リターグ動乱・2
けたたましい警戒警報の中、知事局のエントランスには、数十人の『知事』が集まっていた。
かれらは整然と立ち並んで、前方のロー・エアハルトに目をやっている。その場にいる全員が、白い詰襟の制服にマントをはおって、帯剣している。
建物の外からは、いまにも、味方も敵も入りまじった砲撃の音が聴こえてきそうだ。
「戦車は相手にするな。歩兵の排除に専念しろ」
警報に負けないよう、エアハルトは声を張りあげた。
「敵をせん滅しようと思うな。かく乱できればそれでいい。敵の進攻をすこしでも遅らせる、それがわれわれの任務だ」
そうしてエアハルトは、自分の片耳を指さした。かれらの耳の中には、小型の無線機が挿入されていた。
「撤退の合図を、絶対に無視するな。その時が来たら、全員、知事局に引きかえせ」
前に立つ何人かの『知事』が、おもむろに耳の無線機の具合を確認した。
「なにか質問は?」
沈黙。ざわざわとした沈黙。
──みんな、不安げだ。この場で平静を保っているのは、自分と、クイラだけか。
エアハルトは、斜めうしろに立つクイラの気配をうかがって、そう心の内でつぶやいた。
エアハルトが市街地で助けた、あのみすぼらしいクイラは、そこにはいなかった。白い制服も鮮やかな、凛々しい立ち姿。腰の剣は、以前、正体不明の機械兵から奪った、刀身のやや短い黒い刀剣だ。柄には、細かい金属のすべり止めがほどこされている。
──『知事』、か。
と、クイラもまた、胸の内で思うことがあった
『知事』。リターグを聖地たらしめる、特別な存在。でも、そんなイメージは、この数日で吹き飛んでしまった。
知事局に避難してからここまで、見てきたのは、その『知事』や、知事局のほかの局員たちの混乱ぶりだけだ。威厳もなにもあったものじゃない。敵の大軍が押し寄せてきているのはわかるけど、もうすこし、普通の人たちとはちがうなにかを、見せてほしかった。
それになんだか、だれもかれも、あたしより弱そう。
ここにいないエース級というのが、どれほどの力なのかはわからないけど、いま目の前にいるこの『知事』たちには、負ける気がしない。束になってかかってきても、たぶんあたしは勝てる。
エアハルトや、レダさんや、サヴァンさん。『知事』は、こういう人たちばかりが集まっていると、思っていたのに。
エアハルトが指示をしている間の、レダの平静な様子の裏には、こういった失望の念が、少なからずわだかまっていた。
そんなクイラの思いなど、エアハルトは知るよしもなかった。
「各々、チームの連携を崩すなよ」最後にエアハルトはいった。「よし、解散!」
エントランスから外へ出ていく、『知事』たちの足取りは重かった。それは、エース級の不在だけが原因ではない。エルフマンとの戦いで薬物を使って、権威が失墜したエアハルトへの不信もある。
それ以前に、迫りくる敵の圧倒的な兵力。一個軍団? リターグの兵力の十倍だぞ? おれたちにどうしろっていうんだ。いや、そんなことより、リターグはなにを考えているんだ? 市民もろとも全滅するつもりか?
いま外に出た『知事』たちは、二線級ではなかった。いわば準エース級といえるような者たちばかりだった。そんなかれらの中でも、すでに逃亡を考えている者は、一人や二人ではなかったのだ。
「あたしたちも、行くんだよね?」
仲間の背中を見守るように立ちつくしているエアハルトに、クイラが声をかけた。
「もちろんだ」エアハルトは答えた。「おまえは、おれから離れるなよ」
エアハルトの目は、じっと出口にそそがれていた。クイラは、そんなエアハルトのうしろ姿を、何とはなしに見あげた。
──離れないよ。
クイラは、心の中で答えた。
あたしは、絶対に、エアハルトから離れないよ。
ズン! と、近いところで砲声が響いた。味方の、フロート・タンクの砲撃だった。
「行くぞ」
エアハルトはブーツを打ち鳴らして、歩を進めた。クイラはそんなエアハルトに、自然に付き従った。
*
砲声に砲声が重なる。陸も、空も。
噴煙、黒煙、土埃、陽光。そして血と重油。
鉄くずとなったフロート・タンク、墜落した戦闘機の残骸。
もはや声は聞きとれない。砲撃、爆撃、戦闘機の爆音。それがすべてだ。
いうまでもなく、リターグは風前のともしびだった。
何十もの隊列を組んで前進する、アイザレンの陸上部隊。
やや距離を取って、怒涛の砲戦をしかける、アイザレンの飛行艦隊。
対するリターグ軍は、逃げる場所すらない。
フロート・タンクも歩兵も、敵の爆撃機の爆撃や、すでに市街地に侵入している敵の戦車部隊の砲撃で、吹き飛んでいく。歩兵同士の銃撃戦も、苛烈をきわめていた。
もはや形勢は、アイザレン側の掃討といってもいい、圧倒的なものだった。
そんな中、ぎらつく陽光にちらちらと白さを輝かせて、リターグの市街地を縦横無尽に駆ける者たちがいた。
アイザレン軍の歩兵の一部隊が、路上に立ち止まり、猛烈な勢いで銃撃している。
かれらの顔にあるのは、兵士の表情ではない。生身の人間の恐怖だ。統率されずに、めったやたらと銃を撃ちつづけるかれらの目標物は、すでにその一群の背後に立っていた。
すさまじい血しぶきが飛ぶ。そして何十人もの歩兵が、バタバタと砂の地面に倒れていく。
ヒュッと、刀身に付いた血のりの払うエアハルト。横には、刀身からしたたる血をそのままに、冷静に眼前の光景をながめるクイラがいる。
「ここは、もう限界だ」エアハルトはいった。知事局のある区画から、二ブロックほど離れたところだ。
──戦闘開始から一時間。よくもったというべきか。
エアハルトの頭に、そんな思いがよぎった。
敵は、エントールからの不意の援軍を警戒してか、あるいは余裕からか、突撃はしてこない。じわじわと包囲網を狭め、着実に侵攻してくる。
「退くぞ」
エアハルトはクイラに声をかけ、二人はあたりを警戒しながら、建物の陰から陰へと、目にも止まらない速さで移動していった。
──だいぶ時間はかせげただろう。〝起動〟までの時間は。
しかし、あとどれくらいかかるのか。
ひかえめながらも、執拗に問いかけてくるクイラに、口をにごすのもそろそろ限界だ。
『知事』ではトップ・エースしか知りえない、リターグの最高機密。
これを洩らすことは許されない。それこそ、自分の犯した薬物摂取と同じくらい、いや、それよりも重い罪だ。なぜなら、薬物の罪は個人の問題だが、この機密の漏えいは、リターグ全体を、ひいては、レガン大陸全土を揺るがす一大事だからだ。
アイザレンの兵士の部隊が、大通りを横ぎっていく。行きあったエアハルトとクイラの壮絶な剣技が、兵士たちに銃口を向ける間も与えずに、かれらを地に伏せさせる。エアハルトは衝撃波で、クイラは、直接肉体を断って。
砂地に染まる赤。
いつまで、こんなことがつづく? 地面を見おろしながら、ふいに、エアハルトの心に、ぽっかりと穴が開いた。
いつまで、こんなことが、つづくのだ。いつまでも、つづくのだ。〝起動〟が成功しても、いや、成功すれば、さらにつづくのだ。永遠に、つづけられるのだ。
めまぐるしい、どぎつい模様が目に浮かぶ。なにとも判別できない、微細で広大な、そして回転する模様。
そこにひとつ、自分が探すものがある。目を見開いて、がむしゃらに、探すものがある。
顔。身体。そう、女の姿。美しい女の姿だ。
苦しんでいるのか、悲しんでいるのか、コーデリア?
おまえは、生きている。おれがそう信じているのだから、おまえは、生きている。おれはおまえと会うためなら、なにもかも、かなぐり捨てる。なにもかもだ。
……ルト。
エアハルトの目に、色が戻った。
「エアハルト!」
クイラが肩に手をかけて、呼んでいる。
「撤退命令だよ、エアハルト! どうしたの?」
暑気にやられたか。いや、疲労か。もちろん、どちらもある。もとよりエルフマンとの戦いの傷は癒えず、さらに片方の肩は数日前に撃ち抜かれ、満身創痍だ。
フッ、と、エアハルトは息を吐くように苦笑した。なぜ苦笑がもれたのか、自分でもわからなかった。エアハルトは、小さく首を横に振った。
「知事局に戻る」気を取り直したエアハルトは、クイラに顔を向けていった。「おまえの疑問が、解けるときがきたぞ」
クイラは眉を寄せて、数瞬、駆け去るエアハルトの背中に目をやったが、やがて我にかえると、エアハルトのあとについて疾走していった。




