砂漠の決闘・1
水筒から、一口というには多すぎる水を、サヴァンは一息に飲んだ。
身体は小型の飛行艇の船体に寄りかかり、砂漠のきつい日差しを、伸びた翼の影で避けている。
暑い。いまは午前中だから、これからさらに暑くなる。
おまけに、自分は朝から砂にまみれての重労働だ。『知事』用の白い詰襟の制服も、汚れにくい特殊な生地とはいえ、もとの輝きは微塵もない。
サヴァンは顔をしかめて、岩肌と砂が延々と広がる地平を、ぼんやりとながめた。
ここはヴァキ砂漠の、リターグから五百キロほど北の場所だ。
スレドラハムとの交易路の直線上で、さらに千キロ北に、昨日までいた、そのスレドラハムがある。
広大なヴァキ砂漠の部族を団結させ、アイザレンの凶行にまっこうから挑む。そんなリディアの気高い理想は、第一歩のスレドラハムでの説得交渉でいきなりつまずいたが、リディアの熱意は変わらない。砂漠の熱気が、そのまま心に宿っているかのようだ。
──たしかに、まだ希望はある。いや、ここまできたら、あってくれなければ困る。
サヴァンは顔の汗をぬぐい、水筒を片手に物思いにふけった。
知事局の局長、ジオ・レドムの指令は、まずスレドラハムを説得して、リターグに迫っているアイザレン軍を挟撃する、というものだった。
しかし、スレドラハム王にすげなく拒絶された現状では、それはかなわない。
ただし、転んでもただでは起きないのが、いつものおれたちだ。
結果的に、義に背を向けるかたちになったことに、スレドラハム王も内心では後ろめたい思いがあったのかもしれないが、とにかくこころよく、自分たちが欲したものを与えて、送り出してくれた。
遠隔操作で爆発する、対車両用の指向性地雷をたっぷり。そして対戦車グレネード・ランチャーをいくつか。
王としては、都合のいい手切れ金代わりだろうが、これが砂漠民団結の発火装置になることを、リディアは信じて疑っていない。
自分としては、そこまで一途には信じることはできない。そして、レダはあいかわらず、なにも考えてない。ただド派手なことができると知って、顔をニヤつかせ、心を躍らせている。
「終ったか?」
ハッチが開けっ放しになっている飛行艇の入り口から、そのレダの声がした。
「あいつら、もうすこしで視認できるところにくるぞ。そろそろ離れたほうがいいって、リディアもいってる」
「了解」
サヴァンは前方の、自分の労働の成果を見わたしてから、飛行艇の中に入った。
朝から砂にまみれて敷いた地雷群。ひとまずこれで、敵部隊の足は停まるだろう。
そして、敵の背後から、ランチャーをお見舞いする。
それによって、大規模な攻撃と勘違いした敵部隊が、進攻ルートをそれて、一時退却してくれればいい。十分戦えるということを、砂漠民にアピールすることもできるし、リターグは、エントールに援軍を要請する時間をかせげる。
なにせ、敵の一個軍団は、もうリターグの目と鼻の先といっていい。時間の勝負だ。だからこそ、夜を徹して敵の先回りをし、こうして必死になって地雷をまいたのだ。
とりあえず、地道な手段で、やるだけのことはやる。それでもうまくいかなければ、最悪、レダや自分が、敵を狩れるだけ狩る。
悠長に事をかまえていられない。エントールの戦況は、エトが陥落したことで、また大きく変わったのだから。
狭いコックピットの、航行パネルに囲まれた操縦席に、リディアはぼんやりと座っていた。サヴァンが背後に近づいて声をかけると、ハッとしたように振り向いて、すこし疲れたような笑みを見せた。
「終わったんですか、地雷をまくのは?」
「ええ、終わりました」サヴァンは答えた。「敵が、目視できる距離まで来ているとか」
「はい」軽くうなずいて、リディアはいった。「あと一時間もしないうちに、ここに到達すると思います」
「じゃあ、急がないと」サヴァンはいった。「もう出られますか?」
「ええ、いつでも」リディアはほほえんだ。砂漠民独特の複雑な模様の、動きやすそうなチュニックを着ている。金色の髪はいつものように、きっちりと三つ編みを頭にぐるりと一周させている。
そのきれいな顔立ちの目元には、疲労の跡が見える。疲労は現在進行形だ。なにせリディアは、飛行艇の操縦を一手に引き受けている。手馴れているというわけではないが、サヴァンやレダのように、パネルの計器類にとほうにくれることはない。自動航行に頼れない状況の場合は、リディアひとりが航行を受け持つしかない。ただでさえ、この大戦がはじまってから骨の髄まで疲れているところに、さらに鞭でうたれるようなものだ。
「本当にすみません、リディアさん」
サヴァンはそんなリディアを憂慮して、もう何度となく口にした謝罪の言葉を、いまもいった。
「ぼくやレダも、なるべく早く操縦を覚えますから。それまではなんとか」
「いえ、そんな」リディアは小さく首を横に振った。「わたしにできることは、限られてますから。……サヴァンさんやレダさんの足手まといにだけは、なりたくないんです」
「よしてください」サヴァンは、あえて軽口の調子でいった。「リディアさんはナザンの王女、ぼくとレダは単なる護衛です。本来なら、こんな船くらい、ぼくらが操縦しなければならないのに」
「わたしは、王女ではありません」リディアはサヴァンから目をそらし、小声だがはっきりした口調でいった。「でも、王女の役を演じることはできます。砂漠をまとめるまで、わたしはその役に徹します」
「ぼくもレダも、『知事』として、必ずリディアさんを守ります。逆をいえば、ぼくらのほうこそ、それくらいしかできることはありません」
「『知事』として……」何度かうなずきながら、リディアはつぶやいた。
「もちろん、友人として、仲間としても」おもはゆい感じはしたが、サヴァンはそうつけたした。リディアは顔をサヴァンに向けると、ふっとほほ笑んだ。
「サヴァン、おまえ、浮いてるぞ」うしろでレダの声がして、サヴァンは振り向いた。ニヤニヤしたレダが、コックピットの入口に腕組みをして立っている。
サヴァンが口を開きかけたところを、レダがさえぎった。
「いま局長から連絡があった。エントールのアイザレン軍は、まだエトにとどまっているようだぞ」
「そうか……」ためいきまじりにサヴァンはいった。「で、エントール側の対応は?」
「さあ」レダはちょっと首をかしげて、あっけらかんといった。「局長の話では、戒厳令とか、徹底抗戦とか、そんな話だったぞ」
それを聞いておいて、さあ、もなにもないだろう、とサヴァンは胸の内で突っこんだが、言葉にはしないで、かんばしくない戦況に思いをやった。
アイザレン軍が、なんの前触れもなく砂漠とエントールに侵攻したのは、およそひと月前。
その理由はいまでもよくわからないが、ともあれこうして、エントールの奥深くにまで入っているのは事実だ。このままでは、レガン大陸はアイザレンに支配されてしまう。
それにしても、自分たちがスレドラハムにいたのは、わずか三日だ。まさかその三日の間に、エントールの要衝エトが落ちるとは思ってもいなかった。
エトの陥落の報を局長から受けたのは、昨日の夜だ。いまは当然、ラザレクは大混乱だろう。
頭には自然、リディアがラザレクに亡命した際に世話になり、さらにさんざん迷惑もこうむった、リカルド・ジャケイの姿が浮かぶ。大陸にその名をとどろかす静導士団の団長にして、大陸最強の剣士と称されている、エントールの威光。
〝今度は観光でお越しいただきたい〟リカルドの最後の言葉が胸によみがえる。〝エントールは、本来は美しい場所です〟
あのとき、「死ぬんじゃないぞ!」とレダはリカルドにいい、リカルドははじめて、愛嬌のある笑みを浮かべたものだった。そしてさっとひるがえって歩き去るその光景が、妙に焼きついて離れない。
どうか、がんばってください、と、いまはそんなことを心でつぶやくしかない自分がいる。歯がゆい気持ちだ。
サヴァンは、首を横に振って、息を吐き、気持ちを切りかえた。
「よし、ここを離れよう。リディアさん、敵の飛行艦隊のほうは?」
「いえ、レーダーにはなにも。別のルートから合流するつもりでしょうか」
「どうでしょう。なんにしても、こっちが動きやすいのはたしかです」
はい、とリディアは答えると、航行パネルをてきぱきと操作しはじめた。
「いよいよだな!」そう大声でいって、にんまりと不敵な笑みを浮かべたレダを見て、サヴァンはうなずいた。




