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レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
97/142

リターグ動乱・1

 その砂の町には、ひと気がなかった。

 人間のたてる音がしない。話し声も、足音も。

 建物の窓やドアも閉じきられ、通りには、砂埃が、風に吹かれるまま巻かれている。

 風は、ひゅう、と、建物と建物の間を抜けていく。建物の砂壁から、砂をはらいながら。

 それほど大きくはない町だ。

 庶民的な建物と、近代的な高層建築が同居する町。高層建築は中央に集められ、まわりを取り囲むように、砂岩で造られた集合住宅や家屋が広がっている。

 舗装されている路も少ない。しっかりと均された舗装路は、近代的な区画だけにある。

 あとは砂、砂、砂。どこまでいっても、砂の路地、砂の建物。ベージュの光景。

 機械の音がする。ブウン、と、うなりを上げるエンジン音。フロート・タンクの音だ。

 ずんぐりとした、灰色の不恰好な車輛。その、〝知事局〟の前方に配備された何十輌ものフロート・タンクの、突き出る砲身の群れは、威圧感十分だ。

 しかし、それらの砲身の威圧も、この町に着実に迫っている脅威に対しては、まったくの無力といっていい。

 砂漠の聖地、リターグ聖自治領は、いままさに、アイザレンの大軍勢と相対しようとしていたのだった。

 サヴァンたちがスレドラハムに戻って、二日後の朝のことだった。


「一個軍団、か」と、知事局の局長ジオ・レドムが、もう何度もくりかえした言葉を、ぼそりとつぶやいた。

 小山のように巨大な、リターグの知事局の建物。それはこの町のシンボルでもあり、最終防衛ラインの拠点でもある。その最上階に、レドムのオフィスはあった。

 広いオフィスのデスク席に座るレドムの前には、二人の者が立っている。若い男女だ。どちらも白い詰襟の制服を着て、帯剣している。男は精悍で、燃えるような短髪の赤毛。女は痩身で、短い黒髪だ。

「どうされます」

 その男、ロー・エアハルトは、静かながら毅然とした声でいった。「敵は、もうすぐそこまできています。なんとかしないと」

「いま、三十キロ地点、くらいかな?」

 エアハルトと、その横に立つクイラ・クーチは、同時にうなずいた。

「困ったもんだね」レドムはこの期におよんでも、飄々とした口調だった。

「局長」とエアハルトはいって、少しいいよどんでから、さらにつづけた。「十倍の兵力差は、いくらわれわれ『知事』でも、どうしようもありません。このままでは、あと半日でリターグは火の海に」

 大きくため息をついたレドムは、やれやれという風に首を横に振って、いった。

「……しかたない。まあ、準備はできているしな」

 そうしてレドムは、エアハルトを見すえた。

「だが、起動に時間がかかる。敵との交戦は覚悟してくれ。いいな」

 は、とエアハルトは応じた。

 横のクイラは、二人がなんの話をしているのかまったくわからず、とまどいの表情を浮かべた。

「局長、サヴァンたちは、いまどこに?」エアハルトがたずねた。

「ついさっき通信があってな、スレドラハムを出たらしい」レドムが答えた。「ここに戻ってくるそうだ。タイミングが合えばいいが」

「やはり、スレドラハムとの挟撃は、できませんか」

「そう簡単じゃないさ」レドムは頭の後ろで手を組んで、椅子に寄りかかった。「正直、そこまで期待はしていなかった。というよりも、できればあの三人には、このままリターグから離れていてもらいたかったんだが、ね」

 それを聞いたエアハルトは視線をそらし、けわしい表情になった。クイラは、なおもぽかんと、二人の会話を聞いていた。

「まあ、いまさらいってもしかたない」レドムが気を取り直すようにいった。「肝心のエントールの戦況は、アイザレン軍がエトに駐留したままで、まだ動く気配がない。連中も十分補給してからラザレクへ、という算段だろう。さて、ここでわれわれが本領を見せれば、どうなるかだな」

 レドムはおどけるような顔を作って、まるで他人事のように首をかしげた。

「では、われらは起動まで、時間を作るということで」エアハルトがいった。

「軍と連携して、うまくやってくれ」レドムが応じた。「あまり出すぎるなよ」

「……局長」

 エアハルトの顔が、ふいに曇った。

「コーデリアについては、なにか情報は?」

 その言葉を聞いて、クイラは、なぜかピリッと身体が緊張した。

「まだ、なにもない」レドムは、重々しく首を横に振った。「ほかのエース級についても、わかっていない。ともあれいまは、目の前のことに集中するほかない」

 は、と、またエアハルトは応じた。クイラはわけもなく、自分の履く白いブーツに、じっと目をやっていた。


 ──コーデリア・ベリ。

 レドムのオフィスを出て、長い廊下を歩きながら、クイラは思った。

 コーデリア。エアハルトのパートナー。レンで行方不明になった、エアハルトの大事な人。

 知事局の中では、自然とそんな情報が、クイラの耳にも入ってくる。

 どんな人だろう。

 どんな顔をしていて、どんな性格で。

 前を歩くエアハルトに、問いかけるべきもっと切迫したことがらは、いくつもある。どうやって、絶望的な戦力差の敵と戦うのか。レドムのいう〝起動〟とは、なんのことなのか。サヴァンさんたちは、大丈夫なのか。

 でも、そんなことより、一本の線のように、ひとつの名前が、心に通っている。

 ──コーデリア・ベリ。

 喉元まで、なにか言葉が出かけている。それがどうしても言葉にならない。すごくもやもやとして、苦しい。こうしてエアハルトの広い背中を見ながら、なにかその真っ白い制服の白さに、吸いこまれてしまうよう。

 クイラは下唇を噛んだ。そして、ほとんど衝動的に、エアハルトにむけて口を開こうとした。

 そのとき、けたたましい警報音が鳴った。敵襲を告げる警報だ。

 エアハルトは歩調を乱さず、廊下を進んでいく。

 クイラはすこし早足になりながら、必死に、エアハルトの背中との距離をたもった。


「それにしても、なんだねえ」

 男の声がする。「まさか、軍の船の世話になるとは、思わなかったなあ」

「やむをえまい」

 不機嫌そうに返す女の声がする。

「あのまま『ロヴァ』で駆け回っても、現状では、いたずらに戦闘に巻きこまれるだけだ。それに、むかう先は、軍もわれわれも同じなのだからな」

 二人は、壁一面のガラスの前に立っていた。飛行艦の、広いブリッジの中だ。

 艦長ら軍の士官や通信士は、所定の位置にいて、その歓迎できない二人の客を、遠巻きにながめていた。

 艦としては、いままさにリターグへの攻撃がはじまろうとしているときに、ただでさえ不吉な中枢卿の、それも隊長二人を乗艦させるはめになるなど、まがまがしいとしかいいようのないことなのだった。

 この二人、ルキフォンスとケンサブルのここ数日は、あわただしいものだった。

 二日前に、リディアの攻撃で手痛いダメージを受けてから、二人は考えを変えた。

 なるほど、さすがに、マッキーバやエルフマンが捕らえられなかっただけのことはある。あの『知事』たちの力は伊達ではないし、リディア・ナザン自身も、あれほどの能力を秘めている。

 また気配を追っていくこともできるが、同じような展開になることは、目に見えている。

 一度、手はずを整えたい。でも自分たちは、団長の命令にしたがって、飛行艦隊をもってきていない。あるのは『ロヴァ』と、その輸送艇、そして護衛の飛行艇数隻だ。部下の数も少ない。

 そこでルキフォンスとケンサブルは、急ぎ『ロヴァ』を駆って、エントールに近いレンに向かった。陸軍の一個軍団が、スレドラハムからリターグに進軍しているのに対して、空軍の飛行艦隊は、レンを中継点にして進む方針だった。

 そして、レンに駐留していた軍の飛行艦隊に行き当たった二人は、その旗艦に卿団権限でむりやり乗りこみ、虎視眈々と、リディアたちとの再会の機会を狙っていたのだった。

 その艦も含め、いまアイザレン軍の飛行艦隊は、リターグに向かう空の上にあった。眼下には、快晴の砂漠がどこまでもつづいている。

 時は、ちょうどリターグで警報が鳴ったころのこと。

 灼熱の外の風景を、ルキフォンスとケンサブルは、すずしげに見おろしていた。

「戻ってくるのかねえ、あの連中」

「くる」ルキフォンスは即座に答えた。「まちがいなく、な」

 そうしてきつい目になったルキフォンスに、ケンサブルは思わず顔を向けたが、言葉はかけなかった。

「もし戻ってこなくとも、」ルキフォンスはつづけた。「今度は物量の差がある。連中も、さすがに飛行艦を相手にはできまい」

 二人は、しばし沈黙した。

 ──あの女。

 ケンサブルは、顔には出さなかったが、心では、不気味に笑っていた。

 あの小生意気な、『知事』の女。あれは強いなあ。もしかすれば、士団のメイナード・ファーより、強いかもしれん。

 楽しみだ。本当に、また会うのが楽しみだなあ。

 ──リディア・ナザン、か。

 ルキフォンスのほうは、そう想っていた。

 たしかに聞いたとおり、あやしげな技を使う、とらえどころのない女だ。『知事』でも静導士でもない、強力な使い手。マッキーバの連れているという子供と、似たようなものか。しかしなぜ、わがアイザレンは、血眼になってリディアを追うのか。

 その、団長や国の中枢部しか知りえない情報が、知事局とやらには、あるいはあるかもしれん。

 白銀のフェイス・マスク越しに、ルキフォンスは口を引き結んだ。


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