ユーゼン公領の殺人・1
夜の並木道を、歩く男たちがいた。
ほこりよけの黒いオーバーコートで全身をおおった、六、七人ほどの奇妙な集団だった。
おたがいにある程度の距離をとっていて、歩きかたはごく自然だったが、実際は見事に統率された隊形を作って進んでいた。
その先頭の男は、オーバーコートの上に、薄いケープをかさねていた。
ケープの両肩には、十字の上に、ずらした二つの「X」を描いただけの、シンプルな紋章が縫い取られている。
それは、アイザレン帝国中枢卿団のシンボル・マークだ。そしてこの紋章付きのケープを身にまとえるのは、卿団の中でも、上位の者に限られていた。
石畳の両側の木立は、長々と続いている。
ここは、アイザレン第二の都市カイトレイナの、郊外にある遊歩道だ。
夜もふけきったいまは静まりかえっている。
そんな道を、屈強な男たちが張りつめた表情で歩いているのだった。
ふと、先頭の男が立ち止まった。
ほかの者たちも、それにあわせてピタリと脚を止めた。
男たちの前方に、見える影があった。
いや、影ではない。一人の人間。それも、黒いドレスを着た、幼い少女だ。
両手を腰のうしろに組んで立っていた少女は、ちょこちょこと前に進んで、声の届く距離で、ぴょん、と跳ねるようにして止まった。
「あたし、エンディウッケ」
と、少女は無邪気な声を響かせた。「おじさん、お名前は?」
「……信じられん」
と、先頭の男は少女の質問には答えず、ぼう然として首を横に振った。「こんな子供に……とても信じられん」
「おじさん、この前の人より強そう」
少女は楽しげにいった。そして突然、ひややかな口調に変わって、こう続けた。
「でもおじさんの顔、もう彼岸にあるよ」
男たちはいっせいに剣を抜いた。
*
「これで、三件目」
そういった男の声は冷静だったが、かすかに苦々しさがこめられていた。
「しかも今回は隊長クラスだ。前の二件とは、わけがちがう」
「おれの後任、でしたっけ?」
と、気のない声がした。
「モラフは腕の立つ男だった。それがこうも簡単に討たれるとはな」
はじめの男がいった。
「やはり、おまえをカイトレイナから出すべきではなかったな、マッキーバ」
マッキーバは無言で、いまさらしかたがない、という顔をした。
ここは、アイザレンの首都ケーメイにある、卿団本部の団長執務室だ。
マッキーバと、中枢卿団・団長エーヌ・オービットは、机をへだてて座っていた。
どんよりと曇った昼下がりで、部屋の中も陰気だったが、それは天気のせいだけではない。
二人は、ここ最近起こった、カイトレイナの卿団員の連続怪死事件について話しあっていた。
そこへちょうど、三件目の事件の報が入ったのだ。
エントール皇国との開戦から五日が経過していた。
リディアたちの乗った艦が、エルフマンの襲撃を受けた翌日のことだ。
「これは、首相派のしわざ、と見るべきだろうか?」
と、オービットがマッキーバにいった。
年齢はマッキーバと同じ四十代のオービットだが、風貌は似ても似つかない。
むさくるしいマッキーバの横に立てば、二十代といっても通用しそうだ。
短髪、色白、ひきしまった黒い制服。そして、あざやかな赤い瞳。
〝赤目〟。これは、敵対者がオービットを揶揄するときの呼び方だった。
「首相派以外、うちらを狙う物好きがいますかね」
マッキーバは、ふっと鼻で笑っていった。
「おれはそれよりも、死因のほうが気になりますね」
「モラフたちも、同じようにやられたようだな」
「剣を抜けども斬りあわず、顔は恐怖にゆがめられ、倒れた姿は枝のよう」
「精神攻撃だな」
オービットは、マッキーバの不謹慎な軽口を取りあわずにそういった。
「ナザンでさんざんな目にあって、まだ一週間もたっていないのに」と、うんざりした声でマッキーバはいった。「やだなあ、こういうの」
「カイトレイナ以外、おまえの持ち場はないぞ」
オービットがいった。
「中央戦線はエルフマンとルケ、西部戦線はルキフォンスとケンサブル。適材適所だ。文句はなかろう」
「ルケと交代したいですね」と、おどけるように視線をそらして、マッキーバがいった。「こういうのは、ルケのほうがいいと思うがなあ」
「今日中にカイトレイナに行け」
おだやかながらも断固とした声で、オービットはいった。
「卿団の威信は、おまえに預ける」
「あの娘はどうする」立ちあがったマッキーバが、オービットに真顔を向けた。
「しばらく放っておくしかない」
オービットはニヤッと笑って答えた。「エントールは、実にやっかいな国だからな」
*
歌いながら、リディアは泣いていた。
こんなに美しい歌なのに。
それなのに、わたしの歌うこの瞬間にも、人が死んでゆく。
わたしを守るように取り囲む人たちが、斬られ、刺され、撃たれ、地に倒れてゆく。
わたしは立ちつくし、これ以上ないほど声を張りあげて、歌っている。
かつては思い出せなかった旋律を、思い出せないままにしておくべきだった、と後悔しながら。それでもなにかの責任、なにかの義務にしばられて、わたしは歌っている。
そしてわたしは、待っている。
わたしを守り、死んでゆく人たちも、同じものを待っている。
それはなに? わからない。
涙でにじんだ目の奥に、美しく着飾った女たちの姿がぼんやり浮かび上がる。わたしに似ている。女たちの笑い声が聴こえる。笑いながら、彼女たちはわたしを呼んでいる。
わたしの名を呼んでいる。
わたしの、名を……
目をさますと、視界にレダの顔が飛びこんできて、リディアはハッとした。
「起きた!」
とレダはいって、濃い口紅の唇をつり上げ、笑みを浮かべた。
「おまえいま、寝ながら歌なんかうたいはじめたからな。もうダメかと思ったぞ」
「ここは……」
レダに助けられてベッドから上半身を起こしたリディアは、腕の点滴の針に目をやり、あたりを見まわした。
「ここは、あー、ユーゼン公爵領だ」とレダは答えた。
「わたくしは……」
薄い意識の中で、リディアは記憶を呼びおこそうと、視線をさまよわせた。
あの戦闘指揮所で、たえまない衝撃と爆音にさらされたところまでは覚えている。
でも、そこから先は、思い出せない。
「おまえは、マスチスの指揮所で気を失ったんだ」
レダはリディアの頭をぽんぽんと軽くたたいていった。
「あのあと、なんとか山脈を越えて、着陸して、それからあたしとサヴァンとおまえは、この公爵邸に泊まってるってわけ」
「わたくしは、どのくらい眠っていたのですか?」
「いまは昼前だから……まるまる二日だ!」
と、レダはあらためて驚いたような大声を出した。「寝すぎだ、おまえ」
「ほかのみなさんは?」
「みんな、十キロくらい離れたマスチスにいるぞ。エントールの首都までは持たないから、応急処置をしてリターグに帰るんだとさ」
「これから、どうなるのでしょうか」
「さあ」と、そっけなくレダは答えた。「あたしは、生きてるだけでありがたいけどな。もっと軽い船だったら、撃沈されてたぞ。その点、局長の判断は正しかったな」
レダはそういうと、リディアのベッドから離れ、すぐそばの窓のカーテンを勢いよく開けた。
その先の光景に、リディアは思わず、「まあ!」と感嘆の声をあげた。
部屋は二階にあり、窓からは、広大な庭園が見わたせた。
色とりどりの花で織られたカーペットがどこまでも広がっているような、すばらしい大庭園だった。
「ユーゼン公爵領……」
リディアは、自分が身を置いている場所に、ようやく意識をやった。
「エントールの、いちばん東の領土だ」
と、レダが腕組みをして窓の外を見つめながらいった。「あの二公戦争のユーゼンだ。でも、そんなことより」
レダは、リディアをチラッと見てつづけた。
「ここはなにか、いやな感じがする。あまり長居はしたくないぞ」
 




