リターグ動乱・1
その砂の町には、ひと気がなかった。
人間のたてる音がしない。話し声も、足音も。
建物の窓やドアも閉じきられ、通りには、砂埃が、風に吹かれるまま巻かれている。
風は、ひゅう、と、建物と建物の間を抜けていく。建物の砂壁から、砂をはらいながら。
それほど大きくはない町だ。
庶民的な建物と、近代的な高層建築が同居する町。高層建築は中央に集められ、まわりを取り囲むように、砂岩で造られた集合住宅や家屋が広がっている。
舗装されている路も少ない。しっかりと均された舗装路は、近代的な区画だけにある。
あとは砂、砂、砂。どこまでいっても、砂の路地、砂の建物。ベージュの光景。
機械の音がする。ブウン、と、うなりを上げるエンジン音。フロート・タンクの音だ。
ずんぐりとした、灰色の不恰好な車輛。その、〝知事局〟の前方に配備された何十輌ものフロート・タンクの、突き出る砲身の群れは、威圧感十分だ。
しかし、それらの砲身の威圧も、この町に着実に迫っている脅威に対しては、まったくの無力といっていい。
砂漠の聖地、リターグ聖自治領は、いままさに、アイザレンの大軍勢と相対しようとしていたのだった。
サヴァンたちがスレドラハムに戻って、二日後の朝のことだった。
「一個軍団、か」と、知事局の局長ジオ・レドムが、もう何度もくりかえした言葉を、ぼそりとつぶやいた。
小山のように巨大な、リターグの知事局の建物。それはこの町のシンボルでもあり、最終防衛ラインの拠点でもある。その最上階に、レドムのオフィスはあった。
広いオフィスのデスク席に座るレドムの前には、二人の者が立っている。若い男女だ。どちらも白い詰襟の制服を着て、帯剣している。男は精悍で、燃えるような短髪の赤毛。女は痩身で、短い黒髪だ。
「どうされます」
その男、ロー・エアハルトは、静かながら毅然とした声でいった。「敵は、もうすぐそこまできています。なんとかしないと」
「いま、三十キロ地点、くらいかな?」
エアハルトと、その横に立つクイラ・クーチは、同時にうなずいた。
「困ったもんだね」レドムはこの期におよんでも、飄々とした口調だった。
「局長」とエアハルトはいって、少しいいよどんでから、さらにつづけた。「十倍の兵力差は、いくらわれわれ『知事』でも、どうしようもありません。このままでは、あと半日でリターグは火の海に」
大きくため息をついたレドムは、やれやれという風に首を横に振って、いった。
「……しかたない。まあ、準備はできているしな」
そうしてレドムは、エアハルトを見すえた。
「だが、起動に時間がかかる。敵との交戦は覚悟してくれ。いいな」
は、とエアハルトは応じた。
横のクイラは、二人がなんの話をしているのかまったくわからず、とまどいの表情を浮かべた。
「局長、サヴァンたちは、いまどこに?」エアハルトがたずねた。
「ついさっき通信があってな、スレドラハムを出たらしい」レドムが答えた。「ここに戻ってくるそうだ。タイミングが合えばいいが」
「やはり、スレドラハムとの挟撃は、できませんか」
「そう簡単じゃないさ」レドムは頭の後ろで手を組んで、椅子に寄りかかった。「正直、そこまで期待はしていなかった。というよりも、できればあの三人には、このままリターグから離れていてもらいたかったんだが、ね」
それを聞いたエアハルトは視線をそらし、けわしい表情になった。クイラは、なおもぽかんと、二人の会話を聞いていた。
「まあ、いまさらいってもしかたない」レドムが気を取り直すようにいった。「肝心のエントールの戦況は、アイザレン軍がエトに駐留したままで、まだ動く気配がない。連中も十分補給してからラザレクへ、という算段だろう。さて、ここでわれわれが本領を見せれば、どうなるかだな」
レドムはおどけるような顔を作って、まるで他人事のように首をかしげた。
「では、われらは起動まで、時間を作るということで」エアハルトがいった。
「軍と連携して、うまくやってくれ」レドムが応じた。「あまり出すぎるなよ」
「……局長」
エアハルトの顔が、ふいに曇った。
「コーデリアについては、なにか情報は?」
その言葉を聞いて、クイラは、なぜかピリッと身体が緊張した。
「まだ、なにもない」レドムは、重々しく首を横に振った。「ほかのエース級についても、わかっていない。ともあれいまは、目の前のことに集中するほかない」
は、と、またエアハルトは応じた。クイラはわけもなく、自分の履く白いブーツに、じっと目をやっていた。
──コーデリア・ベリ。
レドムのオフィスを出て、長い廊下を歩きながら、クイラは思った。
コーデリア。エアハルトのパートナー。レンで行方不明になった、エアハルトの大事な人。
知事局の中では、自然とそんな情報が、クイラの耳にも入ってくる。
どんな人だろう。
どんな顔をしていて、どんな性格で。
前を歩くエアハルトに、問いかけるべきもっと切迫したことがらは、いくつもある。どうやって、絶望的な戦力差の敵と戦うのか。レドムのいう〝起動〟とは、なんのことなのか。サヴァンさんたちは、大丈夫なのか。
でも、そんなことより、一本の線のように、ひとつの名前が、心に通っている。
──コーデリア・ベリ。
喉元まで、なにか言葉が出かけている。それがどうしても言葉にならない。すごくもやもやとして、苦しい。こうしてエアハルトの広い背中を見ながら、なにかその真っ白い制服の白さに、吸いこまれてしまうよう。
クイラは下唇を噛んだ。そして、ほとんど衝動的に、エアハルトにむけて口を開こうとした。
そのとき、けたたましい警報音が鳴った。敵襲を告げる警報だ。
エアハルトは歩調を乱さず、廊下を進んでいく。
クイラはすこし早足になりながら、必死に、エアハルトの背中との距離をたもった。
「それにしても、なんだねえ」
男の声がする。「まさか、軍の船の世話になるとは、思わなかったなあ」
「やむをえまい」
不機嫌そうに返す女の声がする。
「あのまま『ロヴァ』で駆け回っても、現状では、いたずらに戦闘に巻きこまれるだけだ。それに、むかう先は、軍もわれわれも同じなのだからな」
二人は、壁一面のガラスの前に立っていた。飛行艦の、広いブリッジの中だ。
艦長ら軍の士官や通信士は、所定の位置にいて、その歓迎できない二人の客を、遠巻きにながめていた。
艦としては、いままさにリターグへの攻撃がはじまろうとしているときに、ただでさえ不吉な中枢卿の、それも隊長二人を乗艦させるはめになるなど、まがまがしいとしかいいようのないことなのだった。
この二人、ルキフォンスとケンサブルのここ数日は、あわただしいものだった。
二日前に、リディアの攻撃で手痛いダメージを受けてから、二人は考えを変えた。
なるほど、さすがに、マッキーバやエルフマンが捕らえられなかっただけのことはある。あの『知事』たちの力は伊達ではないし、リディア・ナザン自身も、あれほどの能力を秘めている。
また気配を追っていくこともできるが、同じような展開になることは、目に見えている。
一度、手はずを整えたい。でも自分たちは、団長の命令にしたがって、飛行艦隊をもってきていない。あるのは『ロヴァ』と、その輸送艇、そして護衛の飛行艇数隻だ。部下の数も少ない。
そこでルキフォンスとケンサブルは、急ぎ『ロヴァ』を駆って、エントールに近いレンに向かった。陸軍の一個軍団が、スレドラハムからリターグに進軍しているのに対して、空軍の飛行艦隊は、レンを中継点にして進む方針だった。
そして、レンに駐留していた軍の飛行艦隊に行き当たった二人は、その旗艦に卿団権限でむりやり乗りこみ、虎視眈々と、リディアたちとの再会の機会を狙っていたのだった。
その艦も含め、いまアイザレン軍の飛行艦隊は、リターグに向かう空の上にあった。眼下には、快晴の砂漠がどこまでもつづいている。
時は、ちょうどリターグで警報が鳴ったころのこと。
灼熱の外の風景を、ルキフォンスとケンサブルは、すずしげに見おろしていた。
「戻ってくるのかねえ、あの連中」
「くる」ルキフォンスは即座に答えた。「まちがいなく、な」
そうしてきつい目になったルキフォンスに、ケンサブルは思わず顔を向けたが、言葉はかけなかった。
「もし戻ってこなくとも、」ルキフォンスはつづけた。「今度は物量の差がある。連中も、さすがに飛行艦を相手にはできまい」
二人は、しばし沈黙した。
──あの女。
ケンサブルは、顔には出さなかったが、心では、不気味に笑っていた。
あの小生意気な、『知事』の女。あれは強いなあ。もしかすれば、士団のメイナード・ファーより、強いかもしれん。
楽しみだ。本当に、また会うのが楽しみだなあ。
──リディア・ナザン、か。
ルキフォンスのほうは、そう想っていた。
たしかに聞いたとおり、あやしげな技を使う、とらえどころのない女だ。『知事』でも静導士でもない、強力な使い手。マッキーバの連れているという子供と、似たようなものか。しかしなぜ、わがアイザレンは、血眼になってリディアを追うのか。
その、団長や国の中枢部しか知りえない情報が、知事局とやらには、あるいはあるかもしれん。
白銀のフェイス・マスク越しに、ルキフォンスは口を引き結んだ。




