黄昏時の廻り合い
さっきの茶番のお陰で緊張がほぐれて続きの会話に困ることは無かった。
「桜井さんってお嬢様なんだねぇ。」
客間を見回しながら言ってみた。
『そんなことはないわよ』
表情が伝わらない無機質な画面の文章であっても、人より感情豊かな桜井さんだと気にならない。
頬を少し朱に染めて若干上目遣いに俺を見てくる。
「ええー、だってこんな広いお屋敷にメイドさん。桜井さんがお嬢様でないはずがあろうか!いや、ない!!」
またもや大袈裟な身振りで手を振ってみる。
『やめてよ三島くん。』
いよいよゆでダコ直前な桜井さんがさすがに可愛そうになったのでソファーに戻った。
が、ここは距離の詰めどころだろう。
「わかりました、わかりましたよお嬢様。ただし条件がひとつ。」
『条件、ですか。』
互いに息を飲む。
「その、三島、っていうの固いというかなんというか....だから、悠でいいよ!」
桜井さんは目をパチリと大きく開いたあと破顔して、
『条件、なんでしょ?もっと命令口調にしなきゃ。』
口に手を当ててクスクス笑う桜井さんに今度は俺が頬を掻く番だった。
『じゃあ、悠くんでいいかしら?』
「お、おう!ありがと、桜井さん。」
『それじゃ私の方からもひとついいかしら。』
「どうぞどうぞ。」
思い切った一仕事が終わってさぁ一服、と思ったのだが
『私も下の名前で呼んでもらえるかしら?』
紅茶を吹きそうになる、パート2。
「い、いやぁさすがにそれはちょっと...」
『何よ、悠くんだってしたの名前で呼べって言ったじゃないの。』
あからさまにむくれる。
したの名前で呼ぶ、願ったり叶ったりだ。いやしかし...絶対に誤解を生む。...嬉しい誤解ではあるのだが...
「あ~、このは様?」
『もう、はぐらかさないの。』
桜井さんの目がいたずらっぽく光る。
...これは折れてくれなそうだ
大きく息をすって一言、
「このは、さん。」
にーっと歯を見せて嬉しそうに桜井さんが笑う。
...ああ、ずるいよなぁ。
そんな顔を見せられて断れるはずがないのだった。
「それじゃあこのはさんで。」
俺がそういうとウンウンと頷いて、
『ありがとう。』
心底嬉しそうに笑ったのだった。
......
「え、ここ全部庭!?」
『そうよ』
フフンと鼻を鳴らしそうな雰囲気で携帯の画面を見せてくる。
この会話にも慣れたものだ。
ずっと部屋のなかにいるのもあれなので、庭に来ていたのだが、目の前に広がるのは運動公園もかくやといった並木が並んでいた。
ひとしきり感心したあと、どちらからともなく木々が立ち並ぶ庭を進む。
夕暮れの暖かい色が名も知らない木達を穏やかに彩っていた。
「すごいね。」
俺はそう呟くとまた一歩踏み出した。
不意に木が途切れて丸い広場に出た。見上げると真ん中に1本。大木が鎮座している。
「あれは?」
『この家が出来たときからある木よ。』
道理で。
それはまるで俺たちを包むかのように枝を繁らせていた。
ふと、桜井さんが大木まで走っていった。
「このはさん?」
桜井さんは大木までたどり着くと振り返って手招きをした。
俺も走って追い付く。
『みてみて』
桜井さんが指差す木の表面を見ると細かく横線が引いてあった。
「あ、もしかして。身長の?」
そう言うと正解だったようで満足げに頷く。
そのあと木に背を向けたので測って欲しいと受け取って大体のところに線を入れてあげた。
前回の線より随分と延びていたが俺と比べると全然だ。
「俺もやってみていい?」
頷くのを確認して木に背を向けようとすると、ふと何かが目に留まった。
...別の人のか?
そこには桜井さんとは違った高さの横線が刻んであった。
「これは...」
誰のと聞きそうになって慌てて口をつぐんだ。
一瞬でもとに戻ったが確かに桜井さんの表情が泣きそうになったのだった。
「あ、ごめ...」
言おうとして自分の頭がズキリと痛んで最後まで言えなかった。
...なんだ、突然...
頭を抱える俺を心配そうに桜井さんが覗き込んでくる。
「ごめんごめん。もう大丈夫だから。」
心配させまいと頭を振って元気に言う。
それでも尚心配そうに見つめてくる桜井さんだったが不意に携帯を取り出して文字を打って、見せてくれた。
『今日は私の家に泊まっていったら?もう、外は暗いし。』
夕日が沈んで暗くなっていく。先程の暖かな風景とは打って変わって不気味な雰囲気に変わっていった。
それでもまだ帰れる明るさではあったが憧れだった桜井さんが泊まっていかないか聞いているのだ。断る理由も無いだろう。
...それにここで断れば男が廃るというもの...
「ありがとう!じゃあお言葉に甘えてもいいかな?」
桜井さんは頷くとまた携帯になにか打ち込んで見せてくれた。
『それじゃあ、帰ろっか。悠くん。』
その時、あり得ないことがおきた。
文面を見た瞬間頭のなかで確かに声が響いたのだった。
今まで聞いたことがない、聞いたはずがない、
俺の名前を呼ぶ桜井さんの声が。