昭和二十年夏、その日は快晴であった。
出勤してから、今日の行路表を受けとる。軍需品輸送列車。このダイヤは軍事機密だ。これは応集を受けなかった古参の機関士のみに任される仕事だ。今日も今日とてまともな石炭は回って来まい。そんなものだ。貨物線のヤードのなかに待つ機関車は9600形式だった。それに機関車のすぐ後ろに連結された『武装車』。それは無蓋貨車に七・七ミリの機関銃を載せて、そして装甲と称して畳を三枚重ねたものを取り付けただけのシロモノだ。役に立ったと言う話はない。キュウロクの運転台には弾除けに竹束に砂を詰めたものや畳がくくりつけられている。これも役に立ったと言う話はない。どちらも気休めだ。無いよりはましの気休めだ。
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キュウロクは動輪が小さいから速度がでない。それに妙に揺れる。だから俺はこの機関車は嫌いだ。…急行から外された僻みかもしれないが。設計的にドイツらしいとも言われるこのキュウロクはそのくせ胴長短足でなんだか自分を見ているようで、なんだか苦手だ。
空転地蔵の所を何度も空転しながら息も絶え絶えになりつつ登りきる。キュウロクは空転しにくいが、何分過荷重だ。そもそも速度の出ないキュウロクがだいぶ速度を失いながら隧道に進入する。蒸気機関車はシリンダ排気で煙を吸いだし、煙突からまっすぐに排煙する。その排煙が隧道の天井で反射して機関車にまとわりつく。口を覆う濡らした手ぬぐいもみるみる乾いてゆく。質の悪い石炭では、無駄に煙と灰ばかりが出る。
あっという間に視界もすべて煙に覆われる。助士は姿勢を低くして、そして焚口から出る空気を吸って何とかしのいでいる。しかし機関士の自分にそんな逃げ場はない。席についてブレーキを握りしめて前をにらみ続けねばならぬ。これが判任官をもらうまで頑張り続けたこの俺の意地だ、誇りだ。この帽子の金線がその証だ。
正面からわずかに光がさす。やっとだ。やっと抜ける。闇の中の光陰というのはこれほどに渇望されるものなのだ。何とか隧道を抜けた。まとわりついた煙も振り払って走る。手ぬぐいは完全に乾いていた。それを解いて、胸いっぱいに息をする。空気のありがたさ、というものをこれほど意識したことはない。
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だいぶ行ったところで、そういえば今日は全国民が聞かねばならないという重大放送があると言うのを思い出した。とはいえ運行行路に従うなら聞くことはない。我々鉄道省職員は運行行路に従わねばならぬ。そのように思ったとき、空にキラリと輝くなにかを見た。あれは…P-51か!?困った隧道まで退行することももはやできない。糞が。
加減弁を満開まで引く。もはや加減弁レバーは胸につくほどだ。 P-51は翼を翻しながら迫ってきた。そして、列車後方から撃ってくる。後ろの機関銃は撃ちあげているが、相手は何ら気にするところなく撃ってくる。すぐ側を弾が抜けて線路のバラストをはぜさせる。9600は速度がある程度上がると振動が大きくなりすぎる。暴れ馬にしがみつく方が楽でないかとも思わないでもない。追い抜いていった戦闘機が翼を翻して戻ってくる。今度は正面から撃ってきた。鈍い音をたてて弾がボイラに、そして運転台にあたり火花を散らせる。咄嗟に非常制動をかけた。甲高いブレーキの音。列車が止まった。おそるおそる降りてみるが戦闘機はどこかへ行ってしまった。
被弾したと思われるところをあちらこちら見回せば、煙突には穴が開いている。しかしボイラにあたったものはケーシングを撃ち抜いただけでボイラ本体には支障がなかった。運転台では天井に孔が開いていて少し風通しがよくなったとでも言うか。
運転を再開してしばらくして気がついたが、どこかでブレーキ管に穴が開いたらしい、圧が抜ける。弛めにかけっぱなしにして補給制動をせにゃならない。逸る心にやかましい空気圧縮器と調圧弁の音が突き刺さる。
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定時に遅れて到着する。そもそも戦時に定時を守るということは困難だ。
機関車を降りて確認に回る。『武装車』は血の海だった。二人が撃ちたおされて床に、畳の防護板に、飛び散ったそれ。
点呼と報告のために駅舎に入る。皆ち直立不動で、ラジオを聴いている。放送員の声が聞こえた。
『……終戦の詔書を拝し奉読いたします……』
所謂玉音放送にはそのあと放送員による奉読、そして解説がついてたのよ?だからなにいっているか理解できなかった訳はないはずなんだがね