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三話続けて投稿の第一弾です
異変は、突然起きた。
その朝、神官長のクレーディトは勇者の召喚を成功に導いてくださった神に二度目の祈りを捧げるため、王宮から神殿に向かう長い廊下を歩いていた。
クレーディトを先頭に20人の神官、彼らを囲むように10人の神殿騎士が連なり歩んでいたとき、彼は後頭部と首の間あたりからすうっと何かが抜けていく感覚に襲われ、同時にがくりと膝から崩れ落ちた。
「神官長殿!?」
脇にいた神殿騎士が慌てて支えようとした瞬間、20人の神官が次々と崩れ落ちる。近くに駆けつけようとした神殿騎士達も数人ががくりと膝をついた。それでも何とか動けた騎士がクレーディトに駆け寄り、上体を抱え起こすと、青ざめ、うつろな目をしたクレーディトの口が何かを言おうとしている。
「クレーディト様! ……お許しを!」
騎士はやむを得ずクレーディトの口に自身の耳を寄せた。
「う……ま……まりょ……が……」
しかし、騎士が聞くことが出来たのはそれだけで、神官長と神官達はそのまま気を失っていた。
「……まりょ………魔力?」
騎士が呟いたとき、城のあちこちで悲鳴があがりはじめていた。彼の魔力は微々たるものだったが、このけだるい感覚は確かに魔力が切れかかったときのそれに似ている。
「いったい何が……」
倒れ伏している神官達を前に、騎士は愕然と呟いたが、答えはなかった。
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宮廷魔導師のモルファは同僚と召喚した勇者様達の本日の予定を確認していた。
勇者様達はまだ使えてはいないものの、相当の才能と力を備えられていることが判明したのだ。あまり時間はないが、イクテュース魔法学院で学んでいただければ、短期間で成長されるだろう。魔力も、今は卵のような状態だが、訓練により膨大な力を得られるようになるに違いない。特にあの白魔法の適性を持った少年の素質は計り知れないものがあった。
モルファは召喚の儀には立ち合わせてもらえなかったが、勇者様達の成長に心血を注ぎ、何としても邪竜の封印に同行させていただこうと決心していた。
今日はその勇者様達のお披露目であるパレードが予定されている。
本来ならば、一刻も早く学んでいただきたいのだが、見目麗しい勇者様達をお披露目し、国民に安堵をもたらすのが先決ということだったので仕方がない。確かに、あの神秘的な黒い瞳と美しい黒髪は伝説のままであったので一目見れば国民も納得し、安心するに違いない。晩餐会で勇者様を見た者達は、皆魅了され、心酔していた。
「では、学院の平民クラスの学生達はすでに集まってるのですね」
「ええ。早朝に連絡をとりましたら、すぐに揃いました。勇者様達が朝食を召し上がっている隣の間に控えさせております。流石に平民は朝が早いですね」
同僚のホロトゥは口元に厭な笑みを浮かべている。彼は優秀な黒魔法使いだが、平民に対して差別意識を持っているのが時折垣間見えて、非常に残念な人間だとモルファは思っていた。モルファはそんなホロトゥを見ないようにして、表情を変えずに言った。
「では、学生達に説明に参りましょうか」
召喚の儀に魔力の補助として参加した子供達は、おそらくまだ魔力ぎれに近い状態で万全の体調ではないのではないか。いや、その夜の勇者様の奇跡でこの国の人間の魔力と魔石の魔力は全て満たされたと聞いた。ならばもう、大丈夫なのだろう。
自分も長らく続いていた頭痛が治まり、恩恵を受けた一人なのだ。毛髪のことは言うまでもなかった。今は一つにまとめ上げた濃い紫色の髪が肩から前に波打つように流れている。
魔導師五人が席を立ち、扉を開けた時にそれが起こった。
がくりと膝が落ちる。抱えていた筆記具が転がり、魔法陣を記した羊皮紙が床に散らばった。ぼやけた視界に入ったホロトゥが床に這いつくばって白目をむいている。他の同僚も後頭部を押さえ、膝をついて力なく倒れていった。そう、首の後ろから力が吸い取られているようだ。我々の力の源の魔力が───。
侍女の悲鳴があちこちから上がるのを聞きながら、モルファは遠のく意識を手放した。
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「サルモー、寝不足なの? 目が真っ赤だ」
控えの間でスコンベルが心配げに顔を覗き込んできた。濃い睫毛に縁取られた大きな目が赤くなっている。サルモーは慌てて目を擦り、にやりと笑った。
「昨日、あれからミユキさんといろいろお話して夜更かししたから」
今朝見送りした後大泣きしたなんて、男の沽券に関わるので嘘も方便である。あの後すぐに待ち構えていたかのような両親が部屋から出てきて朝食の準備を始め、神殿から使いの少年が来るまでぐすぐすと泣いていたなんて、絶対に言えない。
「なぁ、勇者様達って伝説どおりの黒目黒髪だったのか?」
同じクラスだが、召喚の儀式に参加していなかったカンマルスが赤毛を揺らしながら近寄ってきた。
儀式に参加した五人と不参加の六人は何となく離れて立っていたのだが、それを機に和やかな空気になり情報交換が始まった。カンマルスはそばかすが少々ある青い瞳で愛嬌のある少年だ。
「ああ。そういえばそうだったね」
「うん、でも俺の青っぽい黒とはちょっと違っていて、ホントの黒って感じだったかな?」
セーピアが自分の前髪を引っ張りながら答える。
「目もグラディウスの黒色とは違うかなぁ。少し明るい茶色がかった黒だった」
「すごいな、そんなに近くでお会いできたの?」
「え? いや、その」
近くで見たのは勇者ではなくミユキだったのだが、何となく言いよどんだとき、カンマルスの体がぐらりとふらついた。
「カンマルス!?」
セーピアが慌てて手を伸ばし、カンマルスを支えようとしたが間に合わず、彼は力なく崩れ落ちる。儀式に参加しなかった他の五人も次々と床に倒れ込んだ。
「カンマルス!」
カンマルスを仰向けに寝かせたセーピアは、彼の口の前に手を当てて呼吸を確かめた。意識はないが呼吸はあり、ほっとする。
「サルモ-! スコンベル! アミア! グラディウス!」
青ざめて立ち尽くす四人の名を叫ぶように呼ぶと、四人は弾かれたように返事をして、倒れている五人を順に仰向けに寝かせて呼吸を確かめて、ほっと息をついた。
そして、ようやく壁の向こうで響いている怒号と悲鳴に気づいたのだった。




