表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恐れていた再会  作者: なないろ・かれいどの仲間達
2/2

悪夢

 私はそのまま来た道を引き返し、上りの電車に飛び乗った。まさか満香が、あんなことになっていたなんて。家まで帰る気力もわかず、駅のベンチに座り込んで、私は昼間の出来事を反芻していた。

 しばらくして顔を上げると、駅には誰もおらず、静まり返っていた。気を持ち直した私は、家に帰ろうと立ち上がったが、そのときあることに気が付いた。

 ホームの下、線路の上に、黒い服を着た人が倒れているのだ。私は恐る恐る前に出て、その人に近づいてみた。薬物中毒者だ。意識が混濁しているようで、うわごとを言いながらその場でもがいている。驚いて目をそらすが、すぐ目の前に人影は迫って来た。驚いて腕を振ると、それは落とし物のコートだった。

そうだ、薬中は私の方だった。大分前から、時折見える幻覚に、私は頭を悩ませていた。

 その時私は、ポケットの中に何かが入っていることに気が付いた。カッターナイフだ。それも、赤黒い血がべったりとついた。私は自分の手首を確かめたが、そこに傷はない。この血は一体だれのものなのだろうか。私は自分の記憶を探ったが、ナイフの影はどこからも浮かび上がってこない。ざらざらとした掻痒感が体中に広がってゆく。ナイフだ。血塗られたナイフから、悍ましいものが腕を這い上がってくる。私はナイフを放り出し、穢れを払うように、焼けどを冷やすように、ナイフを持っていた手を振り回した。

「気持ち悪い、痒い。気持ち悪い、痒い。キモチワルイ……」

 呪文のように繰り返し、地面に転がるカッターナイフを執拗に踏みつけた。何度も、何度も。何度も、何度も。暫くして、私は、しかし、あることに気が付いた。足に手ごたえがない。コンクリートの感触だけが靴の裏を叩き返す。恐る恐る足を上げると、そこにカッターナイフなどなかった。なかったのだ。初めから。

 私は恐ろしくなり、その場から逃げ出そうとした。けれど、足は縫い付けられたかのように、地面から剥がれない。私の足に突きささった見えない杭は、無理矢理動かそうとすればするほど、深く、深く肉に食い込んだ。串刺しにされたような痛みに、私は思わず声を上げ、その場にうずくまった。

「大丈夫ですか?」

 ホームの上を、誰かの足跡が駆けよって来る。ふと顔を上げ、私は凍り付いた。見間違えようもない。堂島君だ。嘘だ。こんなところに堂島君がいるはずがない。だが、堂島君はどんどん私に近づいてくる。私は強烈なめまいに襲われ、胃の中のものをホームに吐き出してしまった。コンクリートの上に広がった吐しゃ物はやけに赤く、口の中にはまだ泥の味と錆の匂いが残っている。私の意識は次第に遠のき、暗闇の中に沈んでいった。


 私が目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。白い天井と、ベッドを囲うカーテン。気を失った後、どこかの病院に運び込まれたのだろうか。ただ、一つだけ分からないのは、私の体がシーツごと、ベルトで縛られているということだった。ベッドから抜け出そうと私がもがいていると、カーテンの向うから声が聞こえてきた。

「先生、503号室の患者さん、目を覚ましたみたいですよ」

 遠くで分かった、という声がした後、女性は私に話しかけた。

「川辺さん、お気づきになりましたか? 川辺満香さん?」

 なぜ彼女は、私を満香と呼ぶのだろう。

「違います。私は――」

 と名乗ろうとすると、急に頭痛が襲い掛かって来た。痛い。頭にひびが入ったかのようだ。体の自由が利かないまま、私はベルトの下でもがいた。

「落ち着いてください、川辺さん!」

 暴れる私を、看護婦が押さえつけた。

「ああ、また症状が出てますね。落ち着いてください。あなたの名前は川辺満香です。解離性同一障害と診断され、数か月前から外来に通院なさっていたのですが、症状が悪化して3日前に入院してこられたのですよ」

 遅れて現れた医師は、のんびりと説明した。

「嘘だ。満香は……満香はあの路地裏で死んだ!」 

 私は頭を起こし、医師に訴えた。

「いえ、あなたは正真正銘川辺満香です……」

 私の症状が悪化した原因は、ある交通事故だったそうだ。あの路地裏の近くで自動車に追突され、意識は回復したものの、解離性同一障害が急速に深刻化したのだという。話を聞くにつれ、私の記憶は、俄かに鮮明になっていった。雨を割くブレーキの音。焼けつくような痛みと、頭の上を通りすぎるアスファルト。地面に広がってゆく鮮血。遠くに響くサイレンの赤い音。あのとき私を庇ってくれたのは……

「堂島君?」

 病室の隅に、堂島君が立っている。そんなはずがない。堂島君が、一体なぜここにいるのだ。そもそも彼はこの病院を知らないではないか。これも単なる幻覚なのだと、私は自分に言い聞かせたが、幻というには、彼の姿はあまりにも

はっきりし過ぎていた。

「俺が悪かった。やり直そう」

 土下座する堂島君に、私は思わず聞き返した。

「何が?」

 堂島君は体を起こし、思いを打ち明けた。

「ショックだったんだ……まさか、自分から車に飛び込むなんてさ」

 私は、堂島君の言葉に震えあがった。

「俺の監視が甘かったばっかりに……次はちゃんと守ってやるからさ」

 近くにいたはずなのに、なぜ堂島君は私を止められなかったのだろうか。いや、違う。止められなかったのではない。堂島君に突き飛ばされて、私は車にぶつかったのだ。

「殺す! 殺してやる! 堂島! よくも私を! 私を!」

 このベルト、このベルトさえなければ、あの男は目の前にいるというのに。私は戒めを解こうともがいたが、革のベルトはびくともしなかった。

「和泉君、鎮静剤を」

 医師が命じると、看護婦は注射器を取り出し、私の肩に針を突き刺した。

「殺してやる! 殺してやる! お前を! お前だけは!」 

 不意に舞い降りる、重たい帳。陰の向うへと、堂島が逃げていく。閉ざされてゆく視界の中、私が最後に見たものは私を嘲笑う堂島の薄ら笑いだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ