砂漠の決闘・2
ブウン、という低い飛行音が、コックピットに響いている。
そのコックピットのシートは、二人がならんで座るタイプだ。
そして、そこにはいま、男と女の姿がある。
操縦席の男のほうは、ときおり航行パネルに手を伸ばし、操作をしている。
隣席の女のほうは、腕組みをしたまま、微動だにしない。
「見えた。あの船がそうかなあ」男が、のんきなような声でいった。
「解せんな」
女がいぶかしげにいった。
「たしかに『知事』のような気配だが、もしリディアという娘を連れて、このような砂漠の真ん中を飛んでいるとすれば、目的がわからぬ」
「なあに、会ってみればわかることさね」息を吐くように、男がいった。「娘がいなくても、『知事』を排除できれば、儲けものだ」
「どうする、不時着させるか?」
「生け捕り、が団長の命令だからねえ。しばらく様子を見るさ」
「……『知事』、か」女が、どこか遠いような声でいった。
「不安かね、ルキフォンス?」おもむろにパネルのスイッチを押しながら、男がいった。
「おまえがいれば、いや、おまえと共にあれば、不安はないぞ、ケンサブル」ルキフォンスがいった。
「そうかね」おぼろげな声で、ケンサブルは答えた。
「わたしは、ただ『知事』という存在が、不可解なだけだ」ルキフォンスがいった。「やつらは、いったいなんのために存在するのか」
「そうだなあ」ケンサブルがぼんやりと答えた。「おれは、強いやつと立ち合えれば、それでいいけどねえ」
コックピットに、静寂がおりた。静かな飛行音だけが、切れ目なく聴こえている。
「降りるみたいだねえ」やがて、ケンサブルがぽつりといった。
「こちらの陸戦隊の背後か。ますますわからぬ」
「どうするね。この機体なら、やつらの背中を突けるよ」
「いや、おまえがいったとおり、相手の出方を待とう」ルキフォンスは答えた。「『知事』がなにをするつもりなのか、見てみたい」
「前にいる、うちの軍部の部隊には、知らせなくていいのかね」
「必要ない」冷然とルキフォンスは答えた。「へたに手出しをされて、娘が死んでは、元も子もない」
「まあ、そうだねえ」
ケンサブルはパネルのスイッチをいくつか操作し、操縦桿を握った。とたんに、機体が横にかたむき、滑るようにゆっくりと下降しはじめた。
しかし、その姿を目にとらえるものは、だれもいない。
アイザレンの誇る光学透過戦闘機『ロヴァ』は、きつい太陽光すら反射させずに、まるで気体のかたまりのように透明のまま、不気味なほどひそやかに、まだだいぶ遠いところにいる一隻の飛行艇に近づいていった。
八個師団が集まった軍団の行軍は、壮観だった。
歩兵部隊ではなく、戦車が主体の機械化部隊だ。
八百輌以上のフロート・タンク。それらは一見すると、灰色のゴムボートが、どでかい棒を伸ばしているような姿をしている。
おなじくフロート型の車両で移動する歩兵は、三万ほど。
砲を積んだ輸送車両も、何百と路を行く。
フロート車は地面に触れずに移動できるので、これだけの大規模な部隊でも、リターグまでの五百キロの道のりを、二日ほどで踏破してしまう。
不測の事態が起こらなければ。
ドン! と鈍い爆発音が、砂漠に一つ響いた。
一台のフロート・タンクが、煙を上げる。
そしてたてつづけに、ドン! ドン! ドン! と轟音がつづく。
緊急停止を余儀なくされた、最前線のタンクの列から、黒煙が立ちのぼる。
一瞬の混乱。まさかこんな砂漠の僻地で、攻撃?
たちまち戦闘態勢に入る。全体でやや散開し、隊列は横に伸びた。
ドドン! とまた爆発音が響く。今度は前方ではなく、後方だ。たちまち車両が黒煙を上げる。無数の歩兵の動きが、一気にあわただしくなる。まさか、挟み撃ちか? それらしい気配もなかったのに?
部隊はさらに散開し、前と後ろからの攻撃に対応する態勢を取った。あとの行動は、指揮官の命令待ちだ。この場にとどまって迎撃するか、それとも、いったんルートをそれて退避するか……
「よし。左に移動するみたいだ。撃ちまくるぞ」
「撃ちまくれるほどの弾はないけどな! リディア!」
はい! と声をあげて、リディアがグレネード・ランチャーをレダに渡した。
レダはそれを無造作につかんで肩にかつぎ、たいして狙いもせずに発射する。
とたんに遠い前方で、くぐもった爆発音。
サヴァンたちは、敵部隊の後方、一キロほどのところにいた。
小さな岩山があり、サヴァンとレダはそこに隠れるようにして、見晴らしのいい前方に、太い槍のようなランチャーを向けている。
そしてリディアは、そのうしろで、空になったランチャーに弾をこめている。
剣技に通じ、飛行艇の操縦もできるリディアでも、さすがに対戦車用のグレネード・ランチャーは、重さからなにから扱いかねる。だが弾をこめる役割も重要だ。切れ目なく攻撃してこそ、敵はひるみ、混乱するのだ。
実際、アイザレン軍の一個軍団は、大規模な奇襲を受けたと誤解して、とりあえず直線的な攻撃を避けようと、全体を横に移動させた。
サヴァンたちが望んでいたのは、これだった。
敵はリターグ攻略を前に、無用な損害は避けたいだろう。だから大きく迂回する。……そのはずだ。
サヴァンは、敵の大部隊に目をこらして、思った。
──でもどうしたところで、結局この程度では、たいして戦力はけずれない。
それに、これでどれくらい時間をかせげるのか。一日くらいは進行が遅れるだろうか。その間、リターグはなにができる? 同盟国のエントールは、本土決戦で援軍どころじゃないかもしれない。リターグとしては、ひとりでも多く民間人を避難させるくらいが、せいいっぱいだろうか。
砂まみれになって、必死にランチャーに弾をこめているリディアの姿が、サヴァンの横目に映る。
……この際、おれとレダの二人で、直接攻撃したほうがいいか。そうすればすくなくとも、歩兵の数を大きく減らすことはできる。
「サヴァンさん」リディアの声がする。
振り向くと、弾をこめたランチャーを両腕でかかえて、真剣な表情で差し出すリディアがいる。サヴァンはすこしためらってから、そのランチャーを受け取った。
「アッハハ!」とレダが高笑いをする。レダの放った弾が命中した車両が、炎と黒煙に包まれる。
これだけの大部隊なのだ。それを狙う砲撃に、精密さはあまり求められない。ちまちましたことが嫌いな、そして派手なことが好きなレダにとっては、恰好のシチュエーションといえる。
「やっぱりこれじゃ、らちがあかない」サヴァンは、リディアに顔を向けた。
「リディアさん、おれとレダが出ます」
リディアとサヴァンの視線が、交わり、かたまった。リディアの口が、きゅっと結ばれる。
無力な自分。砂漠民の団結はほど遠く、結局は、ふたりの力に頼るしかないのか。でも、リターグは守りたい。わたしの理想よりもなによりも、絶対に、リターグは守りたい。そこは、サヴァンさんと、レダさんの、大事な故郷だから。
故郷を失う気持ちは、わたしには、わかりすぎるほどわかっている。
リディアの脳裏に、ふいにきれぎれの光景が思い浮かぶ。
ナザンの町、城、人々、父。
繰りかえされてはならない。わたしは、大きな信念よりも前に、救えるのなら一つの町を、救いたい。
「わかりました」リディアは、サヴァンから視線を離さず、うなずいて答えた。
「リディアさんは、船にいてください」サヴァンは口早にいった。三人の後方には、乗ってきた飛行艇がある。「いつでも飛べるように、お願いします」
はい、とリディアはまたうなずいた。
そのときだった。
ふと、空気が変わった。
喧騒の中の静けさ。前方の喧騒よりもさらに不穏な、静けさが、サヴァンたちの背後にあった。
サヴァンは眉をしかめて、振り向いた。
ほう、とレダもひと声あげて、そちらを見た。
あわせて振りかえったリディアは、ハッとして、すこし後ずさり、護身用の短剣に手を伸ばした。




