テッサの闘い・2
ガン! と、少女が乱暴に門を蹴破り、中に入り、片手にしていた部下の死体を投げ飛ばすのを、マッキーバは冷静に見守っていた。
──静導士ではないな。兵士でもない。何者だ?
公爵邸内の正門を抜けると、石畳の平地が、屋敷の前まで広々とつづいている。
そこに立ちふさがるように、マッキーバと、数十人の卿団員は整列していた。
マッキーバが、前に立ち、うしろにずらりと、黒マントの卿団員たちがならんでいる。
見回りをしていた仲間の死体を、無残に放り投げられたことで、かれらの気がこころなし乱れていることを、マッキーバは背中で感じた。
「エンディウッケってのは、どこ?」
半裸の少女が、大声でのたまう。
「あんたたち、邪魔。エンディウッケを出せ」
「名乗るがいい、少女よ」マッキーバは冷静に受け答えた。「それが礼儀というものだ」
少女は答えるかわりに、キィっと牙をむくような顔をした。
──また、子供か。
マッキーバは二人の闖入者を見て、あきれる思いがした。
エンディウッケだけでも手に余るのに、なぜか今度はそれを狙って、年端もいかない者たちがやってくる。世も末だ。
だが嘆いてばかりもいられない。
遠く、おそらくはエトから、二人だけでここまでやってきた。そして、屋敷の警備をしていた卿団員を、あのように苦もなく倒してしまう連中だ。
少女は、その死んだ卿団員の剣を持っている。少年のほうは丸腰だ。
そして部下の死体には、外傷らしいものは見当たらない。
精神攻撃か。たぶん丸腰の少年が、精神攻撃者なのだろう。
いったいどういうわけで、エンディウッケを狙うのか。
アイザレン国内ならば、まだわかる。卿団員暗殺の実行犯の、口封じだ。しかし、ここはエントールだ。エンディウッケの存在さえ、知る者はいないはずなのに。
「だれの差し金だ、少女」
無駄だとは知りつつも、マッキーバはそう問いかけてみた。この少女は、対話を望んではいない。望むのはただ、血みどろの、凄惨な戦いだ。おれにはそう直感できる。少年のほうはよくわからないが、少女と同じく、会話をする気はないように見える。
案の定、不敵に笑うだけの少女と、ぼんやりとした目つきの少年の姿。
「やむを得ん」
マッキーバは、すらりと長剣を抜いた。
あわせてうしろの卿団員たちも、いっせいに抜刀する。
「本意ではないが、斬るぞ」
そのとき、ヒュッ、とミドが短く口笛を吹いた。
ヒュウ、とシドが応じて、ふいに肩を怒らせるような立ち姿になった。
瞬間、強烈な波動が、マッキーバを襲った。
全身の細胞がにわかに湧き立ち、溶けていくようなおそろしい感覚。
ドサ、ドサ、と音がする。
背後の卿団員たちが、倒れる音だ。
首が、あらぬ方向に曲がっている者、手足が醜悪に折れ曲がっている者、どす黒い血を吐き出している者。
──これは……精神攻撃ではない! なにか、身体に直接影響を与える力だ!
地面にひざを付きそうになるところをなんとかこらえて、マッキーバは剣を構えた。
突然、剣先が目の前に飛びこんでくる。
マッキーバは自分の剣を横にして、かろうじてそれを受けた。
ギイン、と、鈍い金属音がする。
ギリギリギリ、とマッキーバの剣が押されていく。
「死ね!」
マッキーバにおおいかぶさるように、剣を振り下ろすミド。シドはそんな二人の様子を、じっとうかがっている。
──なんて力だ!
マッキーバは震撼した。
この少女は怪物か? どんどんおれの剣が力負けしていく。すでにおれは腰を折って、少女に見おろされる格好になっている!
それに、あの少年。
とてつもない異能の持ち主だ。手も触れずに、相手の身体を壊す、それも一気に何十人も!
まさに悪夢だ。こんな者たちをさしむけてきたのはだれなのか。なんのために、エンディウッケを狙うのか。
マッキーバは、歯をむき出しているミドをにらみつけ、渾身の力をこめて剣を払うと、すばやく後ろに引いた。
肩で荒々しく息をつき、憤怒の顔をマッキーバにむけるミド。
体勢を立て直し、ミドとシドを交互に見るマッキーバ。
冷めた表情で立っているシド。
三人の時間が、いっとき固まった。
──部下は全滅。おれも押されている。さて、どうするか……
マッキーバは剣を構え直した。
ヒュイ、とシドが口笛を吹いた。
「わかってるわよ!」ミドが大声をあげた。
とたんに、また強い波動が、マッキーバの身体をつらぬいた。
……グ!
おもわず声をもらすほど、壮絶な感覚。見えないものに押しつぶされるような、まがまがしさ。
前方には、剣を片腕に抱え上げて、不穏な笑みを浮かべているミドの姿が見える。その長いポニーテールが、潮風にゆらゆらと揺れている。
──もっと徹底的に、迎撃の準備をしておくべきだった。
マッキーバの胸中には、後悔の念しかなかった。
このままでは、おれは死ぬだろう。それは別に怖くはない。だが、エンディウッケ、あいつはどうなる? おれが手を引いてやらないと、あいつはなんにもできやしないんだ。
ああ、顔が浮かぶ。エンディウッケの、あどけない、弱々しい顔が浮かぶ。これだけが心残りだ。おれが死んだら、エンディウッケは……
「アハハ! おっさん、キツそうじゃん?」
ミドの嘲弄が飛ぶ。
ヒュ、とシドが口笛を吹く。
「わかったってば!」
ミドは、かつぎあげていた剣を両手に持ち替え、正眼に構えた。
「すーぐ楽にしてあげるからね」
不気味にやさしい声でそういうと、ミドはスッと一歩踏み出し、跳躍した。
剣先が、マッキーバの額に迫っていく。
マッキーバの身体は動かない。
それは、あまりにも一方的だった。
「奏でるもの、奏でないもの、わたしのまわりを、行き来するもの」
声が聴こえる。
「歌え、無為の視線。歌う、無為の視線」
細い指が複雑に交差する。
「皮膚を行く、血球の夢」
小さな身体が、姿をあらわす。
「時が、身体を刺激する」
エンディウッケは、すっくと立ち止まると、印を結んだ腕を前に伸ばした。
「祝う日、消える日、夢幻の日」
ぐぅあ! と叫んで、ミドとシドが頭をかかえてうずくまる。
「青い空に鳥。黒い影の鳥」
エンディウッケが最後にそうつぶやくと、たえきれずにミドが嘔吐した。
シドは歯を食いしばって顔をあげた。目には、まだ理性が残っていた。
シドがうずくまったまま気合をこめる。
突然、空気が揺らいだ。
ぐにゃりと圧迫するような質感。
その気に当たり、エンディウッケの瞳の色がふっと鈍くなり、身体がふらついた。
マッキーバの目もかすみ、ほとんど意識を失いかけていた。
エンディウッケとマッキーバが、そのまま地面に倒れたのを見て、シドはよろよろとミドのもとにむかい、すでに意識のないミドを肩にかついで、足早にその場を去っていった。
広大な石畳の広場には、何十もの動かない塊が残された。
卿団員たちのマントだけが、潮風にたなびいていた。




