テッサの闘い・1
──テッサ、か。
マッキーバは、広間の大窓に映る、明かりのとぼしい夜の街並みを、見るともなく眺めていた。
──戦渦に巻きこまれたテッサの町もそうだが、このトルゼン公の屋敷は、ことさらに……。
怨念、宿業。
そんな言葉が、胸に湧き起こってくる。
トルゼン公アーシュラが、ケンサブルに討たれた場所。
それからたいして日も経っていないのに、ここはまた、おそらく果たし合いの場となる。
討った側を、今度は逆に、討とうとする者。いや、者たち。
その複数の気配は、確実に近づいてきている。
腕組みをして、窓に向かって立ちつくすマッキーバは、さらに思った。
──おれは曲がりなりにも、卿団の筆頭隊長だ。どんな相手でも、迎え撃つ覚悟でいるし、実際そうしてきたつもりだ。だが……。
マッキーバは、暗いガラスに映る、背後のソファーに目をやった。
──あそこで、ああして縮こまっているエンディウッケは、やはり子供なのだ。あるいは、ただの子供よりも、怖がりかもしれない。
なんにせよ、エンディウッケを尋問しようとしていた矢先の、この気配の接近だ。
尋問。そう、カイトレイナでの、卿団員暗殺についての聴取。
本当にこの子のしわざか。だとしたら、だれに命じられたのか。
団長オービットからたくされた、重要な仕事ではある。
でも正直、自分はそのことには、もうあまり関心はない。
いまは、ただひとつのことだけ、ひたすら念じている。
〝エンディウッケには、幸せになってほしい〟。
こんなことはいえた義理ではないが、それでも、これがおれの、掛け値なしの本心だ。
だからおれは、この子を守る。戦場に連れてくるしかなかった、おれの不徳の、せめてもの罪滅ぼしだ。
その決意がためされるときが、どうやら迫っているようだ。
マッキーバは窓から、エンディウッケのほうに身体を向けた。
「エンディ。おまえは、出なくていい」
マッキーバはいった。
「この気配の連中の相手は、おれがする。おまえは旗艦に戻れ」
ソファーに座るエンディウッケは、足元を見つめたまま、ブンブンと強く頭を横に振った。
「じゃあ、どうしたい?」マッキーバはたずねた。「いつかのように、おれのうしろに隠れて、マントにしがみついているつもりか?」
エンディウッケはすこし口をとがらせ、おびえながらも非難がましい目を、ちらっとマッキーバにやった。
「あの『ワニ』と『学者』のときは、おれはひとりだったが、いまはちがう。何十人もの部下がついている。敵はせいぜい二人。心配はない。そうでなくても、われら卿団としては、暗殺事件の大事な証人を失いたくない」
エンディウッケは身をすくませ、その目には哀しげな色が灯った。
「聞きわけてくれ、エンディ。艦にもどるんだ」
「いや」
ぽつりとエンディウッケはつぶやいた。
「ならどうする? そんなおびえた状態で、おれと一緒に戦うのか? さっきから震えっぱなしじゃないか。そうだろ?」
エンディウッケは無言で、弱々しくまた首を横に振った。
「時間がないんだ、エンディ。いうことを聞いてもらう」
そうしてマッキーバは大声で、広間の外にひかえている部下を呼びつけた。
「エンディウッケを旗艦に連れていけ。部屋に入れて、おれが許可するまで出すな」
黒いマントに全身を包んだ卿団員が二人、その命令を受けて、さっそくエンディウッケのもとに歩み寄っていった。
二人にうながされ、エンディウッケはしぶしぶ立ちあがった。そして、ぶ然とした顔で、マッキーバをにらんだ。
マッキーバとエンディウッケの視線が、すこしの間、ぶつかりあった。
「行け」
やがてマッキーバは部下に命じた。部下は、身体をこわばらせたエンディウッケを引っぱりながら、広間をあとにした。
──胸が、チリチリしやがる。
マッキーバは閉じられた扉を見つめながら、思わず顔をしかめた。
これは、もうすぐそこまで来ている気配のせいなのか。それとも、エンディに対する思いからか……。
なんにせよ、敵の目的はわからんが、火の粉は振り払うだけだ。卿団の名誉も、エンディも、かならず守る。
マッキーバは、腰の剣の柄を無意識に触って、決然とした調子で扉に向かっていった。
時は、夜。
エトでは、キュベルカがレイゼン公殺害の後始末の方法を、一人考えているところだった。
ザァ、っと、潮騒の音がする。
潮の匂いも運ばれてくる。
ここちよい夜の海風。白い石畳の舗道。
うすぼんやりとしたオレンジの灯火にいろどられた、その舗道を、歩く者がいる。
遠目には、夜の散歩としか見えないだろう。
だが近づくにつれ、散歩にしては様子がおかしいとわかる。
一人は、上品なブレザー姿の少年。
もう一人は、白い布で胸と腰をおおっただけの少女。
少女の素足は、揺るぎない足取りで前に向かっている。
そして、少女の引きずる死体。
首根っこをつかまれ、ずるずると引っぱられている、屈強な大人の死体。
その全身をおおう黒いマントは、いまは無惨にも地面を掃いている。
「置いていきなよ、ミド」シドが口を開いた。「じゃまになるだけだよ、そんなの」
だがミドは答えずに、一心不乱に前に進む。目はぎらつき、口はなかば開いている。片手には、大ぶりの剣。全身に力がみなぎっている。まるでその躍動をおさえこむために、わざわざ死体を引きずって歩いているようだ。
シドは軽く息を吐くと、そんなミドの背中を見て歩きつづけた。
エンディウッケというターゲットに、簡単には近づけないだろう。シドはそう考えていた。きっと中枢卿団の連中が、手ぐすねを引いて待っているはずだ。でも、ミドはお構いなしに挑みかかる。ぼくも、それに合わせなければいけない。
いやだな。ぼくは別に、だれとも戦いたくない。
ぼくはいつも思う。なんで自分は、この世界にいるんだろう。なんのためにぼくは、こうして生きて動いているんだろう。なんだか、いまはそれが、ひどくばからしいことに思えてくる。
でも、前を行くミドは、そんなことを考えたこともない。
シドは、大股で歩いていくミドを見つめた。
ただただこうして、いつでも猛っている。ありあまる力を、好き勝手に発散している。ミドは自由だ。ぼくと境遇はまったく変わらないのに、なんでこうも、ちがうんだろう。
そう、ぼくはいつも、ミドがうらやましくなる。
二人の前方に、高い門が見えてきた。
「エンディウッケとかいうガキは、あたしのものだからね!」
ミドが高らかにいった。「あんた、絶対手をださないでよ?」
興奮で、すこし声が震えている。
そんなに楽しい? シドは心の中で問いかけた。
きみにも見えているだろう、ミド。あの門のむこうの、立っている大人たちの姿が。ぼくたちはこれから、何人殺さなければいけないんだろう、見ず知らずの人を。
門は、徐々に近づいていた。




