表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
87/142

エトの夜・1

 夜のとばりが、城内の大廊下に落としこまれている。

 靴音はあちこちでするが、どれも夜にふさわしく、おごそかで、つつましい。

 ただ、ひとつの足音だけが、夜も昼もない調子で、床を踏み鳴らしている。

 カツカツカツ、というブーツの音。

 肩まであるカールした黒髪を揺らしながら、キュベルカは歩いていた。

 この城を、夜に歩くのは初めてだ。

 ましてや、奥の間になど、近づいたこともない。

 いや、近づきたくもない。レイゼン公のいるところになど。

 それでもこうして、キュベルカは歩いていた。レイゼン公のいる、広間へと。

 ──なにを話すことがある? このわたしに、なんの用があるのいうのだ?

 キュベルカの心は、猜疑心に揺れていた。その猜疑の奥から、一条の、直感めいたものが現われる。

 ──危険だ。用意もなく、のこのこと会いに行ってはならない。やはり、コーラを連れてくるべきだったか。しかしいまさら、戻る気にもならない。

 キュベルカの歩調は変わらなかった。

 歩くうちに、考えもまとまるだろう。レイゼン公に出しぬかれないように、対処する方法を、考えなければいけない。

 キュベルカは、切れるような目をグッと前方に向け、口を結んで、歩きつづけた。


 戦闘が一段落して、アイザレン軍が後退したのは、この日の夕刻だった。キュベルカの飛行艦隊は地上に降りたが、さまざまな雑務に追われ、結局キュベルカが都城に戻ったのは、夜も遅くのことだった。

 コーラ、スペイオ、コーエン公、この三人をまじえて、早く明日からのことを話し合わなければならない。バラバラに動いてどうにかなる状況ではない。真意をさとられずに、自然に撤退するには、非常に緻密な計画が要求されるのだ。

 だからキュベルカは、城に戻ると同時にレイゼン公からの伝言を受けて、とまどった。

 話したいことがあるから、すぐに奥の間に来い。そういった内容だった。

 一方では、コーラたちが部屋で待っている。

 すこし考えたあと、キュベルカは城に戻ったその足で、先にレイゼン公のところに向かうことにしたのだった。


 ──まさかレイゼン公も、武力でわたしをおとしいれることはないだろう。

 キュベルカは、歩きながらまた思った。

 わたしは、静導士団の首席隊長だ。この腰の赤鞘の太刀は、伊達で差しているわけではない。わたしを負かせるものなど、ここにはいない。もっとも、いまは忘我のメイナードは別だが。

 ともかくレイゼン公は、なにか、わたしの身体ではなく、心を突いてくるのだろう。あの老人は、わたしの野望に感づいているような気がしてならない。小さいが澄んだ目、あの闊達な口ぶり。そして全身からにじみ出る、独特な雰囲気。

 やつは危険だ。だから、これまで避けてきた。だが、いまは二人だけで会わなければならない。なんの用意もなく、無防備に。

 ──無防備。……いや、そんなことはないか。

 キュベルカは心の中で、ふいにほくそ笑んだ。

 ふん、すこしだけ楽しくなってきた。

 どうせ、話し合う余地などないのだ。

 ならば、あのなんでも知っているといった風な、いけすかない老人を、からかってやるとしよう。

 驚いて目を見開くその顔が浮かぶ。

 キュベルカはふっと口の端を上げて、廊下を歩いていった。


 左右に、白い円柱が立ち並んでいる、広間だった。

 天井にあるシャンデリアは灯っていない。四方の壁の灯籠が、部屋の中をおぼろげに照らしているだけだ。

 家具もなにもない、空き間だ。外の廊下にも広間にも、ひと気はない。

 ただし、ひと気がないといっても、前に立っている老人は別だ。

 いつもの平服ではなく、簡素でゆったりとした、暗い色のローブを着ている。

 キュベルカは警戒しながら、広間に入った。扉を閉じると、中はシンと静まりかえった。

「夜分、すまないね」

 軽い口調で、レイゼン公イェゲダンがいった。

「レイゼン公、わたしは疲れている」キュベルカは、レイゼン公の正面に立ち止まり、居丈高に応じた。「用件は手短に願いたい」

 うんうん、とうなずいたレイゼン公は、腰の後ろに手を回し、少し下がってキュベルカと間合いを取った。

「どうかね、首尾は?」

「首尾?」

 キュベルカは眉根を寄せた。

「司令部に詰めておられる貴公のほうが詳しかろうが、まあ、空に関しては一進一退だ。明日どうなるかは、わからんが」

「……わたしぐらいの老人になるとね」

 ふと、レイゼン公がいった。

「この世界に対して、義務、のようなものを感じるのだよ。これまで生かしてくれたこの世に、すこしでも意義のあることをしたくなる。それが、自分にしかできないことなら、なおさらね」

「手短に、と申し上げたはずだ」キュベルカは不機嫌にいった。「レイゼン公、申されたいことがあるならば、はっきり申されるがよい」

「うむ、それでは」

 ふいにレイゼン公の腕が、キュベルカに向けられた。

 拳をにぎった手をつきつけられて、キュベルカはレイゼン公を不審げににらんだ。

 そのキュベルカが声を出す間もなく、レイゼン公の拳が解かれ、なにか印を結ぶように、すばやく動かされる。

 とたんに、ぐらりと、キュベルカの視界がゆがんだ。

「わたしはね、戦うしか能がない、きみたち静導士という連中が嫌いでね」

 平静な声でレイゼン公がそういうのを、キュベルカはすでに遠い耳で聴いていた。

 ──これは精神攻撃! しかも、強烈だ。この老人、異能者だったのか!

 キュベルカの頭が、本能的にブルッとけいれんした。

「というよりも、わたしは、戦争が嫌いでね」

 レイゼン公の声が、なおも響く。

「わたしはね、絵空事ではなく、本気で停戦を望んでいるのだよ。きみを葬り、きみらの見えすいた思惑を阻止してから、わたしはラザレクに行き、陛下に直々に停戦か降伏かを、うったえるつもりだ」

 ──やはり、すべてお見通し、か。

 強烈な精神攻撃の波動に、身を縛られながらも、キュベルカは思った。

 ──だが、まさかこんな強硬手段に出るとは、考えてもいなかった。

 レイゼン公イェゲダン。諸侯の知性として、四十年以上も、このエトの領主でありつづけた男。さすがに、それにふさわしい力を持っている。

 皮肉なものだ。戦いをうとみながら、自分が直接、こうして戦いを仕かけるとはな。

「キュベルカ卿。きみのここまでの生い立ちを考えれば、同情もしよう」

 すこし威儀を正して、レイゼン公はいった。

「だが、きみひとりのために、何千何万という人が犠牲になるのを、見すごすわけにはいかない。……残念だがね」

 レイゼン公の指が、妙なかたちでかたまり、キュベルカの前につきだされた。

「技法が抜ける」

 レイゼン公の声が、キュベルカの耳に、かすかに届く。

「断片から断片へ、渡されるおまえの背に」

 またすばやく印がつむがれる。

「おまえが知りながら知らない、訴状が貼られている」

 キュベルカの意識は、漏斗をくぐるように、するっと闇に落ちこんでいった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ