50 その反対側では (前)
アルンドーは、彼が生まれてからすぐに国境は黒い瘴気に森と共に飲み込まれたと聞かされていた。
黒く濃い瘴気の森の向こうにはソール帝国があると言うが、今はそれは越えられるはずもなく、そこに行くのなら、まず海辺の町に出てから、船でかなり遠回りをして向かうしかなかった。現に今もアルンドーの国、アエス王国からも勇者様をお迎えする為にひと月も前から船団が向かっているのである。
勇者様の召喚は成功したのだろうか。
小高い丘の上の、屋根のある見張り台から黒の森を見続けるのがアルンドー達の仕事だった。
朝と昼と夕方と深夜に交代する。少し離れた所に兵舎があり、40人ほどの兵士が常駐していた。黒の森から時折魔物が出現するためだ。
もともと森にはゴブリンやオークなどがいたのだが、瘴気に飲み込まれてからは凶暴化したものが現れるようになった。凶暴化した上に頑丈でオークを一頭倒すのにどれだけの犠牲が出るかわからないくらいだ。
アルンドーが兵士になるだいぶ前に凶暴化したゴブリンの集団が現れ、ある村が蹂躙されたのをきっかけに森の見張りを兼ねて兵士が常駐されるようになった。
この一年、魔物出現の頻度が増え、凶暴さも増してきて、近いうちに兵士がまた追加されるという通達が来た昨日、凶暴化したオークがニ頭現れた。ほぼ全員で戦ったにも関わらず、犠牲者こそ出なかったものの、半数近くが大きな傷を負ったのである。
そして、それでもオークを倒すことは出来ずに森に帰してしまったのだ。アルンドーは怪我を負わなかったので、昨夜から交代することなく、見張り台に立っていた。
あの黒い森──と言っても木々があるわけではないだろうが……。近寄ることは禁じられているので森の中がどうなっているのかは誰も知ることはないが、あの森の周りは草木は枯れ、地面は灰色になっている。きっと森の中も同じように枯れ果てた岩の大地が広がっているのだろう。
瘴気はじわじわと、舐めるように草原を侵食していた。最初にここに来たときよりも、灰色の岩肌部分が広がってきているようだった。
「アルンドー! 大丈夫か?」
下からパストゥスの声がした。アルンドーの先輩である。昨日のオークの襲撃で利き腕を負傷し、三角巾で固定していた。
「大丈夫です。 パストゥス先輩こそ、安静にしておかないと……」
ダメじゃないすか、といい終わる前にパストゥスが梯子を上ってきた。横に立ち、黒の森を眺める。
「あんまり、気にすんなよ?って言っても気にするよなぁ」
アルンドーは力なく、首を振った。
あの襲撃で、アルンドーが無事だったのは熟練の兵士が庇ってくれたからだった。圧倒的な力に立ち竦んでしまったアルンドーの代わりにオークの一撃を受けたのだ。
もう、立つこともできないかもしれないが、その前に意識もまだ、戻っていない。
「……昔は一頭倒すのに三人いれば楽勝だったのになぁ」
パストゥスの横顔が悔しげだったので、アルンドーも黒の森に視線を移した。
「あいつらには魔法だって、ちゃんと効いてたんだぜ? ……あっ!」
「え? ……ッ!」
黒の森の方から、オークが数頭、こちらに向かって突進してきている。距離はかなりあるが、あの速さならここまで来るのにさして時間はかからないだろう。
昨日の二頭相手で、半数がほぼ戦えない。体力も魔力も回復していない。
そして五頭に増えている。
愕然と立ちすくむアルンドーに、パストゥスが叫んだ。
「鳴らせ! 早く!」
頭上の半鐘を、鳴らすしかなかった。足止めをするか、逃げるか、隠れるか。
おそらく全員戦うことを選ぶのだろう。この先には、村がある。その前に、動けない兵士達も宿舎にいるのだ。
半鐘の音が響く。
パストゥスが片手ながらも素早く梯子を降りていった。
「せ……先輩、逃げてください」
アルンドーの絞り出すような声に、パストゥスが唇を歪ませた。
「なに、言ってんだ?」
「だって、先輩、こないだ赤ちゃん生まれたばっかで、今回の任務が終わったら、奥さんの実家の店を継ぐって、俺に美人の奥さん見せてやるって……」
なにげに、いろんなフラグをたてまくっていたパストゥスであった。
「馬鹿。 逃げるたって……おまえ、どこに逃げるんだよ」
パストゥスはにやりと笑い、どこぞ軍参謀が言いそうな台詞を吐いた。
宿舎からばらばらと軽傷だった兵士達が飛び出してきた。ここからでも、突進してくるオークが確認できる。皆、息を呑み、立ち尽くした。
「くそったれ」
誰かが呟いた。もう、勇者召喚は終わっているはずだ。成功していれば、近いうちに勇者がこの地にやってきてくれて、瘴気は封印してもらい、やたら凶暴化した魔物も一緒に倒してくれるに違いなかった。忌々しい瘴気が消えてしまえば……。
唇を噛み、包帯を巻いた手で剣を握る。
肩の痛みを隠し、槍を掴みオークを見据える。
杖を掲げて、呪文を唱え始める。
アルンドーも剣を握り、先陣を切ろうと駆け出した。後ろから誰かが叫んでいる。パストゥスだ。
「くそったれめ」
何もできなかった自分を守ってくれた人たちのために。
ここで少しでも足止めできますように。
ご想像通りの展開になりますが、次回につづきます




