前向きに考えてみよう。許容範囲の広い女の子っていいよね。なぁ、才機?」とリースが最後の方は才機に同意を求めた。

「ん?あ、ああ、そうだね」

「わ、分かったわよ」とメリナが少しだけすねて寝袋に戻り、ばったりとあぐらをかいて座って、腕を組んで話題を仕事に変えた。

「で、振り出しに戻ったけど、何か策は?犯人の手掛かり一向に見つからないし。あの二人だけ殺してとっくにどっかへ行ってたらどうする?」

「それだけは言うな。もしそういう事だったらここまでの苦労が水の泡となる。ブランズワドに報告するまで後三日。頑張ろうぜ」とリースが言った。

「それだけは言うな。もしそういう事だったら次どこでまた犠牲が出るか分からない。俺達が捕まらなきゃ。···の間違いなんじゃ?」と才機が言った。

「止してくれ。正義のヒーローじゃありまいし」

「うわぁ。そこまでずばり言われるとなんかモチベーシオンが···」

「当たり前だ。生活費がかかってるんだ。お前達のもな。立ち退かされるの想像してみ。モチベーシオンが幾らでも湧いてくる」

「あまり幻滅しないでやってくれ。お兄ちゃんはああいうけど、本当に連続殺人を終わらせたいと思ってる。ただ、報酬のついでにって感じ」とメリナが言った。

「あるいはもしかして、実は人助けが大好きなお人好しで、目にお金が映るのはただの照れ隠しだったりして」と海が言った。

「お兄ちゃんが?んーー、どうかな。それが本当ならあたしもちょっとびっくりするかも」

「俺を突き動かすものについて議論する暇があるんならさっさと食べに行こう」とリースが先に部屋を出た。

「今、照れてた?」と海が聞いた。

「まさか」とメリナが言った。


朝ご飯を済ませていつもの日課が始まった。殺人事件の他にやっぱりジェシカが誘拐される心配もあるので、才機は軽く掃除しながらジェシカにべったりついていた。傍目から見ればジェシカの方が才機にべったりついていたように見えたでしょうけど。才機にくっついたらり、手を引っ張ってどこかへ誘導したり。お昼も一緒に食べた。

「どう?お昼美味しかった?」と才機がジェシカに聞いた。

「うん、ジェシカはパスタが大好き。ナッチパイも甘くて美味しかった」

「うん、俺も気に入った、あれ。ナッチは普通に好きだけど、パイにすると結構いける。そういや、ジェシカはナッチパイの一部をナプキンに包んでリュックに入れたけど、後

の楽しみに取っておいた?」

「ううん。パパにあげるの」

「へー。優しいね。きっと喜ぶよ」

そして二人はまた行動を共にした。このリゾートの職員よりもジェシカのお守り役だと

思われても仕方ない。しかしそんな才機でも客に呼び掛けられた。その男は大きな見晴らし窓に向ってローンチャアーで日光浴をしていた。

「すみません。もう一杯頼んでいいですか?」と男は空のグラスを才機の方に差し出した。

「え、あぁ、俺は」

「氷は多めにね」

「あぁ、はい···。何を飲まれていたのでしょうか?」

「ピニャコラーダ」

「分かりました。少々お待ちください。ジェシカ、ここで待ってて」

才機はカクテルラウンジに行って頼まれた飲み物の注文を入れた。飲み物は直ぐに出来て、才機はさっきの男の所に持って行った。

「お待たせしました。ピニャコラーダです」

「ああ、どうも、どうも」と男が立ち、飲み物を受け取ってから才機にコインを渡した。

男はグラスを唇に持って、才機は辺りを見回した。ジェシカが見当らない。

「あのぉ、女の子が一緒にいたんですけど、どこに行ったか知りませんか?」

「ああ、あの子ね。何かが彼女の目を引いたのかな。あっちの方に走って行ったよ」と男が去って行った。

《何を見たっていうんだ?》

直ぐに戻るだろうと思って才機は両手を腰に当ててまた辺りを見回した。すると少し離れた所に椅子に座っている老婆に話しかけられた。

「あなた、もしかして女の子を探していますか?」

「あぁ、はい。知ってますか」

「今朝から何回も見かけて、凄く中良さそうでしたから覚えていました。あっちの方に行きましたよ」

老婆が指した方向はさっきの男が指したのはと正反対でした。

「あっちですか?」

「ええ」

才機は何か胸騒ぎがして老婆が指した方にジェシカを探しに行った。そっちに進むと殆ど何もなかった。会議や宴会を開催する為の部屋が多くて、そんなものが行われていない今、誰もいない。···と思ったら遠くに「やだ!放して!」って女の子の声をわずかに聞こえた。声を聞いた方向に急ぐと今度は叫び声をはっきりと聞こえた。男の叫び声。その叫びの元となった部屋のドアを凄い勢いで開けて、才機は目の前の光景を見て肝を潰した。先ほど才機と話していた男が血の海の上でうつぶせになっていた。でも本当に才機を立ちすくむような状態にしたのはその男の後ろにあった。知らない男が人と同じぐらいの大きさの奇形なクマみたいな物の爪に胸部を刺されていた。男の口と胸から血がぽたぽた落ちていた。

《あれは···ジェシカ···なのか?》

その後脚に立っているクマみたいな物は腕を振って男を壁に投げつけた。そのはずみでクマが体を転回した時、才機がまたショックを受けた。そのクマっぽいものの背中にジェシカが張り付いていた。意識がなく、ただそこでリュックの肩ベルトみたいなものでだらりとぶら下がっていた。

《まさか···あれがジョージュ?》

言われてみれば確かにどことなく縫いぐるみっぽい姿をしている。但し、可愛いとか、そんば風には到底思わせてくれない。どっちかというと不気味でめちゃくちゃ怖い。いずれにせよ、どう見てもあの奇形なクマは今ご機嫌斜めだ。そして次は才機に狙いをつけた。才機が思わず後ずさりした。

《あれと戦うのか?ここに誰もいなくて助かった》

だが、クマは後ろを向いて、背中に張り付いているジェシカの手足がぶらぶらしているまま向こうのドアから逃亡した。緊張が少し解けて、才機はその場面を再確認した。

二人の男の体を調べた上で既に死んでいると判明した。

《ジェシカをさらおうとしていたのはこの連中か》

これで最初の二つの死体になぜあんな刺し傷が三つ綺麗に揃っていたか分かった。あのクアの手から三つのでかい三角形の「爪」が生えていた。いつものジョージュもそうだったが、強度が段違いのようだ。それを誰かの胸に突っ込めばああはなる。とりあえず、追い掛けた方がいいと判断して、才機はクマが逃げて行った方向へ急いだ。さっき、あのクマは一切音を出さなかった。まるで音を出す能力がなかったみたいだった。だとすれば、あれがどこかで隠れてじっとしていたら探し出すのが困難かもしれない。才機はクマが通った痕跡を探しながら慎重に歩いた。そういう痕跡は目に入らなかったが、奥の方へドアのない部屋を見つけた。念のため調べる事にした。その部屋には他にも三つのスイングドアがあって才機ほ一番近い方から開けてみた。覗いてみると物置みたいな所だ。ざっと目を通せば、クマがいないと分かった。次のドアを開けてみた。同じく何もなかった。だが、急に後ろから気配がした。才機は自分の肩が掴まれるのを感じると目を大きくして急速に百八十度転回した。目の前には引っ込んだ手を空中に上げているメリナだった。彼女も才機の反応と慌てた顔を見て驚いている。

「ど、どうしたのよ?声を掛けようと思ただけだけど」

「メリナかよ。なんでここにいる?」

「厨房のキッチンタオルが底を突きそうだから持ってくるように頼まれた。ここにあるはず」

「なんだよ、びっくりさせるなよ」

「大体なんでそんなにびびっている訳?」

「それが、殺人犯が見つかった。ここに来る途中で何か変な物見なかった?」

「変な物?」

「人間じゃないんだ。少なくても直接手を下しているのは人間じゃない」

「どういう意味?」

「実は」

何かが落ちた音が才機の話を遮った。廊下の向こうの部屋からだった。そこもドアがついていない。

「ここで待ってて」と才機はその部屋を調べに行った。

まだ説明を聞かせてもらっていないメリナは好奇心に駆り立てられて才機の注意を聞き流して後をつけた。この部屋はさっきのと違って窓がなく、仄暗くてよく見えない。だから才機は降り掛かってきた手を眼前に来る直前まで気付かなかった。その衝撃で才機の頭は壁に凹みを残すほど強くぶつかった。メリナは悲鳴をあげた。そして彼女は次の標的。クマはでかい手を振り上げた。しかし壁に凹みが出来た理由も、才機が無事な理由も、掛かってくる手を見たら瞬時に装甲した体になったからだ。メリナに飛び掛かってクマの攻撃を背中に受けた。

「痛っ!」とメリナは床に転んで才機の下敷きになった。

「ごめん。早く下がってて」

才機がどいたらメリナは座ったまま後ろへ退いた。

追い詰められた今度は二人を見逃す気はないようだ。攻撃が続いた。人ならざる強さではあったが、あのガロンと言う男の拳に比べたらまだまだ余裕だ。とは言え、才機も全力を出せない。あのクマの背中にジェシカが付いているという事を忘れていない。下手にぶっ飛ばしたり投げたりしたらジェシカが怪我をするかもしれない。何とかクマの手を才機のそれぞれの手で動きを封じた。

「一体なんなんだ、あれは?!」とメリナが遂に声を出せた。

「ジョージュ。だと思う」

それにしても妙な気分だった。こうして二人が猛烈に戦っている最中なのに、この獰猛な獣は何の音も出していない。才機は無理やりクマを床に押さえ付けて自分の腕を首の周りに巻いた。それでもクマは大人しくする事はなく、今まで通り暴れていた。少しは痛めつけるしかないと思い、才機が首をやや強く絞めた。効果無し。もしこの物が生きているなら殺すのは可哀相だからなるべくしたくなかったが、他に手はなさそう。今度は首を完全に折るつもりで腕に力を入れた。だが効果どころか手応えすらなかった。脊髄とういうものを持っていないみたいだ。

「こいつ、内蔵や骨格はないようだ。どう止めりゃいいんだ?!」

次の策を練る才機だったが、何も思い付かない。でも考えている間、クマがようやく落ち着いてきた。それだけじゃない。見る見る小さくなって行った。驚いて才機はクマを放して、ジョージュに戻るのを目の前で見た。

「ジェシカ?!なんでここに?」

「ジェシカはさっきのとくっついていただけだ」と才機はまだ失神しているジェシカを近くのソファーまで運んだ。

「あれ、本当にジョージュだったんだ」

ソファーに寝かせた間もなく、ジェシカは起き始めた。才機も元通りに戻った。ジェシカのぼやけた視界がはっきりにになったら、才機が見下ろしているのが見えた。

「あれっ。いつの間にか寝ちゃった。どこ、ここ?暗い」

「ここは···」と才機は自分の周りを見た。

「控え室みたいな物かな」

「お兄ちゃんがジェシカをここに連れた?」

「ええ。ちょうど寝心地のよさそうなソファーがあったから」

「いつ寝ちゃったんだろう?」

「俺があの男が頼んだ飲み物を取りに行った間だ」

「そっか。そんなに眠かったかな?あ、そこ、お姉ちゃんもいたの?」

「え、ええ、あたしよ。どう、今の気分は?」とメリナが聞いた。

「ん?平気」

「もしかして、また夢を見た?」と才機が聞いた。

「夢?···あ、うん、見た!」

「どんなやつ?」

「また怖い人の夢だった」

「昨夜の事のせいで変な夢を見たんだろうね」

「あの飲み物を欲しがってたおじさんは子供に飴を配っていた所を教えたからそこに行って、行ったら誰かに捕まえられた。そうしたらあのおじさんがまた現れて『やっとあの子守りから引き離した』と言って、それから、それから···よく覚えてない」

「ふうん。なるほど。ね、ちょっとリースと話があるからそろそろここを出よう」

「あのお兄さんと?」

「うん。どこかにいるはずだから早く探すに行こう。手伝ってくれる?」

三人は部屋を出て他の客がいる当たりに向った。途中で才機の目は今し方二人の男が殺された部屋に行った。あれも誰かに見つからない内に片付けなきゃいけない。才機とメリナは歩き続けたが、ジェシカは足を止めた。

「あ、この部屋だった···かな」とジェシカはドアの取っ手を回してドアを開けた。

「寄り道しない。言っただろう。急がなきゃ。」とジェシカが覗き込む前に才機がドアを閉めてジェシカの背中を軽く押して進ませた。

「あの、さっきはありがとう。助かった」とメリナがジェシカが聞こえないように小さな声で言った。

「気にすんな。怪我はなかった?俺の体がああなるとちょっと堅いから」

「打撲程度だろう。あの化物の一撃を食らうよりずっとましだ」

「ならよかった。早くリ−スを見つけよう」

リースは二階で他の職員と一緒に窓の掃除をしていた。

「あ、いた。ジェシカはここで待っててくれる?」と才機がジェシカを持ち上げて近くにあった椅子に座らせた。

ジェシカはうなずいた。

「あ、サイキシか。それにイライザだ。どうした?」と二人が近付くのに気付いたリースが言った。

「いい知らせと悪い知らせがあるんだけど、どっちから聞く?」

「悪い方からかな」

「また人が殺された。しかも二人」

「え?!いつ?!」

メリナにも初耳だったので他の職員と同じく驚いた顔になった。

「たった今。遺体がまだ一階の宴会場にあるから、早く片付けた方がいいかと」

「分かった。バンズワドに知らせて」とリースは隣の職員に言った。

彼は走ってバンズワドの所に言った。

「いい知らせ今の話を上回るほどのものじゃないだろうね」

「どうかな。事件が解決されたと言ったら?」

リースの眉毛が上がって、才機の視線は後ろで無邪気にジョージュと遊んでいたジェシカに行った。


「うそ!ジェシカが?」と海は自分の耳を疑った。

才機、リース、海、メリナは自分達の部屋に集まっていた。今、海は全部リースから説明を受けていた。

「信じられないだろう?」とメリナが言った。

「あんな小さくてあどけない子がそんな事が出来るとは···確かに信じ難い」と海が言った。

「いや、そうじゃなくて、あたしが何より信じられないのは必死だったお兄ちゃんの考えが正しかったって事だ」

「なに人が藁にもすがっていた見たいな言い方してんだ?俺はだな、色んな事を考慮した上でその結論に達した」

「どうだか」

「お前は単に自分が間違ったって認めたくないだけだろう」

「ジェシカはそれを知っててどうだった?」と海が聞いた。

「ジェシカには言ってない。本人も気を失った間の事は一切覚えていない」と才機が言った。

「そうね。知らない方がいいかも。無意識にとは言え自分の能力が人を殺しているもんね。六歳の女の子には重過ぎる」

「それは断言出来ないよ。あの子の力はどんな風に働いていたのか俺達は分からない。クマを自由自在に操って、その時の事を目を覚ますと覚えていないだけかもしれない」とリースが言った。

「例えそうだとしたら、きっと自分の身を守っていただけで、殺す気はなかったと思う」

リースは肩をすくめた。

「でもこれで仕事が終わったんだよね?バンズワドに自分の娘が犯人だって言えばいいの?」とメリナが聞いた。

「それだけじゃなくて、異能者だって事も教えないといけない。彼はこれをどう受け止めるかは問題だ。最悪の場合、断じて否定して報酬を払ってくれないかも」とリースが少し不安な表情を見せた。

その時、ドアをノックする音がした。

「開いてるよ」とリースが言った。

ドアが開くと、そこにこのリゾートまで案内してくれた人がいた。

「バンズワド様がお呼びです。オフィスまでいらっしてください」

全員バンズワドが待っていたオフィスに集まった。

「直ちに来てくれてありがとう。皆さんが知っての通り殺人犯がまた動き出しました。しかも今回は犠牲者が二人。警察沙汰にはなって欲しくなかったが、そろそろやむを得ん。営業停止になるでしょうね。もし···あなた方はまだ何も突き止めていなければ、ですけど?」

「それについてなんですが、実はこの件の真相が先ほど分かりました。先ほどの犠牲者はこれで最後かと」とリースが言った。

「おお!本当ですか?では、もしや犯人は既にあなた方が捕らえましたか?」

「えーと···それが、泳がせてはいますが、犯人ならいつでも直ぐに拘禁出来るし、もうこれ以上誰かを殺す事はないと思います」

「どういう事かね?」

「落ち着いて聞いて欲しいです。信じたくない気持ちは分かるが、この事件の犯人はジェシカ、あなたの娘です」

バンズワドはきょとんとした。

「これは何かの冗談ですか?六歳の小娘にあんな事が出来る訳がない。親としてではなくて、客観的に言ってますよ」

「普通の六歳の娘ならそうかもしれない。でもあなたの娘は異能者です」

バンザワドはもくもくとリースを見ていた。

「娘が犯人と言われた時のように驚かないんですね。もしかしてご存知でしたか?」

最初、バンズワドは答える気じゃなさそうだったが、やがって椅子で上体を後に逸らして口を開けた。

「どうしてそれが分かった?あの子があなた達の前で何かをやらかした?」

「俺の前です」と才機が答えた。

「そうですか。確かに娘が異能者です。それは認めます。だが、四人も殺したというのはまだ納得出来ない。あの子の能力は殺害に使えるようなものではありません」

「娘の能力について分かっている事を教えて頂けますか?」とリースが聞いた。

「あれはそもそも本人が自分の意志で使えません。動揺したり、緊張したりする時に逃亡本能みたいに働きます。意識が体から離脱して別の物に宿ります。手短かな物にね。有機体でさえあれば何にでも憑依出来ちゃうみたいです。例えそれが知覚を持たないものだとしてもだ。いや、むしろ知覚があると駄目です。意識を既に宿している人間なら侵入してくる彼女の意識を拒絶して排除するみたいです。私は何回そうやって入ってくるジェシカの思いを一時感じた事があります。物に取り付いた場合、なんか活性化してその物が動いたり形を替えたりする事もあります。ある時、娘が鉢に植え付けたひまわりを私に見せようとして持ってきました。私は仕事で忙しくて、しつこく見せようとした娘につい怒鳴っちゃってね。泣き出してあのソファで静かになったと思ったら膝の上のひまわりがだんだんしぼんでいくのに気付いた。最終的にはタンポポと大差なかった。触ってみるとその葉っぱは泣き付くように私の指に絡んできた。娘がいつも大事にしている気に入りの縫いぐるみもありますが、それにも憑依したことがあります。目覚めたら本人は一切覚えていませんけど。娘にはこれの事を話していませんから何も知りません。控えめに言っても奇妙ではあるが、人殺しには向いていない能力だ」

「なるほど。でももし彼女の動揺に応じて、その能力がより強く発揮されるとしたら?」

「と、言いますと?」

「まぁ、実際見たのは才機だから、才機、お前が説明してやれ」

「俺が見たのは多分その気に入りの縫いぐるみ。クマのリュックだろう?」

「ええ」

「でも本来の姿を殆ど保っていなかった。五倍ぐらいでかくなっていて、一人の大人の人間と同等の大きさ。可愛い顔は消えていて、代わりに悪夢で見そうな鬼の形相をしていた。そして二センチにも満たない爪が男の胸を貫けるほど大きくなっていた。それを容易に出来るほどの腕力も備わっていた。そんな物が目の前でジェシカの縫いぐるみの姿に戻った」

「そう···なんですか。あの子の力がそんな事まで出来たとは」

「前に言いましたね?あなたの石油備蓄の存在を知り、娘を狙って身の代金を要求しようとしている者がいますと」とリースが言った。

「ええ」

「その者達が今日ジェシカを襲って、今才機が話した物によって殺された。前の犠牲者もその仲間だと考えていいでしょう。ま、詭弁をちょっと弄して、殺したのはジェシカではなく、そのクマだって事にしても構いませんがね」

「大変優秀な刑事ですね。石油備蓄の事といい、娘の事といい、私の秘密を二つも暴いてくれました。残る問題は後一つだけ。これらの事を黙ってもらいたいんですが、どう?口止め料をはずめば済む事ですかね?」

「もとより喋るつもりはありませんでしたので、それは無用です。俺達の事を困っている人に薦めてくれればそれでいいんです」

メリナはすんでのところで「ええ?!」と声に出すところだった。

「まぁ、口止め料を受けた方が気持ち的に安心出来ると仰るなら断りませんが」とリースが言い足した。

「ほ〜。まことに殊勝な男ですね。よかろう、私の口からは好評を期待出来ます」

「じゃー、少なくとも後一夜だけここに止めてもいい?」とメリナが頼んでみた。

「なに、それだけ?安い、安い。一夜でも一週間でもいるといい」

「では、お言葉に甘えて。一夜だけでいいんですけど」と最後の方はリースが妹に向けて言った。

「今夜にでもまたここに来てくれ。それまでに報酬を用意しますから」

「分かりました。して、娘の方は放っておいていいんですね?」

「流石に六歳の娘が無意識にやった事の為に警察に突き出す気にはなりません。誘拐しようとした連中には気の毒ですが、結局は自業自得。但し、そろそろ娘に話した方がいいかもしれません。自分の感情をちゃんと管理するように教えないとね」

「では、私達はこの辺でで」とリースが言った。

「ああ、ご苦労様でした」

「お疲れ、皆」とブランズワドのオフフィスを出たらリースが言った。

「お兄ちゃんどうしたの?なんで口止め料をもらわなかった?今朝言われたことをそんなに気にしてたの?」

「な訳ないだろう?ああいう人に宣伝してもらえると後々いい仕事が入るかもしれないからな。それに事態は事態だ。賭けだけどこれほどの秘密を知ったんだから口止め料はどの道払われると思うよ」

「でもこれでやっと終わったのね」と海が言った。

「ああ。明日の朝はドリックに戻るから今夜は出来るだけリフレッシュしとおいて」

「はい、はいー。今から思う存分にリフレッシュさせてもらいまーす」とメリナは手を上げて走って行った。

「どこ行くんだろう?」と才機が聞いた。

「おそらく温泉だな。あいつああ言うの結構好きなんだ。しかも今は専用の風呂を使えるから頭にそんなに警戒しなくていい」

「海も入ったらどうだ?次の機会がいつ来るか分からないから」

「そうね。才機はどうする?」

「部屋で横に寝てりゃ十分リフレッシュ出来る。このリソートで見られる物はもう既に見たしね」

「俺は···そうね。カクテル=ラウンジで色々試飲とするかな。では、解散」とリースがさっそくバーに向った。

「本当に今日の残りの時間は部屋で寝腐るつもり?」と海が聞いた。

「駄目か?」

「駄目だよ。せっかくこんな所に来てそんなのもったいない。風呂から上がったら向いにくるからどっかに行くよ。何があるか分からないけど、娯楽室みたいなのが二階にあった」

「そうか?まぁ、それもいいかも。部屋で待ってる。風呂でゆっくりしてていいよ」


海が着替えて風呂場に入ったらメリナは既に水に浸かっていた。

「やっぱり専用の風呂はいいよね」と海が言った。

「まさにその通りだ。こんなにリラックス出来たのは久しぶり。いや、もしかして初めてだ」

「私も久しぶりだ。最近はこんな事をしているどころじゃないって感じだったし。しかしお湯に浸かって思いっきり手足を伸ばすのはやっぱりたまにはやらないとね」

「しかも二日連続。もういっそここに住みたい。あの二人は?」

「リースは飲みに行った。才機は部屋で休んでいる」

「お兄ちゃんが飲みに?後で担いで部屋まで運んでいかなければいいんだけど。見た目ほど酒に強くないんだ」

暫くしたら海はメリナの肩にあるあざに気付いた。

「あれっ、昨日はそんなあざあったっけ?」

「あぁ、これ?」

メリナはその肩をさすった。

「これは今日出来た。あの縫いぐるみに襲われた時、才機は体を張って庇ってくれた。ただ、その時才機はあの能力を使っていた。ああいう才機の体は堅いからね」

「そんな事があったんだ。もっと丁寧に人を助けるように言わないとね」

「いいえ、この程度で済んだのは幸福だったよ。でも、才機ならあんな力がなくても同じ事をしたような気がする」

「そうだろうね」と才機が自分を暴走したトラックやアイシスの攻撃から守った時が海の頭に浮かんだ。

「あのね、こんなリゾートに来てよかったと思う理由がもう一つ出来た」

「何?」

「ここの雰囲気。ここって好きな人に告白するのに丁度いい場所と思わない?」

さっきから目を閉じていてひたすらに風呂を満喫していた海の目が瞬時にあけた。でも動揺の源である隣のメリナとその目を合わせなかった。

「な、なんで?誰かに告白するつもり?」

「ここまで来てとぼけても滑稽だけだよ。誰の事だか十分分かてる」

「だって···大体、本当に才機が好きなのか?会ってからそんなに長くないし」

「好きだよ。海もそうだろう?」

「それは···関係ない、今は」

「じゃ、別にいいよね?あたしが告白しても」

「で、でも才機の気持ちはどうなんだ?い、一方的に告白するのはちょっと勝手なんじゃない···かな?」と海はどもりながら言った。

「あんた、何言ってんの?その気持ちを確かめる為に告白するんだろうが。告白というのは一方的なものなの。大丈夫?」

「私が言いたいのは速まらないでって事」

「ここまで反対されては才機の事が好きなのは明らかだ。いい加減認めたら?」

「だから、それは今関係ないだろう?」

「じゃ何?才機はあんたの事が好き?そう言いたい訳?」

「それは···分からない。でも前に告白してくれた事がある。その時···私が断ったけど」

「ふ〜ん。なるほどね。でもそれは昔の話だろう?人の気持ちは変わるものだ。あ、でも海だからそんな事言わなくても分かるよね」とメリナは意味ありげにほのめかした。

海が気にしていた事がずばり言われた。

「今の話のお陰で少し自信が出て来た。もしかして二人は暗黙の了解で互いに約束してあると思ったが、そうでもないみたい。素直になれないあんたより、あたしといる方がきっと才機が幸せだ」

「私達はどんな困難を一緒に直面してきたかも知らないのに勝手に決めないで」

「あら、自分の事は関係ないと言わなかった?好きなくせに」

「それが分かってるならどうしてあんたが才機に告白するんだ?!」と海は遂にメリナの方へ向いた。

「恋愛に卑怯もへったくれもないでしょう。海が告白すれば?あんたには才機の気持ちを確かめる機会なんていくらでもあったはず。聞かなかったのはあんたが悪い」

「一度振ったんだよ?!もう振ったからそんな簡単に言えないのよ!一体どの顔下げて告白しろって言うんだ?!どっちみち···才機の気持ちは聞けないんだ。聞きたいけど出来ない」

「だから才機が教えるのを待つ訳?一度振られた才機だって海のことがまだ好きだとしても本気を出せないじゃん!そんな迷惑を掛けるような人じゃないのはあたしだって知ってる!聞くのが怖いからって才機に任せるのは可哀想だろう!···あたしだって怖いさ。でも勇気を出さなきゃ何も始まらないじゃない。しかもあたしにはこんな変な物が付いてるよ?」とメリナは両手を頭に参ったタオルを当てた。

「しかしこれでも彼は可愛いって言ってくれた。だから···才機には他の選択肢もあるって伝えるの」

「違うんだ。怖い訳じゃない。いや、少し怖い···けど、聞かないのはそれだからじゃない。今は聞けない。聞いちゃいけないんだ」

「何それ?」

「言えない」

「ならこっちが遠慮する必要はないね」とメリナは立ち上がった。

「決めた。今から自分の気持ちを伝えに行く」

メリナは風呂から上がって脱衣場に入った。そこで着替え始めて三十秒も経たないうちに、戸が荒々しく開けられ、そこに海が立っていた。

「待って!どうしても行くんなら先に見て欲しいものがある。それを見てからまだ行くって言うんなら止めない」

二人は無言で着替え、海がメリナを案内した時も一言も交わさなかった。やがて着いた所は洗濯室だった。

「ここ?」とメリナが尋ねた。

海は洗濯室に入って、メリナはその後に続いた。

「ここ」と海は奥にある物置のドアを開けた。

「ここに何がある?洗濯用の道具ぐらいしか」

バタン。

メリナの後ろからドアが閉まる音がした。

「あんた···まさか」とメリナはドアを開けようとしたけど、鍵がかかっていた。

「ごめん。でもメリナが言ったでしょう?恋愛に卑怯もへったくれもないって。メリナの助言に従って告白してみる」

「ちょっと、そんな事言ったかもしれないけど、こんなの···こんなの···卑怯だ!」

「じゃ、直ぐ戻るから」

「え?あんたこんな大胆なことをする人だったっけ?信じられない。先に告白するって言ったのはあたしだ!」

「ここは譲って!お願い!お願いだから!」

「今更なら言ってんの?!開けて!ここ開けて!」とメリナがドアをバンバン叩いた。

返事がない。海はもう行ったようだ。

海は才機が待っている皆の部屋へ向った。本人は言った通り寝ていた。

《私の心臓が張り裂けそうなのに、こいつはこんなに呑気に》

「寝てないから、こっそりしなくていいよ」

「そう···だったんだ」

「いい風呂だった?」

「うん」

「じゃ、あの娯楽室とやらに行ってみるか」と才機は起き直った。

「あ、うん。えーっと。その前に···ちょっと···話があるんだけど」

「ん?どうした?」


《まずい。これは先に告白した方が有利な状況だったのか》

メリナは自分の周りを見回した。凄く細いけど窓があった。ぎりぎりで抜けそうだ。但し今のままでは手が届かない。メリナは大きな桶を探し出し、窓の手前に逆さまに何個か積み重ねた。それに昇って窓の掛け金に手を伸ばしたが指先で触れるのが関の山。一旦下りてもう一層の桶を積み上げたら、窓を開けるのに成功した。自分を持ち上げて窓によじ登った。途中ではまったかと思ったが、何とかくぐり抜けて海に出し抜かれないように才機のところに急いだ。


「本当は、まだ聞いちゃいけないような気がする。私達の世界に帰って元の生活に戻ったら···そうしたら言ってもいいと思った。けど、事情があって待てなくなった」

「ん?何の話?」

「これだけを信じて欲しい。私達が今この状況になっているから聞く訳じゃない。切っ掛けになったかもしれないけど、私の本心だ」

「だから何なんだ?言ってみ」

「だから···吊り橋効果とかそういうのじゃなくて、まぁ、この場合は吊り橋じゃなくて異世界効果というのかな。でもそういうのじゃない···はずだ」

「?」と才機が首を傾げた。

海は目を閉じて深く息を吸って、そして吐いた。

「もし、才機がまだその気なら···私と···付き合ってみない?」

才機はぽかんとした表情で海を見た。

「ほら、あんたが前に言ったじゃん?誰かを好きになるのに一番大切なのは思いでだって。ここに来てから才機と大事な思い出を沢山作ってきた。心細いからとか、私達の世界に戻るのを諦めたとかそういうんじゃないから。二人でここに来た事が切っ掛けだったかもしれないけど、その理由だけで今の質問をした訳じゃない」

才機は海に言われた事を噛み締めていたようだった。

「俺は」

「ちょっと待ったーー!」とメリナぱっとドアを開けて部屋に飛び込んだ。

「よくやってくれたわね。だがこれ以上の抜け駆けは許さないよ。才機、あたしからも言わせてもらう。才機の事が好きだ。あんたみたいな人に出会うのずっと待っていた。付き合ってください」

メリナと海はじっと才機を見ていた。まだ寝袋の上に座っている才機は交互に二人の視線を何度も返した。

「俺に···決めろって言うのか?」

「こうなったらそうするしかない。才機が好きな方を選んで」と海が言った。

「···参ったなぁ。一度も告白された事ないのに遂にこの日が来て同時に二人に告白されるとは、神様もいたずらが好きなんだな」

「自分の気持ちを正直に言って。あたしも海もそれでいいはずだ」

才機は小さくため息をした。

「どっちかを選べって言うんなら···」と才機は海を見て、それからメリナを見た。

メリナは歯をくいしばった。

才機は腕を組んで視線を自分の脚にやった。

「どっちも選べない。俺は二人にも愛着を感じていて、恐らく、どっちとでも幸せになれる。だから、俺にはどっちかを否定する事が出来ない」

「って事は···この先でもあたし達二人は才機が好きでいる限り、どっちも選ばないって事?」

「そうなるかな」

「なんか、嫌だよ、それ。それじゃ皆ずっともやもやしていて心の整理が出来ない。いっそう誰かを選んで、二人だけでも幸せになって欲しい」と海が言った。

「あたしは海と同意見だ。その方が諦めがつく」

才機はまた海からメリナへ視線を向けた。メリナは唇を噛んだ。

「二人は本当にそれでいいの?」

二人が頷いた。

才機は目を閉じて何やら考えているようだった。その目が開けたら海が映っていて、口を開くと同時に目はメリナに行った。

「そう言われても···そもそも選びようがないんじゃやっぱ仕方がないよ」

部屋中が静かになった。

「選べないんだったら選択しを減らせばいいよね?」とメリナが提案した。

海は何のつもりだと言わんばかりの顔になった。

「一人が手を引けば残った方がより才機の事が好きって事になるだろう?」とメリナが続けた。

「それって誰なのかどう決めればいい?私は手を引くつもりないんだけど」

「簡単さ···あたしが降りる」

「え?」と海は自分の耳を疑った。

「二人を見るのがじれったくてたまらいでさ。だからいつも才機をからかっていた。すると、ほら。それが功を奏してこうやって海がやっと積極的になって告白する覚悟まで決めてくれた。まぁ、告白した時点であたしの仕事は終わったけど、最後にもう一回だけちょっかいを出してみたかったよね。やっぱ、ちょっと意地悪なところあるんだよ、あたし」

「本当に···そうなのか?」と才機が聞いた。

「やだ、も〜。真に受けないでよ。そんなに気を悪くするなって。彼氏にしたいとは思ってないかもしれないけど、才機は愛嬌のある人と思うよ。大事なのは海が才機の事をそれ以上思っていること。絶対に期待に応えなさいよ」とメリナは才機の肩を軽く叩いて部屋を出た。

メリナは廊下を歩き始めて角で曲がろうとしたら、リースが腕を組んで背中を壁にもたれていた。ちょっとびっくりして足が急に止まった。部屋から出て十歩たらず歩き、ここにリースがいるって事はさっき部屋で行われた事を知っている。

「なんだ、飲みに行ったじゃなかった?」

「限界に達した」

「で、いつから聞いてた?」

「状況を全て理解出来るくらい前から」

「ま、二人をからかうのは面白かったど、もうこれで終わりか。もう少し楽しみたかったなぁ。新しいおもちゃを見つけなきゃ」

リースは左手で妹の横顔を自分の胸に押し当てた。

「···」

メリナは反応するのに困っているようだ。

「よく頑張ったな。あのままじゃ才機のやつが損するだけだ。ちゃんと分かってたみたいだな。彼が本当に好きなのは誰だか。辛かっただろうけど、あれで正解だったよ。それにしてもあんな風に譲るとは、結構優しいんだな、お前も」

メリナは頭を回して顔をリースの胸に隠した。そしてリースは胸に少し濡れた感触がした。

「お兄ちゃんはあたし達の三角関係にあまり関知してなかったみたいけど、笑っちゃうよね、この結果。ちょっとは期待してたよ?あたしの完敗だ。この真っ直ぐ過ぎる性格じゃ当然だ。でも仕方ないじゃん。あたしを受け入れる人はそうそう見つからない。ああいう幸せを手に入れるなんて夢見ちゃいけないよな」

「やっぱ才機が言った通りだよ。俺は過保護な兄だ。ずっと黙ったのは才機の本音が分かってたから。本当はお前をそう簡単には預けねぇよ。才機はいい奴が、お前に相応しいほどの器だって決めてない。しゃくだけど、お前の恋愛はいずれ来る。それまで一番妨げになるのはお前の性格でも、ましてこの耳でもない。俺だ」

メリナは鼻をすすった。

「お兄ちゃんのせいでいい男に逃げられたら絶対承知しないからね」

「可愛い妹に悪い虫が付かないように出来ればそれもやもえん」

「お母さんかよ」

「番犬だ」


「私にこんなベタな台詞を言わせるんだけど、私じゃ、いや?」と海が才機の前に正座した。

「え?まさか!」

「あの日から才機の気持ちが変わっているかもしれない。心がメリナに傾いていても可笑しくはないし。認めたくないが女の私から見ても凄く可愛い。私を選んでくれるならもちろん嬉しい。でも無理に私を選んで欲しくない。そうしないといけない義理を感じているんだったらその考えを捨てて。メリナが気になるなら応援するから。本当に」

「確かにメリナに対して全く何も感じていないと言ったらそれは嘘になる。でもメリナが入る前に俺が言おうとしたのは、俺の気持ちはあの時から変わっていない。それが真実だ」

「じゃ、私でいいと信じていいよね?」

「はい、完全に」

「なら、私の事だけを見るようにすればいいんだね」

「海だったら簡単に出来るだろう。ただ、一つだけ質問がある」

「何?」

「正式に付き合っているという事になったんだけど、それで何かが変わるの?もう同性してるし、俺的にはとっくに付き合ってるみたいなもんだと思う」

「確かにそうよね。じゃぁぁ···記念として···キスする···とか?」

「そっか。付き合ってる人はそういうのやるんだったな」と才機は何か新しい発見でもしたかのような顔になった。

才機は腕を組んで下を向いた。何かを考えているようだ。やがて顔を上げて海を見た。

「いきなりだが、俺の変なところ···聞く?」

「え?何?」

「俺にはそういうのあまり期待出来ないかも」

首を傾げる海。

「俺はね、キスの魅力が今一分からないんだよな〜」と才機が上体を後ろに逸らしてありていに言った。

「は?」

「いや、聞いてくれ。シンプりに考えればキスってのは相手と唇をこすり合うものだ」

「そうね···キスだから」

「愛情の表れとして理解出来るよ?でも海の唇ってせいぜい五センチぐらいでしょう?」

「そんなもんでしょうね」

「じゃ、ちょっと立ってみて」と才機が立ち上がった。

海も要望通り立つと才機は海を思い切りが優しく抱き締め、横顔を海の横顔に押し当てた。海は一瞬びっくりしたが、それを上回る安心感と心に灯る暖かさで体が完全に緩み切った。

「こっちの方が接触する表面積が圧倒的に多くていいと思うんだよな。唇だけなんて物足りない」

「まぁ、悪くないね、これ」と顔をほころんだ海も両手で才機を抱き返して頭を才機の肩の上に載せた。

「やばっ。想像していたよりいい。何か他のバリエーションも試したくなってきた」

才機は海を放し、手を引いて壁の方に連れて行った。そこで壁を背にして座り、伸ばした脚を少し広げてから両腕を海に伸ばした。海は才機の意を汲み、背を向けてその脚の間に座った。才機は海の体に腕を回し、海も鎖骨に添えているその腕に両手を掛ける。

「おお、すげぇ。海まじ抱き心地いい。ずっとこれやってみたかった」

「これからもたまにやろうね」

そのて体勢で約二十秒が経ったところで、

「よし、取りあえずこれぐらいでいいかな。続きは戻ってから出来るからそろそろ行くか?」と才機が突然言い出した。

「行く?どこ?」

「あの娯楽室を見に行くんだろう?」

「あ、そうか。完全に忘れてた」

「では、初デートという事で。言ってみよう」

「初デートはもっと緊張するものじゃなかった?」

「海は緊張してるの?」

「別に」

「俺もだ。楽しくやれそうね」


その娯楽室は他の客も利用していたので二人きりのデートというわけにはいかなかったが、二人はそこにあったゲームのやり方が分からなかったので、やっている他の人を見て遊び方を大体理解出来たから助かった。ミニーシーソーとハンマーみたいなものを使って投石機みたいに小さな木円盤を飛ばして相手側のネットに入れるのが目的だ。それぞれの相手は五つのネットを有していて、入り難いほど特典が多いようです。ラウンドの始まりにボタンを押すとその木円盤は二、三十枚ほど台の下の層に落とされ、どこにあるかは見えないが、台の側面についている複数のある程度引き刺し角度も変える器具を駆使して円盤を探り、出来るだけ多くを自分のトレーの方へ弾く。そうしたら両プレイヤーは自分が確保出来た円盤を交代で相手のネットに入れようとする。ハンマーに入れる力が少な過ぎると相手のネットまで届かず、かといって力を入れ過ぎると円盤は突き出ているネットを飛び越えて後ろのボードに当たって無様に台の上へと落下する。しかもボードに当たると相手に自分の持っている円盤を一個渡してしまうらしい。台の上が賽銭箱みたいになっているので外した円盤は全て台の中層に落ちる。これが中々楽しくて一時間以上は続いた。チェスか何か見たいなボードゲームもあったが、流石に見ていてもルールがよく分からなかった。駒が三角形で、盤の上での向きに意味があるようだ。しかも何だか自分の駒を重ねることも出来て高ければ高いほど駒が強くなる感じだった。だがそれで才機は駒がしっかりくっつけるように出来ているのに気付き、色違いの自分の駒と相手の駒をくっつけてそれで二人がオセロを打った。それが不思議そうに彼らを見てどんなゲームか聞いてきた二人の中年男子にオセロを教える展開にもなった。少し暗くなってきた頃に二人が最後にもう一度風呂に入ると決めた。

今度は二人で露天風呂を独占出来て、柵一枚に隔てられて静かにお湯に浸かった。昨日より妙に恥ずかしくて殆ど言葉を交わさなかった。その内海はそろそろ部屋に戻ろうかと尋ね、二人共上がって着替えに行った。先に着替えを終えた才機は脱衣場の前で海を待ち、梅が出ると二人で部屋に戻った。

海がドアを開けると中には誰もいなかった。

「まだ誰も帰ってきてないみたいだ」

「ふむ。ならばさっきの続きをやろうとするか」と才機はまた床に座ったが、今度は外の星空が見える窓の近くの戸棚に背中を預けた。

海は才機の方へ歩いて二人は部屋を出る前と同じ体勢になった。

「これ、凄く落ち着く。勇気出してよかった」と空を見ながら海が言った。

「後は自分達の世界で出来れば文句無しだな。帰ったら真っ先にしたいことは?」

「やっぱり家族に会いたいなぁ。どう説明するか分からないけど、皆をぎゅっとしたい」

「俺は試合に出たいかな。命掛けの戦いじゃなくて、安心して出来るルールのある真剣勝負。もう負けてもいい。こんなの乗り越えたら負ける気があまりしないけど」

「それもいいかもね。後、コンビニに行きたい。最近食べてないお菓子を買いまくって一度に食べたい」

「俺はご飯が食べたいなぁ。おかずはいらないからほかほかの白米を口に入れたい」

「それなら私でも出来そう」

「いや、出来るよ、ご飯炊くぐらい。出来なかたら致命的だよ?」

「そうだ。才機の弁当作ってみようか。お母さんに作り方教えてもらってさ。二人分を大学に持っていく。それも出来ると思う?」

「あんなうまい野菜のスープ作ったんだ。出来るだろう」

「後ね、カラオケに行きたい、才機と二人で。凄く好きな曲があって、バラードなんだけど男女が歌うデュエットで、もしいつか彼氏が出来たら一緒に歌いたいと思ってた」

「ふーん」

そこで海は目を閉じて小さな声で歌い始めた。才機の知らない歌だった。今歌っている節は女性のパートだろうかと才機が思った。

「帰ったらその曲を聴かせてもらわないとね」

才機は海の歌声を聴きながらいつの間にかそのまま眠りについた。海の歌声もまた次第に小さくなり、心地いい才機の温もりを感じながら歌のテンポが非常に遅くなって、やがて口が完全に動かなくなった。


結局リースとメリナが部屋に戻ったのは翌朝だった。バンズワドに挨拶を済ませて来たらく、皆が出かける準備をしていた。身の回り品を集めていた時にジェシカが部屋に入ってきた。

「皆もう行っちゃうの?」

「そうだね。仕事が終わったし、もう帰らないと」と才機が言った。

「じゃ、最後にもう一回一緒に魚達を見に行こう。さよなら言わなきゃ」

「そうだね。ここで片付けたら行こう」

「あたしは先に外で待ってる」とメリナは鞄を持ち上げた。

メリナはジェシカの前でしゃがんだ。

「じゃ、ね。お父さんの言う事ちゃんと聞くんだぞ。そしてジョージュと遊ぶ時はなるべく楽しいこと考えよう」

「うん」

メリナはジェシカの横を通りながら彼女の頭を撫でて部屋を出た。

外に出たらバンスワドの使用人がそこで待っていた。

「馬車を回しましょうか?」

「はい、他の三人は直ぐ来るはず」

その三人で次に来たのは海だった。

「馬車は?送ってくれるよね?」

「あのバンズワドの側近らしい人が回してくるって」

会話はそこで終わりそうだったが、やがて海はまた喋った。

「聞いていい?」

「何?」

「何で手を引いた?昨夜のあれは嘘ばっかりだった」

「引いたんじゃない。負けたんだ。才機の目を見て分かった。いつも海の方を先に見てた。彼の海を見る目とあたしを見る目は違った。あたしを見る目に悲しさを感じた。どっちかを選べないとか言ってたけど、あたしを傷付けたくなくて選ばなかっただけだ。あたしに少し好意を抱いているかもしれないけど、彼の心は海にある。だから棄権勝ちだったと思わなくていいよ。才機はちゃんとあんたを選んだから」

「そう···なのか?」

「しっかし、あんたと幸せになる事を捨ててまであたしを傷付けたくなかったなんて。あれほど優しい人と付き合って海も妙な苦労をするかもしれないね」

「ありうるね」

「あたしに気を使わなくていいよ。立ち直りが早い方だから。もし才機の事で相談したい事があればいつでも乗って上げる」

「ありがとう」

そこでリースがリゾートから出た。同時に馬車も回ってきた。

「確か四人のはずですね」と御者が言った。

「ええ、もう一人は直ぐに来ると思う」とリースが言った。

そう言って、皆と違って才機だけは玄関からではなくて、ビルの角を曲がってきた。

「よし、じゃあ行こうか」とリースが言った。

全員馬車に乗ってドリックに向った。


   •••


「仕方ない。お前を煩わせるほどの事じゃないと思ったが、行ってくれるか?」

デイミエンは両手をポケットに突っ込んで何百メートル下の草原を見下ろしながらそう言った。そこは山の中の通路で、縁に立っているデイミエンが一方でも前に進んだらこの世を去る事になる。

「デイミエンがそう望むなら直ちに赴く」とジェイガルが言った。

彼は相も変わらぬ真っ黒な鎧をまとって、暗い岩窟の中ではそこにいると分かっていなければ見落としやすい。

「考えてみればお前がじきじきに手を下すのは久しぶりだ。あれから同志を沢山集めて、戦力が想像以上に増えたもんね。手を汚す事を惜しまず、俺達の志の為に自ら尽くした人は十二分いた」

「それは全部デイミエンのお陰。あなたは世間に見捨てられた私達に希望を与える。私達をここに招いて、苦難でしかない現実に抗う意志を持たせてくれた」

「皆が考えていることを声にしただけだ。そんな大層な事じゃないよ」

「いいえ。声に出す勇気を持っていたのはデイミエンだけだった。本当に色んな意味で私達異能者の力になる。皆のあなたへ信頼は深い」


**デイミエンが街を歩いてふっと騒動が耳に入った。騒動の元となっている袋小路を覗き込むと三人の男が地面で体を丸めているもう一人の男にリンチを加えていた。その場面いる者は全員デイミエンと同じ二十歳ぐらいだ。

「よくこの街をのこのこ歩き回れるもんだな」と一人が男のわき腹を蹴った。

「友達が親衛隊を呼びに行ったからここで待ってろ。来るまで俺達が可愛がってやる」

「ま、彼は方向音痴だから戻るのにちょっと時間がかかるかもしれないれどね」と男がせせら笑った。

三人が楽しそうに男を痛めつけ続けた。そうしたら、一人は誰かが自分の肩に手を載せたのに気付いた。振り向いた途端に、それは誰だかを確認する機会もなく伸ばされた。仲間が急に倒れるのを見た他の二人が振り返った。

「おい、何してるんだ、てめぇ?!」

「お前らがやってる事と同じ事をしているだけど?」

「こいつは異能者なんだよ!立場を教えてやってるんだ!」と男はリンチの対象を指さした。

「そして俺は一人の相手に寄ってたかって襲っている三人の卑怯者を成敗している」

「野郎···てめぇも纏めてぼこぼこにしてやる!」

二人はデイミエンに襲い掛かった。だがデイミエンはいとも簡単に二人の攻撃をかわし、素早く、正確に反撃した。明らかに戦い慣れしている。二人掛かりでも敵わないのは男達が直ぐに理解した。

「くっそー。覚えてろ!」

「こいつを忘れるな」とデイミエンは最初に叩きのめした男を仲間の方へ押しやった。

三人とも恨みがましく立ち去った。デイミエンは地面に横たわっている男に向いた。

「親衛隊が来るまでそこでやられて待つつもりだったのか?」

「秘密がばれたんだ。遅かれ早かれこの街から追い出される。せっかく半年近く待って忍び込んだのに。うっかり能力が発生したのが悪かった。そういうのはやっちゃいけないって事をこの体に直接覚えさせるのもいい手だと思わないか?」と男が苦笑いをして起き直った。

彼は壁にもたれて、口から垂れた血を手の裏で拭った。

「本気でそう思ってるのか?無意識にやった事、しかも望んでもいない能力のせいで起こった事はあんたがこんな目に遭うのを正当化するって言うの?」

「お前には関係ない。普通の人間でいられた人は私の気持ちが分かるはずない。お前の同情もいらない」

「同情なんかじゃない。あんたに分けたいものがあるとすれば、むしろ矜持だ。それに誰が俺はまだ普通の人間だと言った?」

「···。お前はどうであれ、私を助けた以上、お前ももうこのメトハインにいちゃやばい。正義のヒーローみたいに振る舞うんだったらヒーローらしく仮面で顔ぐらい隠せ」

「ふん、正義だと思ってるんだ。あんた、名前は?」

「···ジェガー」

「俺はそろそろこの街を去ろうと思っている。一緒に来るか?」

「お前と行ってどうするって言うんだ?」

「さ、な。革命でも起こそうか?」**


「その信頼は報われないといけないんだね。この戦いを出来るだけ早く終わらせたい。そうしたら少しは楽になれるかな、シルヴィア。また手伝ってくれるか、ジェイガル?」

「聞くまでもない」とジェイガルは完全に暗闇に引っ込んで消えた。

「今度は心配いらないか」


   •••

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